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第334話 嗣子と罰 其の十六

「……っ」 「(ねい)が俺と(かのと)を探っていた? 何の為に? 特に叶に対する間諜(うかみ)は処罰の対象だ。罪だと分かっていて、俺達を探る理由が彼奴(あいつ)にはないだろう?」    酒を注ぎ終えた紫雨(むらさめ)が視線を再び香彩(かさい)に移した。  先程よりも毅く鋭い翠水とぶつかって、香彩は思わず怯む。   「分を弁えている奴だ。だから長年、彼奴を側に置いた。そうなると可能性はひとつだ。彼奴は別の誰かを見ている内に、引けに引けなくなった。もしくは別の誰かに関わることを俺達が話し始めて、罪だと分かっていてもどうしても気になった」    ──……さてあの時、俺達以外にいたのは、誰だ?     「……っ!」    言葉を詰まらせては駄目だ。  表情を変えたら駄目だ。  そう心に言い聞かせているというのに。  確信に満ちた紫雨の官能的な低い声は、香彩の愚惷(ぐしゅん)な考えを見通し、暴こうとする。   「──それに加えて、だ」    酒杯に残っていた酒を一気に呷った紫雨が、徐に立ち上がった。    悠然と歩く彼は、椅子に座っている香彩の横に立つと、肩に手を置く。  びくりと身体を震わせた香彩には、頭上にある紫雨の顔を見ることが出来ないでいた。  自分がいまどんな表情をしているのか分からない。  まだ辛うじて繕えているのか、それとももう顔色を悪くしてしまっているのか。  そんな香彩の様子に構うことなく、紫雨は話を続ける。    「招影(しょうよう)を喚ぶには媒体がいる。寧には叶の妖気が感じられたが、これだけではあの魔妖を喚ぶことは出来ない。人の恨みや妬みといった邪念が必要なのは、お前もよく知っているはずだ」    柔く、紫雨が香彩の肩を掴むような動作をする。  それがあたかも逃げるなと、言われているかの様だった。  香彩は正面を向いたまま、注がれた酒杯を傾ける。冷たく爽やかな味わいのする酒が、何故か砂のように感じられた。  それでもこくりと一口飲みながら、心を殺す。   「先程、典薬処(てんやくどころ)で寧に祓えの儀を行った。その時に気付いたんだがな、香彩。寧の手の甲には、薄くなっていたが恨傷(こんしょう)があった。なるほど、彼奴はこれを媒体にしたのかと思ったのだが……不思議だな。あの恨傷からは、僅かだがお前の気配が感じられた」     ──これは、どういうことだ、かさい。   「……っ!」    反射的に椅子から立ち上がり、紫雨を見た。  その視線の毅さに、香彩は刹那の内に己の失態を悟る。  感情を殺すのではなかったのか。  こんな風に立ち上がってしまったら、紫雨の言葉を肯定しているのも同然ではないか。  息を詰めながらも香彩は、心の中に生まれた激しい動揺に奥歯を噛み締める。  言い当てられるとは思ってもみなかったのだ。  恨傷には確かに自分の気配が残っていた。だが極僅かだ。決して彼を侮ったわけではなかったが、成人の儀で消耗し、竜紅人の神気で『力』を補っていた紫雨に、あの気配は読み取れないだろう、そう思っていた。   「話せ、香彩。恨傷を残すなど、余程のことがない限りは出来ないはずだ。」 「……」    香彩は無言のまま、紫雨の刺さるような視線をただ見つめる。  ここまで悟られてしまったのなら、誤魔化しようがない。仮に誤魔化すための嘘の上塗りをしてみても、紫雨に見破られてしまうだろう。  だが、知られたくない。  知ってほしくない。  その心の葛藤が沈黙を呼ぶ。   「──だんまり、か。言ったはずだ。お前の知り得る限りの情報を、洗いざらい話して貰うまでは、大宰私室(ここ)を出すつもりはないと」    言わないなら言わせるまでだ。  紫雨の深い翠水と目を合わせながらも、自分の思考の海に落ちていた香彩は、一瞬彼が何を言ったのか分からなかった。  いつの間にか掴まれていた手首に痛みが走る。  ぐいっと力強く引き摺られるかのように身体を引っ張られて、彼がいつも使っている寝台が視界の端に映ったと思いきや。    気が付けば背中に敷包布の感触があった。

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