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第286話 偽りなき真実 其の二十一

「……っ!」  言葉にならないまま、再び真実の幻影が暗闇に閉ざされる様を、香彩(かさい)はただ見つめていた。  竜紅人(りゅこうと)の物言いから、(かのと)紫雨(むらさめ)が画策していることは分かっていた。そして蒼竜が真実を啼いて視せたことにより、あの二人が何をしていたのか見ることが出来た。だがそこに(ねい)が関わっていたなど、想像すら出来なかった。 (……関わっていたというよりもあれは……!)  香彩の心の中で失っていた物のひとつが、かちりと音を立てて嵌まった刹那、暗闇の中でほのかに光るものが、ゆらゆらとこちらに向かって飛んでくるのが見えた。  それは紙蝶だ。  どこか不自然な飛び方で、今にも落ちていきそうなそれを、香彩は自身の指に止まらせる。  不自然にも羽に穴の開いた紙蝶を。 (これ……っ!)  まさにそれは叶が鋭爪で穴を開けた、寧の紙蝶だった。 (──どうしてここに? 叶様に奪われたんじゃなかったの?)  事が済んで叶が手元から離したのか。それともこの紙蝶もまた幻影のひとつなのか、香彩には判断出来ない。だが紙蝶は縋るように、香彩の指にその脚を絡ませている。  香彩は複雑な感情を抱いたまま、紙蝶を見つめた。  不可抗力であれど、叶に対して間諜(うかみ)を働いた。それは縛魔師としての一線を越えた、赦されない禁忌なのだと承知している。    だが『叶という存在』は意外と面倒臭がりな性格なのだということを、香彩はよく知っていた。だから本来ならば明確な敵意がない限り、罰を与えるという面倒なことをせずに、警告で済ませるはずだ。それが立場という物を最大限に利用し、紙蝶を媒体として妖力を送って脅迫し、事が済むまで媒体を取り上げることまでやってのけたのだ。 (……そうして寧の受けた罰は、丁度良いから使ってやれと言わんばかりのもの)  もしかすると寧が不敬を働くように、上手く誘導したかのように思えてくる。  そこまでの『真相』は彼君の心内だったのか、真実を啼く蒼竜の幻影には現れなかった。だがおおよその想像は付く。 (──その、全てが……) (僕の……『力』を取り戻す為)   己の内側にある『もの』を見つめさせる為に行われたこと。  それに寧が体よく使われたのだ。  心内に潜ませて、本来ならば決して表に出すことのなかっただろう、香彩に対する春機すら利用されて。 「……寧」  ぽそりとその名前を呟く香彩はいま、自分の気持ちが分からなかった。ただ何かとても遣り切れなくて、遣る瀬ない気持ちが心から溢れてくる。  その溢れる感情のままに香彩は、指に止まっている紙蝶の羽に、触れるだけの接吻(くちづけ)を贈った。  ふるりと身を震わせた紙蝶は、幾度か羽をゆっくりと羽撃(はばた)かせる。  すると一体何の『力』が働いたのか、紙蝶の羽の穴が、見る見るうちに治っていくではないか。 「あ……」  かちり、と。  心の中に欠けていたものが再び嵌まった気がした。  それが何なのかは分からなかったが、心の奥がひどく熱い気がしてならない。  香彩の指に六脚を絡めていた紙蝶が、まるで礼でも言うかのように香彩の周りをくるりと飛んでから、幻影の暗闇の大空へと羽撃いていく。  持ち主の元へ帰ろうとしているのだろうか。  ほのかな光の軌跡を残しながら天高く飛び行くそれを、香彩は姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。

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