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#32

#32 暴君… それは、バイオリンで奏でる情景を、頭の中に叩きつけて来るだけでは無かった。 大人の重苦しい雰囲気を土足でぶち壊していく、そんなあの子に…剛毅な男らしさを感じてしまった事は、内緒だ。 「ちがぁう!まずは…白菜を敷くの!」 「いやいや…とろ火で煮込めば…焦げたりしないんだ…!」 目の前のキッチンでは、まもちゃんと豪ちゃんが、煮込み料理の鍋に敷いて行く順番で言い争いを始めてる… 理久は…書斎に行ったっきりだ… 途中、豪ちゃんがお茶を淹れに行ったけど…この子に、特に変わった様子はない。 きっと…彼は、俺の決断を…受け入れてくれたんだろう… 理久の本音を聞けて、俺は…嬉しかった。 苦労が報われる未来を…用意してあげたかった。 そう言った彼の言葉を、俺は…多分、一生忘れないだろう。 あんなに俺を、大事に思っていてくれた事実を知って…胸の奥から、嬉しいって気持ちが溢れたんだ…。 そして、今まで、彼がくれた一切合切の…全てに、感謝した…。 優しさも…厳しさも、諭す様な助言も、演奏のアドバイスも、共に過ごした時間も…過ごせなかった時間も…全てに、感謝した。 彼に会えて…良かったと、心の底から…思ったんだ。 「…まもるぅ?やっぱり…白菜を、下に敷こうかぁ?」 「…はいはい。分かったよ!」 長く続いた、下らない言い争いは…どうやら、豪ちゃんの勝ちで、勝負がついた様だ。 「ふふぅ!まもるは優しいぃ~!」 「大好きだろぉ~?」 「ん、やぁ~!」 …まもちゃんは、俺が豪ちゃんに“大好き~!”と言われて抱き付かれた事が…羨ましいみたいだ。 まるで、親戚の小さい子に、自分だけ大好きって言われないで…落ち込む大人の様な、哀愁を表情から漂わせている… 「…豪ちゃん。俺のピアノに合わせて、何か弾いてよ…」 席を立った俺は、ピアノに向かいながらそう言った。 すると、パタパタと足音をさせながらあの子が後ろを付いて来た… そして…にっこりと微笑んで言うんだ。 「良いよぉ…?ほっくん、大好きだも~ん!」 「くそっ…!」 悔しがるまもちゃんの声を小耳に聞きながら、俺はピアノに腰かけて首を傾げた。 さて…何を弾こうかな… 可愛い天然系の豪ちゃんを、もう少し…ピリッと仕立てたいもんだ。 フラフラと体は揺れるし…顔は…少し、緩すぎて…馬鹿っぽく見える。 「…そうだ、豪ちゃん、理久を呼んで来てよ…」 「はぁい!」 さすが、俺のファンだ…。俺の一声で、すぐに呼びに言ってくれた… 口の周りをきな粉だらけにした理久を連れて戻った豪ちゃんは、彼の口元を自分の長袖の袖で、拭ってあげている… 何て事だ! 「なんだよ…」 そう言った理久に、俺は自分のバイオリンを差し出して…こう言った。 「ひとつ…豪ちゃんに“リベルタンゴ”を教えようじゃないか…?…うしし!」 そんな俺の言葉に、理久は目を丸くして即座に首を横に振った。 「はっ!…駄目だぁ!あんな…あんな…!」 理久が動揺するのも無理はない… “リベルタンゴ”はその名の通り…情熱的なタンゴだ。 この曲は…誰が弾いても、大抵は…セクシーに見えるもんなんだ。 そんな曲を…俺は豪ちゃんに教えてやろうと思った。 しかも…!理久の、演奏でだ! 彼は、なかなかどうして…バイオリンを弾いている時は、セクシーなんだ。 情緒を込めた演奏の得意な理久は、センスのある…トリッキーな演奏をする。そんな彼の”リベルタンゴ”をこの子に聞かせて…ワンランクアップしたセクシー天使にしようって魂胆さ。 「わぁい…!」 気の抜けた声を出す豪ちゃんを横目に見つつ…俺はピアノを弾き始めた… 観念したのか…理久は、俺のバイオリンを首に挟んだ。そんな彼を、豪ちゃんは、ルンルン気分で見つめてる… 飛ばされるなよ…?豪ちゃん。 