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#5~#6

#5 「木原先生の所へは行ってるんですか…?」 そう尋ねて来た彼は、森山惺山…作曲家だ。 長い黒髪は癖っ毛なのか…大きく緩やかにカーブを描いてる…目は陰気で、表情は、仏頂面…。でも、そこそこのイケメンだ。 フランスから東京に戻った俺は、年末に行うコンサートの打ち合わせの為、東京都内の某スタジオで、彼と、一回目の打ち合わせをしていた。 彼は、なかなか、面白い経歴の持ち主だ。 なにせ、理久の奥さんと不倫した男なんだ!でも…未だに、彼と繋がりを持っている。 そんな…太い神経の持ち主さ。 俺は嫌いじゃないよ? そうじゃないと、こんな世の中…生き抜いて行けないからね…? 理久の家に一緒に行った…富士くんから、昨日、連絡が来たんだ… 彼は、なんと、東京で就職が決まっていたそうだ。 だけど、どうしても…俺に、それを伝えられなかった…と、メソメソと泣きながら言って来たんだ。 …彼は、早々に負けてしまった。 繊細で弱い奴は蹴散らされて行く…そして、弾かれて、妥協して、なりを潜める! そんな中で、トップで居続ける為には…輝き続ける為には、弱くては駄目なんだ。 この男や、俺みたいに…図太い神経と、他を蹴散らす程の強い執念が、実を結ぶんだ… そんな世界なんだよ。馬鹿野郎… ふと、カルダン氏の邸宅、噴水の前で泣いていた天使を思い出した俺は、眉間にしわを寄せて…心の中でそう言った。 執念、執着、そんな物を持った連中が…次こそは自分が上に立ってやるって…虎視眈々と狙っている…それが、俺のいる舞台なんだ…! 気を抜いたら…すぐに抜かれて、すぐに負けて、泣きを見る事になる。 だから、弱みなんて見せずに…凛と、澄まして…他を蹴散らし続けるんだ。 「あぁ…たまに行きますよ。あそこは広いから…練習するには丁度良いんですよ。」 俺は、森山氏に愛想笑いをしてそう言った。すると、彼は首を傾げてこう聞いて来た。 「あの子に…会われましたか…?」 そんな唐突な彼の質問に、俺はすぐに…“あの子”が誰なのか…察した。 あいつだ…あの、天使の事だ… 「あぁ…あの…理久の…」 言葉を濁して乾いた笑いをした俺は、不思議そうに首を傾げる森山氏に、顔を歪めて言ってやった。 「…人が演奏してるってのに、コソコソと内緒話して…感じ悪いったらありゃしない。理久も理久だ。あんな下の世話をする子供を連れて歩くなんて…どうかしてる。趣味が悪いですよ…。」 「あぁ…そんな風に、見られてるのか…」 そう言って苦い顔をした森山氏は、髪をかき上げながら困った様に眉を下げて、ウロウロと机の前を右往左往し始めた。 …そんな風? 他にどんな風に見られるってんだ… 天使か…?笑わせんな! 噴水、水かけ事件の後…俺は、理久にこっぴどく怒られたんだ! 「北斗!何してるんだぁ!」 「…あ、遊んであげていたんだぁ!」 噴水の前で、水浸しになっている天使を見つけた理久は、それはそれは怒り心頭になって…眼鏡を曇らせながら、俺に言ったんだ。 「いったい、この子の、何が気に入らないんだぁ!」 だから、俺は彼が落ち着く様に…こう言った。 「…遊んで、あげてたんだ。」 すると、理久は、びしょ濡れの天使に自分のジャケットを被せて…甲斐甲斐しく顔を覗き込んで、聞いたんだ。 「意地悪されたの…?北斗に、やられたの…?」 すると、あいつはなんて言ったと思う…? グスグスと鼻を鳴らして理久の顔を見上げた天使は、潤んだ瞳を彼に向けてこう言ったんだ。 「…僕は、初めのお姉さんが素敵だと思ったぁ…。緊張したり、自信が無かっただけで、高音の伸びは…美しかった。お姉さんは情緒を込めていた。…自分の執念じゃなくて…曲の情緒を込めていた…。それは…技術の差じゃなく、心持ちの差だ。音楽は自分の存在を誇示する為に使う物じゃない…絶対に違うぅ…」 すると、理久は…何て言ったと思う? 「…そうだね。俺も、そう思ってた。」 だってさ!! 笑わせる! 口をひん曲げた俺を一瞥した理久は、天使を抱き抱えてそそくさと立ち去って行った…そして、カルダン氏の軽蔑する様な視線を受けながら、俺はもう一度言ったんだ。 「…遊んであげてただけなのに…」 はぁ~~~!やんなるね!! 嫌な事を思い出した俺は、落ち着きを失くした森山氏を無視して、首を振りながら手元の楽譜を譜読みした。