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#3~#4

#3 「はぁ…変態の理久は、とうとう天使と性行為を始めた…マジで、イカれてる!聴き手…?あり得ない!あんな馬鹿でも務まる様な仕事なら、誰だって出来るさ!はんっ!」 悪態とため息を吐いた俺は、コートを脱いで乱暴にベッドに放り投げた。 部屋の中には、少しの手荷物と…バイオリンのケースがふたつ…ポツンと置かれている。 俺は、ここ、何年も、ずっとホテル暮らしを続けている。 定住する住処を持たない事は、身軽になるという事… 直生と伊織が言っていたそんな言葉を見習って、俺もそれを実践しているんだ。 呼ばれれば…紛争地帯にだって行って、優雅にバイオリンを弾いてやる。そのくらいの気概で、あちこちを飛び回った結果…俺は、今の地位を確立出来たと言っても過言では無い。 “孤高のバイオリニスト 藤森北斗”は、いつも…身軽な、ひとりなんだ。 時刻は…夜の8:00… いつの間にか外では雨が降りしきって、黒い格子のかかった窓ガラスには、雨粒がダラダラと流れて落ちている… そんな雨の軌道をそっと指先で撫でながら…俺は、傍らに佇む…彼のバイオリンケースを横目に眺めた。 もう…4年も、軽井沢へ行っていない。 理由は…簡単だ。 まもちゃんと、別れたからだ。 17歳。高校2年生の時…俺はイギリスの音楽院に1年留学をして、そのまま向こうで勉強する事を選んだ。 そして、高校卒業後イギリスの音楽院に入ったんだ。 音楽院を卒業後は、就労ビザを得る為に、向こうの楽団にバイオリニストとして所属した。 それは…そんな、音楽院生だった時に…起きた。 嫌な思い出に…俺は苦い顔をしながら窓の外を眺めた。 そして、激しく打ちつけて来る雨越しに…窓に映る自分の疲れ切った顔を見つめて、ため息を吐いた。 「イギリスに…このまま、就職するの?」 「そうだよ?まもちゃん。俺はね、イギリスに行く。だって…日本じゃ、もう、バイオリニストは出揃ってる。ぶっちゃけ…ここでは活躍出来ない。正直、頭打ちなんだ!」 驚いて目を丸くするまもちゃんに、俺はケラケラ笑いながらそう言った。そして、首を傾げて…続けて言ったんだ。 「それに…ずっと、このまま…一生、変わらない物なんて、何もないだろ…?」 俺は、イギリスの音楽院で、所謂…浮気上等な生活を送っていた。 素敵なチェリストがいればエッチして、素敵なバイオリニストがいれば、エッチして… あんなに大切だった…まもちゃんの事を、煩わしく感じていた。 軽井沢に戻る事も…東京に戻る事も、日本に帰って来る事さえ…面倒で、億劫になっていたんだ。 そんな俺の言葉に、押し黙ったまもちゃんは、グッと口元を上げてこう言った… 「…北斗が、決めたなら…そうすれば良いよ…」 いつもそうだ… まもちゃんは、いつも…俺の判断に異議を唱えたり、否定したりしない。 俺が浮気していると分かっていても、責めたり、詰ったり、しない… 散々好きな事をして…何食わぬ顔をして帰って来る俺を、いつも…いつも…変わらない笑顔で受け止めて… 分かってたんだろ…?俺が浮気してるって… 分かってたんだろ…?俺の気持ちが離れて行っているって… …なのに、何も言わなかった。 あなたが、大好きだったのに。 安心出来る、唯一の場所だったのに。 俺は、変わってしまったみたいだ… あなたの何もかもが…煩わしくて、鬱陶しくて、面倒になった。 悲しそうに瞳を細めて、にっこりと微笑むまもちゃんを見つめた俺は、首を傾げながら視線を逸らして言った。 「じゃあ…そうする。しばらくここにも来れない…だから、俺の事、忘れても良いよ?」 「どうして、そんな風に言うんだよ…!」 少しだけ怒った様な声を出したまもちゃんは、俺を抱きしめてこう言った。 「忘れる訳、ないだろ…?」 その時の俺は、どうかしていたんだ… 今でも、それは変わらないのかもしれない… 真剣にそう言ってくれたまもちゃんを…俺は、鼻で笑ったんだ。 「ははっ!そうなの…?おめでたいね…?」 にやけた俺の顔を見下ろした彼は、悲しそうに眉を顰めて…こう言った。 「…別れたいの…?」 そんな彼の言葉に、俺は、頷いてこう言った。 「引く手あまたなんだよ。正直、鬱陶しい…」 俺は…悲しそうに瞳を歪めた彼の顔を見つめても…何も、感じなくなってしまった。 あんなに、あんなに、大好きだったのに… 俺は、酷い言葉をわざと選んで…彼を傷つけて、嘲笑ったんだ… まもちゃんは、そんな俺を、大事そうに抱きしめて…髪を撫でてくれた。 