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第20話 私の心はいつもあなたと共に

 太陽が昇らない。数日前から極夜を迎え、日中でも地平線がほの明るくなればまだ良い方で、曇り空や雪が降っているとほとんど真っ暗、文字通り一日中夜だ。  街には色とりどりのランタンやステンドグラスのランプに火が入れられ、軒先や窓際、街路樹、市場にたくさん並べて掲げられている。暗く雪で閉ざされた暗澹たるような日々でも、人々や街は意外と明るく、恋人や家族との絆を強めるあたたかい季節となる。  極夜の祭事も今夜が最後となり、夜の長さが最も長い一日だ。  王都にある塔は祭事のためにだけ解放され、極寒の塔のてっぺんで行われていた。ルシオの住んでいた塔の倍は広く、その中央に舞台がしつらえてある。その周囲を、天幕が張られた小さく区切られた布張りの個室がぐるりと円で囲む。  出入口にも薄布が張られているので、どこに誰が居るのか、天幕の中のお互いも、舞台の神子からもわからない。どこかにはこの国の国王が居るのだろう。この祭事の間だけは、地位も立場も明らかにされない。そうは言っても、一般国民がこの祭事を見ることは叶わないのだから、地位も財産もない者は参加すらしていないことになる。  その円の中央の舞台で、ルシオは舞を舞っている。舞の衣装はさすがに少しは布面積が増えてはいるけれど、ひらひらと身体の線を露わにするほどの柔らかさは健在だ。舞を舞っている間は厚着など無様な姿は許されないのだ。  しゃんしゃんと手首に付いた鈴と、首に繋がる鎖がぶつかって鳴る。煌びやかな衣装に不似合いな無骨な鎖は、当然、装飾品でも神具でもない。アークがルシオに付けたまま、舞台に上がるように言ったのだ。  理由は、罪人だから。逃亡という罪を犯し、許しを請う者だから。周囲の天幕の中にも、司教たちにも、そのように説明し承諾させていた。天幕の中では失笑を買ったことだろうけれど、ルシオはそんなことよりも逃亡するときの算段を頭の中で組み直さなければならなくなったことにうんざりしていた。  楽が進み舞が佳境を迎える頃には、誰もが息をすることも忘れて一人の神子の一挙手一投足に目を奪われていた。小柄なはずの少年は舞台の大きさからしても小さく見えるはずだけれど、その動きには目を惹きつけるものがあり、大輪の華を思わせ、まさに芸事を愛する女神に愛されたような舞だった。不愛想な鎖ですら流麗な舞の小道具だったのではと思わせる。  それを屋上の端で見ていたアークも、満足そうにため息をついた。  しゃん、と鈴の音を一つ鳴らして、舞が終わった。ルシオは静かに舞台を降りて、アークが控える場所へと帰る。次は交代してアークが舞台に上がる予定だ。 「素晴らしかったよ、ルシオ」 「ありがとう。アークもがんばって」  小さく短く言葉を交わすと、アークは真っすぐにルシオの目を見て微笑んだ。 「ルシオも見ていてね」  その瞳はどこか今までよりも澄んでいて、この舞台に上がることだけを今は考えているような、うんと小さい頃、ルシオもアークも同じように絶対に抜け出してみせると夢見ていた頃の、そういった清々しさを映しているように思えた。  ルシオはここで見ていると約束はできない。もしかすると、今、この場での邂逅がアークとの最後になるかもしれないと胸は小さく疼いていた。 「ああ。……見てる」  アークは少し困ったように眉を下げて、くるりと金糸の髪と衣装を翻して舞台へ向かって行った。 「……ルシオはいつも私のために嘘をつくね」  呟いた言葉は吹き抜ける風の音で誰の耳にも届かない。  アークの背を見送ると、ルシオはきびすを返した。塔の階段を駈け下りる。