そして…彼に尋ねたんだ。 「…第3楽章、途中のソロのバイオリンは、どなたが演奏されましたか…?」 依頼を受けた当初は、無名の作曲家の交響曲でソリストなんて、どうかなって…少し躊躇したんだ。 でも、彼の交響曲を聴いて…考えが変わった。 4楽章に分かれた交響曲は、どれも面白い構成をしていて、実に興味深かった。 発表と同時に一躍注目されたのも、頷ける。 彼はイレギュラーだ。 特に、第3楽章でひときわ輝きを見せる…バイオリンのソロが、特徴的だ。 …それが、気に入った。だから、この仕事を引き受けたんだ。 「気になりますか…?」 意味深にそう返してきた森山氏の背中を見つめて、俺は首を傾げた。 随分、勿体ぶるじゃないか… なんだ、自分で弾いたのか…? 口元を緩めた俺は、森山氏を上目遣いに見つめて首を傾げながらこう言った。 「ええ…まぁ…。独特な弾き方をされる人だ。単調なメロディがこんなに奥深くなって、妙な味わいが生まれてる。」 俺がそう言うと、森山氏は、嬉しそうに口元を緩めて笑った。 そんな彼の横顔を眺めながら、俺はさっきの質問を再び彼にぶつけた。 「…で、どなたですか…?」 「豪ちゃんです…」 え…? 絶句した俺を振り返った森山氏は、にっこりと笑いながらこう言った。 「このメロディを弾いたのは、木原先生の元にいる…豪ちゃんです。あの子が、この曲の為に弾いてくれた。一発本番の、旋律です。」 頭から、冷や水をかけられた気分だ… あまりの衝撃に、俺は楽譜を持った手をどうしたら良いのか分からなくなりながら、半笑いの顔と声を彼へ向けて、こう言った。 「え…?あいつはバイオリンを弾くんですか…?あの天使が…?まさか…!とんでもない!バッカで~すって顔に書いてある様な…そんなアホな子でしたよ?」 そんな俺の言葉に眉を顰めた森山氏は、手元の楽譜を弄りながら、ソワソワと声を裏返してこう言った。 「少し…馬鹿っぽく見えるかもしれませんが…そんなに、そんなに…馬鹿ではないです。…愛嬌があるんですよ。…そうだ!愛嬌があるんです!可愛くて、愛嬌のある子なんです…」 怪訝な表情を崩せない。 森山氏の発言を…信用できない… 俺は、首を何度も捻りながらこう言った。 「理久は、そんな事…一言も言ってなかった!ただ、聴き手になって貰ってるって…」 すると、森山氏は椅子に腰かけ直して、得意げに眉を上げて言った。 「あの子は…良い耳を持ってるんです…」 はぁ~~~~?! 叫びたい気分だぁ! 「イチャイチャして!鼻の下を伸ばして!ベタベタと!お互いくんずほぐれつ纏わりついてる!それが、彼らだ!そこには、バイオリンや音楽なんて関わっている様には見えない…!ただの、合法ロリータを生業としてる…売春婦と、客にしか見えない!」 「いや…合法じゃないですけど…」 森山氏はそんな訂正をすかさず入れて、髪をかき上げながら…こう続けて言った。 「…あの2人はいつも…そんな距離感なんです。気が合うんですかね…。正直あまり面白い光景では無いですけど、あの子が手離しで懐く人も珍しいから…。きっと、何か…シンパシーを感じるんじゃ無いでしょうか…。お猿の仲間みたいに…」 苦笑いしながら、理久と天使の事を語る森山氏を見つめて、俺は首をかしげて訝し気に彼に聞いた。 「随分…お詳しいですね。森山さん…。あなた、あいつのなんですか…?」 そんな俺の言葉に、彼はにっこりと微笑んで、こう答えた。 「恋人です…」 その瞬間、俺は、前言を撤回すべきかどうか…本気で、迷った。 -- ドンドン…!ドンドン…! 「豪ちゃぁん!マルシェに行こう!野菜が欲しいんだろ!ほらぁ!起きてぇ!」 朝早くに…先生が僕の部屋を思いきり叩いて、扉の向こうでそう言った… 僕は、眠たい体を起こして、まだ鳴らない鶏の目覚まし時計を止めた。 そして、足元で眠りこけたままのパリスを見下ろして、こう言ったんだ。 「パリス…先生が、どこかに行こうって…」 「コッコケ…」 放っとけ…そう言った気がした。 それがおかしくて、僕はクスクス笑いながら部屋の扉を開いた。 「ん、もう…先生。ドンドンしないで…!」 「豪ちゃん!朝市に連れてったげる!ほらぁ!行こう!行こう!」 僕を抱き抱えた先生は、そのままベッドに僕を押し倒した。そして…鼻息を荒くしながら…僕の体を撫でまわし始めたんだ… 懲りないジジイなんだ… 「や~め~て!」 「なぁんで…なぁんで…!」 