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第5話 駆け出した夜に

 後ろから抱えるように、アルの腕が伸びてくる。 ルシオの手の上から銃を握り、構え方を直す。 上背ばかりで細身のルシオの身体がすっぽりと収まってしまっているけれど、相変わらず嫌悪感は感じない。  三日経って、ようやくルシオは銃を構えることを許された。  吹き荒ぶ風に、少しの湿度とともに冬の気配を感じる。  手の中に感じる重たさも冷たさも、慣れたつもりだ。 つもりだけれど、こんなに寒いのに背中を汗が伝い、気が付くと息をのんで呼吸をしていない。 「なにか撃ってみるか? 鳥や、あそこに見える鹿でもいい。 ああ、もう少し的は大きな方が良いか?」  ぎょっとして、思わずすぐ後ろのアルの顔を見上げた。 「なんだ、そんなことも想定してなかったのか。 銃は生き物を傷つけ、命を奪う道具だ。 それを使いたいということは、そういうことがしたいのだろう」  手の中にある金属の塊を、ぎゅうと握りこむ。 これは、必要なものだ。 ルシオが生きていくのに、きっとこれから必要になる。 「……撃ってみる」  アルが目をすがめて、ルシオを一瞥する。 「塀に、的を貼る。 言っておくが、お前には高い塀の外が見えているかもしれないけれど、僕には見えていない。 それに、こんな夜中に鳥や鹿が見えるなんて、お前の視力はどうなっているんだ」  アルがぱちくりとルシオを見下ろして、「そうか」ととぼけて塀の高さとルシオを交互に見る。  アルはいつも、厳しい言い方をするし、意地悪な引っ掛けをする。 けれど、ルシオはなぜか、信じてしまっている。 アルは、きっと優しい。 あたたかい上着や、毛布をもらったことも、銃の扱い方を教えてくれるときも、もちろん感じてはいたけれど。 それだけではなくて、なぜか、彼が優しいことをずっと前から知っていた気がする。 「不必要な殺しはしない。 撃つときも、撃つ対象も、僕が決める」 「わかった」  あっはは、とおかしそうに笑いながら、アルは胸元からハンカチをとりだして、塀の割れ目に押し込んだ。  そこから対角に離れていって、息をついて、二人で構えなおす。 宵闇にはためく白いハンカチまでは二十メートルといったところだ。 「君は視力はいくつだ」 「アルのハンカチは見えているけれど、刺繍の模様まではさすがに見えない」 「そうか、それなら十分だ。 ちなみに刺繍はされてない」  頭のすぐ後ろでアルの息遣いを感じる。 静かで深い呼吸と、背中にあたる胸も微かに動いているのを感じる。 少し早い鼓動をずっと聞いていたくなる。 「風向きは西北からだから、少し山寄りに銃口を向けて」 「……音が聞こえるかな」 「今は狩猟の時期だから大丈夫だろう」 「こんな夜中に狩猟してる人間なんていない」  耳元のすぐ側でアルの低い声が響く。 風の音と一緒になって、二人の呼吸が合わさっていく。 「君のタイミングでいいぞ」  話している間に緊張はほぐれ、アルの体温と鼓動で力も抜けてきた。  一つ頷いて、ルシオは引き金を引いた。  バァン……!  大きな音が夜の森に轟いて、森では鳥の群れが大慌てで飛び立っていった。  重たくて激しい衝撃に、肩までしびれる。 「はっ、はっ、……」  耳が膜を張ったようにじんとして、自分の荒い息遣いだけが聞こえる。  ハンカチを確認していたアルが戻って来て、ルシオの手にくっついてしまったかのように握られていた銃を、むりやり引き剥がしてくれた。 「まあ、そのうち慣れる」  慰めるように大仰にアルが頷いた。 どうやら的も外れていたようで、ハンカチは無傷なまま先ほどまでと同じように風にはためいていた。  銃の練習をし始めて数日が経った。 風が強くなってきたからと銃の練習を切り上げ、自室に戻ろうと階段を下りる。 アルとは屋上で別れ、石を積み上げた暗い階段を手探りで進む。  突然、なにかが倒壊するような激しい物音が耳に届いた。 足音を立てないように爪先を使いつつ、急いで残りの階段を下りる。  すぐ下のルシオの部屋の入口の扉は開け放たれ、明かりが漏れている。 入口の脇にぴたりと身体をつけ、そっと中を窺うと、壁際に寄せてあるはずの机の足が入口付近に転がっているのが見えた。  奥へ視線を滑らせると、本は散らばり、絨毯や毛布は在るべき場所から引き剥がされ隅にまとめられていた。  そこには、二人の修道士と、引き摺られるようにして床に膝をついている修道女の姿があった。 「いつの間にかこんな高価なもん貯め込みやがって」 「清貧な神子様にはもったいねえ品だなぁ、おい」 「おい、こんなもんで抜け出そうとでも思ってたのか、神子様はよぉ」 「お目付け役のお前がなにしてやがった、この役立たずが」  修道士の手には、ルシオが長い時間をかけて少しずつ括って繋いだ布のロープがある。  