司祭や司教たち、護衛のための僧兵たちとすれ違うけれど、首と両手首に鎖が着けられているお陰でアークの飼っている神子だという認識を持たれているのか、特に見咎められたりはしなかった。  罪人のような鎖が着いている限り、どうせ逃亡しても街でも注目の的だ。当然、ルシオも街中を堂々と行き来できるとは思っていない。  それに、街中は祭事の最終夜を塔に向かって巡礼する人々、祭りのマーケットを楽しむ人々で、きっと数メートル進むまでに相当の時間を喰ってしまうだろう。  塔の中には一般の人々は入れないが、入口数メートル手前のところまで巡礼者がひしめき合って祈りを捧げている。その様子をちらりと扉の隙間から確認すると、僧兵たちが出入りする裏口へ回った。  屋上に集まった要人たちの警護と巡礼者たちへの対応で人手を割かれ、裏口には二人ばかりが見張りに立つ程度だった。出入口の僧兵たちに対して、あえて顔を見せ、両手の鎖を少し持ち上げてアピールする。 「アーク様の忘れ物をとりに屋敷へ戻る」  二人は顔を見合わせたけれど、罪人の神子などに特に興味がないらしく、目線だけでとっとと行け、と示された。  舞の衣装のままだから、極夜の日に外出するような恰好ではない。足元も舞を舞っていたままの素足で屋敷までの裏道を走った。  一度街から外れ、森の中を行く。じゃらじゃらと鎖が音を立て、冷たい風が肌を刺す。息も白いというのを通り越して、吐いた息が直後に凍りそれがまた自分の顔に張り付きちりちりとした痛みを与える。足元は凍って霜の着いた枯草や枝がナイフのように肌を切る。  はぁ、はぁ、と暗い森の中を走りながら、なんど塔から抜け出すんだろう。何度こうして暗い森を独りで走ったんだろう、と思う。  アルに会う前には、いつもこんな風に暗い中を賢明に進んだ。どこかで諦めていれば、きっと会えていなかった。ルシオはアルを求めて、アルもルシオを求めていてくれた。だったら、ルシオだけが諦めるわけにはいかないのだ。会いたい。早くアルに会いたい。あの太陽のようなあたたかい腕の中に還りたい。  アルの石は、おそらくアークの部屋にある。アークがいつも首からかけていた金の鍵。その鍵を使うところは見たことがなかった。そして、部屋にあるキャビネットを使う場面も見たことがなかった。  ベッドの下は探したし、クローゼットの中は、ルシオの前でもよく開け閉めをしていた。バスルームも、窓際の小さなテーブルも、アークが居ない間に探してみた。唯一開けられなかったのが、小さなキャビネットだった。  部屋以外に隠している可能性もあったけれど、権力を持ったとはいえ神子は神子だ。教団の中ではどうしたって、都合よく使われる人形のような立場だという認識は、教団の連中だけではなくアーク自身も持っているだろう。そんなアークが自分の部屋以外にテリトリーを持っているとは思えない。  屋敷の裏手に至る小高い丘に出たとき、ルシオは思わず足を止めた。  なんとなく違和感があった。なんだろう。息を整えながら少し遠目に屋敷を眺める。本来ならほとんど祭事に関わっていたり、出払っていてがらんとしているはずの屋敷が、にわかに人の気配がする。正確に言えば、屋敷の周囲、ルシオがいる木の陰から屋敷の塀を囲む樹々までの間に、大勢の人の気配がしている。  目をすがめて、気配を殺し、じっと森の中に目を凝らす。一般の人々ではない。向こうも息を殺して機をうかがっているような気配だ。ただ、ルシオには気付いていないのか、そもそも眼中にもないのか、彼らの目的は屋敷のようだった。  ちらちらと松明のような灯りも見える。そっとその場を離れて、もっとぐるりと回り込み、一番最初にこの屋敷に来たときに馬車が着いた裏口から屋敷の中へと入った。なにかを聞かれても「アーク様の忘れ物を取りに来た」と同じように言えばそれ以上なにも言われなかった。逃亡するつもりなら屋敷には戻ってこないだろうから特に疑いも持たれなかったのだろう。  