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第292話 蜘蛛と獲物 其の三

「──んっ……!」  それは『香彩 (かさい)』の口内を探るように歯列を這い、上顎を撫で、奥に戸惑い潜む『香彩』の舌を器用に巧みに絡め取って愛撫する。  舌の裏側が弱いことを知っている竜紅人(りゅこうと)が、先を硬くした舌でねっとりと擦る。もっと欲しいのだと言わんばかりに突き出された薄桃色の舌を、再び絡めながら吸い上げれば、一層くぐもった艶やかな声が上がった。  はぁ……とお互いの熱い息が掛かる。その甘さと馨しくも香り始めた御手付(みてつ)きの香に、竜紅人の中にあった香彩に対する執着と独占欲が炙り出される。その心のままに、親指の腹を使って『香彩』の口を軽く抉じ開けると、竜紅人は媚薬でもあるとろりとした唾液を、『香彩』の口の中に落とし込んだ。  接吻(くちづけ)によって蕩けた表情を浮かべていた『香彩』は恍惚として、こくりこくりと与えられた唾液を飲む。これがとても甘くて良いものだと、本能的に理解しているかのように。  『香彩』という『罪悪感』は本能の一部だ。  しかも竜紅人に対する罪悪感ならば、自分が与えて求めれば、多少の抵抗はあるものの、すぐに受け入れてくれるだろう。その想像は、見事に当たっていた。  そうして『罪悪感』の抵抗が薄れてきたならば、頑なな『獲物』を縛り付けている心の鎖が緩み、感情を素直に吐露してくれるのではないか。 「……かさい……」  『香彩』の朱色に染まった耳輪にくちづけて、柔らかな耳朶を優しく噛んで囁くと、『香彩』の身体がふるりと震える。  香彩は自分の声に弱いのだと、竜紅人はかなり前から自覚していた。決して竜の聲だけではない。慈しむ気持ちと、婬情の色を隠しきれない掠れた低い声で香彩の名前を呼べば、その度に香彩は堪らないのだと言わんばかりの表情を見せる。  その忘我の顔は『香彩』であっても同じだった。  竜紅人はくすりと笑い、『香彩』の耳にねっとりと舌を這わせながら獲物を見た。  視線が、合った。  獲物は驚きで一瞬目を見開いていたが、すぐに何かを我慢するような顔に変わる。  その表情に。  手と足を『香彩』のやけに長い蜘蛛のような手足に縛り付けられている姿に、竜紅人の中の真竜の本能ともいえる嗜虐心が擽られた。 (……ずっとこのままなら)  お前は逃げられない。  どこにも行けないというのに。      

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