283 / 409
第283話 偽りなき真実 其の十八
西日が石畳に長い影を落とす中、どこか危うい足取りのまま歩を進めていた香彩 が、ふと歩みを止める。
同じ方向に薙ぎ倒された桜の木々を眺めていた香彩は、ある形に破壊された石畳にそっと触れた。
──っ!
跡を付けていた寧 が、その様子を見た刹那の内に息を詰める。
香彩が触っていたそれは、大きな蒼竜の足跡だ。
もう片方の手で胸元をぎゅっと握り締めながら、どこか寂しそうに、そして愛しそうにそれを見遣る。
自分はこの時、何を思っていただろうか。
胸元にあった手が、まるで何かを求めるように唇に触れる。
あの時は確かに自身で不埒だと思った。
じくり熱くと疼いた胸の唇痕に、思念体で現れた竜紅人 のことを思い出す。
そして先程の紫雨 との唇の感触が、舌の熱さが、送られてくる紫雨と竜紅人の『力の塊』の甘さが、どうしても忘れられないと思った。
(……だけどそれがこんなに……!)
こんなに表情に出ているだなんて、思いもしなかった。
はぁ……、と。
色付いた唇から洩れる熱い吐息が、中途半端に目覚めさせられた熱を思い、無意識に求める。己の内にある欲を記憶を、ぼぉうとした翠水が見つめる。
やがて嫣然と微笑む香彩の、匂い立つような艶やかさに、詰めていた息を吐いたのは寧だった。
駄目だ、と。
酷く苦しげな寧の声が聞こえた。
それは彼の心の声だ。
──ずっと見守ってきたのだ。それこそ、あの方が稚い時からずっと、お側で仕えてきたのだ。いま心の求めるがままにあの方にぶつけてしまったら、あの方の心は壊れてしまう。
──いや、そもそもこの心をあの方に知らせてはいけないのだ。ぶつけてはいけないのだ。
──だが壊れて『心の内側』に衝撃を与えれば、確かにあの方が、あの方自身の『内側』に向き合えるかもしれない。
──だがそれではもうお側にいられなくなる……! 私の立っていたあの場所に、他の者が立つなど考えたくもない。
それでも。
あの香彩の艶たる表情を見てしまった瞬間、寧の中に蠢いていた叶 の妖力が、寧の心を縛るのだ。
自分の物にしたいのだと。
この欲のままに、自分のものにしたいのだと。
それは黒い薔薇 の棘の付いた蔓にも似ていた。
胸を押さえながら、寧が呻く。
まるで何かと戦っているかのように、時折大きく頭を振って。
──あの方が何を行って『力』を失ったのか、私は知っている。
──何故あの方が『力』を失われなければならない!? 唯一無二の洗練されたあの清らかな『力』を、どうして……っ!?
──荒療治、と確かに彼君はおっしゃったのだ。
──ならば……!
──私がその『荒療治』とやらを行って、あの方の『力』を取り戻す発端となればいいのではないか。
ともだちにシェアしよう!