そして、低くて、素敵な声でこう言ったんだ。 「そうか…北斗が決めたなら、そう…すれば良い。でも…いつでも…いつでも、帰って来て良いから…」 「そういうのが嫌なんだ!まもちゃんは、俺が浮気していても何も言わない!他の誰かと何かをしていても、まるで気にならないみたいだ!それって…愛してるの?俺には良く分からないよ。いつもいつも…。なんか、馬鹿みたいだ!」 彼の腕の中でそう叫んだ俺は…体を捩って、まもちゃんを拒絶した… そして…そのまま、彼の部屋を飛び出したっきり…会っていない。 知らずのうちに下唇を噛み締めた俺は…手に握ったまもちゃんの部屋の鍵を何度も指で撫でながら、流れて来る涙を拭う事も出来ないで…ただ、目の前の窓に付いた雨粒を凝視した。 まもちゃん、俺は…後悔しているのかな…? あなたに酷い事を言って、あなたを傷つけた事を…後悔しているのかな? それとも…都合よく、あなたに優しく慰めて貰いたいだけなのかな…? 俺のバイオリンの音色は…腐って、聴くに堪えない音しか紡げなくなってしまった… あの天使が言った通り… 俺は…終わった… まもちゃん…今更、あなたの低くてよく通る声が…聴きたくて堪らない… -- 「先生…?ご飯出来たよ…?」 あれからずっと、先生は部屋の中に籠りっきりになってしまった。 部屋の中で僕とすれ違っても…知らん顔をするし、いつの間にか外出をしている。だから、僕は…1人で、運指の練習を続けて、惺山に手紙を書いた。 “キラキラのきらきら星へ 先生が、へそを曲げてしまいました。 理由は…僕が、彼の聞きたくない事を言ってしまったからです。 自分の欲しい言葉しか言わない人間なんていないのに、先生は、そんな事も分からないどアホだったみたい… だから、僕は…いつも、ひとりで…運指の練習をしています。 ねえ?もしも、僕が、彼の家から追い出されてしまっても…バイオリンはあなたの為に、弾き続けるからね。 ひとりぼっちの…鶏より“ そして、今日も、また…僕は、用意した夕飯をサランラップに包んで、冷蔵庫にしまった。 今日で…3日目… 硬く閉ざされた先生の書斎のドアを見つめたまま…僕は眉を下げて、肩を落とした。 「…先生?ご飯は冷蔵庫に入れておくね…おやすみなさい…」 書斎のドアに向かって話しかけるのは、何度目だろう。 背中を丸めたまま…僕は自分の部屋へと戻った… 「先生…?も、もう…!いい加減出て来てよっ!ばっかぁん!」 今日で、丁度、一週間… 先生は、いつまで経っても…不機嫌なままだった。 そんなに、言われたくなかったの…? そんなに、認めたくなかったの…? それとも…僕の様な者が口出しをした事に、腹を立てているの…? 眉を下げた僕は、先生の書斎のドアに手を置いて…ため息を吐きながらこう言った。 「先生…?怒ってるの…?ごめんなさい…」 すると、部屋の中から、こちらに向かってくる足音が聞こえた… ガチャリ… 目の前に現れた先生は、疲れ切った顔をして…髪はグチャグチャに乱れていた。 僕は、そんな彼の髪を直しながら、久しぶりに見た彼の正面からの顔を見つめて、半泣きで言った。 「…ごめんなさい。もう…もう、言わないぃ…」 「豪…どうしたら良いの…?」 そう言って僕を抱きしめて来た先生は、ボロボロのボロ雑巾の様に…くたびれていた。 だから、僕は、彼の背中を抱きしめながら…頬を突いて来る髪に頬ずりして言ったんだ。 「分からない…」 青い蝶が…もがき苦しんでいるみたいに、悲鳴の様な痛い音色をあげていた。 それは、僕だけ気が付いた物じゃなかった。 先生も、しっかりと…気が付いていたんだ。 でも、認めたくなかったのかな…認める事が怖かったのかな… 先生は、この一週間。こんなに、ボロボロになってしまう程に…青い蝶に思いを巡らせては、傷付いていたみたいだ… 「先生…ほっくんに、もう一回、会いたいな…」 ぐったりと項垂れた先生の頬を両手でつかんだ僕は、彼の顔を覗き込んでそう言った。すると、先生は…そのまま、僕にキスをした。 それは舌が入ってくる様な…そんな物だったけど、僕は、感情が高ぶる事も、動揺する事もなく…ただ、先生を哀れに思ったんだ。 辛いと、こうして、気を紛らわせようとしてしまうのかな… 「先生…いつも、そうして来たの…?」 キスを外した先生は、何も言わずに僕の体を抱きしめて…服の下に手を入れて、僕の体を撫でまわした。