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第13話 譲れないもの
「彼女たちはこの村で“魔女”だと言われていてね。せいぜい惑わされないように気を付けてくれよ」
マレーナは、手が白くなるほどぎゅっと強く自分自身を抱きしめていた。
「他人の前で好きな人間を貶めるのは婚約者のすることじゃないんじゃないか」
握手をしながらも淡々と言うアルに、ダニエルの目元がいっそう鋭くなり頬が引きつった。
「冗談ですよ。全く時代錯誤な話だからね。
私はそんなもの信じてはいないから、こうして彼女にも婚約を申し込んだのだから。
マレーナも母親のノーラも、村の中じゃ窮屈な思いをしていることが多い。君たちも見ていてあげてくれ」
村の人々がよそよそしく、マレーナを避けている雰囲気があったのはこの噂のためだろう。
けれど、ダニエルの言動は冗談にしては質が悪いし、マレーナや母親のノーラがダニエルを歓迎しているようにも見えない。村での噂も、ダニエルとの婚約も、やはりなにか事情を抱えていそうだ。
「私は用があるので失礼しなくてはならないが、また様子を見に来るよ。しばらく不便だろう、私を頼っておくれ。それじゃあ、マレーナ」
ダニエルが再びマレーナの元へ戻り、頬にキスをしようと顔を近付けると、マレーナはわずかに顔を逸らしていた。
ダニエルが帰ってしまうと、重苦しい空気が漂う。
「……なにか事情がありそうだな。話したくなければ、話さなくて構わないけれど」
自分もおいそれと他人に話せるようなことばかりではない。
それに、ルシオとアルはどちらにしろ、よそ者だ。話を聞いたところで、本当の意味で彼女たちの境遇を理解はできないかもしれないし、なにかしてあげられることがあるとも限らない。けれど、よそ者だから話せる、ということもあるかもしれない。
マレーナは、迷っていたようだったけれど、ちらりとアルを見上げて口を閉ざした。アルには、知られたくない。そういう気持ちは、ルシオにはよくわかった。一つ頷いて、母娘を交互に見た。
「僕たちになにかできることがあれば言ってくれ。薬草を採りにいくときの支えくらいにはなれるだろう」
「……ありがとう、ございます」
マレーナが、ホッとしたようにようやく笑顔を見せた。ノーラも、夕飯の支度をすると言ってキッチンへ向かった。
ルシオは、村を見てみたいとアルと二人で出かけることにした。
予想通り、空からは手のひらほどもありそうな雪がちらちらと舞い始めていた。
「相変らず、君のお節介にも困ったものだな」
「お節介?」
「俺たちはたまたまあの娘を助けただけだ。なぜ、そう首を突っ込みたがる」
村の人々は、二人を目に留めると店の軒先の板戸を閉めきり、早々に家の中に引っ込んでいった。小さい子どもたちは大人に促され、男たちは家を守るように玄関で睨みを効かせていた。
「そういうアルだって、マレーナにはやたら親切じゃないか」
アルが、わずかに目を見開いた。急に自分が口にした内容が恥ずかしくなり、ルシオは視線と話題を逸らした。
「気付いてるか? この村、若い女性をほとんど見ない。マレーナと同じ年頃の女性は居ないのだろうか」
「……居ないわけじゃなさそうだな。家の中からは気配がする。女の匂いもするな」
今度はルシオが目を見開く番だった。
「匂いで性別や年齢まで判別できるのか」
「まあ、そうだな。俺にとってはあまり利点のない生態だが」
「……少し変態くさいしな」
「失礼だな、君」
ふいに、アルの匂いのことを思い出す。アルの匂いがルシオは好きだけれど、鼻のいいアルにとってルシオの匂いはどうなのだろう。少しは、好ましい匂いだと思ってくれているだろうか。
……マレーナの匂いはどうだったのだろう。胸を絞られるような心地がする。アルのことを考えると、すぐにマレーナのことも考えてしまう。自分とマレーナを比べてしまう。
今まで、こんなことを考えたことはなかった。世界は、ルシオ自身と、ルシオを抑圧し貪り搾取する連中の二つしかなかった。
