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第291話 蜘蛛と獲物 其の二

 びくりと、『香彩(かさい)』の身体はまるで何かに打たれたかのように、大きく動く。その振動は獲物の方にも伝わったのか、獲物の眠りが解かれる気配がした。敢えて獲物に見せ付けるように、そして聞かせるかのように、竜紅人(りゅこうと)は先程と同じように『香彩』の唇に吐息が当たる位置で話す。 「お前の恐れるものはなんだ。何がお前を恐れさせ、『力』を封じ込めている?」  (ねい)の件もあるのだろうと竜紅人は思った。  赦したわけではないと香彩は話していたが、あの幻影の暗闇の世界に現れた紙蝶に接吻を贈った時点で、心の奥のどこかで香彩は無意識に寧を赦している。それすらも自分で自分を苦しめる鎖となっていることに、香彩自身自覚はあるのだろうか。 (──お前が赦しても、俺は)  赦すつもりなど、ない。  心の奥底にある冷え切った真竜の本能が、容赦なく告げる。  食ろうてやろうかと。  だが一思いに食らってしまっては、楽になるのは寧ただひとりだ。だからこの鋭爪や牙で甚振(いたぶ)りながら徐々に弱らせて、そして……。  あまり知られてはいないが、食物連鎖の頂点に立つ真竜もまた、人を食らう生き物だ。滅多なことではその血肉を糧に求めることはしないが、本能が人の中でも特に縛魔師が馳走なのだと訴えかける。   だが自分の御手付(みてつ)きを穢した者を食らい、その者の血肉が染み込んだ己の身体で、愛し子に触れるのはどうしても我慢ならなかった。それに必ず愛し子の憂う材料となる。  自分の為に食らわれた寧のことを、香彩は一生思いつづけるだろう。 (……冗談じゃない)  愛し子の心にこれ以上巣食うなど、本当に冗談ではない。   だから強めの牽制に留めるしかないのだ。 (──と言っても奴はもう、何もする気は起きないだろうが)   春機を、隠していた想いを、丁度いいとばかりに魔妖の王の妖気で脅されて利用されたのだ。もうこれ以上『こちら側』に踏み込む気力も勇気も残されていないだろう。  問題は香彩、なのだ。 「……かさい……俺に聞かせて? 何が怖い……?」  竜紅人はそう言いながら、今度は『香彩』に深く口付けた。 「……んんっ……んっ、はぁ……」  威嚇ばかりしていた声が、途端にくぐもった甘い声色になる。息を継ぐために細くひらいた唇の隙間から、竜紅人はするりと熱い舌を差し込んだ。

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