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第322話 嗣子と罰 其の四

 ()の残映を特に気にすることもなく、(かのと)のいた場所から香彩(かさい)に向かって歩いてくるのは咲蘭(さくらん)だった。その表情はいつもの柔和な彼のそれではなく、どこか硬い。  彼の声色の裏側に隠れている感情を、ほんの少しだが読み取ることが出来たのは僥倖だろうか。  咲蘭様、と声を掛けそうになって香彩は思わず止める。  彼は歩きながらその背中から、瑞祥の象徴である黒翼を顕現させていた。稀有な翼を軽く羽撃かせている時の彼は、叶の名代として立つことが多い。  真っ直ぐに咲蘭の黒曜の瞳を見つめた後、香彩は右手拳を胸の上に置いて一礼する。  心真礼だ。  彼に敬意を込めつつも、貴方のその黒翼が一筋の光となったのだと、御礼の意味を含めて。そして全ては上手く行ったものの、このような事態となってしまったことに対して、香彩は無言のまま深く頭を下げた。  先程の咲蘭の硬い面持ちが脳裏を過る。  叶が動く前に『力』を取り戻してほしいと咲蘭は言っていた。だが結果として術力を取り戻したとはいえ、『力』を失わなければ回避出来た状況がたくさんある。   (全ては僕の不甲斐ない内面の弱さが、招いたことだ)     叶が動かざるを得なかったことも。  紫雨が病鬼を宿したことも。  寧が恋情を晒られ、圧力を掛けられて叶の傀儡となったことも。  そして意図せず二人が、『雨神(うじん)の儀』という祀事を利用し、香彩の術力を取り戻す荒療治として招影(しょうよう)を召喚したことも。     どれくらいの時間が経ったのだろう。  頭を上げなさいという咲蘭の言葉に、周囲のざわめきがしんと静まり返った。  一体何が起こるのかと、固唾を呑む気配が伝わってくる。  意を決するように香彩は顔を上げた。  冷たい面容に、息を呑む。今の咲蘭は元が巧緻な分、まるで全ての感情を凍て付かせた、氷の彫像のようだ。  ああ、名代なのだと香彩は改めて今の彼をそう認識する。   「……私にそうやって謝意を示すということは、私がこれから貴方に何を言うのか、分かっているのでしょう?」    咲蘭の言葉に香彩は短く、()、と(いら)えを返す。  ふるりと震える手を、香彩は隠すようにぎゅっと握り込んだ。  そしてこれから下される下知に、覚悟を決める。   「──貴方に、楼閣払(ろうかくばらえ)を命じます」    咲蘭の声は凛として重く、静寂に包まれた潔斎の場に響き渡った。  誰かのざわめく声も、潜む息すらも許されないような張り詰めた空気が流れる。   「国主の意図はどうあれ、元を辿れば全ては貴方が術力を失ったことに起因します。『場』を穢し、招影の侵入を許し、皆を、そして国主を危険に晒した罰です。貴方には一定期間の楼閣払を命じます。引継ぎを終え次第、退閣を」

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