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#16~#18

#16 「ご無沙汰しております…お元気でいらっしゃいますか…大奥様。藤森北斗です。」 俺がそう声を掛けると、大奥様は可愛らしい笑顔を向けて、こう言った。 「あら…北斗君、いらして下さったの?」 久しぶりの軽井沢…俺は、ご贔屓にしてくれる財閥の大奥様にご挨拶へと伺った。 元々目の悪かった大奥様は、白内障を患って…今では盲目になってしまった。でも、可愛らしい笑顔は、健在だ。 彼女が手を差し出すから…俺はすぐにその手を取って、甲にキスして言った。 「…少し、時間を空けてしまいました。申し訳ございません。」 「お忙しかったのね…」 にっこりと微笑んだ大奥様の優しい笑顔に、俺は、応える様にはにかんで笑って、口ごもりながらこう言った。 「…少し、迷走しておりました…」 「あら、まあ…。あなたにも、そんな事があるのね…。でも、戻って来られた様で…良かったわ。」 ふふ…! 本当に彼女は、優しい女性だ… 優しく微笑みかける彼女に瞳を細めた俺は、肩をすくめてこう言った。 「えぇ…。間一髪を、天使に助けられました…。私は恵まれてる。」 「まぁ!素敵ね?」 俺の言葉に目を丸くした大奥様は、クスクス笑いながら楽しそうに手を叩いた。 そうだ…素敵なんだ。 「今日は…久しぶりに曲をお贈りしてもよろしいですか…?」 俺は、そんな可愛らしい彼女に、微笑みかけてそう尋ねた。すると、大奥様は首を傾げてこう言ったんだ。 「では…そんな天使に贈る曲を…私にも、お裾分けして聴かせていただけるかしら…?」 ふふ…洒落てるね… 「もちろんです…」 にっこりと笑った俺は、バイオリンをケースから取り出して…首に構えた。 そして、美しく姿勢を正して…いつもの様に弓を美しく構えると、あの子の様に…ふんわりと弓を弦に落としながら弾き始めた。 “私のおとうさん”… まるで天使の歌声の様に、小さくても、繊細でも、確かに聴こえる音色で…この旋律を紡いで行こう。それは、途切れる事の無い…糸の様に… 「あぁ…素敵ね…」 うっとりと首を横に振る大奥様を見つめながら、俺は右手をゆったりと動かした。そして…まるで羽でも生えた様な弓を軽く弦に擦らせながら、伸びて行く音を体中で感じて、気持ち良く音色を立てた。 冴えてる… 鳥肌が立つくらい、良い音色だ… 俺は、この上出来の曲を…君へ送る。 豪ちゃん、ありがとう… お前は俺のお父さんじゃないけど、この曲にピッタリの…優しくて、温かい人だ。 「とっても…美しかった…」 大奥様は、そう言って…目元の涙をハンカチで拭った。そして、俺に顔を向けてこう言ったんだ。 「…とっても、お辛かったわね…。でも、天使が…助けてくれた。」 あぁ…そうか… 彼女も、また、耳の良い人だった。 もしかしたら、豪ちゃんの様に…奏者の乗せた情景を、彼女も朧げに見れるのかもしれない… スンと腑に落ちる思いを抱いた俺は、彼女の隣に腰かけて…手を取ってこう言った。 「そう…天使が、ここへ戻れと、私を諭してくれたんです…」 すると、彼女はクスクス笑って、俺に顔を向けてこう言った。 「ふふっ!では、次は…あなたの番ね…?ふふふ!素敵!」 …俺の番? 首を傾げた俺の様子に気が付いたのか、彼女は優しい微笑のまま…こう言った。 「…持ちつ持たれつ…なんて、言葉があるでしょう?あれは、本当なの…。長い時間生きていると…実感するわ…。恩という物は目には見えないけれど、心の中に、ずっと…刻まれている。そして、そんな物を、お返しする時が…いつか来るの。」 へえ… 「それは…光栄だ…!」 俺は、にっこりと微笑んでそう言った。 だって、事実…あの子の為に何かを出来るんだとしたら、俺は喜んでやるだろう。 すると、彼女は俺の手を握って…優しく包み込んでこう言った。 「お帰りなさい…北斗君。」 だから、俺は彼女の手を握り返して…こう答えたんだ。 「ただいま、戻りました…大奥様。」 「さあ、次は、オジジの所へ行こう!」 「はぁ~…嫌だねぇ…」 大奥様にご挨拶を済ませて車に戻った俺は、まもちゃんの肩を揺すってそう言った。 彼はいつも、こうなんだ。 嫌だ!嫌だ!ばかり言って…結局、同じ様に、仏頂面で並んで座るんだから… 面白いったらありゃしない! ニヤニヤ笑った俺は、助手席の窓を開けながら運転席のまもちゃんを見た。 「うちの母親は、とうとう解禁されたそうじゃないか!あっはっは!おっかしいよね?バイオリンを製作するまで、足しげく通って…10年もかかってるんだ!あのオジジは、なかなかどうして、いい仕事をする!」 ケラケラ笑いながらそう言うと、まもちゃんは顔を歪めて首を横に振った。 すっかり、まもちゃんのバイオリンを気に入った俺の母親は、何だかんだと理由を付けては、オジジのバイオリン工房に通い続けた。 そして、念願かなって…やっと、オリジナルのバイオリンを作って貰える所まで来たそうだ。 10年だ! 職人って…ほんと、意地悪だよな…?ははは! 「…北斗のお母さんは、少し、ヒステリーだから…みんな怖がってるんだよ…」 まもちゃんはそう言いながら、ずっと、首を横に振ってる… 歳をとると首の筋力が衰えて…自然とプルプルしちゃう。 白髪の増えた彼は、そんな風にも見えてくるから…やめて欲しい。 「首、止めてよ。」 「なぁんで!」 口を尖らせたまもちゃんは、これ見よがしに小刻みに首を振り始めた。だから、俺は呆れた様に首を振って、言ってやったんだ。 「…だって、老いぼれのおじいちゃんみたいなんだ!」 「ぐふぉっ!」 そんな辛辣な俺の言葉が効いたのか…まもちゃんは首を横に振るのをすぐに止めてくれた。 