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第9話 闇の中で

 カティヤには近所の人間にソリに乗せてもらって後から来るように言い、アルを見た。 「アル、頼む」  裏庭に出向き、アルは片腕に幼児を抱くようにルシオを抱きあげた。 「以前抱えられたときの方がマシな気がする」 「君が文句を言っていたから丁寧に運んでやろうとしているのに」 「……」  緊急事態だ、言い争っている時間が無駄だろう。アルもそれを十分承知しているので一つ頷き、ほとんど助走もなく飛び上がった。  屋根から屋根へ、そして背の高い尖ったカラマツのてっぺんを踏み台に林の中に入る。高いところから見れば、林の中に簡素な橋が見えた。その向こうには木々が切り開かれた広場に採石場が造られている。 「あそこが坑道の入口だろう」  アルの首にしっかりと捕まり、強風と重力加速度に備える。次の瞬間には、予想した通りの衝撃を全身に受け落下し、マツの枝を蹴ったかと思うと次には浮遊感、それを数度繰り返しただけで気が付けば眼下に橋が見えていた。  板を組んでロープで繋いだだけの橋は決して大きくはなく、数メートルの凍った川に渡してあるだけだったので、アルは二歩で跳んでしまった。採石場の広場では、鉱夫たちの叫び声や怒声が聞こえる。アルの腕から降りると、一番手近な鉱夫に走り寄った。 「現状は? 閉じ込められた人間がいると聞いた」 「あんたは?」 「カティヤとハンスの宿の客だ」  その名前を聞いた途端に、鉱夫の顔が青ざめた。 「カティヤの耳にはもう入ってるのか?」 「まだ詳しいことは……。ハンスもだが、ユーリの姿も見えない。なにか知ってることは?」  鉱夫は唇を噛んで俯いたまま震えている。 「……正直、何人閉じ込められているか、中で何人無事かわからない。ここに居ない連中でも街に助けを求めに行った奴もいる。 俺はたまたま石を外に運び出していたから助かった。だが、奥の方を掘っていた連中はたぶん、中だ。 ……ハンスも奥に居た。それから……、ユーリは、……ハンスを追って遊びに来ていた……、父親に朝食のサンドイッチを持ってきたと……」  坑道の外に居る鉱夫たちも、よく見れば怪我を負っている人々も多い。逃げるときに岩に当たったのだろう、頭から血を流している者も、足を負傷して歩けずソリに乗せられて運ばれようとしている者もいた。現場は騒然としている。ルシオは後方に居たアルの元へと戻った。 「あそこの山の上の方へ行けないか?」  アルがわずかに目を細めて坑道の上方を眺める。 「行ってどうする?」 「どこにどれだけの人が閉じ込められているか、中の状態、坑道の内部をどうにかして知りたい。 助け出すにしても、ただ入口から掘り進んでいては間に合わないかもしれないし、さらに崩れるかもしれない。まずはどんな状態か知りたい」 「それなら、坑道の地図を外から辿ろう。地図くらい作っているだろう」  ルシオは頷き、場を取り仕切っている話が通じそうな鉱夫を選んで話を進めた。 「これが地図でさあ。ここから地下に潜って行って、崩れたのはこの辺り。閉じ込められているとしたらこっから先でさあ」 「よし、この崖を周りこんで向こう側は坑道の右側にあたるはずだな」 「それはそうですが……、危険ですぜ、どこもいつ崩れるか……」 「それは中も同じだろう。子どもも居るかもしれないんだ。入口から慎重に掘り進めて実際に救助できるまで耐えられるとは限らない」  鉱夫も同じ思いではあったのか、深く頷いた。それならば、とルシオたちに何かを託すことを決意したのか、坑道の中の様子も事細かに説明してくれる。 「もう一つ、今出ている新しい石は発火しやすいんでさあ」 「発火?」 