だから、僕は、彼の胸に頬を当てたまま…窓の外の降りしきる雨を見つめて、眉を顰めた… 昨日から降る雨は…お昼に一旦止んだのに、また、降り始めたみたい… 「ねえ、僕とエッチしても…ほっくんが苦しんでいるのは何も変わらないのに、目をそらすために誰かを抱いても、目をそらすために何かに執着しても、何も変わらないのに…。ねえ、先生?人って…愚かだね。目の前にいる人に、手を伸ばす事もしないで…他の誰かで代用して…その思いは、満たされるの…?」 先生は…そんな僕の言葉なんて聞こえていないみたいに、僕の体を撫でまわして、自分の股間を僕に摺り寄せた。 惺山…僕は、どうするべき…? もう一度、ボコボコにしてやった方が良いのかな…? それとも、一時の慰めで、体を提供するべきなのかな…? 「どうして…ほっくんに自分の気持ちを伝えないの…?」 コの字型のソファに埋められながら、僕は先生を見つめてそう聞いた。すると、彼は自分のシャツのボタンを外しながら、疲れ切った顔でこう答えた。 「言った…小学校4年生の時に、プロポーズした…」 小学校4年生…?! それは…さすがにまずい… 顔を歪めた僕は、僕のシャツのボタンを外す先生を見つめたまま言った。 「早すぎた…みたいだね…?」 「うん…」 先生はそう言って、僕の胸にキスをした。そんな彼の頭を抱きしめた僕は、顔を覗き込む様に体を起こしてこう言った。 「もうちょっと大きくなってからは…言ってないの?」 「言った…でも、田舎のコックに取られた…」 あぁ…まもるだ… 天を見上げた僕は、綺麗な木目の天井を見つめたまま…途方に暮れた。 すると、先生は、僕のズボンに手を掛けて、せっせと…脱がせ始めた。 惺山…僕は、どうしたら良いの…? 可哀想だって思う気持ちが…彼を、拒絶させないんだ。 でも…こんな事、何の為にもならない。 主観に溺れて事実から目を逸らしても、現実が変わらない様に… その場しのぎのこんな行為だって…何も変えてはくれないんだ。 ただ、無駄に周りが傷付くだけ… 惺山を誘惑した奥さんの様に…満たされない愛情を欲しがって、悲しみに暮れて…当てつけの様に、自暴自棄になって…自分を失くしていく人が増えるだけだなんだ。 だとしたら、惺山。僕は、先生の行為は…罪だと思うんだよ。 「僕は…嫌だ。」 そう呟いた僕は、先生を抱きしめて言った。 「先生、僕は…ほっくんの事を忘れる為に、先生に利用されたくない。僕の言っている意味、分かる…?あなたは、いつもそうして誤魔化して来た…。奥さんだってそうだ。彼女はあなたを愛していたのに、あなたは彼女を愛していなかった。お金だけ…?違うよ…。そうするしかなかったんだ。そう思うしかなかったんだ。あなたが愛情をくれないから、必死に自分を見て欲しいって…もがいていたんだ。あなたは、罪深いよ…」 「豪ちゃん…うるさいよ…良い子にしてられないの?」 そう言った先生は、僕の中に指を入れながら笑って…こう言った。 「森山君と出来るなら…先生のお相手も出来るだろ…?」 中に感じる違和感に顔を歪めた僕は、先生を見つめたまま眉を下げて言った。 「…僕を、そんな風に思うの…?」 すると、先生は…僕をじっと見つめて…動きを止めた。 だから、僕は…先生を見つめて…必死に訴えかけた。 「…僕は、これから、あなたの口から出た言葉、全てを、そのままの意味で受け止めるよ。他人の善意に、解釈に、甘ったれてはいけない。今から、僕は…先生の口から出る言葉を、そのまま受け止めるからね…?そして、それは、取り返しのつかない物なんだからね…?」 そして、僕を見つめる先生に…確認する様に言ったんだ。 「ねえ、僕の事を…ほっくんが言った様に…ただ、エッチをするだけの男として、自分の傍に置くの…?」 「愛してるんだ…」 「嘘だ…」 「大事なんだ…」 「嘘だ…」 ことごとく先生の言葉を否定した僕は、体を起こして…彼の顔を覗き込んだ。そして、そっと抱きしめながらこう言った。 「僕があなたの言葉を鵜呑みにして…あなたを愛してしまったら…僕の事も、奥さんの様に、邪魔になって捨てるんでしょう?だって、先生の愛情は、ほっくんにしか向かないんだから…。」 そして…そっと、彼の耳元に口を寄せて、こう言ったんだ… 「ねえ…罪深いと思わない?自分の行為を…罪深いと思わない…?」 この人は、こうして、ずっと、紛らわせて来たんだ… 目を逸らして…他人で代用して…誤魔化して来た。 もしかしたら、それが…届かない思いを持ち続けるコツなのかもしれない。 でも、利用された人はどうなの…? 