ベッドの上でジタバタと暴れる足が邪魔だったのか…パリスはさっさと部屋を出て行ってしまった。 そんな彼女を目で見送った僕は、先生を見上げてこう言った。 「すぐ、着替えるから…待っててぇ…」 「分かった…」 どうしたものか… 先生は、僕のベッドを整えながら、僕の着替えの一部始終を、じっと…見つめて来るんだ。 惺山…やっぱり、先生はおかしい人だ。 今度の手紙で、彼に相談しよう… 「髪の毛がボサボサだけど…歯と顔は洗ったよぉ…」 僕は、ベッドに腰かけた先生にそう言った。すると、彼は僕をギュッと抱きしめてこう言った。 「…豪ちゃん…!」 「ん、もう…ほら、連れてってぇ…?」 上機嫌な先生は、僕の手を繋いでスキップしながら家を出た。 …僕は、彼が、こんな上機嫌な理由を知ってる。 この前、僕がエリちゃんの所で推したお姉さんが…バイオリンのコンクールで優勝したんだ。彼女は晴れて、どこかの学校の特待生として入学する権利を得たそうだ。 先生は聡くんを推そうとしていたけど…エリちゃんは、僕の言う事を聞いて…お姉さんに、いくばくかの資金援助を約束したばかりだった。 そんな矢先の優勝に、エリちゃんはすっかり僕の耳を信用したそうだ。 先生は、その事が…嬉しかったみたいで、昨日からご機嫌なんだ… 僕は、まるで…競馬の予想屋みたいで、嫌だった。 でも…こんなにご機嫌に手を振って歩く先生は、少しだけ…可愛らしい。そんな彼を横目に見ながら、僕は一緒に手を振って歩いたんだ。 先生のお家から、少し歩いた所に公園があるんだ。 そこで…朝市…マルシェなんて物が、開かれているそうだ。 毎週土曜日と日曜日に開かれるマルシェには、僕の好きな…新鮮な野菜や、果物が売ってるらしい! 「葉物の野菜が食べたかったんだぁ…お味噌汁にして…あと、野菜炒めも美味しいね?後はぁ…」 僕は、ひとりでウキウキしながらそう言った。 先生は、そんな僕を横目に見て、嬉しそうに瞳を細めて笑った。 「本当に、料理が好きなんだね…?キッチンを広くしてあげようか…?」 え…! 僕は、嬉しい気持ちを抑えながら先生にこう言った。 「ほんと?でも…そんなに、料理して無いのに…そこまでする必要あるかなぁ…」 すると、彼は僕に抱き付いて…こう返したんだ。 「ん、もう!これから沢山作ってくれたら良いじゃないの!ねえ?ねえ?豪ちゃぁん!」 何だか…先生は、最近…一段と、僕に甘ったれになった気がする。 でも、僕は嫌じゃないよ…?だって、可愛いじゃない! 「良いよ~?作ってあげるぅ~!ふふぅ~!」 到着した公園の中には、赤、青、緑…なんて、色とりどりのテントが張ってあって、早朝6時なんて時間にも関わらず、人でごった返していた。 そんなお店の店先には、綺麗に並べられた野菜や果物が沢山並んでいたんだ…! どれも、スーパーの様なお店に売っている物より…形も大きくて、新鮮で、美しく輝いて見えた。 「わぁ!!」 フランス人のおじさんが僕に何かを言ってくるけど…きっと大したことじゃないんだ。だって、すぐに他の人にも話しかけ始めたもの… 「どれどれ…どんなお野菜が、あるのかなぁ~?!」 まだまだ肌寒い5月の朝。僕は久しぶりに元気な野菜を見つめて、うっとりと目じりを下げた。 「あぁ…綺麗だぁ!ニンジンが異様にほっそいけど…買って行こう…。あと、このおっきいアスパラ…!見てぇ?先生、見てぇ?こんなにおっきいの…初めてぇ!」 「はぁはぁ…ご、豪ちゃぁん…!」 息を荒くする先生を背中に乗せたまま、僕は次から次へとお野菜を買い込んで行った。だって、どれも美味しそうなんだもん! 「あ…お魚屋さんもあるよぉっ!先生、こっちに来てぇ?」 ケラケラ笑った僕は、お野菜の袋で両手の塞がってしまった先生の腕を引っ張って走り出した。 魚屋さんは、溢れんばかりに盛られた氷のせいか…目の前に行くと、顔がひんやりしたんだ。でも、そのお陰か…どのお魚も、目が透き通ったままの獲れたてのプリプリだったんだぁ…! 僕は、身震いしながら興奮して先生にこう言った。 「先生?フランス語で…カレイを捌いて頂戴って言ってぇ?」 僕は…魚だけは捌きたくない。 だって…血の甘い匂いが嫌いなんだ。 フランス語の堪能な先生のお陰で、僕は、プリップリのカレイの切り身を手に入れる事が出来ちゃった! 僕は、ウキウキ気分でカレイの切り身を袋の中にしまった。そして、お昼ご飯の献立を頭の中で考え始めたんだ。 カレイのムニエルにして…茹でたアスパラを添えよう。