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第328話 嗣子と罰 其の十

 中枢楼閣第六層にある大司徒(だいしと)私室に戻るのは、果たして何日振りだろう。  人知れず部屋に入った香彩(かさい)はそんなことを思いながら、紫雨(むらさめ)の言われた通りに結界を張った。  『力』が無事戻っていることを改めて確認して、香彩は少し力が抜けたかのように寝台の隅に座る。   (……竜紅人(りゅこうと)と喧嘩した時以来、か)     あの後すぐに土神騒ぎ、蒼竜の幽閉、そして『成人の儀』があった。儀式が済んだ後はずっと楼外の屋敷にいたから、この大司徒私室に戻るのは本当に久々だ。  部屋の空気が籠もっていないのは、もしかしたら紫雨が式を遣って、空気の入れ替えや掃除をさせていたのかもしれないと思い至る。少し気配を探れば、いつかの紫雨の『力』の残滓が感じ取れて、香彩は自分の予想が当たっていたことを思い知った。元々は紫雨と自分の部屋なのだとはいえ、どこか気恥ずかしくも居たたまれない気持ちになる。この私室でまだ事に及んでいなかったことが、心の救いだ。   (まだ、って……)    香彩は途端に顔を赤らめた。  心を通わせた今、竜紅人が同室を解消するとはどうしても思えない。ならばより部屋も広く、寝台も広いこの大司徒私室の方が、住みやすいだろうとは思う。  だからいずれそういう日が来るのだ。  自分が幼い時から暮らしてきたこの私室で、最愛の人と身体を繋げるその日が。  熱くなってしまった顔を冷ましたかったのか、香彩は手を扇のようにして顔を扇いだ。ふと触れた寝台の上掛けが、ひやりと冷たくて気持ち良さそうで、香彩はころりと横になる。火照った顔に上掛けを擦り寄せると、その体温が上掛けに移って丁度良い体感になった。  心の中が少し落ち着いてくると、香彩は仰向けになった。見慣れた木目の天井を眺めながら、これからのことを思う。    紫雨からの呼び出しは、多分遅くなる事が予想された。  (ねい)の容態を診に行った彼ならば、邪から正へと気脈を引き戻した程度では、その回復は難しいと理解しただろう。身体と心の奥に、まるで汚泥のように巣食う妖気を祓うことが早急に必要であり、今頃典薬処(てんやくどころ)で祓えの儀が行われているはずだ。  応急処置を施したのは自分だが、その場に呼ばれなかったと嘆くほど、香彩は自分が子供ではないと思っている。そして紫雨が何故私室で結界を張って待機しろと言ったのか、その理由も理解しているつもりだった。   (──一定期間楼閣払(ろうかくばらえ)の本当の理由を悟って)    邪推した者が何を仕出かすか分かったものではない。人の腹の内という物は、覗いて見ないことには本当のことなど分からないものだ。  さてどこまで話すべきだろうかと、香彩は思う。     (……あの人には、知られたくない)    (ねい)との間にあったことを。  もしも仮に紫雨が知っていたのだとしても、香彩自身の口からわざわざ言うつもりなどなかった。  寧はもう報復を受けている。  恨傷(こんしょう)招影(しょうよう)に、そして(かのと)の妖気に冒された身体は、そうとう苦しかったはずだ。   (さて、どう切り出そう)    紫雨の出方を見るのが一番なのだと分かっている。  彼が何も話さない内から、慌てて襤褸を出すような真似はしたくない。  今考えていても仕方のないことを、考えている自覚はあった。それに加えて朝から精神的にも肉体的にも疲れている。思わず出た欠伸を噛み殺しながらも、次第に香彩の目蓋は重く落ちていく。    それは久々に訪れた、安息の眠りだった。      

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