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第19話 極夜

 テーブルから崩れ落ちたルシオを、アークは自分のワイングラスを傾けながらしばらく見つめていた。 「キリル、ベッドに運んでくれる」 「はい」  アークにルシオを傷つける意図はない。グラスに仕込んだのは睡眠薬だった。ルシオもまた警戒はしていたものの、断ったり拒絶したりする選択肢はなく口にするしかなかった。  キリルはルシオを抱き上げると丁寧にベッドに寝かせた。その後を追ってアークもベッドに横たわるルシオの側に乗り上げてその服に手をかける。ルシオの着ていた舞の衣装は、透けるほどの薄い紗の布が腕や足を艶めかしく晒しているけれど、胸元や腰回りは柔らかな布で頼りなげにでも隠されている。元々がそういう造りなので、脱がすのは簡単だった。  布地を引き剥がしてしまうと、ルシオが身に着けているのはその真珠の肌を引き立てる金の腕輪とネックレス、そして薄汚い紐でぐるぐるに巻かれたなにかだけだった。アークは冷たくそれを睥睨し、手を伸ばす。 「痛っ!」  瞬間、指先に痛みを感じ素早く手を引っ込めた。 「アーク様!」  キリルも慌ててアークに駆け寄り指先を確認すると、水仕事などしたこともないような白くきめ細やかな肌の繊細な人差し指と中指の先が赤くなっていた。火傷に見える。 「アーク様! 早く手当を」 「いい」  ルシオの胸元に視線を落としたまま、アークはキリルから自分の手を奪い返す。 「キリル、暖炉から火かき棒を」  キリルは黙って頷き、暖炉から鉄の火かき棒を持って戻ってきた。  それを手に取りルシオの肌を傷つけないよう慎重に首の紐を引っ掛ける。そっと棒を持ち上げると、その先に紐がぶら下がり、ある程度の重みのある紐の先は徐々にルシオの胸から浮いていく。糸でぐるぐると巻かれた部分は糸の隙間からさらに赤く発光し、じりじりと音がするほど熱し始めているようで素手で触っていれば火傷は免れなかっただろう。  寝ているルシオの頭から紐を抜きとる頃には、ルシオを守るように激しく発光し、熱が火かき棒にも伝わって来ていた。鉄が熱され、アークの手を焼き始める。 「アーク様……!」 「くっ……」  手から炎に包まれる前に、アークは火かき棒を振り抜いた。  端が切れた糸に巻かれたものが床にころころと転がり、細く煙を吐きながら光と熱は徐々に収まっていった。それを目で追っていたキリルは、火かき棒が転がる音と後ろで呻くアークの声にはっと我に返る。 「アーク様、見せてください」  アークの手の平は棒の跡が赤く焼けただれていた。急いでバルコニーから雪を取って来てアークの手の平に押し付ける。 「いい……、それよりあれを」  アークの視線の先に転がる糸の中身へ、警戒しながら近付く。すでに発光もしていないし、先ほどの熱の状態からすればほとんどただの糸の塊に見える。  これ以上アークに危険な真似はさせられない。キリルは自ら近付いて指先で糸に触れてもなにも反応はなかった。切れた糸の端をつまんで持ち上げてみて、糸で巻かれた先に一瞬触れてみてもかつんと硬質な音が響くだけ。指先にはなにも影響がない。 「持ってこい」  ベッドの上からアークに呼ばれ、一瞬逡巡する。自分は触れても今のところ影響がなさそうだけれど、果たしてアークが触れても大丈夫なのか。そもそも、ベッドに寝ているルシオはこれを触れるどころか身に着けていたのだ。ルシオにも影響はなかったと見える。それならば、なぜアークが触れたときは火傷まで負ってしまったのか。 「早く持ってこい」  急かされて振り向いたはいいものの、これを持ったままベッドの側へ寄ることがためらわれる。 「アーク様、これには魔術がかけられている可能性があります」 「そんなことはどうでもいい。今お前が持てているのならそのまま来い」 「……」  キリルには逆らうという選択肢はない。糸に巻かれたものを手の平に乗せ、未だ手を布と雪で押さえているアークに近寄る。  キリルの手の平で転がるものは、ぼろぼろの糸で巻かれていてそこら辺に転がる石となんら変わりがない。キリルの手に乗っているというだけで警戒度は先ほどより随分下がる。  アークが爪でつついてみても、もう熱くもなければ、弾かれるような痛みもない。