傷付いて、悲しんで、使い捨てられて…散々じゃないか…。 …僕は、そんな目に、遭いたくない。 「…悪かった…」 項垂れた先生は、僕の腕の中でそう呟いて…泣き崩れた。 惺山…僕は操を守った… でも、先生がとても馬鹿で、どうしようもない…うんこ眼鏡マンだっていう事が、強く印象付けられた。 「どうしたら良いのか…分からないんだ…!」 叫ぶ様にそう言った先生を抱きしめたまま、僕は彼の丸まった背中を何度も撫でて慰めた。 脆くて、弱い… 何でも知っていて、達観していて、大人だと思っていた先生は、こんなにも…弱かった。僕は、それを非難したり、拒絶したりしないよ… だって…どうあがいたって、人は強く生き続ける事なんて出来ないんだ。 僕は、その事を…痛い程、思い知ってる。 幼い頃からひとりで抱え続けた、思いや、苦しみ、悩み…葛藤…その全てを、兄ちゃんに話す事が出来たあの日…僕は、目の前が一気に明るくなったような気がしたんだ。 強いままで…人は生きられない。 季節の移ろいと共に終いを迎える花壇の花たちは、丁寧に株を管理してあげれば…来年、また美しい花を咲かせる事が出来る。 人も同じかもしれないね… 弱音を吐ける、本音を言える誰かが居てくれるだけで、再び…前を向いて、歩き出す事が出来るのかもしれない…。 再び…強く、生きられるのかもしれない… うんこ眼鏡マンの先生は、そんな誰かを作り損ねたんだ。 だから、強く居る為に…自分を誤魔化して、誰かを傷つけて、気持ちを紛らわせて来た。 でも、その行為は…罪深かった。 その場しのぎの行為を、愛情だと思った人が何人いたんだろう… 何人の人が、彼の手のひら返しに…涙を落としたんだろう… 「もう…お終いだよ?こんな事、他の誰にもしたら駄目だよ…?」 僕は、両手に抱きしめた先生の顔を覗き込んでそう言った。すると、彼は僕の胸に顔を埋めて力なく頷いた… 「北斗と会って…どうするの、豪…」 脱がされたパンツを穿く僕の背中に、先生がそんな声をかけて来た。 どうする…? そんなの…知らない。 ソファに腰かけた僕は、先生を見上げて首を傾げて言った。 「さぁ…でも、パリスを見せてあげようかな?だって、あの子は…僕と惺山を繋いでくれた、キューピットだもん。きっと…ほっくんと僕も繋いでくれる。そう、思わない?」 そんな僕を見下ろした先生は、目を丸くして驚いた様に首を傾げた。 「ふふ…かもしれないね…」 でも、次の瞬間、そう言ってニッコリと微笑んでくれた。 もう、先生は…ボロ雑巾じゃなくなったみたいだ。 事実を認める事は辛くて、嫌だ… でも、誰かに打ち明ける事が出来ると…それだけで、気が楽になる。 いつもの様に笑った先生の笑顔を見て、僕は…そう思った。 僕の実体験で得た教訓は、先生にも有効だったみたいだ。 「…今日のご飯は、この前、先生が買って来た…どこかのパンと、どこかのおかずです…」 ダイニングテーブルに置いた味気ないお皿を見つめて、僕はため息を吐いた。 「外食に行く…?」 そう言った先生を見つめて首を横に振った僕は、頬杖をつきながら窓の外を眺めた。 「雨が止んだ…。きっと、明日の朝は、花が喜んで光って見えるよ…?」 「ふふ…そうか。それは…楽しみだ…」 惺山… ここには、大きなボールも、麺棒も無い。小麦だってないし、新鮮な野菜もない。かまども無いし…焚火が出来る様なスペースもない。 ない、ない、ない…のつまんない所だよ。 #4 「またか…」 俺は眉を顰めてそう呟いた… 視線の先には…理久と、あの、天使の姿があった。 今日は、音楽に造詣の深い資産家が主催した…小規模のパーティーに招かれている。 手ぶらで訪れた俺は、持て余す長い腕を組んだまま…壁にもたれかかって、会場に現れた理久をぼんやりと眺めていた。 彼のジャケットの裾を掴んだ天使は、周りに集まる大人に、挨拶も、視線を合わせる事もしないで、ぼんやりと、理久の背中だけを見つめている… はたから見れば…育ちの悪い売春婦を連れて歩く…ジジイだ。 豪ちゃん… お前はどっから来て、何の目的で、理久の傍に居るんだ。 まさか、一緒に住んでやしないよな…? 紳士に話しかけられても、キョドって、俯く…そんな、天使の姿を遠巻きに眺めながら、俺は本日の主役である、主催者のエリ・カルダン氏にご挨拶へと向かった。 彼は、ハリウッド映画なんかに出たりする俳優さんでもあり、生まれながらの資産家でもある。 そんなリッチでセレブな人に、言葉を選ばないで言えば…媚びを売るんだ。 「こんにちは。