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第331話 嗣子と罰 其の十三

「……俺が仕組んでお前をけしかけたとはいえ、お前が無事に現実(ここ)に戻ってきて本当に安心した。──あまり心配をかけるな、香彩(かさい)」    耳元に吹き込まれる彼の一段と低い官能的な声。温かな吐息が耳朶に当たって、香彩は思わず上げてしまいそうになる声を噛み殺す。  だが彼の声色は珍しく動揺し、震えているようにも聞こえた。  ああ、心配してくれていたのだと思うと、胸が痛くなる。   (全ては、僕の為だ)    香彩は感情が昂って、どうしても震えそうになる息を、細く吐きながら堪える。   「……病鬼と一体化して、招影(しょうよう)を召還して僕に襲い掛かってきた時は、本当にどうしようかと思ったけどね」    病鬼の長くて黒い手が、自分の頬に触れた何とも言えない感触を未だに覚えている。言い様のない嫌悪を感じながらも、情愛の心が生まれて複雑に鬩ぎ合ったことを覚えている。   内にある、頑なに見つめようとしなかったものを自覚させ、向き合わせる為に、紫雨(むらさめ)が自分の身体を代償にして、(かのと)の提案に乗っていたことを香彩は夢床(ゆめどの)で知った。  皮肉を言いながらも、病鬼を受け入れるその瞬間をこの目で見た。   「──約束、ちゃんと守ったよ。紫雨」    胸の前で交差する紫雨の、逞しくも震える腕にそっと優しく手を添えて、香彩は言う。   「約束……?」 「忘れたの? 紫雨が言ったんだよ。『お前が俺を祓え』って」 「──っ!」    耳元でお前は……と、紫雨の息を詰める気配が伝わってくる。背中から掻き抱かれていた腕の力が一層強くなって、香彩はその苦しさに小さく声を上げた。  まるで今ここに香彩がいるのだと、その存在を確かめて、縋り付くかのような強い腕だった。香彩は優しく添えただけだった手を、ぎゅっと腕を掴むことで彼に応える。  一頻り抱いて、紫雨が腕の力を弱める。  呼ばれたような気がして後ろを振り向けば、熱に灼かれたかのような、鋭くも毅い翠水と目が合った。  分からないようにと覆い隠しながらも、どこかしらに見え隠れする情欲の焔に、こくりと香彩が息を呑めば、喉奥でくつりと笑った紫雨が視線を緩める。  見えなくなった焔に香彩は複雑な思いを抱えながらも、いつもの通りに降りてくる額への接吻(くちづけ)を素直に受け取った。  やがて紫雨がその腕から香彩を解放する。  促されるように椅子に座れば、紫雨もまた卓子(つくえ)を挟んで椅子に腰を落ち着けて足を組んだ。  卓子の上には予め用意されていたのだろう、二つの酒杯と爵酒器がある。  少し付き合えと、紫雨が酒杯に酒を少し注いで香彩の前に置いた。そして自身の酒杯にも手酌する。その姿が妙に様になっていると思うのと同時に、紫雨の内から滲み出てくる雄臭さのようなものを感じ取ってしまって、香彩はどきりと高鳴る鼓動を自覚する。  厄介だと、思った。

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