295 / 409

第295話 最後から二番目の真実 其の一

 香彩(かさい)はひどく気持ちの良い何かを感じて、薄っすらと目を開けた。  何だろう、とても気持ちが良くて、懐かしい気がするのに、心の中が騒ついて仕方がない。  この白い空間に捕らわれて、身動きが取れなくなってから、一体どれくらいの時間が流れているのだろう。  それすら検討も付かないまま香彩は、だんだんと強くなる『口の中の気持ち良さ』に、ぼんやりとしていた意識が、はっきりとしてくるのを感じた。 (……これは一体、何?)  気持ちいい。  この気持ち良さに、とても覚えがある。  ぴちゃり、と上の方で水音がして、香彩は視線を向けた。ぼぉうとしていた視界がやがて世界を映し出せば、今まで何故気付かなかったのか。目の前に見覚えのある蒼い衣着があった。 (──!)  ぴちゃり、ぴちゃりと聞こえる淫靡なそれは、唾液を伴った濃厚な接吻(くちづけ)の音だ。  目と鼻の先で繰り広げられる光景に、香彩は頭の中が刹那に真っ白になった。何が起こっているのか分からないまま、想い人が別の人に口付けている様をただ見つめる。  その『気持ち良さ』だけが、感覚を通じて伝わってくるのだ。 「……かさい……俺に聞かせて? 何が怖い……?」  聞き馴染んだ想い人の、欲を乗せた吐息混じりの低い声。  更に深く口付けられて、自分を捕らえている『香彩』が、くぐもった甘い声を上げる。  やめて、と声を上げそうになった。  だが何もされていないというのに感じる気持ち良さに、思わず自分も上擦った声を出してしまいそうになって、香彩は奥歯をぐっと噛んで堪える。  ふと冷たいものが、心の中に落ちた。  自分のどこにそんな権利があるのか、と。  目の前で竜紅人(りゅこうと)接吻(くちづけ)をしている、蜘蛛のような長い手足をもった者もまた自分自身なのだと、香彩は自覚していた。  知られたくない気持ちと、彼に対する詫び言が生み出した心の魔妖だ。 (……それでも、嫌だ……)  僕以外、嫌だと。  彼が自分以外の者に、接吻(くちづけ)している姿なんて見たくないのだと思う自分がいる。  だがそんなことを、どの口が言えるだろう。  自分は竜紅人以外のふたりの男に、身を許してしまったというのに。 (こんな想いを彼は……!)  何度味わったのだろう。 (それなのに)  夢床(ゆめどの)にまで付いてきてくれた、彼の優しさが恐ろしかった。  自分の為に『成人の儀』に思念体で現れた彼の優しさが恐ろしかった。  自分は何もしてあげられなかったというのに。  仕方がないのだと彼を遠ざけ、閉じ込めることしかできなかった。  あんな喧嘩をして、側にいることも出来ず、貴方以外の者と契ったというのに。  貴方は何故そんなに優しいのか。 (……優しくされる価値なんてない。むしろ貴方は酷く僕を罵倒するべきなのに)  すとん、と感情が心の中に落ちる。  ああ、これが──。    

ともだちにシェアしよう!