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第9話

最後の撮影の前日、僕は、兄にそのことを伝えて、言った。 「よかったら、兄さんにも、来て欲しいんだ」 それは、ただの思い付きとか、そんなものではなかった。僕は、沢村からの連絡がきたときから、撮影の日には、兄を連れていこうと思っていた。 それは、僕が、何をしていたかを、そして、何をするのかを、兄にも知ってもらいたかったからだった。 もしかしたら、兄に軽蔑されるかもしれない。 でも、僕は、そうしないでは、いられなかった。 そうしないと、新しい一歩を踏み出すことができないと思ったのだ。 それに、沢村のこともあった。 兄に、沢村とのことを言葉で説明するのは、難しく思われた。 だって、ありえないことだって、僕自身が思っているのだから。 初めての男。 しかも、無理矢理された男のことを好きになるなんて、きっと、言葉で言われたら、兄には、理解できないと思った。 だから、兄に、現場に来て欲しかった。そして、僕たちのことを、見て欲しかった。実際に兄の目で見て、理解して欲しかったのだ。 兄は、僕に言われて、戸惑っている様だった。だが、兄は、僕の撮影に同行することを了承してくれた。 僕は、胸が高鳴っていた。 兄に、全てを、見せる。 僕のきれいなところも、醜いところも、全てを見せた上で、兄に、判断して欲しかった。 僕と沢村の関係を。 当日、僕と兄は、二人で、あの古いビルへと向かった。そこを目にしたとき、兄は、驚いた表情で言った。 「ここ、か?」 「そうだよ」 僕は、頷いて、奥へと入って行った。兄は、先を歩く僕の後ろをついてきた。だが、あの不穏な音を立てるエレベーターに乗り込んだ時、兄は、僕より青ざめていた。 がたんと音を立てて、エレベーターの扉が開くと、僕は、あのスタジオのある部屋へと歩き出した。兄は、僕に続きながらも、一言も口を開くことはなかった。 僕は、立ち止まると、呼び鈴を押した。 扉が開いて、沢村が、顔を出した。 「遅かったな、レイちゃん」 「ごめん」 僕は、言った。沢村は、僕を迎え入れようとして、一瞬、動きを止めた。 「レイちゃん?」 「何?」 「それ、誰、だ?」 「これは」 僕は、笑って言った。 「もう一人の、僕、だよ」 「なんとなぁ、人違いやったんか」 事務所で、社長が、僕と兄を見比べながら言った。 「やけど、契約は、契約や。なしには、できへんで、レイちゃ、じゃのうて、ハルちゃん、か?」 「わかってます」 僕は、頷いた。僕は、今日の撮影を兄に見学させてもいいかと、社長に確認した。社長は、呆れていたが、別にかまへん、あんたが、いいなら、と言ってくれた。 たまたま、居合わせた古矢に兄の案内を頼んで、僕は、社長たちとの打ち合わせに事務所に残った。 それまで、黙って聞いていた改発が、感心した様な声で言った。 「よう、兄さんに見せる気ぃになったな、レイちゃん、やなかった、ハルちゃん。あんた、すごいわ」 「言わないでください」 僕は、赤くなって、うつ向いた。 「僕も、自分が信じられないんです。でも、兄にこれを見せなきゃ、これから先に進めないような気がして」 「そうか、ハルちゃんは、真面目やもんな」 改発が言った。 「せやったら、沢村に任せんと、俺が、相手役したろか?」 「いえ、相手役は、沢村さんでお願いします」 僕は、慌てて言った。改発が、残念そうな顔をして、言った。 「なんでやのん、俺と、レイちゃん、相性抜群やのに。これからも、公私ともにお願いしたい思てるのに」 「えっ?」 「社長、レイちゃんに話するんやったら、今しかないで」 改発に促されて、社長が、椅子から身を乗り出した。 「実は、な、れ、いや、ハルちゃん」 「はい?」 「この会社は、今、倒産の危機にあるんや」 社長は、僕に、切々と話し始めた。 