恐る恐る指先でつまんで取り上げ、自分の手の平で転がしてみる。それはもう、ただの石のように見えた。 「魔術……、ルシオから離そうとすると抵抗がある類のものか。だとすれば、かけたのは一緒に居た男だな」  ルシオをちらりと見下ろす。薬がよく効いたのだろうルシオは起きる気配がないけれど、眠っていても、離れていても守られているという状態に、また苛立ちが込み上げる。  糸で巻かれた石を握り、立ち上がった。  大きな部屋の中にある少ない家具の中で鍵のかかる小さなキャビネットの引き出しは、アークのほとんど唯一とも言えるプライベートだった。繊細な装飾が施されたオルゴールの中に石を入れ、引き出しの中に仕舞い込み、鍵をかけた。  鍵のついた金のチェーンを首からかけ、ようやく、ほうと溜飲が下がる。これでルシオを自分の好みに飾り付けられると遅れて気分が高揚してきたのを感じた。  舞の衣装と一緒に取り出していた革の首輪をサイズを合わせながらルシオに着ける。ルシオが暴れてもケガをしないように、苦しかったり痛かったりしないように。首のネックレスと擦れてルシオの綺麗な肌を傷つけないように。  ネックレスももっと違うものに変えても良いかもしれない。この首輪とルシオの肌に映えるものを。ああ、やっぱりあの汚い糸や石はルシオには似合わなかったから外して良かった。  その首輪から延びる鎖をベッドのヘッドボードの柱に通す頃には、ルシオが早く目を覚まさないかとわくわくし始めた。 「そういえばさ、その魔術を使うとかいう男はどうなったの? ルシオが起きたら教えてあげたいんだ」  まるでクリスマスの飾り付けを楽しむ子どものように無邪気な様子でルシオの足首に鎖を着けていくアークを眺めながら、キリルは報告のために口を開いた。 ***  アルは、厚く雪に閉ざされた岩々が連なる山の頂きに造られた洞窟に幽閉されていた。  身体は鎖で巻かれ、炎では焼き切れないようにしてある。すでに羽は消えてしまっていたけれど、銃で撃たれた怪我を手当もされず暗い洞窟に閉じ込めるといった念の要りようを見るに、人間だとは思われてはいないのだろう。その認識は正しい。  出入口まで大きな岩で塞ぎ、食事を入れた麻袋を放り込むためだけの小さな穴からかろうじて外界の空気や光が入るだけの洞窟は、残念ながらアルには大変馴染みのある場所だった。  この洞窟に幽閉されて三日目、ようやく自己治癒力が追い付いてきたアルは、意識を取り戻した。ようやくと言っても、それはやはり人間とは比べ物にならないほどの速さであり、正体がドラゴンであるアルだからこそだった。  また、ルシオが別れ際に渡してくれたレドコウトの上着がなければ、あのまま体温が低下して生きてはいなかっただろう。 「……ふう、っ痛、ああ、くそ、また背中が裂けた。……銃弾は上手く弾いたか……」  自身の体内の隅々まで神経をわたらせると、どの辺りでどれだけ出血しているか、異物が入り込んでいるか、ある程度わかる。一番酷い怪我は羽を出した背中で、裂けてはいるけれど出血は止まっている。銃弾は体内にはない。銃弾が掠めた頭や腕はすでに傷口は塞がりかけている。  あとは、魔力を解放して出した羽が穴だらけだったけれど、これも今のところ羽が消えてしまったのならそれは細胞レベルにまで戻ってしまったということだから、次に新たに出すときにはまた完璧な状態の羽が出てくるだろう。  それは、蝶が幼虫から成虫へと姿を変える際にサナギとして一度姿かたちを全て細胞レベルに分解することと同じだ。アルの身体はその細胞レベルでの分解や再形成をほかの生き物と比べると少し速いスピードで行える、というだけだ。  その神経、血脈や魔力と言ってもいいのかもしれないけれど、とにかく、アルにとっては自身の手の指先を操るのと同じ感覚で、今度はルシオに預けた石を感知するために意識を集中した。  近くには居ない。物理的に距離が離れれば離れるほど正確さは曖昧にはなっていくけれど、どうやら国外とまでは行っていないようだ。ここから、……走れば数時間といったところか。  ふう、ともう一度ため息をついて、身体を起こし、鎖に巻かれて不自由なまま岩肌に身を預ける。  石はルシオの側にないらしい。誰かに奪われたのか、それとも、ルシオ自身が外してしまったのか。  別れ際の様子を思い出すに、ルシオ自身が教団に帰りたくて帰ったわけではないだろう。