9 / 11
第9話
最後の撮影の前日、僕は、兄にそのことを伝えて、言った。
「よかったら、兄さんにも、来て欲しいんだ」
それは、ただの思い付きとか、そんなものではなかった。僕は、沢村からの連絡がきたときから、撮影の日には、兄を連れていこうと思っていた。
それは、僕が、何をしていたかを、そして、何をするのかを、兄にも知ってもらいたかったからだった。
もしかしたら、兄に軽蔑されるかもしれない。
でも、僕は、そうしないでは、いられなかった。
そうしないと、新しい一歩を踏み出すことができないと思ったのだ。
それに、沢村のこともあった。
兄に、沢村とのことを言葉で説明するのは、難しく思われた。
だって、ありえないことだって、僕自身が思っているのだから。
初めての男。
しかも、無理矢理された男のことを好きになるなんて、きっと、言葉で言われたら、兄には、理解できないと思った。
だから、兄に、現場に来て欲しかった。そして、僕たちのことを、見て欲しかった。実際に兄の目で見て、理解して欲しかったのだ。
兄は、僕に言われて、戸惑っている様だった。だが、兄は、僕の撮影に同行することを了承してくれた。
僕は、胸が高鳴っていた。
兄に、全てを、見せる。
僕のきれいなところも、醜いところも、全てを見せた上で、兄に、判断して欲しかった。
僕と沢村の関係を。
当日、僕と兄は、二人で、あの古いビルへと向かった。そこを目にしたとき、兄は、驚いた表情で言った。
「ここ、か?」
「そうだよ」
僕は、頷いて、奥へと入って行った。兄は、先を歩く僕の後ろをついてきた。だが、あの不穏な音を立てるエレベーターに乗り込んだ時、兄は、僕より青ざめていた。
がたんと音を立てて、エレベーターの扉が開くと、僕は、あのスタジオのある部屋へと歩き出した。兄は、僕に続きながらも、一言も口を開くことはなかった。
僕は、立ち止まると、呼び鈴を押した。
扉が開いて、沢村が、顔を出した。
「遅かったな、レイちゃん」
「ごめん」
僕は、言った。沢村は、僕を迎え入れようとして、一瞬、動きを止めた。
「レイちゃん?」
「何?」
「それ、誰、だ?」
「これは」
僕は、笑って言った。
「もう一人の、僕、だよ」
「なんとなぁ、人違いやったんか」
事務所で、社長が、僕と兄を見比べながら言った。
「やけど、契約は、契約や。なしには、できへんで、レイちゃ、じゃのうて、ハルちゃん、か?」
「わかってます」
僕は、頷いた。僕は、今日の撮影を兄に見学させてもいいかと、社長に確認した。社長は、呆れていたが、別にかまへん、あんたが、いいなら、と言ってくれた。
たまたま、居合わせた古矢に兄の案内を頼んで、僕は、社長たちとの打ち合わせに事務所に残った。
それまで、黙って聞いていた改発が、感心した様な声で言った。
「よう、兄さんに見せる気ぃになったな、レイちゃん、やなかった、ハルちゃん。あんた、すごいわ」
「言わないでください」
僕は、赤くなって、うつ向いた。
「僕も、自分が信じられないんです。でも、兄にこれを見せなきゃ、これから先に進めないような気がして」
「そうか、ハルちゃんは、真面目やもんな」
改発が言った。
「せやったら、沢村に任せんと、俺が、相手役したろか?」
「いえ、相手役は、沢村さんでお願いします」
僕は、慌てて言った。改発が、残念そうな顔をして、言った。
「なんでやのん、俺と、レイちゃん、相性抜群やのに。これからも、公私ともにお願いしたい思てるのに」
「えっ?」
「社長、レイちゃんに話するんやったら、今しかないで」
改発に促されて、社長が、椅子から身を乗り出した。
「実は、な、れ、いや、ハルちゃん」
「はい?」
「この会社は、今、倒産の危機にあるんや」
社長は、僕に、切々と話し始めた。