「わずかな火花でも着火してほかの石も類焼してしまうんです。それを知ってる私らはどんなに寒くても火は焚きません」 「暖を取ることも明かりも期待できないってことか」  唇を噛む鉱夫から地図を受け取り、ルシオはアルを振り仰いだ。 「行こう」  二人が坑道の入口右の、まだ少し木々の残る急斜面を登ろうとしたときだった。 「俺たちも行きます!」「おれも!」「お、俺も連れて行ってくれ!」  数人の鉱夫が名乗り出た。危険だとわかっているからか、各々蒼白く悲壮な表情だけれど、決意は固そうだ。 「あ、案内があった方がいいだろう」「あんたたち旅の人に任せっきりになんてしてられねえよ」 「……そうか。では、案内を頼む」  鉱夫は先頭に立ち、切り出す前の大きな岩壁を登っていく。  どんなに晴れ間がのぞいたとはいえ、積雪はルシオの足を膝の上まですっぽりと沈める。雪に足を取られ、岩に捕まりながらなんとか登る行程では、手もじんじんと痛痒く、しだいに感覚が無くなっていた。  本当に坑道の側を通っているのか、雪に覆われたこの岩山で崩落の箇所がわかるのか、男たちは不安と焦りの中で誰一人口を開く者はいない。高い場所に足をかけて体重を乗せようと凍った岩を掴んだときだった。 「痛っ……!」  指先に鋭い痛みが走って思わず手を放した。直後に足元も滑り、岩場に身体がしたたかに叩きつけられることを予想して目を瞑った。  けれど予想に反して、後ろから腹に腕が回って来て背中を大きく温かな体温で受け止められた。ルシオの体重にびくともしないたくましさにほっと息をついて見上げると、不機嫌なアルと目が合った。 「ルカ一人なら俺が抱えて跳べると言っただろう」  大きな手で包み込むように指先を引き寄せられると、上から舌打ちが聞こえた。指先はもう随分前から冷たさでかじかんでいたけれど、先ほどの凍った岩でついに指三本から血が滲んでいた。中指にいたっては爪がはがれかけている。 「少し休め」  もう一度舌打ちが聞こえそうなほど不機嫌な声でアルが低く呻く。 「こんなことに構っていられない。地理に詳しい案内の人たちは必要だし、閉じ込められている人たちには一刻の猶予もない。単なる優先順位だ」  ふう、と自分を落ち着けるようにため息をついて、アルが先頭を行く鉱夫に声をかける。 「今はどの辺りだ。坑道はどういう風に通っているか地図を見せてくれ。全員で行くより俺だけ先に見て来よう。ほかはここで待っていてくれ」  疲れ知らずなアルが崖を軽々と登って、その背中が岩肌の向こうに消えてしまうと、ルシオは小さくため息をついた。周囲に座る鉱夫たちも皆疲れ果てていて、手近な岩の上に座り込みそれぞれ頭を抱えたり顔を覆っている。ここにいる鉱夫たちだって被害にあっている。仲間が心配だと言えど疲れていないわけがない。自分の優先度を低く見積もってしまいがちなルシオは、他人にも無理を強いてしまうことがある。アルはルシオを含め、全員の様子を見ていたのだろうか。  指先に布を巻き付けながら、自分の情けなさに歯噛みする。気ばかり急くのに、手足は思うように動かない。比べるものではないとわかっていても、アルの頼もしさや視野の広さを目の当たりにすると、なぜ自分はそう在れないのかと思ってしまう。  けれども落ち込んでいる暇はない。自分にできることを自分の精一杯でやるしかない。もしかすると、あの小さなユリウスが極寒の暗闇の中で助けを求めているかもしれないのだ。反省することも落ち込むことも後でいくらでもできる。今は閉じ込められている人々助けることに集中する方がよほど建設的だ。  そうしているうちに、アルが山の上に姿を見せた。崖上の大きな岩の上からから軽々と飛び降りて、積雪の深い場所に着陸した。休んでいた鉱夫たちも気力を奮い立たせてアルの周りに集まった。 