まもちゃんの車は、いつもの様に登坂車線の左側をノロノロとマイペースで走った。右側の追い越し車線を越えていく車を見送りながら、俺は彼に言ったんだ。 「俺も免許があるじゃん…?俺が運転しようか…?」 すると、まもちゃんは一気に顔を歪めてこう言ったんだ。 「嫌だぁ!北斗の運転は…絶対に、もう…二度と乗りたくない!」 酷いじゃないか… 実は、まもちゃんを助手席に乗せた時…事故を起こしかけたんだ。 それは、免許を取りたての…18歳の頃の話だ… 都内住みの俺は、電車やバスで事足りる交通網のお陰で、ペーパードライバーなんてカテゴリーに属する有免許者となっていた。 しかし、真夏のリゾート地…軽井沢は、そんな俺の“運転したい欲”を悪戯に刺激したんだ。 だから、スーパーから…まもちゃんの店まで、帰る道を運転させて貰った… 「…北斗…北斗!サイドブレーキが、半分しか下がってない…!」 そんなまもちゃんの悲鳴を聞いた俺は、ケラケラ笑いながら、サイドブレーキを最後まで下げて…足でブレーキを踏みながらルームミラーを調節したんだ。 「北斗!北斗!ちょっとずつ、進んでる気がするぅ!」 まもちゃんは、いちいち煩かった… そんな彼を無視した俺は、彼仕様の運転席のシートを調節する為に、ブレーキから足を離して、体を揺すりながらシートを動かしていたんだ。 「きゃ~~~~!」 突然、乙女のような声を出すまもちゃんにビックリした俺は、彼を見つめてこう言ったんだ。 「どうしたのさ!」 すると、まもちゃんは両手を口に当てて…フルフルと体を震わせながら、前方を指さした。 俺が運転席の座席を調節している間…ニュートラルになっていた車が、トロトロと前に進んでいたみたいで…目の前の交通量の多い国道ギリギリまで、勝手に進んでいたみたいなんだ。 なに、大した事ないよ。 だって…ブレーキを踏めば良いんだもんね。 俺はケラケラ笑いながら、ブレーキを踏んだ。 しかし…ペーパードライバーの俺は、少なからずとも…彼の悲鳴に動揺してしまっていたみたいで、ブレーキと間違えて…アクセルをべた踏みしちゃったんだ。 ぎゅんと体が持って行かれるくらい前に突き進む車に、俺は一瞬頭が真っ白になった。 それは助手席に座ったまもちゃんも同じみたいだ。 だって…彼の悲鳴を聞いていないもの… パッパ~~~~! けたたましいクラクションの音に我に帰った俺は、咄嗟にハンドルを切った! 反射神経は良かったのか…俺は、見事に走行車線に入る事が出来たんだ。 「ぐが~~~っ!」 そんなまもちゃんの悲鳴を左に聞きながら、俺は、アクセルをべた踏みしたまま…国道を疾走したんだ。 制限速度…70キロの道路を、俺は120キロで駆け抜けた。 頭が真っ白になってしまった俺は、自分がアクセルを全開にしているなんて…思いもよらなかったんだ… やけに周りの景色が早く通り過ぎて、やけに他の車がのろいんだ… そんな事を、ぼんやりと考えていた。 「北斗!北斗~~~!足!足を、アクセルからぁ!離して~~~~!」 まもちゃんは大声を上げて、俺の右足の太ももを掴んで持ち上げた。 その手が…妙にこしょぐったくって…俺はケラケラ笑いながら、ハンドルから手を離して、まもちゃんの肩を押した。 「ん、やめてよ~!」 アクセルから足は離れたけれど、俺たちの乗った車は…90キロくらいの速さを惰性で進んでいた。そんな中、コントロールを失った車は、どんどん対向車線へとはみ出して行ったんだ。 「ギャ~~~~ッ!」 まもちゃんは、目玉が飛び出そうな位、目を見開いて、ハンドルを片手で掴んだ。 そして、大きな体を動かして、足を俺の足元へと入れて来たんだ。 だから、俺は怒ってこう言ったんだ。 「やめろよっ!まもちゃん!危ないだろっ!」 すると、彼はガンギマリした目を俺に向けてこう言ったんだ。 「お、お…お前の運転が…危ないんんじゃ~~~っ!」 酷いだろ…? 不貞腐れた俺は、両足を運転席のシートに上げて、口を尖らせたまま、窓の外を眺めたんだ… まもちゃんは、助手席から足を延ばして、アクセルとブレーキを器用に踏み分けながら、片手でハンドル操作をして…路肩に車を止めた… そして、不貞腐れた俺を助手席に移して…無言のまま…お店へと戻ったんだ。 確かに、あれは危なかった…! でも、俺も26歳…車の運転ぐらい出来る様になったさ。 あの時の記憶でも思い出したのか…まもちゃんはフルフルと体を震わせながら、ハンドルを硬く握るのであった… 「オジジ~~!」 「うおっ!北斗、来たのかぁ~~~!」 そう答えたのは、工房の職人たちだ。 俺は勝手知ったる工房の中へとズイズイと入って行って、俺を見てニヤニヤするオジジの前で立ち止まった。そして、丁寧にお辞儀をしながらこう挨拶をしたんだ。 「ご無沙汰しております。藤森北斗です。」 「…ふふ。知ってる!護と別れたんじゃないのか?はぁ~!馬鹿だな。出戻りか…。こんな男のどこが良いんだか…!お前は、選択を誤ったな!北斗!」 口ではこんな事言ってる癖に、オジジはとっても嬉しそうに目じりを下げて、俺を抱きしめてくれた。そして、何度も背中を撫でて…優しく、こう言ってくれたんだ。 「大変だったな。お帰り…」 「た…た、ただいまぁ…」 あったかくて、大きい…そして…少しだけ、衰えた…そんなオジジの体に顔を埋めた俺は、溢れて来る涙を堪えながら…鼻を啜った。 「どれ…俺が直々にメンテナンスをしてやろう…!」 そんな気前の良い言葉に顔をあげた俺は、手に持ったバイオリンケースをオジジに手渡した。 そして、俺は、彼の作業を…満面の笑みを浮かべて眺めるのであった… -- 「先生、僕たちは…少し、行き過ぎたみたいだぁ…」 「…先生は、そんな風に思わないけどね。」 惺山にお説教を受けた僕は、ピアノに腰かけたまま、不満げに口を歪める先生にこう言った。 