そこに、アルがなんだかあたたかで優しくて幸せな感じのするものを差し出してきたのだ。今のルシオはそれを恐る恐る眺めているだけで、触れることもできないでいる。触れて掴んでしまうと、消えてしまいそうな気がして怖い。
けれど、それを誰かが、たとえばマレーナが、先に触れて掴んでしまうとルシオはどうなるのだろう。ルシオの分はなくなってしまう。ルシオはもう永遠にそれを手に出来なくなる。
そう思うと、胸を押さえてうずくまり子どものように大声をあげて泣きたくなる。どんなに辛い思いをしても、そんな風に泣いたことはないのに。
気が付けば、隣のアルのローブを掴んでいた。
「どうした?」
「あ……、あの、あっちに風車が見えた。行ってみよう。
こうして歩いていても、もう誰からも話を聞けないだろう」
「そうだな」
無性に、アルの体温を感じたい。夜、一緒に眠る時のように、抱きしめてあたため合いたい。
じっと隣を歩くアルを見上げていると、アルが戸惑ったように手で顔を覆ってため息をついた。
「ルカ、君、それで無自覚なのか。それともなにか、俺に我慢大会でも強いるつもりなのか?」
「? なんのことだ」
「……」
眉間にしわを寄せてルシオを見る。
「君はもう少し自分のことを知ったほうがいい。
そのためには、俺になんでも言うことだ。言いたいこと、したいこと、欲しいもの、なんでもいい」
「欲しいもの……。それで、なにか変わるのか?」
「変わる。少なくとも、俺がルカの望みを知ることができる」
欲しいものを欲しいと言って、それを知ってくれている人がいる。自分の望みや自分の気持ちを言葉にしてもいい。それはとても……嬉しいこと。そう思えた。
いつの間にか店の連なる村の中心を抜けて、大きな風車が回る建物の側まで来ていた。風がほとんどなく、ゆっくりと動く風車は、風ではなく雪の重みで翼が回っているようだった。
まだ早い時間だというのに日が暮れ始めていて、雪が音を閉じ込めながら一面に降り積もり、静かで、辺りにはなにもない。すぐ隣でわずかに触れるアルの熱だけがここが夢の中じゃないのだと伝えてくれた。
風車の中に入ると、ようやくローブのフードをとって雪を払い落とすことができた。
「この降り方じゃあ、この谷からは出られないな……。マレーナの家に泊めてもらえる手筈で助かった」
まるでこの村だけが世界から隔離されて閉じ込められてしまったような気がする。
ふう、と白い息をつくと、呼吸の音さえ響くようで余計に辺りの静けさが沁みてきた。ローブの中で、あたためるように腕で自分を抱く。
「寒いな」
そう言って、アルが自分のローブをたくし上げたかと思うと、ルシオをすっぽり中に収めて抱き込んだ。ルシオがむりやり頭を出したのはローブの首元の合わせ目で、すぐ近くにアルの顔があった。
「アルも、」
「ん?」
「……アルからも、教えて欲しい。アルの、したいことや、欲しいもの、今なにを考えてるか、とか」
「今か。そうだなぁ、……ルカのことを考えてる」
どくん、と心臓が強く脈打つ。頬も、手も、身体も熱い。アルの冷たい手が頬に触れる。アルも寒かったのだろう。
「ルカは? なにを思ってる? なにが欲しい?」
見上げると、真っすぐに正面からアルの瞳を見つめる。まばたきも忘れて、逸らすこともできないほど、既視感のある瞳。
「キスがしたい」
次の瞬間には、アルのひんやりとした唇がルシオのそれと重なっていた。
「ん、……っふ」
冷たかった触れ合いから、熱い舌が潜り込んでくる。目を閉じて、夢中で舌を受け入れる。
アルと、キスをしている。それだけでなにかが満たされていく気がした。
冷たい手が耳と頬に当てられていて、包み込まれているようで安心する。
温泉で交わしたときよりゆっくりと舌を絡められ、ルシオが快感に追い付くのを待ってくれている。
あのときよりもずっと鮮明にアルを感じる。舌の奥を撫でられ、絡み合って、上顎をくすぐられる。歯列に沿ってなぞられると、下腹部の辺りが熱を持ち始めた。
