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第287話 靉靆たる 其の一

 やがて紙蝶が消えた空から、招影(しょうよう)が作り出した罪悪感の幻影の世界と、蒼竜が()せていた偽りなき世界が、真っ二つに割れるかのように切り裂かれて消えていく。  すとん、と。  まるでその世界から落とされるかのように、『自分のいる世界』が変わる。    ゆっくりと目を開ければ、白い世界に横たわっている自分がいた。  帰ってきたのだと香彩(かさい)は思った。  『幻影の世界』から自分の夢床(ゆめどの)へと。  身体を起こそうとすると、忘れるなと言わんばかりに、後ろから抱き締めてくる逞しい腕がある。  項の辺りに彼の、それは大きな大きなため息が聞こえて、その吐息の熱さに香彩はびくりと身体を震わせた。 「お前なら絶対にそうするだろうなと思っていたが……妬けるな」  「──……っ、竜紅人(りゅこうと)……」  頸根(くびね)に落とされて軽く肌を吸う唇に、香彩は息を詰める。  決して(ねい)を赦したわけではないのだと、背後の想い人に小さく呟いた。  そう、赦したわけではないのだ。かと言って絶対に赦さないのだと、断言出来ない自分もいる。その心の曖昧さが、在り方が、自身でも分からないのだ。  かつて自分も同じことを、眠らせた竜紅人にしてしまっているが為に。  無言のまま香彩の細い項に吐息を落としていた竜紅人が、窘めるように軽く牙を立てた。  思わず上げてしまいそうになった艶声を何とか堪える。香彩のそんな様子を見つめながら、竜紅人はくすりと笑うのだ。 「──さて、行こうか。香彩」 「えっ……」  背中に感じていた温かな竜紅人の身体が離れる。釣られる形で起き上がれば、彼が手を差し伸べていた。おずおずと彼の手の上に自分の手を乗せれば、ぐっと引かれて立ち上がるのを手伝ってくれる。 「行くって、どこに?」  自分よりも背の高い竜紅人を見上げて、香彩が言った。  一面の白い世界だ。  この世界のどこに行く宛てがあるのだろう。  蒼竜の啼いた偽りなき世界を視て、ようやく戻って来られたこの夢床だ。 (それでもまだ何かが足りないから)  『力』が戻って来ないのだということは嫌でも分かる。 (でも、何が……?)  何が足りてないのか、香彩自身分からないのだ。  戸惑うような表情を見せる香彩に、竜紅人が少し困った顔をする。 「どこに行くのか、どこに在るのか、知ってるのはお前だけなんだけどなぁ」  最後の罪悪感、お前はお前自身をどこに隠したんだ──?

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