「…あんまり、仲良くし過ぎるのは…お互いにとって良くないみたいだぁ!」 すると、先生はムッと頬を膨らませてこう言ったんだ。 「仲が良い事の、何が悪いんだ!」 …一理ある。 首を傾げた僕は、ソファに座る男性の隣に座って、難しい顔をしながら考え込んだ… 「仲が良い事の…弊害はぁ?」 隣の男性を見つめてそう尋ねると、彼は首を傾げてこう言った。 「…遠慮が無くなる事…?」 遠慮が無くなる事…か… それは、例えば、オナニーが終わったばかりの先生に、随分かかったね?なんて、言葉を掛ける事かな…? 「…なる程。」 「ん、もう、豪ちゃん!森山君の言った事なんて鵜呑みにしちゃ駄目だよ!彼はね、豪ちゃんと俺が、すこぶる仲良しなのが、嫌なだけなんだからぁ…!」 ピアノから僕の隣に座り直した先生は、僕をヒシッと抱きしめてこう言った。 「仲良しで…良いじゃないか…!」 ふと、彼の顔を見上げた僕は、壊れてしまった眼鏡をそっと外して、テープの巻かれたフレームを撫でながら言った。 「ん…先生、ごめんなさいぃ…僕ぅ、大事な眼鏡を壊しちゃったぁ…」 「良いんだ。こんなのすぐに直る…」 何てことだ… 僕は、我を忘れて、大暴れして、先生の私物を壊してしまった。 「俺の車の中も…泥だらけだ…」 隣でポツリとそう呟いた男性を見上げた僕は、彼に聞いたんだ。 「どうしてか、僕は先生に…甘えすぎてしまうみたいなんだぁ…」 「へえ…」 興味なさげにそう言った男性を見つめたまま、僕はため息を吐いて続けて言った。 「もっともっとって…駄々をこねて、わがままになってしまったぁ…。惺山の言った通り…僕がここへ来た理由は、先生に…バイオリンを習う事だった筈なのに、いつの間にか…僕は、先生に違う事を求めていた気がするぅ…」 「それは、何だい…?」 隣から顔を覗き込ませてくる先生に、僕は、壊れた眼鏡を戻しながら言った。 「…さあ。」 答えなんて…分からない。 だから、この感情に…戸惑ってしまうんだ。 「…じゃあ、お昼ご飯を作るね…」 鬱陶しい先生の顔を押し退けた僕は、ソファから立ち上がってそう言った。すると、隣に座った男性が、僕の手を掴んでこう言ったんだ… 「豪、俺の車の中を掃除してくれ…。夕方、女の子を乗せる予定があるんだ。」 あちゃ… 僕が暴れて、汚してしまった車の事だ… 僕は、シュンと背中を丸めて、申し訳なさそうに上目遣いをしながら彼に言った。 「…ごめんなさいぃ…すぐに、綺麗にしますぅ…」 有言実行だ! 僕は、すぐさまバケツと雑巾を手に持って…外に停まった真っ赤なスポーツカーへと向かった。 カッとなると押さえが利かなくなるのは…僕の悪い所だ… そんな時、惺山は、僕の気持ちを…汲んで、分かって、理解して、寄り添ってくれた… 兄ちゃんや、てっちゃんは、僕を雁字搦めにして制圧して来たけど…先生は、そんな風にはしなかった… ただ、じっと…僕の顔を覗き込んで、聞き続けた。 どうして怒ってるのって…聞き続けたんだ… 「…優しいから、甘ったれちゃうのかなぁ…」 ポツリと呟きながら、僕はせっせと掃除を続けた。そして、自分の付けた足跡に…苦い顔をしながら、雑巾で綺麗に拭き落としていったんだ。 「ミミ~!サリュ~!」 「サリュ~!」 背中に掛けられる声に挨拶をして、僕は、何とか…全てを無かった事にする事が出来た。 後は…証人を消すだけだ…! なんて、怖い事を考えながらニタニタ笑っていると、ふと…カッコいいスポーツカーの運転席に座ってみたくなった。 先生も、色は黒いけど、こんな車に乗ってる…! 僕は運転席を開いて、辺りをキョロキョロしながら…そっと、シートに座ってみた。 「わぁ…!」 ハンドルを握って、ニマニマ笑った僕は…満足げにこう言った。 「ヘイ、彼女~!どっこ行くの~?」 「…サリュー、ミミ~!」 ジェンキンスさんが…苦笑いをしながら僕に手を振ってくれた… 「さ…サリュ~!」 きゃあ、恥ずかしい…!! …それでも、僕は、運転席に座り続けた。 惺山さんを隣に乗せて…かっ飛ばしたいなぁ… 長い髪が風になびいて…気持ち良さそうに首を伸ばした彼が、僕を見つめて言うんだぁ…。 「あぁ…豪ちゃん…こんな高級車に乗って、大金持ちになったんだね?」 「そうだよぉ?僕のお金で、惺山を一生働かなくても良い様にしてあげるねぇ?ずっと、ピアノだけ弾かせてあげる。だから、もう怒ったりしないんだよぉ~?」 「ん、分かったぁ~!豪ちゃん大好き~!」 「ぐへへ…!」 「豪、ポルシェに乗りたいの…?」 妄想に耽る僕の顔を覗き込んだ男性は、にんまりと口端を上げてそう聞いて来た。だから、僕はにっこりと笑ってこう言った。 「うん。頂戴?」 「あっはっはっは!駄目だよ~!っホントに、面白い!理久が気に入っちゃうのも頷ける。…君は、規格外だ。ギフテッドなんだって…?それはそれは…興味深いね…?」 なぁんだ…くれないんだ… 「成功して、お金を持ったら…豪も、こんな車にも乗れるよ。」 「うん…そうだね。」 男性は体を屈めてしゃがみ込んで、運転席に腰かけた僕に、そんな…お金の話を繰り返して言った。 「お金があれば…好きな所にも行けるし、好きな物も食べられる!」 「へえ…そうなんだあ…」 でも、僕は首を傾げながら…適当に流すだけにした。 だって、兄ちゃんが言ってたんだ。 突然、お金の話をしてくる人は…信用しちゃ駄目だって…! だから、僕は、ハンドルを握ったまま、惺山とのドライブデートの妄想を続けていたんだ。すると、僕の髪を指に絡めた男性が、クスクス笑ってこう言ったんだ。 「豪…理久の所が嫌なら、俺の所に来たら良いのに…。可愛いし、バイオリンの音色も美しい。なんだか、豪が欲しくなっちゃった…!」 「駄目だよぉ。