そこに…タルタルソースを添えて…ニンジンのグラッセも作ってあげよう! 「んふぅ~~!よしよし!やっと、まともなご飯にありつけるぞぉ!」 上機嫌になった僕は、そのまま先生を連れまわして…お肉屋さんで、晩御飯用のひれ肉と、美味しそうなサクランボを買って貰った。 「わぁ~い!ご馳走が出来るぅ~!!」 こんなに楽しいのは…久しぶりだ! 惺山が言ってた…豪ちゃんはお料理が大好きって。 自分では意識した事が無かったけど…こんなに嬉しいんだ。 きっと、それは事実なんだ。 さすが、惺山さんは…僕の事を良く分かってらっしゃった…! 先生と一緒にお野菜を大量に持ち帰った僕は、さっそく台所に立って腕まくりをした。 「えっと…、バター…バター…」 にんじんのグラッセを作ってしまおうって思ったんだ。 「はぁ~…疲れたぁ…」 ソファに横になった先生を横目に見ながら、僕はにんじんを切って行った。 それにしても…狭い台所だ。 そんな思いに、眉間にしわを寄せながら、僕はトントンと…にんじんを切って行く。 この音が好き…この手ごたえが好き…全ての過程に意味があって…最後に美味しい食べ物が出来上がる…そんな料理が、大好き! 「ふんふ~ん…ふふ、ふ~ん!」 「あぁ、上機嫌だな…?森山君が、言った通りか…」 先生の独り言に口元を緩めながら、僕は手際よくグラッセの下準備を終えた。 「よしよし!後は…これをコンロに掛けて…」 先生は料理なんて作らない。 しても…お湯を沸かす程度で、後は買って来たお惣菜とか…外食で済ませてるんだって… そんなんだから…髭に栄養が行かないで、真っ白なんだ! 「わぁ…凄い火力だぁ!先生?このコンロは…中華も行けそうだね?」 僕がそう声を掛けても、先生は何の返事もしないんだ… それもその筈… ソファに寝転がっていた先生は、いつの間にか…いびきをかいて眠っていたんだ。 ムニエルの下ごしらえは…塩コショウ程度で良い。 後は、大きなアスパラを茹でて置こう。 サクランボは、そのまま食べても、ゼリーにしても良い。 てっちゃんは、僕の作ったサクランボのジャムが好きなんだ。毎年、5月になると…大ちゃんの親戚のおじちゃんが大量にサクランボをくれるんだ。だから、僕はそれを煮込んでジャムを作る。そして、清潔に煮沸した瓶に、ひとつづつ詰めて…みんなに配ってた… 「うっうう…」 突然、涙が込み上げて来て、僕はアスパラを刻む手を止めた。 みんな…どうしてる…? 僕は、毎日運指の練習をして、パリスと一緒に…お花を眺めてる。 寂しい…? うん。とっても…寂しい… たまに、胸の奥が…ギュッと痛くなるんだ。 何を思い出す訳でも無いのに、具体的に何が寂しいのかも分からないのに…不意に、胸が締め付けられる。 そして…急に不安が押し寄せて来るんだ… 「…このサクランボは、まだプリプリだから…このまま食べた方が美味しいね。」 僕は、突然の涙を堪えながら、綺麗に水で洗ったサクランボをお皿に移して、冷蔵庫にしまった。 そして、にんじんのグラッセの火を弱めて、中を覗き込みながら鼻を動かして香りを嗅いだんだ。 「あぁ…バターの良い香り。」 この、美味しそうな匂い…うっとりする… 5月生まれは食いしん坊…そんな事を、てっちゃんのお母さんが言ってた。 だとしたら、僕は…食いしん坊だ。 僕の誕生日は、5月の20日… そう。もうすぐなんだ…!もうすぐ、16歳になる! #6 「…恋人って、あの子は子供ですよね…?」 森山氏のお誘いで、俺は、彼と夕飯を取る事にした。 場所は、都内にある…自然食の店だ。 ダークサイドな見た目に寄らず…彼は、食べ物に気を配るみたいだ。 それが、少し、意外だった… 姪っ子か、甥っ子が作ってくれた物なのか…右手の手首には、ピアノの模様をしたミサンガなんて付けてるし…まったく、意外続きの男なんだ。 「まぁ、そうですね…」 悪びれもせずにそう言った森山氏を一瞥した俺は、手元のメニューを眺めながら書いてある文言に、首を傾げた。 “オーガニックのお野菜で健康になりましょう…”ね… どうせいつか死ぬのに…自然食で何の効果を期待するというのか。 俺にはこういう考え方が分からないよ。…だって、ジャンクフードほど美味い食べ物は無いって思ってるからね? 味気ないメニューに首を傾げて頭を悩ませていると、おもむろに眼鏡をかけた森山氏は、メニューに視線を落としながらこう聞いて来た。 「そうだ…藤森さん、豪ちゃんの手料理を食べましたか…?」 