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9-彼が望んだもの(5)

玄関のドアが、かちりと音を立てて閉まった途端、急に止まっていた時間が動き始めた。 遊馬さん。 そうだ、遊馬さんはどうしただろう。 水野が俺のところに来たってことは、遊馬さんは一人でいる。 遊馬さんに会わないと。 スマホを拾って遊馬さんに電話をかけた。呼び出し音が切れたと同時に喋った。 「遊馬さん!? 今、家ですよね? これからそっちに行きます」 「……しろた。別れよう」 「いやです。とにかく、話をしましょう。家にいてくださいね」 全速力で遊馬さんの家に向かった。マンションの見慣れたエントランスで涙が出た。 遊馬さんを呼びだすと、無言でドアが開錠された。 エレベーターの動きが鈍い。 ゆっくり開く扉の隙間から飛び出して、遊馬さんの部屋へ駆け込んだ。 「遊馬さん!」 部屋は暗かった。玄関だけ明かりがついていて、リビングは廊下越しのその微かな光に照らされていた。 いた。遊馬さんは黙って立っていた。 「全部聞きました。高校生の時の話から全部。水野から聞きました」 遊馬さんが口を開く。 「しろた。別れてくれ」 「嫌です」 遊馬さんはため息をついた。 「僕に関わってると、ろくでもないことになる。聞いたんだろ? なあ。さっさと僕と手を切っとかないと、面倒なことになるぞ。少なくとも、しろたに良いことは一つもない」 もう! 頑固なんだから! 「じゃあ、会社辞めましょう? 遠くに、なんなら海外にでも引っ越しましょう? あいつの手から逃れる方法はいくらだってあるでしょ?」 「逃げちゃ、だめなんだ」 「なんで!」 「聞いたんだろう? 僕の浅慮で、先輩の人生を狂わせてしまった。償わないといけないんだ」 理由はない。でも、その言葉は遊馬さんの本心から出た物じゃない。そう思った。いや、思いたかっただけかもしれない。でもとにかく、俺は遊馬さんが本気じゃないと感じて、遊馬さんの腕を掴んで強く揺すった。遊馬さんの手から何かがばさりと床に落ちたけど、構わず遊馬さんを抱きしめた。 「なんで? 遊馬さんのどこが悪いんですか?」 「何もしなかったから。先輩がゲイだと噂になった時、僕もそうだと言えば良かった。そうすれば多少なりとも先輩への攻撃は緩んだはずだ。今よりはマシな未来があったはずだ」 「遊馬さんに、そこまでする義理はないと思います。そもそも水野が同級生と仲が悪かったのがいけないんでしょう? ……水野の家での処遇は気の毒だと思います。理不尽だと思います。でも、それはもう、遊馬さんのせいじゃない」 ……遊馬さんは黙ってしまった。俺はただ遊馬さんの体を抱きしめる。 「あえて償いが必要だと言うならば、それは、水野の告白の場に、第三者を連れて来てしまったことだけだと思います。でも、強いて言うならば、ですからね。しかもそれは十二分に償ったでしょう? もう、解放されましょう?」 「それは僕に都合のよすぎる解釈だ」 まだ遊馬さんは自分を責める。 「じゃあ! 俺はなんで幸せになっちゃいけないんですか? 俺が何かしましたか? 俺は遊馬さんと平和に過ごしたい。それも許されないんですか?」 遊馬さんは深いため息をついて、ソファに座った。 俺は部屋の明かりをつけて遊馬さんに向き直った。

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