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第39話
照明の落とされた部屋は、テレビ画面を光源にあらゆる物が白々と光っていた。テレビ画面は鍵盤を弾くグールドの手が一時停止の状態で止まっていたが、演奏が始まってしまえばお互い、画面に釘付けになってしまうことが分かっていたため、再生ボタンを押せずにいた。
「前から聞いてみたかったんですけど、ワンちゃんの名前なんて言うんですか?」
「オトンヌ。季節の秋って意味」
「彰人さんのアキ?」
「そう。でも呼びにくくて、結局ずっとオトって呼んでた」
一瞬、ショウの返事が遅れた。ショウの本名は、橋口音矢という。勿論彰人にも誰にも明かしていないがこんな偶然があるんだな、と思った。
「俺のこと、オトって呼んでいいですよ?」
言葉が滑るように口から出てしまい、しまったと思ったが取り返しはつかない。本当の名前を呼んで欲しいという身勝手な望みを、恰も彰人の大事な思い出を守るかのような振りをして伝えてしまった。そんな内実を知らない彰人はショウの焦りや後悔に気付くはずもなく、「まさか、そんなわけにはいかないよ」と言って明るい笑顔を見せた。
彰人の笑った顔を見るとほっとする。言わなくてもいいことを口にしてしまった気まずさと、彰人の穏やかな笑顔を目の当たりにした安堵感とで気持ちは乱れ、ショウはごまかすようにマグカップに口をつけた。
ほかの客と一緒にいる時はもう少しうまく出来ていると思う。楽しい時、嬉しい時、いやな思いをする時もフラットに気持ちを保てているはずだ。だけど、どうしても彰人のことになると情緒がおかしくなってコントロールできなくなるのだった。
先週も泣いたことを思い出して恥ずかしくなった。
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