カルダンさん。本日はお招きいただき、ありがとうございます。」 取り囲む取り巻きの間をぬって顔を覗かせた俺は、ニッコリと営業スマイルを見せて、カルダン氏にご挨拶をした。すると、彼は、俳優らしい…爽やかな笑顔を向けて、こう返したんだ。 「あぁ、北斗。よく来てくれたね?」 俺は、彼とは付き合いが長いんだ。それは…子供の頃まで遡る… 幼かった頃…俺は、よく、海外に住む両親の知り合いに預けられた。 どの人も、音楽家だ。 だから、こんなパーティーなんかにも、一緒に連れて行って貰った。そこで、彼と知り合って…意気投合したんだ。 まだ5歳かそこらの俺に、カルダン氏は熱心に日本語を学ぼうと話しかけていた。 おかしいよね… だって、俺はずっと…テーブルの上の料理に夢中なのに、彼はそんな俺の隣で、ノートを片手に日本語を聞き出そうとしてるんだもん。 大人になった今でも…俺を懇意にしてくれて、顔を見ては、日本語で話しかけてくれるんだ。 子供をひとりだけで海外へ行かせたり…8時間も音楽のレッスンを受けさせたり…そんなめちゃくちゃな家庭に育った俺だけど…今となっては、全て糧になっていた… 皮肉なもんだ。 「北斗、理久の後ろにいる子は誰?とっても可愛いね…?天使みたいだ。何歳かな?理久とは、どんな関係かな?怖がっているのかな…?僕は少し、心配してる。」 カルダン氏は、俺に飲み物を手渡しながら理久を見つめて…そう言った。 はぁ…あんたまで、豪ちゃん、豪ちゃん、か… ため息を吐いた俺は、口を尖らせて肩をすくめて、こう答えた。 「…知らないな。」 すると、彼は俺の頭をポンポン叩いて…理久の元へと行ってしまった。 可愛い…? 俺に啖呵を切る様な天使だぞ…? 見た目に騙されたら…駄目だ。 遠目にカルダン氏の背中を見送った俺は、彼が、理久に挨拶をして、彼の後ろの天使にお辞儀をして挨拶をする様子を、口をひん曲げて眺めた。 日本語を話す彼に安心したのか…天使は少しだけ視線を上げて、ヒョコっと肩をすくめて笑い返してる。 そんな眩しい笑顔に…変態のロリコンどもが、思わず口を緩めて笑った事は、気が付かなかった事にする。 「あぁ…ほっくん!」 くそだな… 天使は俺の存在に気が付いた様だ。理久から離れて、小走りで駆け寄って来た。 俺はそんなあいつの動きを察して…さりげなく、気が付かない振りをしながら移動を始めたんだ。 悪いね…? こっちにくんな! …そんな気持ちで一杯なんだよ。 「あぁ…!なぁんだぁ…うう…うっ…ほっくん…」 すると、真後ろで…そんな声が聞こえた。 俺は、天使の周りにたかる変態のロリコンを横目に見ながら、足を止めて、壁にもたれかかった。 嗜み…?上等な趣向品? 金持ちの彼らは、美少年が大好きだ… 俺もよく連れ去られそうになった。 その度に大暴れしたり、近くの大人に助けを求めたもんさ… 23歳を過ぎたあたりで、女性からお声を掛けられる事の方が多くなったけど、未だにパトロン風情は、そんな音楽以外の事を…こちらに求める傾向にあるのが現実さ。 それに、天使は、とっても、可愛いからね…? 理久の背中に隠れているのを、虎視眈々と狙っていた変態がこんだけいたって事さ。 彼の傍を離れた時点で…アウトなんだ。 すっかり両手を握られた天使は、困った様に顔を伏せて…今にも、泣き出しそうだ。 あいつの周りには…わぁ!5人もロリコンがたかってる! 最高記録だぞ! みんな優しそうな笑顔を浮かべながらも、あいつが周りから見えない様に…体で隠して、腰を触ったり…二の腕を撫でたりと…やりたい放題してる。 はは!ざまあミロ! 面白いから、どこかの部屋に連れて行かれるまで…眺めていよう。 そう思った俺は、ウェイターから飲み物を受け取って、のんびりと口に運びながら、横目に眺めてほくそ笑んだ。 「ん…や、やめてぇ…!」 顔を赤くして嫌がる天使は、ご褒美でしかないな… すっかり鼻息を荒くした紳士たちは、必死に狼の素顔を取り繕いながら、あの子を別の部屋へ連れ出そうと団結を見せ始めた。 「こっちに景色が良い所があるよ。案内してあげるね…?」 「そうだね…あそこはとっても、景色が良かった。」 フランス語の分からない天使は、連れて行かれる事も、自分の状況も理解していない様だ…!ポカンとアホ面をして…手を引かれるままに連れて行かれてる。 ぷぷっ!5人で、まわす気だ! やられちゃえよ…豪ちゃん、お前はプロだろ…? みんなを一気にイカせるくらいの技を持ってるんだろ…? 