自分のものじゃない唾液が甘い。鼻から抜ける声が甘い。静かな空間に自分の息と心臓の音だけが響く。
「……っん、」
体温が移って、二人の舌が同じ温度になってきて、馴染む。心地良くて、気持ち良くて、ずっとこれを欲していたんだと思い知る。
「ぅ……っ、ん、ん」
響くから恥ずかしいのに、抑えようと思えば思うほど勝手に息が漏れる。胸の内に渦巻いていた不安や焦燥が熱に溶かされていくようだった。
雪に埋もれた家に帰り着くと、夕食の鍋から漂う湯気や香りと一緒にマレーナが笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい、アル様! ルシオさんも」
足を引き摺ってはいるものの、大分具合が良くなっているらしく、楽しそうにアルの腕に飛びついている。
アルの雪を被ったローブも、いそいそとマレーナが雪を払い片付けてしまった。アルに支えられてダイニングルームに向かう二人の後ろ姿は、さながら若い夫婦のようだと思ってしまう。先ほどまでのあたたかい気持ちが、一気に萎んでいった。
マレーナがアルに触れる度に、笑いかける度に、胸がぎしぎしと軋む。ぎゅ、と服の上から胸の石を握って、なんとか自分を落ち着かせていた。
「アル様、ルシオさん。寝室をご用意したんですけど、あいにくゲストルームが一部屋しかないんです。アル様は私の部屋をお使いください。私は母と一緒に寝ますので」
「え……」
そうか、本来男二人が一部屋で一緒に眠るなんてことはあまりないのだから、当然といえば当然だろう。
けれど、今までずっと一緒に眠っていたから、自然と今夜もアルと一緒に眠るものだと思っていた。
しかも、アルの部屋はマレーナの部屋らしい。ルシオの知らないところで、マレーナの部屋に、アルが独りで……。本当に独りで寝るんだろうか。マレーナは、自由に出入りできるだろう。普通、出会って間もない男を女性の寝室に入れるだろうか……。
「ルシオさん?」
「はっ……、あ、ああ、すまない、少しぼんやりしていた」
ダイニングのテーブルで、スープの皿を前にスプーンを持つ手が止まっていた。
「お口に合わないかしら?」
ノーラが心配そうに覗き込んでいて申し訳ない気持ちで、手早くスプーンを進めた。
その後は真っ暗な部屋で、久しぶりに眠れない独り寝の夜を過ごした。
翌朝、小さな村に恐怖の悲鳴があがった。
「どうかしたのか?」
ちょうど、身支度を終えたルシオは部屋を出たところでアルと蜂合わせて、顔を見合わせた。階下に降りていくと、玄関からノーラが入ってきたところで、マレーナが母親のコートから雪を払い落としていた。
「あ……!」
青ざめたノーラは、ルシオたちの顔を見るなり、膝をついて泣き崩れた。
「ど、どうしたの!? 大丈夫、母さん!? ねぇ、村でなにがあったの? あの悲鳴はなに?」
足を庇うマレーナに代わって、アルがノーラを支え椅子に座らせる。
「まさか……、“また”誰か死んだの……? そんなことないわよね、母さん!?」
母親に詰め寄るマレーナも、半ば予想がついていたのか、青ざめた顔で口元を覆う。
「“また”?」
マレーナにも椅子を進めながら、ルシオは眉をひそめた。
「どういうことだ?」
ノーラはとてもじゃないけれど筋立てて説明できるほど冷静ではない。マレーナが代わって口を開いた。
「もう……“三人目”なんです……。それも、この半年ほどの間に」
「三人……、この小さな村で、半年の間に三人?」
流行り病かなにかだろうか。それならば、昨日の村の人々の態度にも説明がつく。閉鎖的な村ならば、医療も行き届かないこともあるかもしれない。
「違うんです、病じゃないんです。
…………殺されたんです」
「殺された!? 獣か!? 犯人が人間なら捕まるだろう?」
「わかりません」
「わからない……?」
「捕まらないんです! こんなに狭い村なのに! 犯人は確実に人間です。でも、この村の人たちはみんな顔見知りです、知らない人なんていません。
冬になってから、この村の外から来た方たちはあなた方だけなんです!