は…? 傾げた首をそのままにした俺は、目だけで彼を怪訝に見つめてこう言った。 「いいえ。だって…食べる必要なんて無いでしょう?」 何言ってんだ、こいつ。 正直、俺はそう思ったさ… すると、彼は嬉しそうに瞳を細めてこう言った。 「しつこく勧めて来ませんでしたか?これ、食べてぇん!これ、食べてぇん!って…!熱々のものを…わざと口の中に入れて来たり、しませんでしたか?ふふっ!」 はぁ…参ったな… この下らない惚気を…聞かされ続けるのか…? 目じりを下げて、天使の事を満面の笑顔で語る森山氏を一瞥した俺は、メニューをテーブルに下ろして、話題を変えた。 「所で…あの交響曲は、実に面白い構成をされてますね。まさか、第4楽章でタランテラが来るとは思わなかった!第3楽章のタンゴへの変換も見事でした。まるで…沢山のジャンルの音楽の詰め合わせの様な交響曲だ。」 すると、森山氏は、長い髪を耳に掛けながら…伏し目がちにクスクス笑ってこう言ったんだ。 「はは…確かに。セオリー無視の交響曲、乱雑すぎる…そんな酷評も目にしますが、私は…結構、いいや…とっても気に入ってるんですよ。だから、今回あなたがソリストを引き受けてくれて、とても嬉しい。あの子が…大好きな、あなたのバイオリンで演奏出来るなんて…感無量なんですよ。」 え… そんな彼の言葉に咄嗟に視線を逸らした俺は、手元のメニューを眺めてこう言った。 「ハンバーグにしよう…」 「じゃあ…私は魚にしようかな…」 あの子が大好きな…あなたのバイオリンで、演奏出来るなんて…感無量… あの子が…大好きな…俺の、バイオリン… その時…俺は、思い出したんだ。 「…ほっくん、どうしちゃったの…?僕の知ってるあなたは、そんな音色を出す様な人じゃなかったのに…。ちょっと聴いただけで分かった。あなたは…怒ってる…」 そんな、天使の言葉を… なんだ、お前… 俺のバイオリンが…好きだったのか… だったら、初めから…そう言えよ。 だったら…もっと…優しくしてやったのにさ… 聴き手の…あいつの耳が確かなら、俺の音色の変化は…俺だけが気付く物じゃなく、演奏する曲にも影響を及ぼしている…と言う事なのか。 澄ました顔でやり過ごせなくなるのも…時間の問題かもしれない。 でも…俺には、どうする事も出来ないんだ。 だって、どうしてこうなってしまったのかさえも、分からずにいるんだから… そんな思いをそっと心に忍ばせた俺は、目の前の森山氏を見つめて…思案を巡らせた。 ぺらぺらと良くしゃべる話の内容からして…彼が、あの天使…豪ちゃんの近しい人物であった事は、理解した。 しかし… 陰のある静かなイケメン…森山氏と、あの天然オッパッピーな豪ちゃんの接点が、何も思いつかないな。 俺はさりげなく…目の前の森山氏にこう尋ねた。 「…恋人って事は…付き合ったり、そういう関係だったり…した訳ですよね…?」 すると、彼は怪訝な顔を見せて、俺に言ったんだ。 「えぇ…あぁ、まあ…」 あの豪ちゃんは…こういう男がタイプだったのか…! 俺は、少なからず衝撃を受けたんだ。 だって、同じ様なオッパッピー族と付き合いそうな馬鹿さ加減なのに、こんな大人の男を捕まえるなんて…侮れないって、正直そう思ったんだ。 “しっとり”なんて言葉がピッタリ似合いそうな彼は…もっと、アダルトな相手が好みかと思ったが…それも、また…違う様だ。 「あいつの…見た目ですか…?」 眉間に寄ったしわが…なかなか取れない。 俺は険しい顔をしたまま…森山氏にそう尋ねた。すると、彼は瞳を細めて笑って…こう言ったんだ。 「…あの子は、ほら…可愛らしいじゃないですか。でも…剛毅な所もあるんですよ。ふふ…そんな、ギャップが…また、可愛いんですよ。」 確かに…あいつは、俺に啖呵を切って来る…漢だった。 「へえ…」 納得する様に頷いていると、森山氏は俺を見つめて首を傾げてこう聞いて来た。 「所で…木原先生の指導とは、どんな物でしたか…?」 理久の指導…? 首を傾げた俺は幼い日を思い起こしながら、クスクス笑ってこう答えた。 「そうだな…。ただ、楽しかった。彼は昔から破天荒なんですよ。レッスンの途中で、よく外に連れ出して貰った。だから、俺は彼のレッスンが大好きだった。」 森山氏は、俺の話を興味深げに頷いて聞いて、続けてこう尋ねて来た。 「青い蝶って…何の事か、知ってますか…?」 …青い蝶…? 