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第283話 偽りなき真実 其の十八

 西日が石畳に長い影を落とす中、どこか危うい足取りのまま歩を進めていた香彩(かさい)が、ふと歩みを止める。  同じ方向に薙ぎ倒された桜の木々を眺めていた香彩は、ある形に破壊された石畳にそっと触れた。  ──っ!  跡を付けていた(ねい)が、その様子を見た刹那の内に息を詰める。  香彩が触っていたそれは、大きな蒼竜の足跡だ。  もう片方の手で胸元をぎゅっと握り締めながら、どこか寂しそうに、そして愛しそうにそれを見遣る。  自分はこの時、何を思っていただろうか。  胸元にあった手が、まるで何かを求めるように唇に触れる。  あの時は確かに自身で不埒だと思った。  じくり熱くと疼いた胸の唇痕に、思念体で現れた竜紅人(りゅこうと)のことを思い出す。  そして先程の紫雨(むらさめ)との唇の感触が、舌の熱さが、送られてくる紫雨と竜紅人の『力の塊』の甘さが、どうしても忘れられないと思った。 (……だけどそれがこんなに……!)   こんなに表情に出ているだなんて、思いもしなかった。  はぁ……、と。  色付いた唇から洩れる熱い吐息が、中途半端に目覚めさせられた熱を思い、無意識に求める。己の内にある欲を記憶を、ぼぉうとした翠水が見つめる。  やがて嫣然と微笑む香彩の、匂い立つような艶やかさに、詰めていた息を吐いたのは寧だった。  駄目だ、と。    酷く苦しげな寧の声が聞こえた。  それは彼の心の声だ。  ──ずっと見守ってきたのだ。それこそ、あの方が稚い時からずっと、お側で仕えてきたのだ。いま心の求めるがままにあの方にぶつけてしまったら、あの方の心は壊れてしまう。  ──いや、そもそもこの心をあの方に知らせてはいけないのだ。ぶつけてはいけないのだ。  ──だが壊れて『心の内側』に衝撃を与えれば、確かにあの方が、あの方自身の『内側』に向き合えるかもしれない。  ──だがそれではもうお側にいられなくなる……! 私の立っていたあの場所に、他の者が立つなど考えたくもない。  それでも。  あの香彩の艶たる表情を見てしまった瞬間、寧の中に蠢いていた(かのと)の妖力が、寧の心を縛るのだ。  自分の物にしたいのだと。  この欲のままに、自分のものにしたいのだと。  それは黒い薔薇(そうび)の棘の付いた蔓にも似ていた。  胸を押さえながら、寧が呻く。  まるで何かと戦っているかのように、時折大きく頭を振って。  ──あの方が何を行って『力』を失ったのか、私は知っている。  ──何故あの方が『力』を失われなければならない!? 唯一無二の洗練されたあの清らかな『力』を、どうして……っ!?  ──荒療治、と確かに彼君はおっしゃったのだ。  ──ならば……!  ──私がその『荒療治』とやらを行って、あの方の『力』を取り戻す発端となればいいのではないか。

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