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8-灰谷九次のよた話
えーと、あ、鰤売ってる。今日は煮物にしようか。
あ、どもども。灰谷久次です。
ちょっとね、今ね、家の近所のスーパーで買い物中だよ。会社から早く帰ってこれたから、なんか夕飯作ろうと思ってさ。食材を物色してんの。
うん、俺は週に何回かは料理するよ。土日の昼か夜と、早く帰ってこれた平日ね。
できるだけ作るようにしてるんだよぉ。ほら、食費って意外と馬鹿にならないから。頑張って自炊すれば、新しいBlu-ray買うお金できるでしょ。
「灰谷さん!」
なに。
「灰谷さん!!」
だからなに。
「灰谷さん!!!」
他のお客さんに迷惑でしょ。大きい声を出すのはやめなさい。
「はいたッ、もがっ」
「加藤くん。きみはもう大人なんだよ? 中身は知らないけど、立派に会社勤めをしている大人なんだよ? 分別を持とうね。そしてスーパーでは俺に声をかけないようにね」
まったくもー、いい年して!
「なんでですか? なんでスーパーで灰谷さんに声かけちゃいけないんですか?」
「恥ずかしいからだよ!! この鮮魚売り場で、俺が何分足を止めてると思ってんの⁉ 十五分だよッ! 今日は塩じゃけ買って焼いて食べるか、鰤買って帰って鰤大根作るか、真剣に悩んでんだよッ」
加藤くんはきょとんとしてる。
「別に塩じゃけでも鰤でも、好きな方買えばいいじゃないですか」
「あのねえ。値段見て。かつコスパを考えて。塩じゃけは今日食べておしまいだけど、安いの。鰤はちょっと高いけど数日持つから、コスパ良いの」
「……やっぱりどっちでもいいじゃないですか」
だめだ。この子解ってない。
あ、この加藤史彦 くんは、一緒に仕事してる後輩だよ。
前にしろやんが体調崩して、看病のためにきのぴーが住所教えろって焦って電話して来た事あったでしょ? その時に俺のにやにや顔がキモイってくさしてきた子。覚えてるかな?
「ええと、きみゲーム好きだっけ。きみに分かりやすく言うと、シナリオ、システム共に定評があって自分でも好きなフルプライスのナンバリング作か、トレーラーが妙に心にささる抑えめ価格の新規タイトル、どっちのゲーム買うかで悩んでるの」
「……両方買うべきだと思います」
このセレブはッ! 庶民の苦しみを解ってないよね。っていうかきみも庶民でしょ。
「実家暮らしなんで、お金には困ってません」
……もういいよ。セレブは早くおうちに帰りなさい。夕飯できてるんでしょ。
「帰りますけど。その前に相談にのってください」
「なに」
「恋愛相談です」
なにこの子! いい子じゃん! 可愛い後輩じゃん!
いいよいいよ! おいちゃん相談のるよ!
「灰谷さん、顔がキモイです。普通の顔してください」
「ごめん無理。我慢して。っていうか早く話を聞かせて」
加藤くんはちょっと目をそらして、軽く咳払いした。
「あのですね、実は俺、最近ちょっと気になる人がいるんです」
ほう。
「でも、その人どうも、他人の面倒見は良いのに、自分のことになるとまったくもって全然注意を払わないんです」
んー。まあいるよね、そういう人。
「で、今日、その人誕生日なんです。なんですけど、たぶんその人は自分の誕生日を忘れてるんです」
もったいない! せっかくの年に一度のイベントなのに!
「そうでしょう!? そう思うでしょう!? なのにその人無反応なんです。平和に一日を終えようとしてるボンクラなんです」
「ふーん。加藤くんはその人どれくらい好きなの? 視界に入るとつい追っちゃうとか、声が聞こえると自然に聞き耳立てちゃう! とかそんな感じ? それとも、もうガチで好きになっちゃったの? 自分の誕生日忘れてるボンクラっぷりさえも好きなの?」
さすがの加藤くんも少し頬を赤くした。
「その、後者です」
フーゥ! 若いっていいよね! あ、この加藤くん、二十二歳ね。新人のくせに先輩に塩対応なんだわ。どうなの?
「それで、誕生日を思い出してもらうために、ただ注意するだけじゃお節介で終わっちゃうんで、一緒に何か渡そうと思うんです。プレゼント」
ん、誕生日? …………あ! もうすぐしろやん誕生日じゃん! きのぴーにさりげなく教えとかないと。絶対きのぴー、誕生日のこと教えとかないと、終わってから誕生日に気づいてむちゃくちゃ後悔するタイプだからねえ、あの子。
「……灰谷さん、聞いてます?」
「ん! 聞いてる聞いてる。何渡すの? 悩み中?」
わ、赤い顔して俯いちゃった。可愛いじゃん。
「こ、黒糖とか、和菓子とか好きみたいなんです。で、時々わらび餅をお昼に買ってきて食べてるところ見るんで、わらび餅にしようかなって思ってて」
ちょっと、これがあの塩対応の加藤くん? 写真に撮っておきたいくらい可愛いんだけど。
うんうん。恋は人を変えるねぇ。初々しいわぁ。
「和菓子屋さんで買ってこようか、それとも自分で作ってみようか、悩んで、て。やっぱり手作りはちょっと、重すぎでしょうか……」
健気! 健気だわぁ……。この辺ね、しろやんに見習わせたいわぁ。しろやんだったら、買ってくるの一択か、最悪「灰谷作って!」って言いかねないもの。俺が作ってどうすんの。きのぴーもびっくりだよ。
あ、ああ、加藤くんの話してるんだった。
「その人、結構料理する人で、俺、たまにコツとか教えてもらってるんです。だから、手作りしてみたいな、ってちょっと思うんですけど、でも、いきなり男から手作りのわらび餅渡されて、お誕生日おめでとうございますって、引かないですか?」
「普段から料理の話してるんだったら、手作りいいんじゃない? 俺なら引かないけど」
「ほんとですか!」
お、おう、きみ、本気なんだね。勢いすごいよ。
「それじゃあついでに聞きますけど、きな粉多めと黒蜜多め、どっちがいいですか?」
「黒蜜でしょ」
「ありがとうございます! じゃあ俺、これから急いで作るんで!!」
「がんばれー。そのボンクラさんもきっと喜んでくれるよぉ」
「はい! ありがとうございます! 失礼します!」
勢い良く一礼して、加藤くんは製菓コーナーに消えてった。
加藤くんもうまくいったら、しろやんきのぴーと、恋話二本同時進行じゃん。やー、豊作だね。見守りがいがあるってもんだよ。
さて、俺も早く買い物済ませて帰らないと……。
は!? ちょっと!
塩じゃけも鰤も売り切れてるんだけど!
コーナーには、めざしが一パックしか残ってないよ!
どういうこと加藤くん!
俺めざし苦手なんだけど!
加藤くん俺にもわらび餅作って! 黒蜜なら俺家に常備してるから! ねえ!
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