澄ました顔をしながら、俺はあの子が連れ去られる様子を見て見ぬ振りしていた。 そんな時、カルダン氏がやって来て、スマートに豪ちゃんを助けてしまった… 「豪、どうしましたか…?」 主催者のカルダン氏の鶴の一声と、ジト目を浴びたロリコンたちは、逃げる様に散って行った…。そんな事も気付いていない天使は、キョトンと目を丸くしながら首を傾げてこう言ったんだ。 「あぁ、おじさぁん…僕、よく分からなぁい…」 あぁ…残念だ。 プロの技を見られなかった…! 肩を落とした俺は、首を横に振って視線を逸らした。すると、カルダン氏は天使と手を繋ぎながら…あろうことか、俺の元へとやって来たではないか! 「ほっく~ん!」 満面の笑顔でそう言ったあの子は…迷う事無く、俺に駆け寄って、顔を覗き込みながら…こう言って来た。 「僕、追い出されちゃう所だったんだぁ!でも…この人が、助けてくれたぁ!」 はは… 追い出されはしないさ…もっと、奥まで連れて行かれそうになったんだ… 「あっそ…」 俺は、確か、この間…この天使を引っ叩いて、蹴とばした… それなのに、そんな事忘れたみたいに…目の前のこの子は、屈託のない笑顔を向けて嬉しそうに…体を揺らしている。 やっぱり、馬鹿なんだな… 「豪ちゃん…駄目じゃないか!1人で行かないで…!」 そんな慌てた声と、ため息を吐きだしながら…理久がやって来た。そして、壁にもたれかかる俺を見つけて、少しだけ表情を曇らせてこう言ったんだ。 「北斗…この前の事、豪ちゃんに謝ったかい…?」 そんな彼を見つめて、俺は肩をすくめて言ったんだ。 「なんだっけ…?忘れちゃった…」 「ほっくん、綺麗なお洋服だねぇ?僕のは、晋ちゃんのお母さんが作ってくれたんだぁ!オーダーメイドだよぉ?んふぅ!」 空気の読めない…鬱陶しい子犬みたいに、天使は俺の手を掴んでブンブンと振り回し始めた。そんな様子を、理久は…ハラハラしながら見ている… また、俺が手を出すと思ってるんだ… 俺はね、パトロンの前で小動物を虐めたりしないよ? 自分の格を下げるだけだって…知ってるからね… だから、俺は天使の手を丁寧に振りほどいて…理久を見つめてこう言ったんだ。 「…カルダン氏は、新しいバイオリニストをお探しなの?」 すると、理久は眉を片方だけ上げて、こう答えた。 「…さあね。」 全く、よく言うよ… 俺自身、カルダン氏の支援を受けているバイオリニストの一人だ。将来を有望視された俺は、彼の支援を受けて、世界で活躍する事が出来ている。 金持ちの思考は分からないよ… まるで、馬主の様に…芸術家を飼いたがるんだ。 支援して、恩を売って、俺が目を掛けた誰誰が…どこどこで活躍してるんだって、自慢したいみたいに、芸術家を支援したがってる。 現実問題…そんなパトロンの存在失くしては、俺は音楽院にも行けなかったし…ホテル住まいなんて、VIPな暮らしも…不可能だ。 「そいつが、聴き手になるの…?」 俺は、理久の腕の中でフラフラと揺れ続ける天使を指さして、そう聞いた。 すると、彼は少しだけ眉間にしわを寄せて、俺をジト目で見つめた。 「…どうかな。」 首を傾げてそう答えた理久は、天使の落ち着きないブラブラと揺れる手を握って、カルダン氏と共に、奥の部屋へと向かった… その演奏家が伸びるかどうかなんて、音楽に造詣が深かったとしても、素人には分からない。だから、カルダン氏は理久を呼んで、見定めさせるつもりなんだ… どの馬が伸びるかってね… 今日は、あの天使も一緒に居る。 聴き手の耳… 興味が、無い訳ではないさ… 俺は、もたれかかった壁から背中を浮かせると、彼らの後を追いかけて奥の部屋へと向かった。 -- 「とっても大きなお家だねぇ?何エルディーケーなのぉ?」 僕は、良く分からないけど…そう、聞いてみた。 すると、優しいフランス人のおじさんは、素敵な笑顔を向けてこう答えてくれた。 「エリちゃん、よく、分かんないよん!」 ふふっ!おっかしい! この人は、優しいフランス人のおじさん。エリちゃん。 追い出されそうになった僕を助けてくれた。日本語の話せるおじさんなんだ。 自分の事を”エリちゃん“って呼んで!って…僕に言ってたけど、正直ドン引きしてる。 だって見た目は、渋い映画俳優みたいなんだもん。 でも、先生とお友達みたいだから…僕は、怖くないよ…? ただ、ここは、人がとっても多いから…視線を落としてるんだ。 モヤモヤを纏った人を見たくない。 だから、僕は、ずっと…先生と繋いだ手だけ見てる。 