口ではああ言っていても、ルシオの嘘くらい見抜けなくては恋人を名乗れない。だから、ルシオ自身が望んでアルの石を外したわけではないだろう。  それでも、銃弾は胸を撃ち抜いていたのではないかと疑いたくなるほど、ぽっかりと空洞が開いているような気がする。  繋がっていない。自分の腕の中にあったはずのぬくもりが居ない。ルシオが自分の一部を持って行ってしまった。  自分はこんなにも不完全で力のない生き物だっただろうか。人間に山を追われたときでさえ、自分が無力だと思ったことはない。  世界の状況がどうだろうと人間どもがなにをしようと自分には関係がなく、ドラゴンである自分は一匹で完全なる生き物であり、自分は自分のために生き、自分のための世界を構築し、自分独りで完成された生だったのだ。ルシオに出会うまでは。  幼く小さなか弱い生き物が、自分に食べられて血肉になりたいと言ってきたとき、自分の身体が自分だけのもので構成されているわけではないことを悟った。  そして、心もまた分け与えられるものであることを知った。初めて、自分以外のなにかに興味を持ち、執着し、欲しいと思った。自分が長い寿命と大きな羽で得た世界は唯一ではなく、ルシオが見聞きし心を動かしたものもまた一つの世界なのだということを識った。  石を通じて伝わるルシオの心はいつも怒りと痛みに叫んでいたけれど、彼はその心を歪ませ濁らせることはなかった。彼を通して識る世界は、痛ましかったけれど水晶のように澄んでいた。  人の身体を得るまでの間にルシオの側に置いた自身の分身に嫉妬すら覚えたことがあるなどと、ルシオは夢にも思わないだろう。  それが、今はルシオの側にもない。側に居なければ、ルシオを守ることもできない。泣いていても涙を拭ってやれないし、凍えていてもあたためてやることもできない。  ルシオが自分から望んで石をどうしたかなど、些末なことだ。アル自身はもうルシオを手放す気がないのだし、もうルシオを独りにはしないと約束した。  アルは、自分を縛り付ける鎖と、閉じ込めるための岩を一瞥する。 「認識は間違ってなかった。ただ、対策は甘かったな」  アルは人を喰ったような笑みを口の端に乗せると、腕に力を入れた。塞がり始めていたはずの背中から再び勢いよく出血し始める。  それにも構わず力を込めると、次の瞬間鎖が引き千切られた。拘束されていた間に固まってしまった身体をほぐしながら出入口を塞いでいた大岩に近寄ると、扉を開くようにそのまま押し動かした。腕に力を込める度、肩甲骨から血が吹き出す。ふらりと身体が傾いだ。  ドラゴンとしての身体の記憶のまま動き回ると、どうにも体内の失血量の計算を見誤る。岩に手をつき顔を上げると、背中には血濡れの蝙蝠に似た真っ赤な羽が現れていた。 「……ふぅ。さて、行くか」 ***  豪華なベッドの上で、ルシオは膝を抱えていた。首と右足首に鎖が繋がっていてベッドに拘束されているから、ほかにすることがないのだ。  ベッドは部屋の真ん中にあって、窓やバルコニーまでが少し遠い。どうせなら窓際に縛り付けてくれたら空が見られたのに。そんな風に思ったこともあるけれど、言葉にするほどの執着も拘りもない。  今はなにもかもがどうでもいい。ぼんやりと遠くの空に目をやると、低く垂れこめた曇り空が覆っていた。  胸元をぎゅっと握って、また愕然とする。もう癖になってしまっているから何度も同じことをしては、今はもうそこにないものを思い知る。奥歯を噛みしめて、掻きむしるように胸元から手を離す。  はあ、と詰めていた息を吐き出したとき、部屋の扉が開いた。 「ルシオ! 聞いて! 今度の祭事にルシオも出られることになったよ!」  勢いよく入ってきたアークがそのままベッドに飛び込んでルシオに抱きつく。 「……え、祭事、ってなに、なんのことだ」 「私が司教たちに進言したんだ。逃亡の罪を償う方法は神のために働くことだ、って。 極夜の祭事に私と共に舞を舞うことを神がご所望だと言った」  ああ、結局逃れられないのか。ルシオの手から、またも自由はすり抜けて行ったのだろう。  教団に帰ると言ったときに、そんなことはとうに覚悟をしていたはずだ。生まれたときから何度も何度も手を伸ばしてはすり抜け、積み上げては壊されてきた。もう慣れっこだ。