そのままアークの部屋に行きそっと扉を閉めると、キャビネットに走り寄った。鍵のかかる引き出しはがたがたと鳴るばかりで一向に開かない。バルコニーの方を見る。そちらに走り寄って、カーテンを力一杯引き千切ると、カーテンレールから針金を外した。針金を伸ばして引き出しの鍵穴に突っ込む。  祭事はいったいどこまで進んだだろう。アークが舞った後はそのまま神の言葉を代弁する予言の時間があり、その後、国王の言葉があるはずだ。そうして祭事は終わり、一部の大司教やアークたちは慣例通りなら王宮に招かれる。下の位の司祭たちは、この屋敷に帰って来るはずだ。それまでにはこの屋敷を抜け出さないと……。  かちり。引き出しの奥から微かに音がした。急いで引き出しを開けると、中には、美しい羽ペンや、ガラス瓶、小さなロケットペンダントなど、幼い子どもが宝物にしているようなものがきちんと並べられてあった。その奥に、精緻な掘り飾りの小物入れ。開くと、小さな頃に二人で歌った覚えのある古い民謡の単調な調べがオルゴールの音色に乗って流れてきた。  その中に、ルシオの焦がれた太陽の石、赤い血をそのまま固めたようなアルの生命の石が入っていた。手の平に馴染む懐かしい感触を胸に抱きしめて、思わずずるずると座り込んでしまった。 「良かった……。アル、これでアルにまた会えるよな」  思わず滲んだ目をこすり、切れた紐を結び直して首にかけた。  そのとき、屋敷の一階から多くの怒号とともに窓ガラスの割れる音、扉を無理やり押し破る音が同時多発的に至るところから聞こえた。 「なんだ?」  急いで扉に近付くと耳を当てて外の様子を窺う。争うような怒鳴り声や叫び声ばかりで、なにを言っているのか要領を得ない。鍵は閉めたまま、バルコニーの方へと近付いた。そこから見えたのは、屋敷を囲むたくさんの松明と、兵士。そして、遠くには祭事を行っていたはずの闇に浮かぶ白い塔に、多くの松明の火が入り込んでいるのが塔の窓や屋上に揺れている。  いつの間にか雪が降り始め、王都も祭りのあたたかな火ではなく、戦火のように松明が不穏に雪を浮かび上がらせていた。  アークの部屋は灯りを着けていないので、外からは無人だと思われるだろうはずだけれど、バルコニーから階下の様子を見るに、ほとんど無人の屋敷の無数の部屋を一つ一つ検(あらた)められているようだ。  それを拒絶する修道士と、強引に押し開く兵士たちとの言い争いが、怒号となって聞こえてくる。そのうち、どこかで火の手が上がった。兵士の持つ松明のせいか、それとも屋敷を蹂躙されるのを嫌った修道士がその前に全てを灰にしてしまおうとしたのか、それを皮切りに次々とあちらこちらで火が上がり始める。  ルシオものんびりしてはいられないだろう。胸元の石をぎゅっと握り、扉に取り付きそっと開けてみた。アークの部屋は数階上の奥まった場所にあるので、屋敷から出るには廊下を数メートル走り抜け階段を降りる必要がある。  扉から顔だけを出し右を向くと、階段があるであろう場所からは、すでに煙が上がってきている。それより数秒遅く、大勢の足音が上がって来る。左は屋敷のさらに奥になるけれど、そちらの方がまだ煙は少ない。  ベッドの上から掛け布を剥ぎとり頭から被り、端で口と鼻を押さえ、廊下を左に向かって走った。階段を走り降り、すぐ下の階の手前で、下からも上がって来る足音が聞こえた。  思わず手近な部屋に飛び込み、廊下を走り抜ける修道士をやり過ごす。どうやら兵士たちと応戦しているようで、屋敷に隠し持っていた銃なども持ち出しているしい。そうなると兵士たちの方へも銃を抜く大義名分を与えるようで、銃撃戦の様相を呈してきた。  ルシオは部屋を見渡して椅子を見つけると、思い切り床に叩きつけて脚を外した。こんなもの、銃と正面から対峙してしまえばなんの役にも立たない。