「ここに座ろうか…」 大きな部屋から、少しだけ小さな部屋に移動した先生は、壁にもたれた高そうな猫足のソファに腰かけて、僕を隣に座らせた。 「エリちゃんも、豪の、隣に座りたいよん!」 すると、優しいフランス人のおじさんが、そう言ってごねたから…僕は先生の膝に少しだけ乗っかって…こう言ったんだ。 「お隣を…どうぞぉ…?」 部屋の中には、ランダムに置かれた一人掛けの椅子と、楽譜を置く台が一台ポツンと置かれている…。そんな部屋の天井は…ボコボコと不思議な形をしていた。 すると、首を伸ばした僕の喉仏を撫でながら、エリちゃんがこう言った。 「…あなたは、天使ですか?」 「僕は…豪だよぉ?」 首を傾げてそう答えると、エリちゃんは興奮した様子で、フランス語で先生に話しかけ始めた。 そうこうしていると、女の人…おじさん、お爺さん…若い男の人…ほっくんが…バラバラと部屋に入って来て、椅子に座ったり…立ち話を始めた。 そんな様子を眺めながら…僕は、先生が膝の上に置いた自分の右手を動かして、彼のズボンを指先でなんとなく弄った。 意味の分からないフランス語は…まるで、しっとりとした音楽を聴いているみたいに、耳障り良く、僕の左耳の奥を揺らして行く。 「ふ~んふん…ふんふん…」 僕は…ぼんやりと焦点をぼかして、そんなフランス語に合わせて鼻歌を歌った… 「…豪ちゃん、あのお姉さんのバイオリンを聴いてみて…?」 すると、そんな先生の言葉と同時に、綺麗なドレスを着たお姉さんがバイオリンを手に持って現れたんだ。 彼女は、楽譜を台の上に置きながら、エリちゃんをチラチラと見ていた… 好きなのかなぁ…?キュンしてるのかなぁ…? お姉さんは、おもむろにバイオリンを首に挟んで、美しい曲を奏で始めた。僕は、それを先生に言われた通りに…左耳で聴いた。 所々途切れる旋律は、まるで弾く事を迷ってるみたいな…そんな、自信の無さを音色に表した…。でも、伸びの良い高音は…天井から降り注いできた瞬間、鳥肌が立ったんだ。 「わぁ…!」 「どんな風に聴こえるの…?」 先生が僕の背中に腕を回して、耳元でそう聞いて来た。だから、僕は彼の肩に頭をぶつけて、こう答えたんだ。 「…高音の伸びが素敵だったぁ…!とてもパワフルな高音で、体が震えたぁ!」 「悪い所も…教えて…?」 そんな言葉に口を尖らせた僕は、先生を見上げてこう言った。 「…練習不足か、もともとの性格か…自信が無いみたいだぁ…弓が震えて、テンポが速くなって…旋律が途切れてしまった…」 すると、先生は僕の髪にキスして、微笑みながらこう言った。 「…そうだね。俺もそう思った。」 その後もお兄さんや、小さな子供、女の子、男の子が、目の前に立って一曲演奏をして行った。 先生は、僕の背中を指で撫でながら…そんな、彼らの演奏を聴いていた。 僕は、ぼんやりと天井を見上げながら…そんな先生の指先と、お隣に座ったエリちゃんのおしゃべりに付き合った。 「はじめまして!僕の名前は、聡です。日本から来ました。エリ・カルダン氏は、大の日本好きとお聞きしました。本日は、そんなカルダン氏に、日本特有の曲をお贈りしたいと思います。」 凛と凛々しい…聡君と名乗った男の子は、自信にあふれた笑顔を向けて、僕の隣のエリちゃんにそう言った。 これは…お見合いパーティーか何かなのかな…? 隣のエリちゃんを横目に見ながら、僕は首を傾げて言った。 「…どうして、エリちゃんに熱烈アピールしてるんだろうねえ…?もしかして、エリちゃんは恋人を探しているのぉ?」 そんな僕の言葉に、エリちゃんはクスクス笑って…左手の指輪を見せつけて来た。そんな彼の手を掴んだ僕は、口をひん曲げてこう言った。 「なぁんだぁ…結婚してるんだぁ!なのに、どうして…みんな、エリちゃんにアピールしてるんだろうね…?」 すると、エリちゃんは、僕にチュッチュっとキスする真似をしてこう言った。 「豪なら、いつでも、エリちゃんは大歓迎だよん?」 えぇ…?! 僕は…語尾に…“よん!”って付く…イケオジは嫌だなぁ… 「ではっ!」 キリッとそう言うと、聡君はエリちゃんを見つめながら…バイオリンを首に挟んで、弓を掲げた。 そんな彼が、自信満々に弾き始めたのは…“早春賦”だった。 その音色を聴いた瞬間…僕は、ゾクッと体を震わせた… これを、人は何と呼ぶのだろうか…狂気?過剰な思い?執着?思い込みの強さ? ”早春賦“の透明感も、清々しさも失くしたその音色は…恐ろしいくらいに禍々しかった。 僕は、咄嗟に…先生の膝に置いた手に力を込めて…強く掴んだ。