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第三部 降誕す 第345話 覚悟 其の一
陽は西の稜線へ、吸い込まれるかのように沈もうとしていた。東の空から追い立てるような夕闇が迫っている。黄金色と紺青の入り混じった空は次第に暗く沈んで、やがて夜が香り立っていくのだろう。
そんな空気の中を香彩 は白虎に乗り、宙を駆けていた。万里を走るとも言われている白虎の脚にかかれば、中枢楼閣から蒼竜屋敷まで対した距離ではない。あともう少しすれば建物の影が見えてくるだろう。
昏黄のどこか儚くも物悲しい雰囲気のする景色を、どこか思い詰めたような目をして香彩は見ていた。今からようやく何の問題も躊躇いもなく蒼竜に会えるというのに、その顔には憂いさが付き纏う。
屋敷が近付くにつれて、表情は更に硬くなる。
怖いと、思った。
蒼竜屋敷へ自分の足で歩いて向かおうとした、あの時のことがどうしても思い出されてしまう。発情期の言葉の届かない蒼竜に、熱だけ貰って消えようと思ったあの時の感情が。
屋敷に幽閉されているはずの竜紅人 の思念体に会い、二度交わった。一度目は成人の儀、二度目は夢床 で。どちらも香彩の罪悪感を消す為に彼は、神気を枯渇させてまで顕現した。その意味を理解しているつもりだった。
だがそれらの竜紅人は、竜紅人であって竜紅人ではない存在だ。
彼の一部分が現れ出 でたもの。
これから会う生身の竜紅人が、果たして思念体と同じ考えでいるのか、それは分からない。蒼竜が発情している内はいい。言葉が通じないということは、今の香彩にとって余計なことを考えずに済むからだ。
だが発情から解放されて、竜紅人としての自我が戻ったら。
(──僕を、否定されたら……?)
『──香彩様』
脳内によく知った声が響いて、香彩は我に返った。
気付けば白虎の後首の毛を、ぎゅっと力強く握っていたらしい。ごめん痛かったよね、と香彩が謝れば、そんなことはいいのだと言わんばかりに、白虎が不満そうに低く唸った。
『差し出がましいことを申し上げます、香彩様』
「ん?」
『我々は貴方様が同胞を生み出して下さることに感謝しております。ですが貴方様が少しでもお辛いのでしたら、我々は貴方様と何処にでも逃げる覚悟がごさいます。貴方様を背に乗せてどこまでも駆けて見せましょう』
白虎はそう言うと前方に向かって、大きく咆哮する。
虎竜特有の獣と竜の入り混じったその声は、見え始めた 蒼竜屋敷に向かって牽制をしているようにも聞こえた。香彩は白虎を宥めるように、その大きな頭を撫でる。
「気を使わせてごめんね、白虎。そうじゃないんだ。僕も彼らには会いたい」
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