けれど、どんなときも諦めずにいられたのは、側で寄り添ってくれたものがあったからだ。 「……そうか」  短く呟いて、また視線を窓の外に移す。ルシオの反応に不満を覚えたのか、アークがルシオの服の中に手を滑り込ませる。 「ねぇ、昔、いつか一緒に舞台に立って並んで舞いたいねって約束したよね……」  薄い簡素なワンピース一枚しか身に着けていなかったルシオは、あっという間に全裸にされる。ベッドに沈められ、首筋から鎖骨、胸へと唇が降りていく。 「……っ、ん」  アークの手がルシオの陰茎を握りこんで刺激する。アーク自身も一枚きりのワンピースを脱ぎ放り投げると、象牙の肌に薄桃色の乳首がふわりと色付いた胸をルシオの身体に合わせるように寄せてきた。  なすがままのルシオの唇に吸い付き、自身の陰茎をルシオの太腿で擦り上げる。ルシオは抵抗もせずアークの好きに触らせてはいるけれど、顔はなるべく無表情を貫き窓の外を眺めて意識を飛ばす。  そのうちに、ルシオの陰茎にアークのそれが合わさる。 「んっ、ん、……は、ぁ、ルシオ、好きだよ」  アークはルシオの足を押し開き、自身を擦りつけたり、ルシオの足を閉じさせて自身を挟み込ませたりしている。夢中になって腰を押し付け、ルシオの身体を使う。  ルシオは身体を熱くさせながらもちらりとアークの身体を盗み見た。  アークの陰茎は硬度を持たない。わずかに芯を持つこともあるけれど、挿入することができない。  ここに来て、睡眠薬の効果から目覚めたとき、全裸のルシオにアークは覆いかぶさった。胸元に石を見つけられなかったルシオは、発狂するほどの勢いでアークに詰め寄り、怒り、泣いて懇願したけれど、そんなことを全く意に介さないアークに身体を好きにされた。  けれど、アークの陰茎は勃起しなかった。一晩中、抵抗する気力もないルシオの身体を使って擦り上げていたけれど、とうとう挿入はできなかった。精神的なものからだろう、とアークは自嘲気味に言っていた。 「っ、ふ、ぁ、……や、いや、だ、あっ、ん、んんっ」  足を開かされて、アークの腰が打ち付けられて揺さぶられると、どうしても下腹部はうねり快感を拾ってしまう。耐えようとしても声が上がる。  無理やり挿入されるよりも痛みのない淡い快感に心は折れる。たとえ挿入はしていなくても、ルシオにとっては、アル以外の人間に犯されていることに変わりはなかった。  それからは、こうして昼とも夜ともなくアークの好きにされる日々が続いていた。  一通り気が済むと、アークはいつもルシオを一緒に風呂に入れ、またベッドに鎖で繋いだ。一緒に眠る日もあれば、司祭や司教たちに呼ばれて出ていく日もあった。  オーロラに照らされるアークの寝顔を眺めて、ルシオはそっと目を伏せる。寝顔はあの頃の面影をまだ十二分に残している。  アークのことは、兄弟のように思っていた。少ないパンを分け合って食べたことも、一緒に舞を練習したことも、アークが司祭に呼ばれて部屋に行った夜も、そして、懲罰房から帰ってきたルシオが熱を出した朝も、全て覚えているし、なにもかもを分け合った仲間だった。  けれど、成長するにつれてルシオへの執着が激しくなり、それはアークの心が壊れていくのと比例していた。  少しでもルシオの姿が見えないと探し回るようになり、毎日のようにルシオのベッドに潜り込んではルシオの身体を触り、しばらくすると安心したように眠る。  いつだったか、もうすでに年齢はある程度大きくなっていたというのにアークがルシオのベッドでおねしょをしてしまって、それをルシオだと嘘をついたことがあった。  もちろんルシオは懲罰房へ連れて行かれたけれど、罰を極端に恐れるようになっていたアークが自分だと言い出せないのは仕方がないと許した。  そうした出来事からさらにアークの束縛や支配的な執着が増したように思う。ルシオと同じものを欲しがり、ルシオが気に入ったものを欲しがった。ルシオが怒ればパニックを起こし、発作的に自分を傷つける。  外見はどんどん美しく成長するのに、それに反発するように心は成長を拒んでいた。心の一部を幼く美しい場所に閉じ込めて、汚く歪んだ外の世界を拒んで自分を守っていた。  心を閉じ込めた箱庭のような場所で、アークは神の言葉を聞く。それがアークにできる唯一の生きる術だった。一番近くで見ていたルシオにはそれがよくわかった。