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第326話 嗣子と罰 其の八
「──っ!」
ぞっとするような光景に、漂う妖気の濃厚さに、香彩 は思わず口を手で覆う。
まるで部屋中に墨を溢して塗り付けたかのような有様だった。禊場特有の香木の木目すら見えない程、漆黒に染まったそれは穢れの証だ。招影 が本来持つ妖気と、招影が纏わり付かせている邪念、そして僅かながらに叶の妖力を感じて、香彩は顔を顰める。
この禊場は召喚の始まりの地点である為か、不思議な『場』の力が働いていた。潔斎の場にいた招影は全て浄化したというのに、ここにはまだ数体の招影が存在している。
どろり、と黒い何かが動いた気がした。
その方向へと視線を見遣れば、何かが横に倒れていて身動 ぎしたのだと分かる。
「……寧 ……っ!」
唸るように香彩は、寧の名前を呼んだ。
寧の姿は酷い物だった。
彼の内にある叶 の妖力に惹かれてこの場に留まった数体の招影は、その身体を長い二の腕でぐるりと巻いていた。招影に纏わり付く穢れは寧の衣着を、その身体をどす黒く染めている。
まるで黒くどろりとした沼にでも浸かっているかのようなその光景に、香彩は一瞬躊躇した。だがこんなに濃い妖気と穢れに浸かり切ってしまっていたら、彼の身体が危うい。妖気は気管支を冒し、やがて呼吸を困難にするからだ。
香彩は禊場へ一歩踏み出した。
するとどうだろう。
身体に纏う術力と神気、そして蘇った四神達の護守が働いたのか。まるで布で床の汚れを綺麗に拭ったかのように、香彩の足元から黒い穢れが消えて行く。
招影が作った『場』が壊れ、禊場は香彩の『場』へとすり替わったのだ。
堪らないのは招影達だった。
寧の身体に纏わり付いていた招影は、長い二の腕を擦り合わせて、まるで断末魔の様にぎいぎいと音を鳴らして掻き消えて行く。潔斎の場にいた招影も、きっとこんな風に消えて行ったのだろう。
香彩は改めて自分の『力』の凄まじさを目の当たりにして恐ろしいと思った。妖気や邪念で穢れた『場』は、本来ならば段取りを踏んだ『払穢 』の儀式が必要だ。
それがたった一歩。
『場』に踏み込んだだけで、香彩の纏う物が全てを浄化していく。
倒れ込む寧の近くに歩み寄る頃には、禊場はすっかり綺麗になっていた。そしてどす黒く染まっていた彼の身体も、綺麗な姿を取り戻している。
香彩は大きく息を吐いて寧の側に座ると、そっとその額に触れた。途端にぞくりとした冷たいものが背筋を駆け上がり、身体が震えそうになるのを必死に抑え込む。
手が震えてしまっては何も出来ないのだ。
ぎゅっと震えを消す様に握り込んでから、香彩はもう一度、寧の額に触れた。
そこから『力』を送り込む。
悪い物に冒されてしまった身体を、正しいものへと導く為に。
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