すると、小刻みに震える手を隠す様に、先生は僕の手を両手で覆った。 …怖い… 聡君…年齢は、僕よりも幼い筈の彼は、普通の人が持ち併せていないであろう…強い思いを…曲に込めていた。 …怖い…! 「ブラボーー!」 彼の”早春賦“が終わって、そんな感嘆の言葉が方々で上がる中、僕は先生の腕に抱き付いて…彼の首に顔を埋めて震える声で言った。 「…駄目…絶対に駄目…恐ろしい…狂気だ…」 「よしよし…よしよし…」 僕は…“早春賦”が大好きな曲だったけど、トラウマになりそうだ… 先生は震える僕の体を抱きしめて…優しく背中を撫でて、宥めてくれた。 「親の期待を一身に受けるとね…思いが強い、そんな演奏をする子がいる。特に、子供のうちはね…それがダイレクトに音色に出るんだ…。それだけ、彼は…情緒を込めれたという事だよね?豪ちゃん。」 震えの止まらない僕の顔を覗き込んで…先生がそう言った。 それはまるで、聡君を肯定しているかのような口調で…僕は戸惑ってしまった。 「…情緒…?あれは…情緒なんかじゃないよ…狂気だ。」 …僕は、震えの止まらない手のひらをじっと見つめながら…力なく言った。 「…僕は嫌だ…。あの子の弾いた曲で、とてもじゃないけど、うっとりなんて出来ない…」 席を立った僕は、震える体を両手で抱きしめて…部屋の外へと向かった… 「豪ちゃん…!」 そんな先生の声が聞こえたけど…僕は、怖くて…振り返る事も出来ないまま逃げ出した。 惺山…とても、恐ろしかったんだ… あれは、情緒じゃない…執念だ…! 「うっうう…うう…怖いよぅ…怖いよぅ…!」 人のいない場所へ…そう思って、逃げて来たのは…噴水がチロチロと音を立てながら流れて落ちている、中庭のような場所だった… 止まらない涙を拭いながら、僕は噴水の水に手を突っ込んで…気を紛らわせようとした。でも…あの鋭くて、必死な音色が耳の奥にこびりついて離れないんだ… 「んん…!!いやぁ…やぁだ…!うっうう…!!」 僕は、ビチョビチョの手で耳を塞いで、首を横に振った。そして、しくしく泣きながら項垂れた… 「…なぁんで、泣いてんだよ…!」 そんな声に顔をあげた僕は、噴水の向こうに腰かけるほっくんの背中を見つけて…言葉も出せずに…ただ、ホッと安心して、泣きじゃくった… 「うっうう…!うう…うっうわぁああん…!」 怖かった。 なんて言えない…でも、堪える事も出来ずに…僕は、ただ、泣いた… 僕の傍を離れる訳でもなく…ほっくんは、噴水の向こう側に座ったまま…僕の泣き声を聴き続けてくれた…。僕は、彼が傍に居てくれて…良かったって思った。 だって、静かに佇むほっくんの背中が、とっても優しく感じたからだ… 「ぐすっ…ぐすっ…は~るは…ぐすっ…なのみ~の…ひっく…グスン…」 僕は、水面を手のひらで撫でながら…”早春賦“を歌い始めた。すると、ほっくんは、少しだけ僕を振り返って…こう言った。 「下手くそだな…」 ふふ… 「ほっくん…」 僕はポツリと彼の名前を呼んで、その後…何も言わないまま…手のひらで水を掻いた。そして、僕の起こした波紋が…彼の元へと向かう様子を見つめて、ニッコリと笑った… 「…何で、泣いてんの…?」 再びそう聞いて来たほっくんに、僕は鼻を啜りながら、こう答えた。 「…聡くんの”早春賦“が、怖かったんだぁ…」 すると、ほっくんはスクッと立ち上がって…僕を横目に見つめてこう言った。 「音楽は、遊びじゃない…お遊戯じゃないんだ。あのくらい必死にならないと、この世界で頭角を現す事なんて出来ない。あれを怖いというのなら、お前は…この世界に入る覚悟が無いって事だ…」 「覚悟ぉ~?」 僕はほっくんを見上げたまま…首を傾げてそう言った。すると、彼はため息を吐いてこう言ったんだ。 「真剣なんだ。これに賭けてるんだ。その為に、数多くの事を犠牲にしてるんだ。この時に、この機に、全てを掛けて取り組んでいる。それは、尊敬はすれど、怖がるようなものじゃない…!」 「でもぉ~、それじゃあ…カツカツじゃないかぁ!カツカツじゃ…良い音色は出せないじゃないかぁ…!音を楽しまないと…」 そんな僕の言葉を遮る様に…ほっくんは、僕に噴水の水をかけまくって怒鳴って言った。 「うるさい!お前に何が分かるんだぁ!」 僕は、ビチャビチャになりながら…ただ、しょんぼりと眉を下げて…ほっくんが浴びせ続ける噴水の水を被った… 覚悟…かぁ… 確かに、僕にそんなものは無い。

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