それなのに、三人も殺されてる! それならこの村の中に犯人がいるってことじゃないですか!」
叫ぶような言葉の中には、恐怖と絶望が満ちていた。
「警察はなにをしてるんだ? 小さな村でも駐在しているだろう?」
「もちろん調べてくれてます。でも、この村に居る警察は二人だけ。
初めてのとき、大きな街からも応援が来ましたけど、結局犯人が捕まらないまま、十日ほどで帰っていきました。そのときは、こんなことが続くなんてまだ誰も思ってませんでした」
「同じ犯人だとは限らないんじゃないか?」
アルが口を開いた。確かにそうかもしれないけれど、その場合は、殺人犯が小さな村に複数人いることになる。
「……おそらく同じ犯人です」
「なにか確証でもあるのか?」
「殺された人たちは……全員、若い女性で、全員、レイプされて嬲り殺されてたんです」
ルシオは思い切り眉間に皺を寄せた。他人事とは思えない、一番憎しみを覚える犯罪だ。
「今朝、殺されているのが見つかったのか?」
ノーラの方へ向かって尋ねる。ノーラは直接なにかしらの情報を見聞きしてきたのだろう。だから、あんなに狼狽していたのだ。
「……卵を買いに出たら、村の路地の奥に人だかりができていて……」
そこには、まだ亡くなった女性の遺体があったのだという。自分の娘と同年代の、生まれたときから知っている肉屋の娘だったそうだ。
冷たい雪の中で服は乱れ、顔は誰かわからなくなるほど殴られた痕があったらしい。
「夜の間に、ということか?」
「で、でも! 女性は警戒して身を守る為に夜は出歩きません。特に私と同じ年ごろの女性たちが狙われているのがわかっているので、犯人が捕まるまでは昼間でもほとんど外出しなくなっているんです」
だから、村では若い女性を見なかったのだ。
「犠牲になったほかの二人も同じ年ごろ?」
「……そうです。でも、もうそれも、次で最後かもしれません……。この村に、同じ年ごろの女性は、もう私独りなんです」
ノーラが嗚咽をもらす。逃れようのない恐怖が、この母娘、そしてこの村をじわじわと浸食していた。
その日も、ルシオとアルは村を見て回ったけれど、昨日よりいっそう沈んだ重苦しい閉塞感に包まれて、道行く誰もが何とはなしに殺気立っているようだった。
この村の巡査を訪ねてみたけれど、よそ者の二人を怪しむだけで情報などはなにも教えてはくれなかった。
ただ、村から外へと通じる道は谷間の一本だけなのに、そこは雪に閉ざされて大きな街からの応援は当分見込めないという。
「ルカ。君はまた、良からぬことを考えているんじゃないだろうな」
人のいない路地を歩きながら、アルが言う。店もほとんどが出入口に戸板を打ち付けてある。
「どうせ、この村からは当分出られないだろう?」
「出られるさ。俺が君を担いで跳べば」
「マレーナやこの村の人たちは出られないんだ」
「君になんの関係がある?」
「閉じ込められて、恐怖と屈辱に耐えるしかない気持ちは、わかるんだ」
アルが方眉を上げてルシオを見下ろす。誰にでも同情するな、とそう言いたいのだろう。それは、そうなのだけれど。
「アルは、僕が自分のことをもっと知った方がいいと言っただろう?」
「言ったな」
「アルと会って、今まで知らなかった自分の感情をたくさん知った。誰かと出会って、誰かに対して感じる気持ちや、自分から出てくる言動が、僕自身にとっても新鮮なんだ。
それは、自分自身を知ることになると思わないか?」
「……そうだな」
苦虫を噛みつぶしたような顔で同意するアルは、自分の言葉を返された正論とルシオへの心配との狭間で葛藤しているのだろう。
ふ、と思わず笑ってしまう。
「……なんだ?」
「いや、なんだか可愛いなと思って」
「は?」
「大丈夫だ。危なくなったらアルが助けてくれるんだろう?」
くすくすと肩を揺らしながら、胸の中の重苦しさが少し溶けていることに気が付いた。
なんの収穫もなくマレーナの家に帰り着こうかというとき、雪に混じって立ち上る一筋の煙が目を引いた。煙突からだろうか。
「くさい」
