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寒空_9

この小さな動物病院は町中から少し外れた場所にある。 だから周りには自然が多く、とても開放的だ。 「うっめー!アボガドとワサビ醤油ってのは最高の組み合わせだよな」 病院の裏口に設置された手作りのベンチは明幸さん特製らしい。並んで腰掛けてみると案外座り心地は悪くなかった。 「アンタのは何だっけ?」 「スモークサーモンとクリームチーズです」 「洒落てんなぁ、一口」 「え………」 「んだよ、いいだろ?一口ぐらい、あ」 向けられた大口。隙間から覗くのは鋭く真っ白な牙。 何だか無性にそれへと触れたくなって、私はベーグルではなく空いていた左手を伸ばし、指先をその白へと滑らせた。 「――へ……?おわっ!?ちょ、おい、何すんだよ!」 「え、あ……すみません。牙が見えたもので思わず……」 顔を真っ赤にして後退った彼は口元を覆い、警戒心を露わにした。 「す、すみません……」 やり場のなくなった左手を引こうとしたけれど、何故だか明幸さんが手首を掴んでくる。 「あの……」 「……手、切ってねぇ?大丈夫か?」 「それは大丈夫です」 「そっか。良かった。……アンタが思ってるより鋭いからさ、危ねーんだよ。だからもう勝手に触んな、いいな?」 「……はい、すみませんでした」 「ん、まあいいけど」 落ち着きを取り戻した明幸さんは一つ息を吐き出すと、再び隣へと腰掛けた。 「…………人の血を飲まないって、本当だったんですね」 「あ?」 「だって私が手を切っていたら飲めたのに心配するって…………ははっ」 「……おい、何笑ってんだよ。だから飲まねーって最初に言っただろ」 「変な人。いえ、この場合は変な吸血鬼さんと言った方が良いでしょうか?」 「馬鹿にしやがって」 不貞腐れた様子を見せてベーグルに齧り付く横顔に、多少の悪戯心を擽られる。 胸がムズムズする。ご主人様と過ごした時間の中では芽生えなかった感情だ。 「……本当に人の血を飲まないのだとしたら、一昨日の晩唾液を垂らしながら私の顔覗いていたのは何だったのでしょうか?」 「――ん、ぐっ……ゴホッ……」 「てっきり私の血を狙っていたのだと思ったのですが」 「そ、それは…………その……」 落ち着きを取り戻しつつあった顔の赤みが色味を増す。先程と違うのは後退るわけではなく、彼が小さく身を丸めた事。 「いや、何て言うか……えーっと……」 しどろもどろになる明幸さんを真っ直ぐに見つめる。 昨日のように話題を逸したりしない。 眉尻を下げる表情を見るとまた胸がざわついた。 何なのだろう、これは……。 …………未知の生物への好奇心? 胸元をぎゅっと握り込んだ隣で、彼は大きく息を吐き出し、観念したように項垂れた。 「人の血を飲んだ事も、飲もうとした事もねーのは本当だ。今まで一度だってない。でも…………」 「でも?」 「あ、アンタは、その、何つーか…………う、美味そうな匂いしたから」 「匂い?」 「俺だって良く分かんねーけど、したんだよ!今までそんなん感じた事もなかったのに……何か、すげー美味しそうで……」 「それじゃあやっぱり飲もうとしていたと?」 「違う!いや話の流れ的にそうなっちゃうのか……?どんな奴なのか見たくて近づいただけで、でも近付いたらより一層美味そうで……んで見てたらアンタが起きたんだよ……」

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