それでも丸腰よりはましだろう。脚をこん棒のように構えて、さらに喧騒の少なそうな方へ、煙の少なそうな方へと走り、階段を飛ぶように駈け下りる。  廊下の角を曲がろうと様子をうかがったとき、数人の修道士がこちらに背中を向けているのが見えた。数歩近付けば、一番後ろの修道士に手が届くだろう。修道士たちは向かいの階段から登って来る兵士たちの方に夢中で、こちらには気が付いていない。  いくぞっ、と修道士たちが前進した瞬間、ルシオも音もなく近付き、思い切り椅子の脚を首の後ろめがけて降り下ろした。うっと呻いただけで修道士は倒れ、前方の階段で兵士たちと交戦している修道士たちは誰一人気付かない。  気を失った修道士を引き摺って部屋の中に入り込み、修道士の手から銃を拝借した。弾の数も装填具合も手際よく確認する。これもアルのお陰だ。修道服を漁り、弾の予備の入った革袋も忘れずに自身の身体に身に着けて、邪魔になる椅子の脚は放って、再び廊下に出た。  けれど、すでに数階下って来ていたからどこかで兵士たちと鉢合わせするのは避けられなかっただろう。あと少しで階段を降り切るというところで、階下から上がってきた兵士の集団に見つかった。幼い少年のように見えるルシオだからいきなり撃ってくることなどはなかったけれど、教団の人間は全て投降させるらしく、銃を構えて手を上げるように言われた。大人しく従うふりをして後ろ向きに数歩後退し、次の瞬間、銃で相手の手元を撃ち抜いた。  まさか反撃してくるとは思っていなかった兵士が驚いている隙に階段を駈け上る。また戻ることになるけれど、上の階から違う階段を探す。そう思い廊下をひた走る。後ろからはすぐに兵士が撃ってきたので勢いよく角を曲がった。突如、腕を捕まれ部屋に引き摺り込まれた。兵士たちが扉の前を通り過ぎるのを息を殺してやり過ごしたところで、暗闇の中を隣の男を見上げた。 「キリル……」  灰色の瞳が、窓の外の燃える白い塔の炎を受けて鈍色に光る。 「国王が、宗教弾圧に舵を切った」 「な、なに……、弾圧?」 「教団が貯め込んでいた財産が多額であると誰かが進言したようだな」 「あ……」 「心当たりが?」 「いや、……あ、そんな、まさか弾圧だなんて……」  北の鉱山の町の領主。ほかにもところどころで話の通じそうな領主にちらっと言い含めた。それがこんなことにまで発展するだろうか。宗教弾圧までしろと言った覚えもない。 「もとより、小さな村で司教や貴族たちが起こした虐待や殺人が明るみに出たり、世論は不安定だった。 どれも、自業自得と言わざるを得ない」  キリルは手に持っていた大きな散弾銃を握り直した。冷たそうだと感じていた灰色の瞳の中に塔で燃え盛る炎を映す。  ルシオはこの無表情な男が怒りを露わにするのを初めて見た。 「それに準じて、国王は教団の財産を没収するつもりのようだな。 国民をペテンにかけて私腹を肥やしたとして幹部たちも拘束され、魔女裁判のように今度は彼らが罰せられるだろう。教団の施設や資産などを把握したあと、今までの教団の在り方は解体される。 国民の信心自体を征することはできないだろうが……」  どうやら、ルシオが塔を離れてアークが舞を舞った後、国王の言葉はその宣言だったらしい。教団も信者の人々も寝耳に水だったようで、水面下で事が動いていたようだ。祭事で屋敷がほとんど空になる日を狙っていたのだろう。 「アーク、アークは……」  キリルは初めてちらりとこちらを見下ろした。まるで、お前にその名前を口にする資格はないとでも言われたような気がした。 「現在は大司教たちと別の部屋で“保護”されている。私は、」  ふと、キリルの声音に寂しさのような、弱っているような人間味が滲んだ。 「教団がどうなろうとどうでも良いのだ。私がお仕えしているのはアーク様ただお一人。