アルが呟く。
「! アル! 嫌な予感がする、抱えてくれ!」
瞬時にアルがルシオを抱え上げ走る。特に屋根の上を跳んだりしなくとも、人のいない村を走って突っ切るだけですぐに目的の緑の屋根が見えた。
けれど、のどかなはずの村外れの小さな家は、村の男たちの怒号によって囲まれていた。手には各々たいまつや斧、藁を集めるフォークなどが握られている。
そして、今まさに、そのたいまつで家に火を放とうとしていた。
「きゃああ!」
「マレーナ! やめてちょうだい!」
「お前たち魔女の仕業だろう!」
「娘を返せ!」
「魔女は火あぶりで死ぬらしいな!」
「娘たちの仇だ!」
「魔女め!」
マレーナが髪を引っ張られて引き摺られているのが見えた。血の気が引く。
「そこまでだ!」
ルシオの声ではない。アルでもなかった。
「みんな冷静になれ! マレーナは魔女なんかじゃない! 魔女など迷信だ!」
止めに入ったのはダニエルだった。マレーナを庇い、武器を持った村の男たちの前に立ちはだかる。
領主の息子であるダニエルに諭されて、男たちもなんとか矛先を納めた。けれど、村に戻る男たちとすれ違う際に見上げた表情は、みな一様に納得のしていない、怒りと猜疑心を隠そうともしない顔ばかりだった。
ダニエルは、またしばらくマレーナと話をしていたけれど、手当をノーラに任せて帰っていった。
「すまない。ここに居るべきだった」
殴られたのだろう、腫れた頬を冷やすマレーナに向かって謝る。
「いえ、あなた方の責任ではありませんし、大丈夫ですから」
引きつった笑顔が痛々しい。
「殺人と魔女はなんの関係もないだろうに」
アルも苦言を呈す。
「そもそも魔女だなんて、いつの時代の話だ」
かつては薬草や野草の知識を用いて薬を調合したり、治療を施したりする者を畏敬の念を込めて魔女と称したらしい。
それがいつの頃からか異教の崇拝だの、悪魔に憑りつかれただのと謂れのない罪で迫害された歴史があった。それも遥か昔のことだと思っていたのに。
「殺された女性たちには魔女の噂はあったのか?」
ルシオは、マレーナとノーラに向き直った。この村は、あまりに不可解だ。
「……あったり、なかったり、です。
悪魔に憑りつかれたという噂の子も居ましたけど、そんなのは全部でたらめです。どこからそんな噂が出たのか、誰が言い出したのかちっともわかりませんでした。
噂なんて一度も聞いたことがないのに、魔女だと連れていかれた子も居ます」
「連れていかれた?」
「……裁判です」
「裁判!?」
「魔女裁判か」
「知っているのか、アル」
小さく頷き、なにかを思い出したかのように苦々しい顔をする。この国以外でもちらほらとそのような話を聞くらしく、何の罪もない女性たちを拷問して自ら魔女だと白状させる裁判だという。
「一度、連れていかれている娘を見たことがある。翌日には処刑された」
「なっ……!? 翌日だなんて、しっかり審議がなされているのか!? そんなもの裁判でもなんでもないじゃないか」
マレーナは怯えるように自らをぎゅうと抱きしめて、身を小さくした。
「この村でも裁判が?」
代わりに答えたのはノーラだ。
「ありました。半年ほど前に、初めて。
そのとき連れていかれたのは、マレーナを可愛がってくれていたソフィアという少し年上の娘でした」
ソフィアは突然、魔女だと言われて役人に連れて行かれたらしい。裁判は限られた人間しか傍聴できず、そこでなにが行われたかわからない。
ソフィアは五日後、火あぶりで処刑された。
けれど、その時点で張り付けられたソフィアには拷問の痕が痛々しく見られ、錯乱状態で呪いの言葉やおかしなことを叫び続けていたらしい。
「でも、ソフィアはあくまで処刑です。ほかにも連れて行かれた娘がいますが、殺された娘たちの数には入っていないんです」
「……つまり、裁判にかけられている女性と、殺人犯に殺されている女性を合わせたらもっと多くの女性たちがこの短期間に殺されている、ということか……?」