そいつは…めたくそ…カッコいいバイオリンを弾くぜ? しかも、俺の伴奏だ…!盛り上がらない訳無い…! 思った通り…理久は激しいインパクトを付けて“リベルタンゴ”を奏で始めた。 「きゃ~~~~~~!」 思った通り…豪ちゃんは、一気に、理久のグルーピーと化した… うっとりとした瞳で理久を見上げる瞳は…音を付けるなら…キュンキュンだ! 「エッチだぁ~~~~!」 「はぁ?!」 豪ちゃんの稚拙な表現に、俺は思わず眉間にしわを寄せてあの子を睨んだ。 しかしながら…髪を振り乱してバイオリンに没頭する理久は…なかなか…なかなか…エロかった。 はぁ~~!こうしてる時は、良い男に見えるんだよっ! 彼はね!そういう男なんだぁ!! そして…セクシーなまま…理久は“リベルタンゴ”を弾き終えた… 「きゃ~~~!先生、カッコいい!カッコいい!」 そんなグルーピーの声に、まんざらでもない様子の理久は、鼻の下を伸ばしながらバイオリンをピアノの上に置いて、デレデレした… 「わぁい!僕も、エッチに弾いてみる~~!」 早速だ… おもむろにエプロンを脱いだ豪ちゃんは、着ていたシャツのボタンを大きく開けて、バイオリンを首に挟んだ。 すでに、理久の視線はあの子の胸元にしかいっていない… 流石に、俺は音楽家だ。こんな暴挙を良しとはしないさ。 あくまで、セクシーなのは…曲であって、奏者がそうなる必要はないんだ。 眉を顰めた俺は、豪ちゃんに向かってこう言った。 「いや…豪ちゃん。そんな、胸元を開けるもんじゃない。これはストリップじゃないんだ。ちゃんと服を着なさい。」 「キャッキャッキャッキャ!」 お猿の声を上げた豪ちゃんは、俺の制止なんて聞かないで…弓を振りかぶって、こぶしを効かせながら“リベルタンゴ”を弾き始めた。 「おおッと…!」 慌てた俺は、ピアノの鍵盤に両手を戻した。 何て、強いインパクトだ… あの子は旋律の強弱をうまく使いこなしながら…”リベルタンゴ”を、理久とは、全く違う表現で演奏してる。 それは、うかうかしてると、伴奏が飲み込まれそうなくらい、力強くて…ゴーイングマイウェイな演奏だ… これが…暴君…? 「はぁ~~~~~!」 理久が、そんな気持ちの悪い声を出して、豪ちゃんの前に力なく跪いた。 すると、キッチンからまもちゃんまでやって来て、豪ちゃんのはだけた胸元を見てるじゃないかぁ! 「ばかっ!まもる!エロ天使に心を揺さぶられるなぁ!」 俺は渾身の魂の叫びを叫んで、まもちゃんの自制心を抑制した! 豪ちゃんは、跪いた理久の肩に裸足の足を乗せて…うっとりと、バイオリンの音色に酔いしれながら…セクシーな流し目をして、理久を悩殺した。 「わしゃ、もう、駄目じゃ~~~!」 そう言って…理久が仰向けに転がって…ゴキブリの様にジタバタ動くと、豪ちゃんは彼の体に跨って、腰を振り出したではないか!! 「…豪!しっかりしろっ!」 口に手を当てて…そんな様子を呆然と見つめるまもちゃん… そんな彼の顔が…じわじわとウケた… 「あぁ~~!先生…イッちゃう!」 「いつでも来なさい!」 俺は…ピアノの伴奏を止めた… そして、豪ちゃんを理久の上から退かした… そして、口に手を当て続けるまもちゃんの手を、口元から外した。 「ここには、誰か…!まともな、大人はいないのかっ!!」 そんな俺の魂の叫びに…まもちゃんが、そっと…手を挙げた。 はん! 「ほっくん!これはぁ~?」 ケラケラ笑った豪ちゃんは、俺の怒りなんてつゆ知らず…バイオリンを胸に抱えて、コードを弾き始めた… 「…な、何してんの…」 「何の曲でしょうかぁ~?」 首を傾げる俺に、あの子はそう言いながら、小気味の良いステップを踏んで…俺の周りを踊り始めた。 何かの…儀式か…?! グルグルと周りを回られた俺は、正直、気持ちが悪いと思った… しかし、コードに規則性を感じた俺は…すぐに、あの曲だという事が分かった。 