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第329話 嗣子と罰 其の十一
外の空気がどこか変わった気がして、香彩 は意識を浮上させた。
いつの間に眠ってしまったのだろう。
しかも随分と長い間、寝ていたような気がする。
「──っ」
薄っすらと瞳を開けると、視界いっぱいに白い鳥がいて、香彩は驚きのあまり息を詰まらせた。
鳥はどうしたのと言いたげに、首を傾げて香彩を見つめている。ようやく目が覚めてきて、香彩は目の前にいる鳥が、紫雨からの式だということを認識した。
そういえば式を遣ると言われていたのだ。
「──おいで」
香彩は寝台から飛び起きると、式に向かってそう声を掛けた。式はばさりと翼音を立てると、心得ているとばかりに香彩の肩に乗る。
私室の露台に出ると、日はもうとうの昔に南中を越えて傾き掛けていた。少し長い昼寝だったのだと香彩は心内で笑うしかない。そういえば式はいつから部屋にいたのだろう。起こしてくれても良かったのにと、そんなことを思いながら、香彩は右手に術力を集中させた。
青白い光が手の平に集まってくる。
香彩はそれを足の甲に擦り付けた。
以前にも使用した高い所からゆっくりと下へ降りる為の術だ。だが今から使う術は、それを応用して滑空する為のものだった。
大きく息を吐いて香彩は、露台の桟枠に乗り、第六層という高さから飛び降りる。ゆっくりと滑空しながら、中枢楼閣から皇宮母屋 の第二層にある、大宰 私室の露台を目指した。
香彩の内に戻ったその大きな術力は、元々自分のものであったかの様に、とても身体に馴染んだ。僅かながらに自分の身体を滑空させるこの術は、大きく術力を使用するが、以前よりも身体への負担が少なくなったように思える。それも全て紫雨 から引き継いだ四神と、術力の巡りを良くしている三体の竜核のおかげだった。
沈みかける夕日を浴びて、香彩の白皙の顔が茜色の染まる。薄暮の迫る気配を感じながら、香彩は音を立てずに大宰私室の露台に降り立った。
正門を使わなかったのは、もう作業や後片付けなどは終わっているとは思うが、潔斎の場にいる縛魔師達に、これから大宰私室に行くのだと知られたくなかったからだ。
玻璃の入った露台の引き戸を軽く叩く。
鍵の外れる音がして引き戸を無言で開けたのは、紫雨だった。
入れと手で促される。
「──っ!」
見慣れたはずの、紫雨のもうひとつの私室だというのに。
そして逃げるつもりなどなかったというのに。
途端に逃げ場を失ったような気になってしまうのは、一体どうしてなのだろう。
(──ああ……確かこの場所で)
初めて口付けられたのだ。
それまでにも頭や額に軽く接吻 を受けたことがあった。だがそれとは全く違う意味合いの、肉欲を伴う接吻 を初めて受けたのが、この私室だった。
一時一夜の夢物語だと言って。
療 がもし今この状況を見ていたら、再び学習能力がないと大きなため息をついていただろう。
とつ、と。
聞こえる音が、玻璃の入った露台の引き戸を閉める音なのだと気付いた時には。
──大きな身体に背中から抱き竦められていた。
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