僕は、先生のお弟子さんなんだぁ…」 不意に危険を察した僕は、そそくさとハンドルから手を離した。そして、運転席から立ち上がろうと体を起こして、身を屈めた。 「んっ!よっ!うぉおいっしょっと…!!」 運転席は思った以上にシートが深くて、僕はなかなか立ち上がれずにいた。すると、その様子を見ていた男性は、僕の腰を掴んでひょいと持ち上げてくれたんだ。 「わぁ…ありがとう。お兄さん。」 「幸太郎(こうたろう)だよ…豪。俺は、幸太郎って言うんだ。そして…32歳なんだ。」 32歳の幸太郎さんは、僕を見つめてそう言った。だから、僕は、車の中をチラチラと見ながら、彼に頭を下げて謝ったんだ… 「幸太郎さん、車を汚してごめんなさい…。誠に、申し訳ありませんでしたぁ…!」 すると、彼は僕の腰を撫でながらこう言ったんだ。 「良いよ…。理久のあんな取り乱す所が見れたんだ。面白かったよ、豪。…でも、また…嫌になったら、三軒茶屋になんて行かないで…俺の所においで?俺は、お前を怒らせたりしないし、特別扱いしてあげる。誰よりも、綺麗な服を着せて…満足させてあげるよ?」 満足…? 首を傾げた僕は、車から離れて、運転席に乗り込んで行く大きな背中を見つめた。 そして、振り返った彼が伸ばした手の先に挟まる一枚の紙を見つめて、もう一度首を傾げた。すると、彼は、伸ばした手をブラブラ揺らして僕に言ったんだ。 「…ここに、連絡を頂戴?そうしたら、飛んで迎えに来てあげる。」 わぁ… 真っ赤なスポーツカーに乗る人は、きざなんだ。 「はぁい…」 首を傾げながら、僕は、彼の手から紙を受け取った。 すると、きざにウインクなんてした幸太郎さんは、爆音を立てながら車を出した。僕は、遠ざかって行く真っ赤なスポーツカーを見送って…手元の紙に視線を落とした。 そこには、電話番号と、彼の名前が書いてあった。 #17 「あ~はっはっは!まもちゃん!だから言っただろ?あ~はっはっは!」 「なぁんて…なぁんて、美味しいスコーンだぁ!!」 俺の持ち帰った”豪ちゃんのスコーン”を食べたまもちゃんが、目を輝かせてそう言った。その顔がおかしくて、俺は、彼を見ながらゲラゲラ笑ったんだ。 誰もいないお店の中、厨房の中に置かれたいつもの猫柄のクッションに腰かけた俺は、ワナワナと震えの止まらないまもちゃんの顔を覗き込んで言った。 「あふふっ!ヨーグルトで作ったんだってさ…」 「だぁから、こんなに軽いんだ…!」 ふふっ! 目を見開いたまもちゃんの顔が…おっかしい!! 俺は、思う存分、彼の変顔に腹を抱えて大笑いをした。そんな俺の反応を面白がるみたいに、まもちゃんは何回も変顔を続けた。 そのせいか…俺は、彼の普通の顔でも、頬が痛くなるくらい笑ってしまう様になった。 「本当に料理が上手な子だね…?そんな子にフィッシュアンドチップスを褒められた俺は…凄いコックじゃないか…!そう思わない?北斗?」 「ぐふっ!ぐはぁっ!あぁ…そうだねえ…ぷぷぷっ!」 得意気に胸を張ったまもちゃんの、普通の顔が…面白い…! 俺は笑いが止まらなくなって、顔を上げられずに肩を震わせながら返事を返した。 すると、まもちゃんはムッと頬を膨らませてこう言ったんだ。 「…何だよ。」 「ぐふぉっ!!」 「…も、もう!止めろよっ!」 「ヒ~ヒッヒッヒ!」 最終的に…少しだけまもちゃんが機嫌を悪くし始めた所で、俺は、笑いを抑える事が出来た… 仕方が無いよ。 だって…彼といると、笑いが絶えないんだ。 ニヤけた顔をそのままにしながら、俺は彼を見上げてこう話しかけた。 「ねえ?今度、豪ちゃんに会ったら…何か調理器具をあげたいな…。まもちゃんは、何が良いと思う…?」 「そうだなぁ…すり鉢とか…?」 まもちゃんは腕まくりをしながらそう答えた。だから、俺は肩をすくめてこう言ったんだ。 「そんなの、貰っても嬉しくない…。もっと、ハンドミキサーとか…ブレンダーとか…」 「何をおっしゃる…。料理好きは、すり鉢好きだよ…?特に、デカいのが良い…。グラグラしない…がっしりした奴が良い。」 へぇ… まもちゃんの顔を見上げながら、ビールを一口飲んだ俺は口端を上げてこう言った。 「じゃあ…まもちゃんをあげようか?大きいし、グラグラしないし、がっしりしてる!あ~はっはっは!」 「あ…俺は、もう、先約済みだから…悪いね?」 何でだろう…ちょっとだけ、イラっとした。 きっと、得意げな彼の表情が…ムカついたんだ。 「…それに、豪ちゃんには…陰キャの彼がいるからね。」 まもちゃんはそう言いながら背中を向けると、俺の為にハンバーグをせっせと捏ね始めた。 陰キャの彼氏… そんなまもちゃんの言葉に、俺は、眉を顰めてこう言った… 「彼は作曲家だよ…。森山惺山。理久の弟子だった男だ。理久の奥さんと不倫して…追い出された…。そして、豪ちゃんを見つけて、あの子に、バイオリンを与えた。そんな豪ちゃんは、今は理久の元でバイオリンを習っている…」 「作曲家ぁ?不倫?!」 顔を歪めたまもちゃんは、嫌そうな表情をそのままにしながらこう言った。 「どうりで…。納得したよ。あいつは、ダークサイドに落ちてる目つきをしていたもんね。豪ちゃんが可愛そうだぁ…、あんな男のどこが良いんだか…はぁ…!」 確かに… まもちゃんは、大きなため息を吐いたかと思ったら、ハンバーグをフライパンに乗せてコトコトと小気味の良い音を立てて焼き始めた。俺は、そんな彼の背中を見つめたまま…ポツリとこう言ったんだ。 「そ…そういう、ちょい悪な男が…天使の、好みなんじゃないの…?」 「ぐほっ!」 するとまもちゃんは、俺の言葉に吹き出し笑いをして、肩を小刻みに揺らしながら…悪乗りを始めた。 「…虐められたく、なっちゃうのかなぁ…?」 「ぐふっ!」 ウケる… 笑いを堪えた俺は、身を乗り出して…まもちゃんの背中に、こう言った。 