確か…豪ちゃんが、俺を見た瞬間、開口一番にそう呼んでいた気がする… 俺は首を傾げて森山氏を見つめると、肩をすくめてこう答えた。 「…さあ。でも、あの子は…俺を見て、そう言ってましたけどね…。でも、何の事か…さっぱり…」 「えぇ…?!」 すると、彼は驚いた様に目を丸くして、すぐに顔を歪めて慄く様に身を引いた。 そして、嫌そうな顔をしながら…挙動不審に目を泳がせ始めたんだ。 「…一体、何ですか?」 不思議に思った俺は、彼にそう尋ねた。でも、森山氏は、首を横に振るばかりで、何も答えてはくれなかった… そして、急に前に身を乗り出すと、俺の顔を見つめながらヒソヒソ声でこんな事を聞いて来たんだ。 「…藤森さん、子供の頃。先生に…何も、されませんでしたか…?」 ははっ!! 「どうして?!あっはっはっは!理久は、確かに変わり者でしたけど…。あっはっは!急だなぁ!ははは!!…あぁ!そう言えば…小学校4年生の時に、プロポーズされたな…」 そんな俺の言葉に席を立った森山氏は、体を派手に動かしながら叫び始めた。 「あ~~~!やっぱり!!あの、ロリコンのエロジジイ!信じられない!!」 まぁ…作曲家なんて生業にしている人は、大抵どこかしら…歪んでるもんだ。 俺は慣れてるよ? こんな人、ごまんと見てるからね… 理久もそんな感じだし、他の音楽家もこんな感じだ。 大丈夫…そのうち落ち着いて普通に話し出すから、こんな時は…放って置くに限る。 他のお客さんが怪訝な表情を向ける中、俺は、我関せずの表情で頬杖をついたまま、目の前で地団駄を踏む森山氏から視線を逸らして、遠くを見つめていた… 「はぁはぁ…失礼しました。いや、豪ちゃんがね…?以前、先生の弾いたピアノを聴いた時、言ったんですよ。先生は、誰も愛してないって…青い蝶の事が、大好きなんだって…」 落ち着きを取り戻した森山氏は、息を切らしながらそう言って椅子に座り直した。 俺は、そんな彼を見つめながら、クスクス笑ってこう言った。 「あぁ…確かに、理久は俺の事をずっと思い続けるって…言ってた気がするな。」 「えぇ…?!」 顔を歪めた森山氏は、俺を伺う様に見つめてこう聞いて来た。 「嫌じゃないんですか…?」 「別に…特に、気にした事もないですね。」 実際そうなんだ… 彼の思考は難解過ぎて、俺には良く分からない。 気が合うかどうかと言われれば…お互い、いつも…噛み合っていない気がする。 だけど、俺は理久の愛情を一方的に受けて、恩恵を授かってる。 富士くんの推薦状の件もそうだ… 理久の時間を独占する事なんて、もはや…どんなバイオリニストでも出来ない。 そのくらい…彼は高みに来てしまった。 …でも、俺の一声で…彼は簡単に時間を割いてくれた。 それはひとえに…俺が彼に愛されているから出来た事だ。 でも、どうして、あの子はそんな事が分かったんだろう… 理久のピアノを聴いただけで、なぜ、そんな人の奥深くの恥部を覗き見る事が出来るのだろう…? これも、聴き手の、力量なのか… 「森山さん、あの子は…何もんですか…?」 ため息を吐いた俺は、目の前に出されたハンバーグの小ささに項垂れながら、単刀直入にそう尋ねた。すると、森山氏はそんな俺にクスクス笑いながらこう答えたんだ。 「豪ちゃんは…ギフテッドなんですよ。」 ギフテッド… その言葉を聞いた瞬間、思い出すのは…腑に落ちなかったあの日の光景だけだ。 「はぁ、俺の一番嫌いなタイプだ…!」 小さなハンバーグを切り分けた俺は、鼻で笑ってそう言った。 そんな俺の反応を予測でもしていた様に、目の前の彼は冷静にこう言った。 「そうですか…それは、残念です。」 感性の塊…表現力の塊…何かの塊になるのが大好きな“ギフテッド”… ねえ、まもちゃん…あなたは言ったでしょ? そんな子は、何かを犠牲にして…そんな物を手に入れてるって… だとしたら、あの子は、何の代わりに…そんな才能を貰ってるの…? 聴き手の才能、バイオリンの才能、そして…良い男を落とす才能…それらの代償って、いったい…何だよ… 沸々と込み上げてくる怒りを抑えきれなくなった俺は、ハンバーグを口の中に放り込みながら、視線もあてずに、森山氏にこんな悪態を吐いた。 「ギフテッドなんて…ただの足りない人間の行き場所でしかない。才能…?笑わせる…。そんな物、この世には…無いんだ。全ての物は、すでに決まった物の上で成り立つものです。そうでしょう…?家だって、積木だって、土台があっての建物だ。