「はぁ…なる程、そう言う事をするのか…」 ニヤニヤ笑いながらピアノに腰かけた俺は、豪ちゃんのコードに合わせて…“Hit The Road Jack”を、ピアノで弾き始めた。 「キャッキャッキャッキャ!」 楽しそうに笑った豪ちゃんは、俺の演奏の中に強弱をつけたリズムを入れ始めた… はぁん、曲を変えるつもりだ… そう思った瞬間、あの子は、弓を小刻みに動かしながら…”タランテラ・ナポリターナ“なんて弾き始めたんだ! 「あ~はっはっはっは!良いセンスだぁ!」 嬉しくなった俺は、ケラケラ笑ってそう言った。 さあ…次は、何をかまして来るんだ…豪ちゃん! そんな期待と、何が来ても合わせられる自信に満ちた俺は、豪ちゃんを見つめてハラハラドキドキしていた。 すると、あの子はにっこりと笑って言ったんだ。 「ほっくん!”サッキヤルベンポルカ“~!」 ははん!俺の十八番じゃないかっ! それを俺の前で弾こうなんて…随分な天使だなっ! …叩きのめしてやるっ! 大人気なくそう思った俺は、ピアノの伴奏を止めて、自分のバイオリンを首に挟んだ。 そして、耳に聴こえて来る伴奏を頭の中で聴きながら、弓を動かして“サッキヤルベンポルカを弾き始めた。 すると、あの子は…そのリズムを借りながら…全く違うポルカを弾き始めたんだ。 「こらぁ!」 怒った俺は、豪ちゃんを蹴飛ばした。するとあの子はケラケラ笑いながらソファの上に逃げたではないかっ! 「なんだ、そんなポルカ!知らないぞ!」 俺は“サッキヤルベンポルカ”を弾きながら、そう言った。すると、理久が肩をすくめてこう言った… 「あれは…森山君が作曲した曲だ…」 「キャッキャッキャッキャ!」 くそ…! このまま…ジャックされたまま…終わらせてなるものか…!! 俺は、頭に来たぞ!! 思いきり弓を押し当てて不協和音を奏でた俺は、目を丸くして手を止めた豪ちゃんを見つめて、ニヤリと口元を上げて笑った。 そして、高らかに弾き始めたのは…“ラ・カンパネラ”だ! 超絶技巧のリスト…耳コピでは真似出来まい!は~はっはっはっは!! 「俺の勝ちだな…」 首を傾げて俺の目の前にトコトコとやって来た豪ちゃんに、俺は勝利宣言をした。 「大人気ないな…」 そんなまもちゃんの声なんて聞かない! これは…男と男の勝負だぁ!! 得意気に豪ちゃんを煽って見た俺は、つま先であの子の足をチョンチョンと小突いて煽った。 すると、豪ちゃんは首を縦に振りながら拍子をとって、俺の“ラ・カンパネラ”の主旋律を盗んで…そのまま…再び、こぶしの効いた“リベルタンゴ”へと曲を戻して行ったのだ… …なぁんてやつだぁ!! 「こらぁ!」 「キャッキャッキャッキャ!」 とんでもない奴だ!! 「曲を変えるタイミングが…秀逸だ。選曲も…ランダムに見えて…途切れずに繋げて行くんだ…。はぁ…恐れ入ったな。DJになれるぞ…?」 そんな理久の言葉を聞いてるのか…聞いてないのか… 豪ちゃんは、そのまま…森山惺山の交響曲…第四楽章のタランテラを弾き始めた。 「あぁ…」 ジッと動かなくなって…伏し目がちになったあの子は、さっきまでのお猿じゃない… 天使だ… 真剣なまなざしのまま、体ごと弓を動かしてバイオリンを奏でる様は…美しかった。 すると、あの子は…遠い目をしながら、バイオリンの弦に音色を乗せて…どこかまで飛ばす様に…弓を伸ばして弾いた。 あぁ… なんてこったぁ…?! いつの間にか、俺の目の前にはステージが広がって…そこには、誰も座っていないオーケストラの椅子が置かれていた。 ふと、視線を上げると、指揮台の上に、サンダルをはいた…森山惺山がいた。 そして、彼が言ったんだ… 「…豪ちゃん、おいで?」 すると、誰もいなかったオーケストラの椅子に…黒いタキシードを着た…奏者が揃って…美しい交響曲を奏で始めたんだ… それは…この第四楽章の1番の盛り上がりの部分。 「ほっくん、僕は…ここが好きなんだぁ…」 ポツリとそう言った豪ちゃんの声が、耳の奥で聞こえた。 