この村の異様な緊迫感は、そういうことだったのだ。次は誰か、自分か、自分の娘か、自分の妻か。いつになれば終わるのか、皆、見えない恐怖に怯えている。
しかも、この村は現在雪に閉ざされて、逃げ出すこともかなわない。
村の人々の恐怖心と怒りが限界を迎えて、マレーナを襲撃するという暴挙に出たのだろう。
元から魔女だと噂のあるマレーナを差し出せばこの事態が収まるとでも誰かが言い出したのだろうか。
その夜、考えがまとまらず、アルと離れて眠ることにも慣れず、アルの部屋の前まで足を運んでしまった。
少しだけ、アルと話せたら眠れるような気がした。けれど、部屋の前まで来て、中から話し声が聞こえることに気が付いて動きが止まった。
「……てください、アル様」
心臓が嫌な音を立てる。決して大きな声ではないけれど、マレーナの声だということははっきりとわかった。
なんで、どうして彼女がここに居るのだろう。ここはアルが寝ている部屋で、今はアルが居たはずだ。二人きりなんだろうか。なぜ。なんの話をしてるんだろう。
立ち去らなければ。聞いては失礼だ。そう思うのに、身体は動かず、耳は勝手に話の内容を拾うためにそばだててしまう。
「……おねがい、……たしを…れて…げてくだ…」
マレーナの声はわずかに震えている。「私を連れて逃げて」。この村から、連れ出して欲しい。そう、言っているのだ。
ドアノブにかけようとしていた手は離れて宙を握った。嫌だ。聞きたくない。アルの返事も、マレーナの言葉も聞きたくない。
「好きです、アル様」
静かに足を後ろに出して、回れ右をする。音を立てないように、と思うけれど、早くその場から立ち去りたくて駆け込むように自分の部屋へと戻った。
そのままベッドに潜り込む。真っ暗な部屋も、独りの空間も、どうでもいい。心臓がぎゅうぎゅうと絞られ、痛みをこらえるように毛布の中で丸まった。
アルがここに居ないことが不思議で仕方ない。どうして、こんなに辛くて痛いのに、アルは抱きしめに来てくれないのだろう。
アルは、今頃マレーナを慰めているのだ。抱きしめているかもしれない。あの太陽のようにあたたかい胸の中でマレーナの気持ちを受け止めているのかもしれない。アルは優しいから、きっとマレーナを傷つけない。
もう、ルシオの隣には居てくれないのだろうか。
いつかアルとは離れるときが来るとは思っていた。
ルシオの勝手な目的のためにアルを危険な目に合わせてはいけない、と。
アルは、どこか湖のそばで誰かと幸せに暮らしていて欲しい、と。
ルシオはいつでも独りに戻れて独りで歩ける、と。
全然、だめだ。全然、離れられない。どうしよう。一晩も、独りで居たくない。アルの隣を譲りたくない。
「……アル、」
「喚んだか?」
驚いてベッドの上で飛び起きた。
真っ暗な部屋のベッドのすぐそばに、アルのシルエットが見える。窓からの雪の反射光で、アルの瞳が一瞬光って見えた。
「な、んで……」
声が掠れている。
「喚べば来ると言っただろう」
「マレーナは?」
「母親の元に戻らせたが?」
「だって、マレーナはアルのこと……」
「それはあの娘の気持ちであって、俺の気持ちじゃあない。
俺の気持ちは聞いてはくれないのか? ん?」
アルが顔を近付けると、余計に瞳がきらきらとしている気がして覗き込んでしまう。
「……アルの気持ち、知りたい」
「俺は、ルカのことばかり考えている。
ルカの隣に居ることを望んでいる。
ルカのことしか欲しいとは思わない」
「僕も、アルと一緒に居たい。隣に居たい。離れたくない。……アルを、誰にもとられたくない」
アルのきらきらとした瞳がもっと近付いて、ルシオは目を閉じる。唇が重なり、アルの体温を感じて胸がいっぱいになる。そのまま、狭い一つのベッドに身体をくっつけて潜り込んだ。
あたたかい胸に顔を埋めて、肺いっぱいにアルの匂いを吸い込んで、ようやく眠気が訪れた。
翌朝、ルシオはみんなに告げた。
「僕が女性のふりをして殺人犯をおびき出す」
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