「…もしかしたら、その逆で…豪ちゃんが虐めるのかもしれない!」 「それはご褒美だぁ!」 下らない… こんな話を、彼とするのが…大好きだ! 「…ところで、俺は今年の12月…そんな、ちょい悪な彼の交響曲を演奏する事が決まってる。直々のご指名だったんだ。」 存分に豪ちゃんと森山氏のベッドシーンで盛り上がった俺は、気が済んだ様に…そんな話をまもちゃんに話した。すると、彼は、俺を少しだけ振り返ってこう言ったんだ。 「…マジでぇ?」 あぁ、大マジさ。 「北斗も狙われちゃうね…?ちょい悪なあいつに、なびいたりするなよ…?」 クスクス笑いながらそう言ったまもちゃんの背中に、俺は顔を歪めてこう返した。 「んな訳無い!彼は、天使にがっちりハートを盗まれてる!いつも仏頂面なのにさ。嬉しそうなんだよ…あの子の話をする時だけ、表情が穏やかになるんだ。」 そう…まるで、理久みたいに… 「…ダークサイドの男だからねぇ…何をするか分からんよ。」 まもちゃんのそんな言葉と共に、ジュージューと肉の焼ける良い音と、良い匂いが厨房の中に広がって来た。 「ん~…!良い匂い!」 「ふふ…だろぉ…?」 こんな他愛のない話をしたのは、いつ振りかな… とっても、楽しい… どうしようかな。 俺は、もう、彼の傍を離れたくなくなった。 もう、あちこちを飛び回る事に、疲れた… 上機嫌にハンバーグを焼くまもちゃんの背中を見つめたまま…俺は手に持ったビールをすすって飲んだ。 豪ちゃん、お前なら…こんな悩みを持った俺に、なんて言ってくれる…? 「…傍に居たら良いじゃない。」 きっと…満面の笑顔で、そう言うだろうな。 …馬鹿だな。 世の中は、そんなに…都合よく回ってはいないんだよ。 彼といる事を選択したら…俺の仕事はグンと範囲を狭める事になるだろう。 それが自分にとって…良い事なのか、悪い事なのか…判断が付かないんだ。 何だかんだと、音楽の師…理久の後を追いかける様に、俺は、海外での功績を求めて、海外での活躍を音楽人生の主軸として来た。 そのお陰か…俺の名前は、海外では売れた。 ”孤高のバイオリニスト…藤森北斗“だ。 そんな俺が…日本の舞台で、どれ程の出番があるというのか… それを考えると、躊躇してしまうんだ。 日本は、既に…有名なバイオリニストが出揃っている。 今までの様に俺がソリストを務める機会も減るだろうし…実力主義の海外と違って…年功序列色の強い風土に、馴染めるのかも不安だ。 俺の夢だった…オーケストラのコンマスになんて…先客が予約済みの日本では、到底、無理だ。 だから、苦しいんだ… だから、決められないんだ… 幼い日の思い出が…こんな所で止まっては駄目だと、俺に言うんだ。 お前は、こんなもんじゃないだろって…俺に言うんだ。 あんなに沢山の物を犠牲にして来たのに。あんなに、苦しい練習を続けて来たのに…結局、トップにもなれずに、夢もかなえられずに、志半ばで諦めるのかって…はっぱを掛け続けるんだ。 今までだって…まもちゃんの傍に居続けようと思った事なんて、何度でもあった。 でも、その度に… もし、俺がまもちゃんの傍にいる事を選んだら…理久はなんて言うかな。 両親は…何て言うかな。 俺は、それを…どう受け止めるのかな… そんな不安が…考えを鈍らせて…自分の気持ちから、目をそらさせた… 「ん~!良い出来だぁ!最高傑作!どうぞ…北斗ちゃん、お召し上がりくださいませ!」 まもちゃんは、片手で格好良く俺の前にランチョンマットを敷いた。そして、美味しそうなハンバーグのお皿を、その上にコトンと出してくれた。 懐かしい…そんな光景に、俺は瞳を潤めて微笑んでこう言った。 「うわぁ!美味しそうだぁ!!」 そう…お上品なサイズじゃない、俺の為の、俺だけのハンバーグは、通常の2.5倍のお肉が使われているんだ。 俺は、早速、フォークで切り分けて、そのまま…熱々のハンバーグを口の中に入れた。 「あぁ…まぁたやってる。」 呆れた様にそう言ったまもちゃんは、嬉しそうに、目じりを涙で濡らしていた。 「あ…あっふい!あっふい!」 そんな彼を見つめながら、俺もホロリと涙を落として…熱々のハンバーグを口の中で転がしながら笑った。 どうしたら良いのかな… もう、彼と、離れたくないんだ。 -- 「豪ちゃん、運指の練習をして…」 「はぁい…」 先生があんまりお腹が空いてないと言うので、お昼ご飯は、サンドイッチとスープを作った。クルトン入りの玉ねぎのスープが気に入ったみたいで、先生は、2回も、おかわりをした。 僕はバイオリンをケースから取り出して、綺麗にフキフキしながら、視線も上げずに…先生に聞いてみた。 「幸太郎さんは、何をしている人なのぉ…?」 すると先生は僕を横目に見ながらこう答えたんだ。 「…彼は、所謂…ギフテッドだよ。幼い頃からその才能は注目を浴びて、富を得て、今に至る。最近では…自分と同じ境遇の子供を支援してる。」 へぇ… 「俺は、何回か…ソリストの彼と仕事をした事があるんだ。オーケストラのコンマスをしていた時にね…。そりゃ、素晴らしいチェロを弾いた。こんな音色が出るのか…と、驚愕した事を今でも覚えているよ…」 先生は首を傾げながらそう言った。だから、僕は、彼の顔を見上げて話の続きを聞いた。 「…音楽業界がギフテッドの教育に本腰を入れる様になったきっかけは、彼と言っても過言では無い…。いわば…彼はそんな特異な子供のアイコンなんだ。普通の人には出来ない事を成して…認められて…成功を収めた。」 先生はそう言いながら、書類をたくさん抱えて書斎へ向かった。だから、僕は、彼の前を歩いて…書斎のドアを開いてあげたんだ。 「ありがとうね…」 そんな先生の後を付いて、僕は、彼の書斎に一緒に入って行った。 