次の瞬間、オーケストラの旋律の上を自由に飛び回る…あの子の姿を、見た。 それは、表現なんて物じゃない… 本当に、あの子が空を飛んでいるんだ。 美しい、軽やかなバイオリンを奏でながら…森山惺山の指揮する交響曲の上を…あの子は泳ぐ様に…自由に飛んでいた… 「はぁ…」 思わず、そんな…間抜けな声を出した俺は…力なく、ピアノの椅子に腰かけた… なんだ… これは…幻覚か…?! 目を見開いた俺は、そのまま視線をずらして…理久を見た。 彼は豪ちゃんを見つめたまま…悲しそうに眉を顰めていた。 俺だけ見えちゃったの… …まるで、バイオリンを奏でる…あの子の情景の中に入ってしまったかの様な…そんな、体験をした。 ドキドキする胸を隠しながら、俺はピアノの蓋をそっと閉じて…ソファに突っ伏して瞳を閉じた… 「ほっくん!ねえ、ねえ、ほっくん!」 俺を揺さぶって、話しかけて来る豪ちゃんを無視したまま…俺は考え事に耽った。 さっきのは…何だったんだ… 疲れてるのかな…今日は、早く寝た方が良いかもしれない。 ペチペチ!ペチペチ! 俺の可愛いお尻を叩きながら、豪ちゃんが言った。 「太鼓だぁ~い!」 馬鹿だろ…? そう、馬鹿なんだ… 「森山惺山は…茶色のサンダルを履くの…?」 ふと、ポツリと…豪ちゃんにそう尋ねた。 すると、あの子は俺の顔を覗き込んで、嬉しそうに笑って言った。 「そうだよ?惺山は…黒い靴を持ってるけど…面倒臭いから、いっつもサンダルを履いてるの。」 俺は、豪ちゃんのクルクルの髪の毛を指先に絡めながら…こう言った。 「…俺、12月に…お前の交響曲を弾くよ。第三楽章のソロも…俺が弾く。」 すると、あの子は目を大きく見開いて、顔を真っ赤にした。そして、体を弾けさせるように弾ませて言ったんだ。 「ん、やったぁ~~~~~~~~~っ!!」 ふふ…可愛い… クスクス笑った俺は、表情を元に戻して、あの子の顔を見つめてこう聞いた… 「彼、死んじゃうの…?」 昨日…車の中で、豪ちゃんがそう言ってた… 理久は、豪ちゃんが、死期の分かる子だと言った。 豪ちゃんと、森山氏が会えない理由…あんな交響曲をこの子に贈る理由… それは、そこに、原因があるのかもしれない。 何も答えない豪ちゃんの顔を見つめた俺は、思いつめた様なあの子の表情に…戸惑った。 へえ… お前は、彼の事になると…こんな顔をするのか… すると、豪ちゃんは俺を見つめて…やるせないため息を吐いて、静かな声でこう言った。 「…惺山は、僕と一緒に居ると…死んじゃう…。でも、離れて暮らして居たら…死なない。そして…いつの日か、また、一緒になれる…」 は…? 訳が分からないよ… でも、豪ちゃんの表情と声色からは…真剣な様子が伺い知れた…。 俺に嘘を吐いている訳ではなさそうだ… だから、俺は…あの子のふわふわの髪を撫でて、笑いながら…こう言ったんだ。 「…早く、その時が、来ると良いね…」 すると、あの子は…ニコッと微笑んで、俺に優しいキスをくれた… あぁ…理久…お前ってば… また、こんな相手を好きになって… どМだな! 俺が真っ先に思った事は…これだ。 「お~い!豪ちゃん!メイン料理は出来た。前菜を考えて?」 「はぁ~い!」 …明るい声で、まもちゃんに返事をしたあの子は…トコトコと歩いてキッチンへ向かった。 そんなあの子の気配を追いかけながら…俺はそっと瞳を閉じて、思った… 豪ちゃんは、ただの…馬鹿じゃ、無さそうだ… 森山氏を語った…思いつめたあの子の表情からは、やるせない切なさがにじみ出ていた。 ”僕が傍に居たら…死ぬ“ そんな事あるのか…俺には、分からない。 でも、 あの子はそう信じてる… そして…森山惺山も、そんなあの子を信じて…離れて暮らして居る。 愛しているからこそ…離れているんだ。 森山氏…謎が解けた。 