「なにか見えたか」 「地図のこの辺りから地下に潜るんだな?」 「そうです」 「つまり、この手前に地下水を汲み上げる水車を設置している広場がある、そうだな?」  鉱夫たちは一様に頷く。 「崩れているのはその手前数メートル付近のようだ。雪の重みには耐えられるような造りにしてあるはずだが、ここ数日の気温の上昇でその雪が急激に溶けて坑道に沁み出した。おそらくそれによる崩落だろう。雪がなくなって亀裂が見えている箇所があった。 だが、水車の広場は崩落を免れているようだ。ここに逃げ込んで取り残されている可能性は高い」 「その亀裂から中は確認できないんですかい」 「一応呼びかけてみたが返事は聞こえなかった。俺は耳がいい、こちらの声が届いていないという可能性の方が高いだろうな」 「とにかく、その亀裂まで行ってみよう」  アルの案内で崖を登り山をぐるりと半周した裏側辺りがちょうど坑道の真上に当たっていた。数人で行くと小一時間ばかりかかったけれど、アルが一人で往復したときは半時もかかっていなかったはずだ。 「あそこだ」  少し離れた位置からでも白い雪面には大きく黒く亀裂が入り、裂け目は崩れて中に落ちこんでいるのが見てとれた。  雪に覆われているせいで、いったいどこまで地面があり、どこからないのか想像してしまう恐怖に襲われ、皆一様に自分の足元を注視する。大きな裂け目は少しの振動でさらに地面を割っていきそうで、自分たちが踏みしめている大地が崩れていくかもしれないという不安定さに足がすくむ。 「これじゃまるでクレバスだ」  誰かがごくりと生唾を飲み込んだ音がした。  この時期にこんなところまで登って来る人間は居ないし、クレバスなどは雪解けの時期にできるものだとされている。けれど、鉱山だということで下に坑道を掘って空洞になった場所にその天井である地面と雪が一緒に崩落したのだろう。 「この山じゃそんなに深い亀裂にはなっていない。頂上にのぞいている岩肌から見ても、雪の深さは数メートル、そこから坑道に続いていれば、多く見積もっても十メートル程だろう。あそこの大きな穴がおそらく崩落箇所だ」  亀裂の中ほどに、多少幅のある穴が開いている。慎重に歩を進めて近付き、中を覗いてみても暗い空洞がぽっかりと口を開けているだけだ。幅があると言っても、その幅は大人でも小柄な女性なら一人ようやく通れるかといった具合だった。 「中を確かめてみようと思ったんだが、俺には無理でなぁ」 「僕が行く」 「! なにを言っている」  これ以上ないというくらい眉間に皺を寄せて、ルシオを睥睨した。その気配も言いたいこともひしひしと伝わって来るけれど、あえてそれを無視して穴を覗き込んだ。 「ロープを」  アルになにかを言われる前にそのロープを腰に巻き付けた。 「ルカ、なんで君が入る。君が行かなくてもほかにもいるだろう」  鉱夫たちが青ざめて俯くのが視界に入る。アルは時々こういう言い方をする。ルシオとそれ以外の人間、というくくりでものを考えているようで、ほかの人間にはあまり興味を示さない。  けれど、なぜかルシオには執着を示すし助けてくれたりもする。逆に言えばルシオが動けばアルも動いてくれるということだ。アルの手助けを期待しているわけではないけれど、今はアルの手も借りたい。彼らを助けるためにも、自分が生きていくためにも。 「ほかの人間には無理だ、穴が小さすぎる。僕なら行ける。もし、もう進めなくなってもなんの手がかりも見つけられなかったら、ロープを引き上げてくれ」  大きくため息をついて、眉間の皺はそのままにアルが詰め寄って来る。 「言ってもどうせ止めないんだろう。それなら、」  真正面から人差し指でルシオの胸を指す。 「いいか。