そして、小さなソファの上に置かれた…金色のサックスを見下ろして先生に言ったんだ。 「あ!僕も、これ、吹いてみたい~!」 音楽祭で…吹奏楽部の愛子ちゃんがサックスを吹いた。 その時の、パンチのある音色が、とっても、気に入ったんだ。 だから、僕も…吹いてみたかった… 「へ…?」 驚いて目を丸くした先生は、首を傾げて僕にサックスを手渡した。そして、僕の顔を覗き込みながら、説明をしてくれた。 「…指を…こう置いて、この蓋は、ここでパカッと開くんだ。この唇が触れる所は…リードって言って、竹で出来てる。…消耗品だよ。」 「ふんふん…」 何度も頷く僕の顔を覗き込んだ先生は、自分の唇を指で差して…こう言った。 「唇をこういう形にして…そのまま、リードを咥えて…?」 「ハフって…?」 「そうそう…」 「頬を膨らませて吹いちゃ駄目という人と、頬を膨らませて吹けと言う人と、二分に分かれる。これは…ペットもそうだ。そして、ここからは先生の持論だよ?俺は、頬を膨らませて吹いた方が良いと思ってる。」 首を傾げてそう言った先生の言葉に頷いた僕は、頬に空気を沢山いれて、リードに向けて息を思いきり吹き込んでみた。 フファ~~~~~! 「キャッキャッキャッキャ!」 変な音が出た! 大笑いした僕は、サックスを持ってリビングに走って行った。 ドキドキ… 再び頬に空気を沢山溜めた僕は、思いきりリードに向かって息を吹き込んでみた。 フファ~~~~~! 「キャッキャッキャッキャ!」 また、変な音が出た! 「ん、楽し~~~!」 上機嫌になった僕は、ずっと、サックスから変な音を出し続けた。 掠れている様な…すかしっぺの様なその音は、まるで…ケーキの周りに付いたフィルムの様に本当の音を隠して持ってる。 これはどうしたら良いんだろう…? 思いきり吹いても駄目で…優しく吹いても駄目。 だとしたら…息を吹き込む角度を変えたら良いのかな…? 口の形がいけないのかな…? どうしたら…愛子ちゃんの様に、パンチのある音を出せるんだろう…? 僕は、首を傾げて何度も息を吹き込んだ。 ポァ~~~~! 「キャッキャッキャッキャ!」 音が少し変わったぁ! 「…いつまでやってんだ。ほら、バイオリンの運指をして…?」 サックスを抱えたままの僕を見つめて、コーヒーを淹れに来た先生が呆れた様にそう言った。だから、僕はソファの上に立ち上がって、先生に言ったんだ。 「ねえ!先生?…聴いててね?」 サックスを構えた僕は、お腹から息を吐きだして、リードの先っぽを震わせながら空気をサックスへと送り込んだ。 パァーーーーーー! 「キャッキャッキャッキャ!どうだぁ!」 良い音になった!! 僕は、ソファの上でカズダンスを踊りながら先生を見下ろして、キメポーズを取った。すると、先生は指を動かしながらこう言ったんだ。 「じゃあ…次は、このカポカポを動かして…音階を出してみてよ。」 「お安い御用だぁい!」 僕は、サックスなんて…どの音がどの音になるのか…なんて、知らない。 だけど、このひとつひとつの穴に、音が割り振られているという事は…分かった。 だから、僕は、縦笛と同じ様に下から指を離しながら息を吹き込み続けた。 すると…頭がクラクラして…そのまま、ソファの上に仰向けにぶっ倒れた… バタン… 「あっ!豪ちゃん!」 すぐに駆け寄って来た先生は、僕の顔を覗き込みながら頬を撫でて、ため息をついて言った。 「はぁ…。全く。酸欠になってる…しばらく、大人しくしてなさい。」 そして、没収とばかりに…僕の抱えたサックスを手に持って、書斎へと戻って行ってしまったんだ。 「はぁ…」 サックスって…死にかける楽器だ… でも、音が出た時の振動は…バイオリンと違って、壁までも震わせた! 凄い圧の出る楽器なんだ…! 呼吸の戻った僕は、クラクラする頭を横に振りながらバイオリンの元へと向かった。そして、ピアノの椅子に腰かけて…運指の練習を、やっと…始めた。 惺山と一緒に居た頃、僕は、散々ッぱら…感覚という物だけでバイオリンを弾いて来た。それは…彼がくれたチューナーや…確かな音を踏むという事を、一切無視したものだった… 先生は、そんな生半端な音は気持ちが悪いから、駄目だと言った。 きちんとした指で、きちんとした音を押さえる事によって…本当の曲の美しさが分かるんだと、口酸っぱく言った。 僕はそんな言葉の意味が分からなくて、ただただ、こんな練習…しんどくって、つまらないだけだと…思ってた。 でも、違った。 先生のお仕事で付き添った時、”シシリエンヌ”を弾いて分かったんだ。 正確な音を押さえる事の重要性と、その事によって…格段にピアノとの演奏が心地良い物に変わった事に。 そして、正しい指使いがどれほど大事な物なのか…痛感した。 ほっくんに弾いた”愛の挨拶“もそうだった。 音階と、押さえる指…そして、その曲に割り振られた運指。 それは…耳で聴いただけでは計り知れない…曲を完成させる為に、一番大事な部分を担っていたんだ。 「でも…つまんない…」 ブツブツとぼやきながら…僕は毎日のルーティンを黙々とこなした。 この指が…この場所に…自然に置けるようになったら、僕はもっと沢山の曲を、もっと深く演奏する事が出来るんだ。 そうだよね…? 惺山。 「コッコッコッコ…」 庭では、パリスとポンポンが楽しそうに駆け回っている… そんな、毎日が休日な彼らを見つめた僕は、運指の手を止めて…ぼんやりとした。 楽しそうだな。 一緒に…草むしりしたいな… はっ!! 「…しっかりしろよ。何してんだよ。」 惺山の言葉を復唱しながら、僕は再び…運指の練習を始めた。 ごめんなさい。惺山… もっと、上手になって…あなたを驚かせてあげるね。 絶対に、ガッカリさせたり…しない! #18 「んふふ!