これで…12月の交響曲が、上手く弾けそうだよ… -- ほっくんとの演奏は、とっても楽しかった…! あんなに美しい音色の彼と楽しくバイオリンが弾けて…僕は、何だか…バイオリンが…好きになったかもしれない。 「前菜はぁ…チコリと…アボガド、生ハムと…モッツァレラチーズはぁ?」 僕は、腕を組んだまもるの顔を覗き込んでそう聞いた。すると、彼は首を傾げてこう言った。 「黒コショウを掛けたら…良いと思うけど…少し、弱いな…」 「そっかぁ~…」 「だって、豪ちゃん…メインで煮込み料理を出すんだよ?前菜は…もっと、こってりしていても良いと思うんだよね…。あぁ、俺はね?俺はね?」 なんだか、ムカつく… 得意気なまもるの顔を見つめたまま…僕は、苛立ちを抑えきれないで…彼の足を蹴飛ばした。 「イテっ!」 ぴょんぴょん跳ねるまもるを横目に見ながら、僕は、こう言った。 「じゃあ、生ハムの代わりに、スモークサーモンを乗せてみようかぁ…?」 先生のお酒のおつまみで買って来ておいたんだ…! 「おぉ!悪くないね…!黒コショウを掛けるなら、文句なしだ!」 プロのお墨付きを頂いたぁ! 僕はウキウキと体を揺らしながら、下ごしらえを始めた。 「…チコリは…うん、そうそう…切っちゃった方が良いんだ…割れちゃうからね…」 すると、まもるが僕の手元を覗き込んで…いちいち言ってくる… 「はぁい…」 僕は、少しだけ口を尖らせてそう言った。 めんどくせえ! 本当はそう思ってるけど…彼の魚の焼きは完ぺきだった。 そんな腕を持ってるんだ。 きっと、言う事に間違いはないと…僕は、踏んだ! だから…少し、ムカついても…我慢した。 「あぁ!豪ちゃん!サーモンの切り方はさぁ…」 「…んん!!」 「イテ~っ!」 我慢出来なかったら…こうして、足を蹴飛ばしたら良いんだ。 夕食の準備を終えた僕は、先生と一緒に…ポンポンのお散歩へ行った。 運動不足の先生には、夕食前のお散歩は良い有酸素運動なんだって… 僕は、ポンポンのリードを持つ先生の腕に抱き付いて、彼を見上げた。 「…先生?ほっくん、とっても嬉しそうだったね?」 すると、先生は首を少しだけ傾けて…こう言った。 「…そうかい。」 だから、僕は、クスクス笑いながら…彼の腕に顔を埋めて、抱き付いた。 「先生は、優しい男だね?」 すると、先生はクスクス笑って…こう言った。 「…そうかい。」 夕方の道端には…同じ様にワンちゃんのお散歩をする人が沢山居るんだ。 ポンポンは、いつも、毎回…通りすがるワンちゃんのお尻の匂いを嗅ぎまくってる… 僕はそれを挨拶だって知ってるけど…先生は、その度に…顔を歪める。 可愛いね… だから、僕は…誤解のない様に教えてあげたんだ。 「猫も…犬も…お尻の匂いで、挨拶してるんだよ?」 「人は…?」 うえっ… 僕は、そんな先生の趣味の悪い質問を無視した… 夕暮れ時の空は…グラデーションを掛けて…青暗い空に変わって行く…そんな色の流れを目で追った僕は、先生の、腕に、もっともっと、抱き付いた。 そして、彼を見上げて…こう聞いた。 「弓を…こうして引くと、音が伸びるでしょ…?」 「うん…」 僕を見下ろして穏やかに答える先生を見つめた僕は、右手をクイッと動かして、また尋ねてみた。 「じゃあ…こうして弾くと、どうなるの…?」 「きゅいって…鳴るかな…」 ふふ…! その言い方が、可愛かったから…僕はケラケラ笑って先生に言った。 「きゅいって…?」 「ふふ…そうだね…。確か、そんな音だ…」 「へえ…」 「お日様は…もう、家に帰っちゃうね…」 僕がそう言うと、先生は首を横に振って…こう言った… 「太陽は…年中無休だよ…今度は向こうを照らすんだから…」 「へえ…」 僕は、先生が…大好き。 穏やかで…優しくて、強い…物知りで、楽器を沢山弾ける…彼が大好き。

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