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第354話 蒼竜との御契 其の二
すると香彩 に応えるかのように、竜の唸る声が強くなる。
(ああ、呼ばれている)
(いますぐにでも駆け付けたいのに……足が)
足が上手く、動かすことが出来ない。
すっかり全身が快楽に浸ってしまって思い通りに動かない身体に、香彩は苦しさを覚えた。だが香彩は知らなかったのだ。この『思い通りにならない苦しさ』が快楽を呼ぶことも。
「……りゅう……」
呼んでもまだ辿り着くことのない存在を求める自身の懇願に、どうしようもなく感じ入ってしまうことも。
それでも少しずつ確実に蒼竜の元へ歩いて行けるのは、竜の聲が持つ『力』のおかげだった。ゆっくりだが進めば進むほど、蒼竜が近くなる。そして発情の匂いも濃厚さを増していく。
あともう少しだった。
熱に浮かされたかのような、ぼぉうとした頭が何とかまだ理性を保っている。
香彩はその場所に覚えがあった。
「──あ……」
激昂した蒼竜に放り込まれた部屋だ。
そして。
初めて竜紅人 と心を交わし、情を交わした部屋だ。
「……っつ!」
香彩は縺れそうになりそうな足を懸命に動かして、駆けた。
幽閉された蒼竜が、自分達の想い入れのある部屋にいた。
(一体、いつから……っ)
いつからいたのだろう。
幽閉された時からずっとだろうか。
蒼竜が何を思ってこの部屋にいたのか、考えるだけで胸が締め付けられそうだった。
「……りゅう、りゅこうと……っ」
そうして辿り着いた部屋の前、開け放たれた引き戸の向こうに彼はいた。
陽は落ちたばかりの甲夜の、薄っすらとした明るさの残る閨房の中、蒼竜の翠水の瞳は、らんと輝いて香彩を睨み付ける。低く地を這うように唸る様は、まるで獰猛な獣が捕らえた獲物を脅し、戦意を失わせる為に放つ咆哮にも似ていた。
徒人ならば恐ろしさのあまり腰を抜かして立てなくなるだろう。
だが香彩は違った。
蒼竜を恐ろしいと思ったことなど一度もなかった。
今もそうだ。
蒼竜の意思は伝わっては来なかったが、この唸り声がどういったものなのか、香彩には何となく分かった。最後の通告のようなものだろう。この部屋に入ったが最後、何が起こるのか分かっているのかと、訴えかけているようにも思える。
「……りゅう……」
蒼竜の瞳を見つめながら、名前を呼んだ。
香彩の声が聞こえたのか。遠雷の轟きのようだった唸り声が、何かを求めて甘えるかのような高い鳴き声に変わる。
ぶわりと一層濃い発情の香りに、くらりと眩暈を覚えながらも、香彩は縛魔服の胸部にある紅の飾紐をつんと引いた。腰帯も緩めれば、すとんと上衣と袴が木床に落ちる。
そうして残されたのは薄紅色の下衣だ。だが香彩は蒼竜に向かって歩きながら、肩から滑り落とすかのように下衣を脱ぎ捨てた。
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