アーク様は私が助ける」  その灰色の瞳には再び炎が宿り、この静かな男はとっくに自分の命も捧げてしまっているのだろうと背筋を冷たいものが伝った。 「僕も屋敷を出たい。共同戦線を張るという認識で良いか」 「相変らず甘い……私が囮に使うつもりだったのならどうする気だったのだ」 「それならそれでもいい。僕が囮になったときはお前がここを出て目的を果たしに行け。 お前が捕まったときは、僕はここを出てアルを助けに行く。 アルと再会できれば、アークを助けに行けるかもしれない。すぐ殺されるわけじゃないだろう」 「……国民を惑わせたペテンの代表となれば、国民の前で斬首刑かもしれないが、すぐにではないと思いたい」  この極夜の日に、神子を裁判にもかけず国民の前に引きずり出し斬首刑にでもしようものなら、国民の反感を買うだろう。それは国王にとっても危険な行為だ。国民に人気のあるアークの扱いは慎重になるはずだ。  扉の隙間から煙が入ってきた。どちらにしても、ぐずぐずはしていられない。ルシオとキリルは顔を見合わせて扉に張り付く。  機会を見つけて二人で扉の隙間から身体を滑り込ませた。ルシオが先ほど降りようとしていた階段を素早く身体の小さなルシオが先に降りる。下から上がって来る王国軍の兵士を、螺旋のように曲がっている階段上からキリルが散弾銃で一掃する。  降りれば降りるほど煙が酷くなってきて視界を阻む。至近距離で人影を目視できるとルシオが撃つ。キリルは同じ修道士にも仲間意識はないのか、助けるつもりがないどころか、邪魔をされれば容赦なく撃っていた。 「銃の扱いに慣れているな」  壁に背中を貼り付けて、角から廊下をのぞく。 「アーク様に拾われるまで、私は隣国の帰還兵だった」  ちらりとキリルを振り向いた。前方を見据える隙の無さや、冷たさを感じるほどの感情表現の乏しさに、なるほど、と納得した。  そのとき、キリルの後ろ、煙の充満する向こうに一瞬、人影が動いたような気がした。 「キリルっ!」  叫ぶと同時にキリルに体当たりで伏せさせた。キリルも瞬時に後ろへ向けて銃を撃とうとしたけれど、一瞬ルシオに倒される方が早かった。  煙の向こうからは数十人という人数で息もつかせぬほどの勢いで撃ちこまれた。音と衝撃だけが自分の側に何十と飛来した。  とっさに動いたとはいえ、これでは自分を貫通してキリルまで到達してしまう。せめてキリルには生きてここを出て欲しかった。自分の願いが叶わない代わりに、キリルの願いは叶って欲しかった。  アル。ごめん、アル。アルを独りぼっちにしてしまう。アルに会いたい。  不思議なことに痛みも恐怖もなかった。うっすらとした煙幕の中にアルの後ろ姿を見た。あまりに会いたいと願っていたから、最後に幻でも見せてくれたのだろうか。  だったら笑った顔が見たかった。アル。アルバ。 「喚ぶのが遅い」  煙幕の中のアルが、ルシオの願い通り振り向いて屈みこみ、未だキリルに覆いかぶさっているルシオの鼻先に人差し指を突きつけた。 「……あ、る」  ようやく口をついて出た声は、煙を吸ってひどく掠れていた。 「ああ、そうだ」 「ぼくは、しんだのか」 「君を死なせると思うか」  そう言うと、大柄の男はそのままルシオを軽々と抱き上げた。 「アル……? 本当に、」  幼児のように片腕の上に抱き上げられても、顔が近くなることが嬉しいという以外の感情がわかない。着いたままの両手首の鎖をじゃらりと赤い髪の上から回して、その頭を抱きしめる。 「会いたかった」 「ああ、俺もだ」  ルシオの背中を抱きしめる腕が痛いくらいに強い。こんなにも煙幕と血の匂いが充満している中だというのに、ルシオの胸元に埋まる赤い髪に顔を寄せると、太陽の匂いがした。

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