だからこそ、全ての習い事は、基礎をしっかりと叩き込むんだ…!」 俺は、あからさまに不機嫌になった。 そんな俺を見つめながら、森山氏は、口を一文字に結んで、困った様に肩をすくめて見せた。 嫌になるね…才能なんて、人生のチートだ! 苛立ちを抑えられなくなった俺は、目の前の森山氏に自分の右手に持ったフォークを向けて、ユラユラと揺らしながらこう言ったんだ。 「森山さん。俺はね、ここまで登りつめるのに沢山の物を犠牲にした…。あいつは、いったい何を犠牲にしたって言うんですか…?脳みそですか…?」 俺は、森山氏を睨み付けたまま、鼻息を荒くした… ギフテッド… くそったれの天使には、くそったれのポジションがあった訳だ。 あんな奴ら、“才能”なんてあやふやな物を笠に着て、過剰に評価される…下らない、見世物の道化師だ…! 俺の問いかけに、森山氏は俺を見つめながら、鼻でため息を吐いてこう言った。 「…あの子の犠牲にしたもの、それは…家族と、人生です。」 -- 「先生?ご飯が出来たよ…?」 思った以上に脱力した先生は、眼鏡をおでこに上げたまま、ソファの上で両手両足を大の字に広げてぐ~すかぴ~すか寝ていた。 そんな彼の胸に手を当てた僕は、ゆさゆさと体を揺すって言ったんだ。 「ん、も~!起きてってばぁ…!ばっかぁん!」 すると、先生は細い瞳を少しだけ開いて…微睡みながらポツリと僕に聞いて来たんだ。 「…豪ちゃん、聡くんは…どうしたら良かったのかな…」 「ん…?」 僕の膝をナデナデしながら、先生は口元を上げて続けて言った。 「あの子は…北斗に似ていた。…自信に満ちた表情と、強引さ…執念の強さも…」 聡くん… 執念の思いを、バイオリンに乗せて“早春賦”を奏でた男の子…だ。 先生は、エリちゃんに彼を強く推していた…。でも、僕は…彼は、恐ろしいと…言った。 どうしたら良かった…? そんな先生の問いかけに、僕は…何と答えたら良いのか分からなかった。 だから、ぼんやりと宙を見つめる先生の虚ろな目を見つめながら、彼の髪を撫でて…こう言ったんだ… 「…分からない。ただ、楽しく曲を弾けるようになったら…良いなって思う。誰よりも、上手だとか…何で一番になったのかなんて…誰かの主観に決められた価値を、自分の価値だと思わないで欲しい。他人の移ろいやすい主観に、自分を決めさせては…駄目だ…。自分を決められるのは…自分だけ。」 そんな僕の言葉に瞳を細めた先生は、僕を見上げて両手を伸ばした。そして、僕の体を力強く抱きしめて、こう言ったんだ。 「…思慮深いね…」 僕は…先生の肩に口を付けて、モゴモゴと言ったんだ。 「命は…儚くて、思ったよりも無機質だよ…。産まれてくる意味なんて…本当は無いんだ。だけど、その出来事に理由を付けるとしたら…僕は、何かをする為に産まれて来たと思いたくない…。ただ、幸せになる為に…産まれて来たって思いたい…。」 すると、僕の頭を撫でていた先生の手が、ピタリと止まった… …僕は、知ってる。 惺山が、交響曲に乗せて…教えてくれたんだ。 僕は、お母さんに会えなかったけど、彼女は…僕が生まれる前から愛してくれていた。そして…僕に、幸せになって貰いたくて、この世に生み落としてくれたんだ。 抱きしめられる先生の腕の力を感じながら、僕は彼の服をギュッと握って、じんわりと滲んでくる涙を彼のシャツで拭った。そして、頬に当たる先生の胸の呼吸音に耳を澄ませながら、窓の外で…ヒラヒラと舞い続ける白い蝶を滲む視界で眺めた。 「ふふ…なる程ね…ふふふ…良い言葉じゃないか…ふふ…」 しばらくの沈黙の後…先生は、僕を抱きしめながら嬉しそうに、そう笑った… 僕は、そんな彼の声色を耳に入れて…何も言わないで、ただ、彼の手で優しく撫でられ続けた。 何だか…先生はとっても、安心するんだ。 だから、そのまま…少しだけ甘ったれて…僕は、彼の体に顔を埋めていた… 「美味しいよ。豪ちゃん…」 「うん…!」 カレイのムニエルは上出来で、にんじんのグラッセも甘くてバターの風味が効いていた。 何よりも、茹でただけのアスパラが甘くて美味しかったんだ。 これは…当たりだぁ! 「…ここの、アスパラはぁ、甘いねぇ…?」 僕は、隣に座った先生の顔を覗き込んで、そう言った。すると、彼は僕を見てにっこりと目じりを下げて笑って言った。 「本当だね。甘くて、美味しいね…?」 先生は、美味しい物を先に食べるタイプ。だから、ムニエルをあっという間に食べてしまったんだ。 