このプロダクション、『ホーリーナイト』は、業界では、中堅の会社だったが、ここ最近は、ヒット作もなく、経営は、行き詰まっていた。そのため、借金もあり、その関係で、山本に男優を紹介されていたらしい。 だが、そんな男優たちの中には、撮影当日に逃げ出す者もかなりいるらしい。実際、僕が初めて来たときも、男優に逃げられて困っていた。 「そこに現れたんが、レイちゃん、いや、ハルちゃんやったんや」 幸か不幸か、僕が、代役をしたものがヒットして、一縷の望みができたのだという。 それで、社長は、考えた。 これを、シリーズ化、つまり、僕を本格的に売り出したいと思ったらしい。 その際に、障害になるものが二つあった。 一つは、当然、僕自身の意思だった。 僕は、借金のかたに男優をしているだけで、契約が済んだら、当然、さっさと引退する気だったからだ。 だが、それは、なんとでもなると、社長は、考えていた。 僕は、気が弱く、流されやすい性格だったからだ。 問題は、もう一つの障害の方にあった。 それは、沢村、だった。 「沢村は、最初から、ハルちゃんに岡惚れしとった。あのアホは、一応、公私混同はせん奴やけど、ハルちゃんには、マジで惚れとったさかいに、このままやったら、ハルちゃんを独り占めしとうなって、ハルちゃんに男優を続けさせるんにええ顔せえへんやろ思たんや」 そこで、社長は、一計を案じた。 それが、沖縄ロケでの改発による責めだった。 「あれは、ハルちゃんには、悪い思うたけど、仕方なかったんや。ハルちゃんに男優を続けさせるんに、沢村を納得させんとあかんかった。あれで、わしらは、沢村に心を決めさせるつもりやったんや」 「社長の思惑通り、沢村は、ハルちゃんを一人の男優として、認識するようになったはずや。もちろん、自分の恋人でもある男優やけどな」 改発は、言った。 「たぶん、今の沢村やったら、ハルちゃんが男優続ける言うたら、受け入れるはずやで。もちろん、相手役は、自分以外認めへんかもしれんけどな」 「そこで、や、ハルちゃん。今日の撮影が済んだ後も、もう、しばらくだけでええから、仕事、続けてくれへんやろか。頼むわ、ホンマに」 社長に頭を下げられて、僕は、困ってしまった。 だって、そうだろう? 僕は、これが最後のつもりでいたんだから。 この後も、しばらく、男優を続けるなんて、考えてもいなかった。 「頼むわ、ごしょうやから、わしらを助けたって。このままやったら、うちの会社は、潰れてまう」 「会社潰れたら、沢村も、路頭に迷うんやで」 改発が言った。 「あんな、気難しい奴、扱えるんは、この社長ぐらいしかおらへんのや」 「気難しくて、悪かったな」 沢村が、突然、現れたので、僕らは、皆、慌てた。彼は、いつにもまして、不機嫌そうな顔をして、言った。 「何を、こそこそしてるのかと思ったら、そういうことか」 「いや、これは、その、なんや」 社長が、焦って取り繕おうとしたが、沢村は、冷たく言い放った。 「別に、心配してもらわなくても、ここが潰れても、仕事ぐらい、見つけられますから」 「沢村・・」 「だから」 沢村は、僕に言った。 「俺のためとか思わずに、自分の考えで決めろよ、晴」 名前を呼ばれて、僕は、胸が早鐘を打った。 「なんで、僕の、名前」 「ああ、お前の兄貴にきいた」 沢村は、ふっと笑った。 「兄貴に俺とやるところを見せつけてやるとか、お前、本当に、すげぇ奴だな」 「僕は」 僕は、沢村に、言った。 「期間限定でなら、男優を続けてもいいです」 「ホンマか?ハルちゃん」 「ただし」 僕は、言った。 「相手役は、沢村さんに限ります」 「マジで?俺は、あかんのんか?」 改発が言うのを、沢村が無視して、僕を抱き上げた。僕は、沢村の首に腕を回して、抱きついた。沢村が、社長と改発に言った。 「そういうわけで、こいつは、俺専用の男優ですから、今後は、そのつもりでお願いします」

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