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第311話 消え果つ 其の三
痛いほどに。
せめてこの夢床 にいる間だけは、甘い痛みを通して、貴方が側にいたのだと感じていたいから。
香彩 はそう竜紅人 に懇願する。
彼はもう限界なのだと。
漠然と分かっていたのだ。
『成人の儀』で酷使した神気を余り回復させないまま、彼は香彩を助ける為にもう一度思念体を作り『雨神 の儀』の場に現れた。あの時点で竜紅人の身体は幾度か透けていたというのに、この夢床 まで一緒に降りてくれた。
それだけではない。
雨神 と雪神の『力』を借り受けて真実を啼き、闇を生み出すものを慄かせ、この常夜を照らす真実の道しるべとなってくれた。
そして『罪悪感』と『本質』の為に、二度も白濁とした熱を注ぎ込んでくれたのだ。
卑猥で鄙陋 なまでの肌を吸う音が、夢床 の白い世界に響く。竜紅人は時折熱い舌で、淫靡なまでに香彩の白い肌に赤く色付いた痕を舐めた。そして再び空気を含んだ唇で、恥ずかしく思える程の音を立てて唇痕を吸い、牙を立てる。その狂おしいまでの痛みに耐えるように、香彩は竜紅人の頭を胸に抱くようにして、髪をぎゅっと握った。
その頭が、髪が。
香彩に覆い被さる竜紅人の身体が、一瞬透ける。
「……りゅう……」
消えてほしくない。
香彩は堪らず、彼の名前を呼んだ。
雄々しくも荒い息を隠しもせずに吐き、竜紅人が香彩を上から見下ろす。その身体が再び透ける様 に、香彩は悲しそうな顔をした。
ここまでずっと一緒だっただけに、酷く淋しい気持ちに襲われる。
もう離れたくないのだと、ずっと一緒にいたいのだという気持ちが溢れて仕方ないのだ。
目の前にいる彼が本体ではないのだと分かっている。いずれ消えてしまうものだと分かっているというのに。
「竜紅人……」
香彩は縋るように竜紅人の逞しい腕に手を添えた。それに応えて竜紅人が香彩の頬を優しく撫でる。
「最後まで付き合いたかったが、限界が来たらしい。香彩、俺が消えたら、気になる方角に歩いて行け。そこにお前の求めているものがある」
竜紅人の言葉に香彩は無言で頷いた。
抽象的な言い方だったが、香彩にはその答えが何となく解る気がした。そして求めて取り戻そうとしたものが、ちゃんと自分の内に存在していることがひどく嬉しくてならない。
ただその場所に、竜紅人と共に行けないことが堪らなく淋しかった。
「──そんな顔、するなよ……って言っても無理だよな。お前は心の芯は毅いけれど、淋しがりやだから」
竜紅人の姿が薄くなっては戻る。だが、だんだんと戻る時間が短くなっていく。
慈しみ合うように二人は鼻梁を擦り合わせた。
やがて触れるだけの接吻 を幾度か交わして、唇に吐息が触れる距離で見つめ合う。
「全てが終わったら俺の所においで。お前の胎内 にある真竜の核と子種の熱が結び付くまで、何度もお前を抱いて胎内 に注いで植え付ける。夢床 では消えてしまう俺の匂いや痕も、もう淋しくないようにたくさん付けてやる」
──俺に孕まされにおいで……香彩。
「──っ!」
情炎に灼かれた伽羅の瞳でそんなことを言う竜紅人に、香彩は瞬時の内に顔を赤らめた。背筋をぞくりとしたものが駆け上がり、身体全体が粟立って仕方なかった。
本体の竜紅人は、待っているのだ。
本来の大きさに戻った、発情した蒼竜の姿で。
自分の御手付 きを、今か今かと待っているのだ。
思い出されるのは、蒼竜が幽閉される時のこと。
御手付きを発情させる効果があるという、発情した蒼竜の濃厚な春花のような香りを、ほんの少し嗅いだだけで、身体が崩れ落ちていきそうになった。身体の奥が潤い、開かされていくようだった。
あの香りに今度は自ら包まれに行くのだと思うと、それだけで恥ずかしくて堪らない。
堪らないというのに、香彩はこくりと頷いた。
「たくさん……たくさん、欲しい。りゅう……っ」
香彩の言葉に竜紅人は泣き笑うような、そんな表情を浮かべた。
待ってる、と。
低く掠れた声で言いながら、竜紅人が香彩にもう一度接吻 を贈る。
お互いに見つめながら交わす接吻 は恥ずかしかった。だが香彩は瞳を閉じようとはしなかった。
消えるのだと、分かっていたから。
見えなくなるその瞬間まで、竜紅人を見つめていたかったから。
やがて。
香彩の色付いた唇に、ほんの僅かな温もりを残したまま、竜紅人の身体は透明になり、消えて行ったのだ。
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