ぐい、と乱暴に腕を引っ張り上げられた修道女が短く悲鳴をあげて、髪を掴んで顔をあげさせられる。  エマだ。 その顔は頬が赤く腫れあがり、服は引き裂かれている。 乱暴は手っ取り早く相手の心を折る常套手段だ。  ルシオは、服の下に仕舞い込んでいた銃に手をかけた。  身体中の血が沸騰しそうなほど熱いのに、頭は急速に冷え切っていった。 舞を踊るのと同じように足音を消し、舞うときと同じ速さで部屋に入り、近付き、足を撃った。  パー…ン。 乾いた音が響き、男の悲鳴が塔の石壁に吸い込まれた。  もう一人の男が振り返り驚愕して、怒号をあげる。  その男の腕を狙って撃ち、男の血でルシオのロープとベッドの毛布が汚れた。  さすがの修道士たちも銃などは滅多に目にすることはなく、痛みよりも驚き戸惑う様子で逃げ惑った。 その背後から、もう一発ずつ、足を狙ってどちらも命中させる。  動けなくなって呻くばかりの修道僧を見下げて、ようやくルシオは息をついた。  銃を構えることをやめ、エマを振り返ると、彼女はまた小さく悲鳴をあげた。 「……。 そこのロープでこいつら縛るの手伝ってくれる?」  なるべく穏やかに小さな声で、怯えた彼女に話しかける。 きっと、彼女の目に映る今のルシオは転がる修道士たちと何ら変わりがないのだろう。  身じろぎできないエマに頼むことは諦めて、ルシオは独りで男たちを縛り上げようと男たちの身体にロープを巻き付けた。 手首を後ろ手に固定し、縛り上げる。  血で汚れていない毛布を探し出し、震えるエマの身体を包む。 「僕はここを出る。 町に出たら医者をここへ寄こす。 明日の夕刻には医者が着くだろう。 それまでに君たちもここを出るんだ。 朝になったらでいい。 ここを出て、普通の暮らしをするんだ」  エマは瞬きすることも忘れたように呆然と頷いた。  ルシオは、モンクスベンチの中の本を漁り、その中から札束を大きな上着のポケットに捩じ込んだ。 別の本からもう一束取り出すと、それをエマに握らせた。 「……元気で。幸せに、エマ」  最後に少しだけ口の端を持ち上げて微笑むと、姉と慕った人へと別れを告げた。  暗い森に足を踏み入れる。 遠い昔もこんなことがあった。 暗くて、凍てつくように寒い。 遠く近くで、獣の遠吠えと息遣いが聞こえる。  その中をただひたすらに、走った。 ここで足を止めてしまうと、もう二度と動けなくなってしまいそうで、寒さと恐怖に押し潰される前に、身体を前へ前へと押しやった。  大きな上着の前を必死に抱き合わせ、その内にはまだ熱い銃を握り締めたまま。  獣の気配がする。 男たちの怒号が聞こえる気がする。  真っ暗で、自分がどこへ向かっているのかももうわからない。  深い落ち葉の層に足をとられ、転がる。 その先は急斜面になっていて、ルシオの身体はそのまま放り出された。 岩や倒木に身体をぶつけながらごろごろと転がり落ちていく。 頭を守ろうと身体を縮めるのが精一杯で、なにかに掴まることも止まることもできない。  大きな岩に背中をしたたかに打ち付け、ルシオの細い身体はようやく止まった。 背中を打ったおかげで息ができない。 ようやく呻き声と共に酸素をとりこむことができても、身体中が痛くて身じろぎもできない。  真っ暗な懲罰房で、殴られ抑えつけられた時の記憶が蘇る。 痛い。 痛いよ、アルバ。  意識が遠のいていく。 いけない、とわかっている。 こんなところで意識を失うと、獣の餌になるだけだ。 無理やり頭を振り、痛みに歯を食いしばりながら倒木を支えにゆっくりと立ち上がる。  足を出せ。動け。死ぬぞ。そう必死に言い聞かせる。  銃の感触は、まだ手にある。  ヒューヒューと肺が変な音をさせるけれど、構っている余裕はない。  自分の腕で腹部を抑えながら、何十分もかけてほんの数メートル斜面を下った。 真っすぐに生えている細い幹にしがみ付き、息を整える。  獣の遠吠えがする。先ほどより随分と近い。  足を出して森を走り抜ける、頭の中ではそんな自分の姿を思い浮かべながら、意識と身体はずるずると沈み込んでいった。  ルシオの近くで、炎のように煌めく赤が揺れた。 動かなくなったルシオの身体を抱きあげ、一つため息をつく。 「なんで君はいつもさっさと呼ばないんだ」  炎のような髪を風に揺らし、大柄の男はルシオを抱いたまま、悠々と歩き出す。 その様子は暗闇も、獣も、まるで問題にしていないようで、まるで鼻歌を歌いながら散歩でもしているような足取りで森の中を抜けて行った。  目を覚ましたルシオには、見慣れない天井が映っていた。  辺りは静かで、人の気配はしない。 室内は明るいから、いつの間にか夜は明けているらしい。 