まもちゃぁん…も、お風呂に入れないじゃん?んふ!んふぅ!」 「なぁんだよ…入ってるぅ!北斗は…お風呂に、既に、入ってるだろぉ!」 俺たちは、狭い風呂場でいちゃつくのが…好きなんだ。 それは何年たっても、変わらない… 俺は彼の唇が大好き…! 「あぁ…まもちゃぁん。とっても美味しい唇をしてるね…?あむっ!あむっ!」 「はっはぁ…北斗の為に…俺は、毎日リップクリームを付けているからね…」 ふざけてばかりのまもちゃんだけど…俺のキスに、下半身がすぐに反応して行く様子は、余裕ぶった顔と比べてかなり力強かった。 「なぁんだ。すぐに興奮して…お馬鹿さんだなぁ…」 俺は、まもちゃんの胸に両手を当てて、彼の唇に何度もキスをしながらクスクス笑ってそう言った。すると、まもちゃんは俺のお尻を両手でナデナデしながらこう言ったんだ。 「…はぁはぁ…ば、ば、バッカでぇ~す!」 面白いだろ…? 俺は、彼が大好きなんだ… 格好付けた男よりも、ニヒルな男よりも、健気で尽くしてくる男よりも…彼が好き。 可愛くて…お茶目で、愛嬌のある…フワフワの髪の護が好き… 「まもちゃん、大好き…」 彼の胸に抱き付いた俺は…クッタリと体を付けて、脱力した。 あの少年時代の夏の事を、未だに…よく思い出す… 初めてのセックスと、大人のまもちゃんに夢中になって、無我夢中に溺れたんだ。 直生と伊織、チェリストのふたりと合奏を繰り返して…自分の身の程を知った。 そして…命とは…突然失われる物で…二度と、元には戻らない事を知った。 俺のバイオリンが…沢山の人を笑顔にして、そんな様々な体験が、自分の演奏の質を高めて…昇華させていくんだと分かった。 でも…何よりも、何よりも… 俺は、あの時…初めて…誰かを真剣に愛するという事を知ったんだ。 この人と離れたら…自分は、どうなってしまうんだろう…? そんな思いに、胸を苦しめたあの少年時代のまま。大人になっても…俺は、何も変わってはいなかった。 そんな思いは、誤魔化しても、強がっても、忘れようとしても、見ない振りを続けても…自分で自分の首を絞め続けて行くみたいに…苦しくて、逃げ場のない…息苦しさを与え続けるだけだった… ねえ… 誰よりも輝く事を疑わず、華々しい未来を信じて、必死に音楽に従事した幼い頃の俺よ…。お前のやった事は、お前が犠牲にして来た事は、何一つ、無駄にはしないよ。 でも、俺たちは…幸せになる為に…産まれて来たんだ。 そうだろ…? 「まもちゃん…?こんな事を言ったら、あなたはどう思うのか…」 お風呂から上がった俺は、まもちゃんの大きな背中をタオルで拭きながら、そう切り出した。すると、彼は俺を少しだけ振り返って、首を傾げた。 「…ん?なぁに…?」 俺は、多分…あなたが死ぬまで、あなたと離れる事が難しいと思う。 別れの度に、泣くのは嫌なんだ。 別れの度に…胸が張り裂けそうになるのは、もう…嫌なんだ。 「まもちゃん。俺…ずっと、ここに居たい…!あなたの傍に、居たい!」 天使…俺の選択を認めてくれるだろ…? 俺は、彼無しでは…駄目なんだ。 まもちゃんが、大好きなんだ… -- 「今日の夜ご飯はぁ、美味しい美味しいオムライスと、この前買ったトマトのにんにくサラダ。後…デザートには、可愛いサクランボがありまぁす。」 先生の前に、綺麗なランチョンマットを敷いてあげた。 そこに、綺麗に磨いたスプーンとフォークを置いて…オムライスをドドンと置いた。 「わぁ!」 嬉しそうに瞳を細める先生を見つめて、僕は隣に腰かけてグラスの中にお水を注いで渡してあげた。 「パリスの卵と…他所の鶏の卵が、半々入ってるよぉ…?」 「美味しそうだ…!」 そんな先生の声にクスクス笑った僕は、首を傾げて言った。 「ボナペティ?」 「いただきます。」 いつもと変わらない…こんな毎日を送って…後はお風呂に入って寝るだけ、なんて思っていたら… それは突然に、巻き起こった…! ピンポン…! 「ん?」 不意の呼び鈴の音に、先生はスプーンを口に入れたまま…首を傾げた。 「誰かなぁ…?見て来るねぇ…?」 僕はすぐに席を立って…玄関へ向かった。 「はぁ~い…」 ガチャリ… 玄関を開くと、目の前には…上等な紺色の制服を着た男性が立っていた。 そんな彼を見上げて、僕は首を傾げて言った。 「なんですかぁ…?」 「理久先生のお迎えに上がりました…」 え…? 「しょ、少々お待ちくださぁい…」 一旦、玄関を閉めた僕は、首を傾げながら先生の元へ戻った。そして、僕をじっと見つめて来る先生に、こう言ったんだ。 「先生?お迎えの人が来ているよ…?多分、運転手さんだぁ。」 「え…?!」 目をまん丸くした先生は、首をすぐに傾げて…何かを思い出す様に押し黙った。 そんな彼の様子を見つめながら、僕は…嵐の前の静けさを感じていた… 「はぁっ!!わ、わ、忘れてたぁ~~~っ!」 大声を出して立ち上がった先生は、胸元に付いたナプキンをそのままにして、右往左往にバタバタと歩き始めた。 「な、なに?何を忘れてたの…?」 動き回る先生の腕を掴んだ僕は、顔を覗き込んでそう尋ねた。すると、先生は項垂れながら…こう言ったんだ。 「今日…俺は、パーティーに出席予定だったんだぁ…!」 パーティー?! 僕は先生を見つめたまま、目を丸くして、彼と一緒に固まってしまった… パーティーって…お誕生日パーティーかな…? 「…あっ!そ、そうだぁ!パリスの卵をラッピングしてあげるから、烏骨鶏の卵だって嘘ついて…お誕生日プレゼントで、渡したら良いよ!あと…あと…お洋服はぁ…」 機能停止してしまった先生の腕を掴んだ僕は、彼を引っ張って2階へと上がった。そして、先生の寝室に入って…クローゼットの中を漁った。 「春だからぁ…明るい色のジャケットを着ようねぇ?