このプロダクション、『ホーリーナイト』は、業界では、中堅の会社だったが、ここ最近は、ヒット作もなく、経営は、行き詰まっていた。そのため、借金もあり、その関係で、山本に男優を紹介されていたらしい。
だが、そんな男優たちの中には、撮影当日に逃げ出す者もかなりいるらしい。実際、僕が初めて来たときも、男優に逃げられて困っていた。
「そこに現れたんが、レイちゃん、いや、ハルちゃんやったんや」
幸か不幸か、僕が、代役をしたものがヒットして、一縷の望みができたのだという。
それで、社長は、考えた。
これを、シリーズ化、つまり、僕を本格的に売り出したいと思ったらしい。
その際に、障害になるものが二つあった。
一つは、当然、僕自身の意思だった。
僕は、借金のかたに男優をしているだけで、契約が済んだら、当然、さっさと引退する気だったからだ。
だが、それは、なんとでもなると、社長は、考えていた。
僕は、気が弱く、流されやすい性格だったからだ。
問題は、もう一つの障害の方にあった。
それは、沢村、だった。
「沢村は、最初から、ハルちゃんに岡惚れしとった。あのアホは、一応、公私混同はせん奴やけど、ハルちゃんには、マジで惚れとったさかいに、このままやったら、ハルちゃんを独り占めしとうなって、ハルちゃんに男優を続けさせるんにええ顔せえへんやろ思たんや」
そこで、社長は、一計を案じた。
それが、沖縄ロケでの改発による責めだった。
「あれは、ハルちゃんには、悪い思うたけど、仕方なかったんや。ハルちゃんに男優を続けさせるんに、沢村を納得させんとあかんかった。あれで、わしらは、沢村に心を決めさせるつもりやったんや」
「社長の思惑通り、沢村は、ハルちゃんを一人の男優として、認識するようになったはずや。もちろん、自分の恋人でもある男優やけどな」
改発は、言った。
「たぶん、今の沢村やったら、ハルちゃんが男優続ける言うたら、受け入れるはずやで。もちろん、相手役は、自分以外認めへんかもしれんけどな」
「そこで、や、ハルちゃん。今日の撮影が済んだ後も、もう、しばらくだけでええから、仕事、続けてくれへんやろか。頼むわ、ホンマに」
社長に頭を下げられて、僕は、困ってしまった。
だって、そうだろう?
僕は、これが最後のつもりでいたんだから。
この後も、しばらく、男優を続けるなんて、考えてもいなかった。
「頼むわ、ごしょうやから、わしらを助けたって。このままやったら、うちの会社は、潰れてまう」
「会社潰れたら、沢村も、路頭に迷うんやで」
改発が言った。
「あんな、気難しい奴、扱えるんは、この社長ぐらいしかおらへんのや」
「気難しくて、悪かったな」
沢村が、突然、現れたので、僕らは、皆、慌てた。彼は、いつにもまして、不機嫌そうな顔をして、言った。
「何を、こそこそしてるのかと思ったら、そういうことか」
「いや、これは、その、なんや」
社長が、焦って取り繕おうとしたが、沢村は、冷たく言い放った。
「別に、心配してもらわなくても、ここが潰れても、仕事ぐらい、見つけられますから」
「沢村・・」
「だから」
沢村は、僕に言った。
「俺のためとか思わずに、自分の考えで決めろよ、晴」
名前を呼ばれて、僕は、胸が早鐘を打った。
「なんで、僕の、名前」
「ああ、お前の兄貴にきいた」
沢村は、ふっと笑った。
「兄貴に俺とやるところを見せつけてやるとか、お前、本当に、すげぇ奴だな」
「僕は」
僕は、沢村に、言った。
「期間限定でなら、男優を続けてもいいです」
「ホンマか?ハルちゃん」
「ただし」
僕は、言った。
「相手役は、沢村さんに限ります」
「マジで?俺は、あかんのんか?」
改発が言うのを、沢村が無視して、僕を抱き上げた。僕は、沢村の首に腕を回して、抱きついた。沢村が、社長と改発に言った。
「そういうわけで、こいつは、俺専用の男優ですから、今後は、そのつもりでお願いします」
ともだちにシェアしよう!