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第323話 嗣子と罰 其の五

「……っ」    そう言い放つ咲蘭(さくらん)の繊細で巧緻な(かんばせ)には、何の感情も浮かんではいなかった。ただ名代としての、冷たく張り詰めた面容だけが彼を支配しているかのようで、香彩(かさい)は思わず息を詰める。  楼閣払(ろうかくばらえ)は文字通り、麗城中枢楼閣からの追放だ。  一定期間だと彼は言った。この下知が有効の間は香彩は、中枢楼閣へと入閣を禁じられる。  それは一体どれほどの期間なのか。  香彩は咲蘭に問おうとして、言葉を詰まらせた。  宵闇を溶かし込んだ様な色をした鋭い双眸が、ふっと和らいだ気がしたのだ。   (……あ……)    見間違いかと思った。  だがほんの刹那の間だけ、口元に僅かな笑みを浮かべた咲蘭を見た気がした。   (この下知は……?)    まさかだと思う。  でももしかしたらと思う。  僅かな間だけだったが、柔くなった双眸と笑みが答えを物語っているのではないか。  咲蘭とは長い付き合いで信頼関係もある。  だからこそ叶の名代として立った時の咲蘭の線引きを、香彩は心得ている。どんなに親しくても、彼は叶を危険に晒した者に容赦などしない。罰を与える下知に、隙など見せない。  その彼が須臾(しゅゆ)にして見せた隙が。   (きっと、答えだ)    香彩は再び右手拳を胸の上に置いて一礼しようとした。  ()、と応えを返そうした。  だがそれを止めるかのように、背後から香彩の両肩を掴む、熱い手がある。   「俺のいない所で面白いことをしているな。咲蘭よ」    頭上から降ってくるその声に、掴まれた肩の力強さに香彩は身体をびくりと震わせた。  視界の端に映る金糸。  その官能的な低い声で、その気配だけで誰なのか嫌でも分かる。  くつくつと喉奥で面白そうに笑う彼に、咲蘭が億劫そうに大きく息をついた。   「──紫雨(むらさめ)……貴方、身体は?」 「多少怠さは残っているが、許容範囲内だ」 「……病鬼は、どうなったのです?」 「すっかり掻き消えたな。元々はさほど強くもない精神体の鬼だ。招影が一瞬にして浄化する程の『力』の中で、あれが存在出来る筈もあるまい」    そう語る話の内容は至って真面目なものだ。だがいかにも楽しいのだと言わんばかりの紫雨の口調に、香彩は内心どきりとしながらも、目の前の咲蘭に同情する。  彼特有の言葉遊びだ。  咲蘭もその気配が分かったのだろう。  先程の氷の彫像めいた表情に、血の気が通ったような顔をして、やれやれとばかりにため息をついている。  咲蘭、と紫雨がどこか含みのあるような口調で、その名前を呼んだ。

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