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第342話 撞着憤む 其の三

   じわりと理解した途端にどくりと胸が高鳴る。  てっきり代金を金葉茶店に払い込むか、もしくは付けにして後でまとめて紫雨(むらさめ)に請求するものだと思っていたというのに。  そんな(りょう)の様子を見透かしたのか、紫雨が面白そうにくつくつと笑いながら、新しい酒甕を開ける。ふわりと漂う濃厚な酒気は、脈打つ療の胸を更に昂らせるかのようだった。  紫雨は先程療が見ていた空の酒杯(さかづき)に、並々と酒を注ぐ。   「少し話が聞きたい。良かったらこの酒に付き合ってくれないか? 流石にあいつの使ったものでは申し訳ないのでな。だが他に酒杯がない。俺が使っていたもので辛抱してほしい」 「──……へ」    先程の甘味の件の動揺が収まらない状態の療は、紫雨がいま何を言ったのか理解できなかった。差し出されるがままに紫雨の酒杯を受け取った療は、注がれていく神澪酒をただ呆然と見つめることしか出来ない。  杯の合わさる音が、やけに大きく聞こえた気がした。  強い酒だというのに、まるで水のようにぐいっと飲み干し、再び注ぐその様子に、療の頭の中で再び警鐘が鳴る。もしも自分が大宰私室を訪れるまでに、この調子で飲んでいたのなら、顔に出ていないだけで実はかなり酔っているのではないか。受け答えはしっかりしているが、行動や言動がいつもの紫雨ではない。一杯だけ付き合って早々に部屋を辞そう。そう思った療は神澪酒をまずは一口だけ飲もうと、酒杯に口を付ける。      ──これは、さっきまで紫雨が使っていた酒杯なんだ。    ふとそんなことを思いながら、こくりと酒を飲む。  喉越しは熱く辛口だが、後味がまろやかでいつまでも舌に溶ける。そしてすっと鼻を通る香りが芳醇で堪らないのだと、普段の自分ならそう思っていただろう。  正直言って酒の味が分からなかった。  ただ神澪酒の酒気だけが、身体を中から満たしていく気がする。  紫雨はどうして今まで使っていた酒杯を自分に渡したのだろう。自分と香彩は友人だ。だから香彩が使っていたものでも、特に気にはしないというのに。   (もしかして、使われたく……なかった?)    どこか紫雨の独占欲のようなものを感じてしまって、ずきりと心が痛む。  不要なものなのだ、目の前の人にとってこの感情は。自分が勝手に傷付いているだけだというのに、悟られるわけにはいかないと、療は綺麗に心を覆い隠す。だが酒気だけが、一瞬動揺した療の心に纏わり付いて、ふわふわと気分を高揚させてしまうのだ。   「香彩(かさい)の様子はどうだった。無事何事もなく蒼竜屋敷に入ったか?」  「あ──……」    紫雨の言葉に療は言い淀んだ。  少し考えるような仕草をしてから療は、意を決したように話し始める。   「覚悟は……決めたんだと思うよ。だけど香彩の表情見てると、その『覚悟』がもしかしたらまた、違う方向に向いたんじゃないかなって」    オイラの想像だけどね。  そう言いながら療は、再びこくりと神澪酒を一口飲む。  やはり味が感じられない。じわりと熱くなる身体を押し込めるようにして、療は先程の香彩の様子を思い出していた。  

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