僕は、三角食べをして…バランスよく食べる。 惺山は、苦手な物を最後まで食べない。 兄ちゃんは…お米と、好きな物しか食べない。 不思議だね。 食事をとる…たったそれだけの事なのに、それぞれの楽しみ方があるんだもん。 お昼ご飯を食べ終わった僕は、後片付けを済ませて、窓越しに庭の花壇を眺めた。 兄ちゃん…てっちゃん…清ちゃん、晋ちゃん…大ちゃん…みんな、元気にしてる…? 僕は、今…お昼ご飯を食べ終わった後だよ… そして、少し、おセンチになってる。 …みんなに会いたくなって…恋しくなってるみたい。 朝起きて…ご飯を食べて、体を動かして…昼ご飯を食べる。少しの昼寝をした後…夜ご飯まで、また…体を動かす。 そんな、シンプルな生き方が、恋しいよ。 ただ、毎日を生きていく為に…ただ、毎日を生きて来た… そんな、当たり前で…簡単で、簡潔な、毎日が懐かしい。 「先生…?バイオリンを弾いても良い…?」 ピアノに腰かけた先生にそう聞いた。 僕は、運指が直るまで…曲を弾いては駄目って言いつけられているんだ。 すると、先生は、ニッコリ笑って…僕にバイオリンを差し出してくれた。 惺山のバイオリンを受け取った僕は、調弦を済ませて、首に挟んだ。そして、弓をゆったりと持ち上げて…弾き始めたんだ。 その曲は、“朧月夜”… “早春賦”と同じ位…この歌が好き。 旋律を奏で出すと…惺山と一緒に過ごした、あの村の…見晴らしの良い光景が目に浮かんだ。 清々しく頬を撫でる風に遠くを見れば、夕暮れから夜に変わる青暗い空に、きらりと光る一番星が見える。 家路につく友達の背中を見送って…山へ帰って行くカラスの鳴き声を聴きながら、庭に放った鶏を小屋の中に戻した…。 そして、家の裏の畑で野菜を収穫しながら、夜ごはんの献立を考えるんだ。 見晴らしの良い場所から、黒く色を染めていく湖を見下ろして、ふと、空を見上げれば…大きくて、黄色い…美しい月が見えて来る。 ホロリと落ちて行く涙を流して、僕は首からバイオリンを外した。 そして、瞳を細めて僕を見つめる先生に向き直って…こう言ったんだ。 「…僕の、故郷だよ…?」 「とっても、美しい情景だった…」 僕に手を伸ばした先生の元へ行って彼の隣に座った僕は、温かい体にもたれかかりながら、耳に聴こえて来る“浜辺の歌”のピアノの音色に、そっと…瞳を閉じた。 先生は、僕が曲に込めた情景が見えたんだ。 そして、僕が曲に込めた…寂しいって気持ちも…伝わった。 だからかな…とっても心配そうに、眉を下げていたんだ。 ”浜辺の歌“のとっても…美しい音色にうっとりしながら、僕は、先生のピアノと一緒に歌を歌い始めた… だって、先生は…この曲に…”大丈夫だよ…“って、優しい気持ちを、込めてくれているんだもの。 僕の体の周りを優しく包み込む様に、穏やかに響くピアノの音色は、温かくて…良い香りがした。 「お上手…」 そんな先生の声にクスクス笑った僕は、顔を上げて、彼の顔を覗き込んでこう言った。 「日本の歌は…好き!言葉も、情景も、メロディも…美しいんだ。」 特に、先生の弾く…”浜辺の歌“は、とっても美しかった… 曲を弾き終えた先生は、身を屈めて…僕の顔を覗き込んでこう聞いて来た。 「…リクエストは、ありますか…?」 だから、僕は、ニッコリ笑って…指を立てて、こう言ったんだ。 「…じゃあ…ショパン、ワルツ第7番 嬰ハ短調を、お願いしまぁす。」 僕は、惺山の弾くこの曲が好き…情熱的で、ロマンティックなんだ… でも、先生の弾く、この曲も…好きだよ? だって、青い蝶があちこちに飛び回って…とっても美しいんだ。 体を起こした僕は、青い蝶を探す様に顔を上に上げた。 でも…残念…今日は居ないみたいだ。 代わりに、フワフワの鶏が…フラフラと空を飛んでいた。 「ふふっ!鶏は飛ばないのにぃ!!」 思わず、僕は、吹き出して笑った。 そんな僕に安心したのか…先生はホッとした様に瞳を細めて笑った。 「先生…とっても綺麗だった。ありがとう…。」 すっかり落ち着きを取り戻した僕は、先生の腕に顔を付けてそう言った。そして、ついでに…おねだりもしてみた。 「また、弾いてくれるぅ…?」 「もちろんだよ…」 やった! いつも運指の練習ばかりして来たからか…久しぶりに聴いた先生のピアノに、何だか…とっても、胸が満たされたんだ。

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