なにかあれば、行き止まったり誰かを見つけたり、とにかくなにがあっても、必ず俺を喚べ」  小さな声でもいい、声すら出さなくてもいい。だが、必ず喚べ。  ルシオは息をのんで、指されて熱くなったような気がした胸を服の上から握って頷いた。  吸い込まれそうな暗闇と身体を反転させるのも苦労する狭い穴に、慎重に足を降ろす。凍った壁面が滑る。  幸いと言うべきか、狭い穴だから足を滑らせたところで落ちていくほどの隙間がない。精々が身体や頭をぶつけて、岩壁に挟まれて止まる。  足を進めたところでその先があるのかもわからない。自分の鼻先すら見えない暗闇のなかで、どこまで進んだのか、それとも本当はちっとも進んでいないのか何もわからない。  先ほどまでは頭上から微かに明かりが降り注いでいたけれど、横に広がった亀裂の隙間を進み始めるとそれも届かなくなった。  ずっと同じ体勢と首の向きのまま横歩きで進んでいるので身体がその形で固まってしまいそうだ。  半分凍った壁面は冷たくて、ちろちろと流れる雪解け水が沁み出して服や髪を湿らせる。閉塞感に息が詰まりそうだという表現を使うことがあるけれど、ここは実際に酸素が少ない。息苦しくて、暗くて、嫌な記憶が蘇りそうになる。  ずっと、こんなところにいた気がする。今みたいにこうしてずっとなにかに向かって必死に手を伸ばしていたけれど、決してどこにも届かない。どこにも、誰の元にも辿り着かない。ここに永遠に閉じ込められて、孤独のうちに生きることを自ら手放すことしか考えられなくなる。  ほとんど動かせない手を無理やり動かして胸元を握った。もう癖になってしまっているだけだけれど、不思議なことに、胸元の石はこういうときに限って熱を発しているように温かく存在を主張してくるのだ。 「俺を喚べ」  頭の中で何度もアルの声が聞こえる。喚べばいい、そう思うだけで独りでも進める。だって、アルは喚べば必ず来る。独りじゃないと思えることは、いつだってルシオを強くしてくれる。  その時、先に進めていた左足が空を切った。あ、と思ったときには片足がはまり込んだ。足先が岩を掴まない。  なにも見えないので手探りで辺りの様子を確かめると、そこから先の足場がなかった。頭はつかえて中途半端にとどまり下を覗き込めないけれど、腕を伸ばして辺りの岩に触れるとぱらぱらと下に落ちていく音がかすかに聞こえた。下に空洞がある。 「誰か! 誰かいないか! 聞こえるか!?」  耳を澄ませてみる。もう一度声を張り上げようと息を吸ったとき。 「……れか……、」  はっとして暗闇に精一杯頭を傾け、耳を澄ます。 「誰かいるのか!?」 「助けに来てくれたのか!?」「助けて! ここだ! 助けてくれ!」「ケガ人がいるんだ!」 「そこに子どもはいるか? 避難しているのは何人だ!?」 「いる!子どもが! ユーリがいる! 早く助けてくれ! 早くなんとかしないと……!」  随分下の方から悲痛な声がする。腰のロープはもうすでにぎりぎりで、声のする方へ手を伸ばすこともできない。ルシオは一瞬の逡巡の末に、腰からロープをほどいた。  狭いなかで身体をなんとか寝かせ、崩れた足元に這い寄る。声がする場所も一層暗闇に沈んでいて誰の姿も見えない。声すらも幻聴だったような気がするけれど、深い穴の底からは確かに生き物の気配がする。 「ここをもう少し崩す。離れていてくれ」  声をかけると、不自由な体勢のままでベルトから銃を取り出し、グリップ部分で岩の崩れを広げるように砕いていく。採掘したあとの石が下にあれば発火する危険があるので発砲はできない。  下の暗闇からは、息を殺して耐える不安げな息遣いや、すすり泣きが聞こえる。  ようやく、ルシオの身体がぎりぎり通る程度の穴を開けると、下になにが広がっているかもわからない暗闇の中へ足から飛び降りた。 