馴染みのない柔らかな寝心地に、身体を起こそうと支えた腕が沈み込む。  ベッドの上から見回しても、やはり室内に見覚えがない。  腕や腹周り、頭には包帯が巻いてあり手当されているようだ。  ぼんやりと霞みがかった頭が急速に覚醒すると、ルシオは慌てて胸元に手をやった。 「……よかった、ある」  首にかけられた革ひもで巻かれた、ルシオの赤い守り石。  次に頭をよぎったのは銃だ。 手元にはないし、ベッド周りにも見当たらない。 慌ててベッドから飛び降りようと足を床についた途端、腹と背中が痛んで床に倒れ込んだ。 「なにしてるんだ」  ドアが開いて、男の声と大きな手が頭上から降ってきた。 そのままルシオの腕を引っ張り上げ、軽々と抱きかかえられる。 「っ、よせっ、下ろせよアル!」 「こらこら暴れるな、怪我人は大人しくしてろ」  そのまま再び柔らかなベッドの上に連れ戻された。 「僕に触るなっ!」  男に寝具の上に連れ戻されるという行為は、ルシオにとって嫌悪感をもたらすものでしかない。  自分の意思に反して、手が、身体が震えて、ベッドの上を後ずさりながら自分で身体を小さく抱きかかえた。  アルを睨みつけてはいるけれど、その目に映るのは決してアルそのものではない。 子供の頃に大きく恐ろしく見えた修道士たちや、脂ぎった王侯貴族たちの獣じみた目だ。  アルは何も言わず、そのまま距離をとって穏やかに薄く微笑みながら、ルシオを見守り続けている。 その赤い髪に、温かい瞳に、ようやく「アルバトロス」という不思議な男を認識する。  明るい日の光の下でこの男を見たのは初めてだ。  炎のように赤い髪、白い肌に切れ長の瞳は鋭く、高く形の良い鼻梁に薄い唇。軍服のようなかっちりとした上等そうな上着に大きな体躯を包み込み、腰のベルトには銃を差していた。 「アル」 「そうだ」 「……お前が、助けてくれたのか」 「約束したろう?」  アルはゆっくりとベッドに近付き、ルシオを驚かせないようにゆっくりと手を伸ばす。  ルシオの頬に大きくて少し冷たい手が触れ、それが今、この瞬間にルシオを引き戻す。 「ケガが酷い。 もう熱は下がったようだが、もう少し寝るか? それともなにか腹に入れられそうか?」  言いながら、アルはドアの付近に置いたままだった紙袋を拾い上げる。 「腹や背中を強く打ってるからな、スープみたいなものの方がいいか……」  独り言のように呟きながら、なにかしら考え込んでいるようだった。 「……大丈夫だ、なんでも食べる」  腹を打ったから食事ができないなどと甘えたことを言ってはいられないのだ。 無理してでも食べて、体力を戻す。  アルはルシオを見てにやりと笑い、いい心がけだ、とりんごを投げてよこした。 「ここは、どこだ?」 「町の宿だな」  ルシオは思わず口を開けたまま固まった。 「町の……? あの塔から一番近くの町まで下りるのに馬車でも半日かかるんだぞ……?」  徒歩で、しかも気を失っているルシオを担いで夜の森を抜けて町に辿り着けるわけはない。 「あ、ああ、そうか。 僕が気を失って、何日か経ってるのか?」 「いや、お前が塔で大暴れして夜の森に入ったのは昨夜の出来事だよ。 今はまだ朝の市場が開いたばかりの頃合いだ」  ルシオは目を見開いてアルを見た。 まさか、馬でも用意していたのだろうか。馬を早駆けさせれば、あるいは夜が明ける前に町に着くのかもしれない。  アルは、疲れた様子も、なにを気にしている様子もなく紙袋からパンやハムを取り出している。 「やはり宿の者に言ってスープを作ってもらおう。 今朝は冷えるからな、温かいものが欲しいだろう?」 「アル、医者を、医者を手配してくれ」 「医者にならもう診せたぞ? 包帯が巻いてあるだろう?」 「僕じゃない。 ……塔に、僕が撃った修道士がいる。 放っておくわけにはいかない」  ナイフで分厚めに切ったハムをそのまま口に運びながら、アルは黙ってルシオを見ている。 「助けたいのか」 「……助けたいんじゃない、殺したくないんだ。 言ったろう? 撃つ相手は僕が決める」  それに、もしかすると、エマたち修道女が逃げられずに塔で怯えているかもしれない。  ルシオの行為に怯えたエマの顔を思い出すと、少しだけ胸が痛む。  彼女たちには、助けが必要だ。ルシオ以外の。 「わかった」  なにを考えているのかわからないような表情で、ハムを最後まで口に押し込む。 「人間とは妙なことを考えるな」  心底不思議で仕方がないとでも言うように、アルは呟いて立ち上がった。 「ついでにスープを頼んでこよう」  ハムにもう一切れナイフを入れて、それを大きな口に一口で放り込んで、アルは部屋を出て行った。

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