おめでたい感じの…赤と白があれば尚良いけど…どれどれ…茶色、茶色、黒、茶色、グレイ…」 先生のハンガーにかかったジャケットは、どれも暗い色の物ばかりだった… 僕はその中でも、比較的明るめのジャケットを手に取って、クローゼットの鴨居に掛けた…そして、先生を振り返って言ったんだ。 「ほら、着替えて?」 「駄目だ…間に合わない…髭だって、剃って無いんだ…」 「ばっかぁん!諦めたら…そこで…以下略だぞ!」 先生は時間に間に合わないと諦めるタイプみたいだけど、僕は、遅刻しても行くタイプだよ? 大慌てで先生の服を脱がせた僕は、適当に見繕った服を、せっせと、脱力した体に着せてあげた。 「駄目だ…もう、行かない…」 「なぁんで!諦めたら…以下略!」 ボサボサ頭の先生の髪を、水で濡らした手で後ろに流してあげた。そして、しょぼくれた彼を見つめてこう言ったんだ。 「あぁ!格好良くなって来たぁ!」 「…嘘だね…」 疑い屋のドングリだぁ…! 先生の壊れてしまった眼鏡のセロハンテープを急いで剥がして…新しいテープで綺麗に巻きなおした。そして、先生の耳に掛け直して、彼の肩を叩いて言った。 「出来たぁ!」 すると、先生は、僕の腕を掴んで…こう言ったんだ。 「…豪ちゃんも、行くんだ…」 は…?! 先生の腕を咄嗟に払った僕は、首を横に振って嫌がった。 「駄目だぁ!僕は…髪がボサボサだし、もう、寝るだけだと思って…ニンニクを食べちゃったもん!ニンニクでキメちゃったもん!…だ、だから…駄目だぁ!」 「あはは!馬鹿だな!諦めたら…以下略だぞ!!」 先生はそう言うと、髪を振り乱しながら、僕の服を無理やり脱がせ始めた。 「んぁ…だめぇん!」 「この前買った服を着たら良いだろ?ね…?ね…?一番かわいいのを着ようね?」 そんな先生の声を耳元で聴きながら…僕は、すっぽんぽんに脱がされた…。そして、先生チョイスのフリフリの服を着せられて、髪を、申し訳程度にとかされた。 「ニンニク臭い…?」 「臭わない…」 玄関の前に15分…待たされたドライバーは、口を一文字に結んで、慌てて飛び出して来た僕と先生を睨みつけて、ため息を吐いていた。 そんな彼に、先生が現金をこっそり手渡すのを見て、僕は顔を歪めて視線を逸らした。 大人って…!汚ねえ! 「なんで僕も行かなきゃ駄目なの…?」 用意された車に乗り込んだ僕は、隣に腰かけた先生を見つめてそう尋ねた。すると、彼は襟元を直しながら、こう言ったんだ。 「今日は、ギフテッドの子を支援する団体の資金集めパーティーなんだよ。だから、君を連れて行くんだ。」 なる程… だから、先生は…惺山のバイオリンを一緒に持って来たのか。 「あ、ちょっと…トマトが付いてる…」 「えぇ…?取って…?」 ふと、見つめた先生の口元の髭に、赤いトマトのカスが付いていた。だから、僕は体を捩って…先生によりかかりながら、それを指先で取ろうとしたんだ。 でも、わがままな先生は、すぐに顔を歪めてこう言ったんだ。 「擦んないで…!ヒリヒリする!」 「ん、だって…取れないんだもん…」 これは、頑固な汚れだ。きっと…さっきのトマトじゃない。 朝、食べたガレットに入れたプチトマトだ…!! 「ぷぷぷっ!もう、先生…?ちゃんと、食後は口元を拭ってよぉ。赤ちゃんじゃあるまいし…これはぁ、朝食べたガレットに入れた…プチトマトだよぉ?ん、もう…!」 僕はハンカチを口に入れて、少しだけ湿らせた。そして、こびりついてしまったプチトマトをこそぎ取ろうとコスコスと擦ってあげた。 「ねえ…口を少しだけ開いてぇ…」 「はぁはぁ…はぁはぁ…」 先生の髭は確かに伸びていた…。 でも…無精髭だなんて言われなかったら、まるで伸ばしてる様に見えなくもない… 「はぁい…綺麗に取れたよ?ん、もう…今度から、食後はお口の周りを洗ってよぉ…」 僕は、先生の伸びた髭を手のひらで撫でながら、口を尖らせてそう言った。 すると、先生は…あわあわしながらこう言った。 「…わ、分かったぁ!」 そうこうしていると…豪華なホテルに車が到着した。 すぐにドアが外から開かれて、先生が降りた。だから…僕も続いて車から降りた。 「わぁ…!」 それは、凄い…豪華な入口だった。 受付の高い天井には、黄色い色を放ったシャンデリアが、先の先までキラキラと輝いて真下の僕を照らした… 上を見上げて口を開けていると、先生が僕の手を掴んで、どんどん歩いて先へと進んだ。 踏みしめるフカフカのじゅうたんは、靴で上がっても良いのか首を傾げてしまう程上等で、先生に会釈をする人は、みんな素敵なスーツを身に纏っていた。 「先生…?」 僕は、前を歩く先生の肩に声を掛けた。すると、先生は僕を少しだけ振り返った。だから、僕は…彼の瞳を見つめながら、こう言った… 「…怖いねぇ?」 「怖くない…見ない様にすれば良い。」 そっか… 先生の腕にしがみ付いた僕は、伏し目がちに視線を落としながら、彼の歩幅で一緒に歩いた。 人の集まる場所は、怖いんだ。 見たくない、モヤモヤを見る確率がグンと上がるから…嫌なんだ。 「木原先生…!良かったぁ!来ていただけて~!あぁ…この子が…」 先生に声を掛けた初老の男性は、すぐに僕に視線を移して、瞳を細めた。そして、顔を覗き込む様に体を屈めてこう言ったんだ。 「初めまして…お元気ですか?」 「…は、初めまして…元気です。」 僕は、その人から視線を逸らして、そう言った。 ギフテッドを支援する団体の資金集めのパーティーだと、先生は言っていた。 だけど、周りに居るのは…お金持ちそうな人ばかり… そんな特異な子供を支援している様な人の姿も、子供の姿も、無かった。 華美に着飾った大人たちだけだ…。

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