「……つっ! ……はぁ」 「だ、大丈夫かい?」 「……大丈夫だ。それで、ケガ人はどこだ」  暗闇の中を壁伝いに手探りで近寄る。 「ここだ、こっちだ。火が焚けなくてね」  鉱夫の一人が声を頼りに手を伸ばしてくれる。  坑道の中は思っていたよりも広く、落石でケガをしたという人たちが数人、横たえられていた。その中にはユリウスの小さな身体もあり、ハンスの上着に包まれてぐったりとしていた。顔色や出血量などは見えないけれど、一刻の猶予もないだろうことは感じられた。 「落石が頭に当たったみたいなんだ。今は布を強く当てて出血を抑えているが、意識はあったりなかったりだ」  教えてくれたのはハンスではなく鉱夫の一人だ。ハンスはとてもそんな気力がないのか、ユリウスから片時も離れないというように手を握りながら無言で息子の側にうずくまっている。もうずっとこうして泣き続けているようだった。  ほかのケガ人も、落盤の下敷きになったり、人をかばって足の上への落石で骨折していたりと一様に軽傷ではない。ケガをしていない人間も、ハンスに限らずそれぞれがみんな憔悴していて暗闇と寒さにそう長く耐えられるとは思えなかった。  ルシオが降りてきた穴は狭くて到底脱出に使えそうではない。方法としては、やはり位置を教えて外から坑道を壊してもらうことだろう。 「……けてく、れ……、たす、」 「ハンス?」  首を巡らせて周囲の様子を確かめていたルシオの足元に、誰かが縋りついた。 「助けてくれっ!」  強い力で突然しがみ付かれて、思わずよろけて尻もちをついた。 「助けてくれっ! あんた神子様だろう! カティヤに聞いたんだ! 王都で見たことがあるって! 神子ならなにかできるだろう!? 奇跡でもなんでもいい、息子を、ユーリを助けてくれっ!」 「……っ、あ、あの、」 「あんた神子様なのか!?」「助けてくれ、なあ、俺たちはいつも祈ってるだろう!? 寄付だってしてる!」「神子様!」「神子様っ!」  ほかの鉱夫たちも口々に叫びながらルシオに縋りついてくる。 「ま、待ってくれっ! 僕にはそんな力は……っ!」  先ほどまで比較的落ち着いていた鉱夫たちも、煽られるようにパニックを起こし始める。四方八方から縋りつく手が増えて、どんどん力が強くなっていく。尻もちをついたまま起き上がれず、ついには倒されて圧し掛かられてしまった。  怖い。暗闇の中で男たちの大きな手で力任せに押さえつけられるのは怖い。叫び出しそうになるのをなんとか堪えながら鉱夫たちの手から逃れようともがく。 「みんな、冷静に、話を聞いてくれ……っ!」  神子はそんな存在ではない。どんなに教団の布教により神聖視される存在に祀り上げられていたとしても、ただの人間だ。いや、親兄弟もどこの誰かもわからない、権力者や金持ちの相手をさせられるためだけに産みだされ育てられた人形のような存在だ。人間ですらない。奇跡など起こせようはずもないのだ。 「いや、だっ、触るなっ! 僕は……っ!」  神子なんかじゃない。神子なんかになりたいと思ったことは一度もない。 「助けてくれっ! ユーリが死んじまう!」「神子なんだろう!」「俺たちを助けてくれ!」「なんで俺たちがこんな目に合うんだっ!」「早く!」  早く。助けて。なぜ自分たちがこんな目に。死にたくない。身動きのできないルシオに重圧の恐怖が加わる。  助けて、誰か助けて。痛い。怖い。殴らないで。やめて。誰か、誰かーー。 「……る、アル……、アルーーーーっ!!」 ドンッ! ボコッ! ガンッッ!! ガラッ、バラバラバラーー。  突然天井が崩壊したかと思うと、ちょうどルシオが降りてきたあたりの岩の亀裂がまるで布のように簡単に裂かれて陽の光が降り注いだ。