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第350話 解放 其の四

 だがそれはよく考えれば、真竜の番になる者としては、当然のことなのだろうと思う。  真竜は人の一生が極僅かだと思えるくらい、とても長い寿命を持つ生き物だ。人が彼らの伴侶として共に歩んで行くのならば、当然人としては生きていけない。身体を作り変えるという言い方を(りょう)がしていたから、きっとそういうことなのだろう。長く生きていけるものに作り変えたのがその真竜なのだから、当然その真竜が死ねば神気もなくなり番となった人も死ぬのだ。確かにそれは『真竜は番の生死を支配している』ことになるのだろう。   (だけど、それって……)    何と甘美なことなのだろうか。  心の動揺を抑えられないままに、だが香彩(かさい)はふとそんなことを思った。   (もしも竜紅人(りゅこうと)が、ここまで自分を求めてくれたら) (生命の終わりも共にいたいと、共に果てたいと、それほどまでに求めてくれたら) (──僕は……)    きゅう、と再び黄竜が鳴く甲高い声に、香彩は自分の思考から浮上する。  そして先程感じた、何とも言えない幻想を心の中で嗤った。  それ以前の問題なのだ。  発情期が終わって正気に戻った蒼竜に、竜紅人に、求められるとは限らないというのに。   『あれからさ二人、ちゃんと話してないでしょ? なのに二人とも発情で前後不覚のまま、番になっちゃいけないと思ったんだ。どうしても発情期中の真竜は御手付きを前にすると、本能の赴くままになっちゃうから、竜ちゃん、絶対嚙もうとすると思うし』  「……うん、本当にそうだね。ありがとう、療。御手付きの時も初めは竜紅人の同意なしだったのに、番もそんなことになったら、竜紅人に申し訳が立たないよ」  『香彩……』     黄竜の呼び掛けの中に、どこか怒りを含んだ不満気な空気を感じ取る。その言外を香彩は分かっているつもりだった。  脳内に大きなため息が響き渡る。   『番云々以前だよね。オイラ失念してたよ。香彩、ちゃんと竜ちゃんと向き合って、ちゃんと話し合いなよ』              逃げちゃだめだよ。  黄竜のこの言葉に香彩は一瞬息を呑んだが、すぐに何でもないような顔をして、うんと頷いた。   「色々とありがとう、療。……そろそろ」    ──蒼竜を解放して。    どこか感情の凪いだ香彩の物言いに、黄竜は何を思っただろうか。  威嚇するかのような呻り声を出しながらも、黄竜はその巨体を軽々と浮かび上がらせた。  竜翼を広げているが、不思議なことに風を感じない。  蒼竜屋敷を壊さないように、そして目の前にいる自分を傷つけないように、優美かつ雄大な神気の奔流を身に纏わせているのだと香彩は気付く。   『それじゃあ、結界を解いて蒼竜を解放するよ』    香彩は無言のまま頷いた。  傷付かないように心の奥に厚い膜を張りながら、それでも無意識に唾を呑む。   (……!)    仄かに香るのは、とても甘い芳香。  香彩は思わず衣着の袖口で鼻と口を覆った。  森の木々の香りのようだった蒼竜の香りが、濃厚とも云える芳しい熟れた春花のような香りに変化している。  それはまさに蒼竜の身体から漂う、発情の香りだった。

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