けれど、ずっとアークの側に居てやることはできない。  ベッドから遠く暗い空を見る。 「……極夜の祭事……」  もし、ルシオが逃げ出すチャンスがあるとすれば、そのときかもしれない。鎖を外されて、おそらくその夜もアークは王侯貴族たちの相手をさせられるはずだ。ルシオもそうだろうけれど、アークとは離れるし鎖も着いていない。  隙を見て石を探す。ルシオがアークの言うままにこの部屋に居るのは、アークが持っていると確信しているからだ。必ず見つける。そして、アルを助けに行く。  アルは雪山に幽閉されていると聞いた。アルを傷つけないと約束したのにと詰め寄っても、傷つけたり殺したわけではない、野放しにはできないから閉じ込めているだけだと教えられた。  あんなに酷い怪我をしていたのに、手当もされていない。そんな状態で雪山だなんて、普通の人間ならとっくに死んでいる。  けれど、ルシオには「アルは生きている」という確信に近い気持ちがあった。石は側になくても、アルのことはわかる。アルのことは信じられる。あの石がきっと居場所を教えてくれる。なにもない胸元をぎゅっと握った。  極夜の祭事はこの国で一番長い祭日の間に行われる、一番大きな式典だ。この国の人々にとって、長い冬の間でも太陽の出ないこの極夜の数日は、一年の内で一番暗く厳しい時期だ。同時に、その日を境に昼の時間が徐々に増えてくるという、つまり太陽が復活するという重要な意味を持つ祭事だった。  自然と規模も大きくなってくる。王都の中心の大聖堂がたくさんの灯りで彩られ、聖地への巡礼として国中の人々が王都を訪れる。  王都は人で溢れ、その人々の見守る中で舞を舞う役割を担うのが神子のアークだった。その美しさもさることながら、アークはその最中に神の言葉を聞く。ここから一年の国の執政の方向性や国民への祝福を、神の代弁者として皆に告げるのだ。  祭事の舞を終えた後、アークが神のお言葉を告げる時間がある。国中のほとんどの人間がアークに注目するだろう。そこから儀式が終わるまでの間、時間にして一時間ばかりがルシオのチャンスだ。  手当たり次第に探し回る時間はない。祭事までにアークが石を隠している場所を絞り込んでおく必要がある。  ふと、視線を感じてアークを見下ろすと、夏の湖のような澄んだエメラルドグリーンと目が合った。ベッドの中から黙ってルシオを見上げている。 「起こしたか」 「ルシオ、なに考えてるの?」 「……昔のことを思い出していた」 「私は思い出したくもないよ」 「でも、アークと会ったのはあの場所だから」 「……もし、」 「?」 「もし、私が普通の家庭で産まれて普通に育ってきていたら、ルシオは私のそばには居てくれなかった?」 「……そんなことはないよ。出会えていたら、きっとまた友達になる」 「……本当に?」  頷いて、微かに笑ってみせる。 「私はルシオの大切なものをとったり壊したりしているのに、こんな私をまだ友達だって言うの」  全く表情を変えず、悪びれもせず淡々とアークは言う。自分のしていることも、それがルシオにとってどれだけの痛みを与えることかも、全て正確に理解しているのだ。 「私ね、司祭を殺したよ」  罪を罪として理解し、言い訳も快楽だと言う気もない。アークにはアークの憎しみも積もった時間もあり、その結果が今なのだ。それらを正確に理解し、あまつさえ断罪することなんてルシオにはできなかった。 「……それでも、僕とアークが友達でいたことが消えてなくなるわけじゃないだろう」  アルに出会っていなければ、ルシオもきっと同じだった。同じ場所に居て、同じものになっていただろう。  アークはルシオに執着するけれど、ルシオはアークと一緒に居ても二人で暗闇に沈むだけだとわかっていた。アークはそうして欲しかったのかもしれない。  けれど、ルシオはもうあたたかい場所を知ってしまった。どうしても、あそこに還りたいと願ってしまう。どれだけアークの気持ちへと寄り添おうとしても、心はずっと違う場所を求め、アルのそばに在る。  ルシオではアークをあたたかい場所へと連れて行ってやることはできない。  アークはなにも応えず、口元だけを無理やり笑みの形にすると背を向けて毛布を引き寄せて潜り込んだ。

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