天からの救いの手のように一筋差し込む光の梯子は、ルシオを含め人々の混乱を沈めるのに十分だった。 「喚んだか?」  太陽を背に覗き込むシルエットは、まだ目の慣れないルシオには眩し過ぎて見ることができなかったけれど、見えなくても誰かはわかる。  アルは天井の穴からひらりと飛び降りて悠々と歩いて来ると、鉱夫たちの下になっているルシオだけをひょいと救い出して抱きかかえた。 「喚ぶのが遅いっ! 何度も言っているだろう、すぐに俺を喚べ。ったく、ロープまで勝手に外しちまって」  呆然としているルシオは口をパクパクさせるだけで言葉としての意味をなさない。それは鉱夫たちも同じだったようで、全員が虚を突かれたように目と口を見開いたまま固まっている。 「お、おい、誰かいたのか……?」  ずっと上の方から、恐る恐るといった具合に顔がのぞいた。数十メートルほどの岩盤を突き抜けて、ぽっかりと開いた天井の向こう側は、おそらくルシオたちが亀裂を見つけた山の斜面なのだろう。 「た、助けてくれ!」「ここだ!」「ウィル! 無事だったか!」「二ルソンさん! 今引き上げますよ!」  上の亀裂にはどうやら救助隊も加わったようで、多くの人の声が聞こえる。 「アル、ユーリが危ない。先にユーリを抱えて助け出して欲しい」 「神子様……」  半狂乱だったハンスも、どうやら多少は落ち着いたようだ。ルシオはほとんどケガをしていないし、子どもやケガ人を優先させて欲しい。そう思っての言葉だったのだけれど、アルはふむ、と一瞬考えるとそのままもう片方の腕にユーリを抱え上げた。 「うわあああ、ちょっと! 乱暴にしないでください!」  大声で抗議したのはハンスだけれど、ルシオも慌てた。 「おい! アル! ユーリは頭をケガしてる、無茶な運び方をするな」  ルシオがユリウスの頭の布を押さえると、アルは助走も踏み込みもなく二人を抱えたまま跳躍した。二、三歩壁を蹴った振動があったかと思うと、気が付けば明るい地上に出ていた。周囲の鉱夫も救助隊もロープを持ったまま口をあんぐりと開けて固まっている。 「この方が早いだろう」  そう言ってユリウスを降ろすと、救助隊による手当が素早く行われ始めた。確かに、ロープや担架を降ろして、などしているとユリウスは今もまだ穴の中だろう。 「……?」  ルシオもまだアルの片腕に抱きかかえられたままだ。 「アル、降ろしてくれ」 「いやだ」 「!?」  明るい地上で、周囲は未だ残った人々の救出に忙しくしているというのに、ルシオはアルに幼児のように抱かれたまま、アルが動こうとしないのでルシオも文字通り手も足も出せないでいる。幸いなことに、みんな救出作業に集中しているため、二人の様子を咎める人はいない。 「アル、降ろせ。まだ残っている人がいる」 「君はもう十分がんばった。あとはほかの人間に任せればいい。ユーリも助かったんだ、もういいだろう」 「いや、でも……、とりあえず降ろしてくれ」  ルシオにはもうできることはなにもないとしても、この恰好でいる必要はない。 「だめだ」 「!? なぜだ!」 「君、足を痛めているだろう」 ぴくり、とアルの肩口を掴んでいた手が震えた。 「……なんで」 「中で瓦礫でも踏んだんだろう」  穴に飛び込んだとき、高さのあるところから何も見えない暗がりの中で瓦礫の上に着地してしまったのだ。おそらく切ってはいないと思うけれど、ひねったのかずっと痛みがあった。今はそれどころではないと放っておいたのに、アルはどこで気が付いたのだろうか。 「さて、俺たちはもう十分がんばったな。よし、休もう」 「……は?」  ルシオを抱えたまま、アルは険しい雪解けの山道を散歩でもするように軽々と下った。

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