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#33~#35
#33
「理久は、豪ちゃんが好きみたいだ…」
散歩に出かけた二人を見送った俺は、豪ちゃんの作った白菜をつまみ食いをしながらまもちゃんにそう言った。
すると、まもちゃんは…顔を歪めてこう言ったんだ。
「はぁ…あの人は、相変わらずのロリコンだ…」
ふふ…!違う…!
彼は、才能が…好きなんだ。
輝く才能を…間近で見る事が、好きなんだ…
でも、今度の光は…眩しすぎて、彼を飲み込んでしまったみたいだ。
きっと、本人もそれに気が付いているから…無理に、距離を取ろうとしたのかもしれない。
山城先生にあの子を預けて…自分から離そうとしたのかもしれない。
あの子は…森山氏の恋人…彼の天使…
いくら、欲しがっても…手に入らないんだ。
「この、小さい白菜…ちょっと苦くて、美味しいね?」
ビールを片手に、俺はもうひとつ…つまみ食いをした。すると、まもちゃんが頬を膨らませてこう言ったんだ…
「あぁ…もう、北斗…。こういう、数がある奴には手を出さないんだ。つまみ食いはね…少し減っても気が付かれない奴にするのが、通なんだよ?北斗は…散々つまみ食いをして来てるって言うのに…いつまで経っても、トーシローだな!」
「んふふ!まもちゃぁん!チュウして!」
そんな彼に唇を突き出した俺は、体をクネクネさせて甘ったれた。
「はぁ~!北斗ちゃんったら!北斗ちゃんったら!!」
興奮したまもちゃんは、俺を強く抱きしめながら…体を屈めて、ドラマティックにキスをしてくれた…
あぁ…まもちゃん…
あなたの体って、いっつも、あったかい。
理久に報告をする…そんな大役を済ませて肩の荷が下りた俺は、すっかり気が楽になって…いつもの様に、まもちゃんに甘ったれていた。
「北斗が、豪ちゃんに優しくしてるの…めたくそ可愛いんだよ…?知ってた…?」
おでこを付けたまま…彼がそう言ってくるから、俺は少しだけ首を傾げてこう言った。
「…本当?」
「ほんと…。エッチで可愛いなって…ずっと、目で追いかけちゃうんだからぁ…!」
まもちゃんはクスクス笑いながらそう言って、俺にチュッチュチュッチュと高速連続キスをした。
だから、彼の首に両手を掛けた俺は、フワフワの頭を抱き抱えて…自分に引き寄せて、熱くて…甘い…キスをした。
「まもちゃん…大好き…」
もう…離れないよ…
「ポンポンは、3回もウンチしたねぇ~?」
そんな声が聞こえて来ても…
「…先生?手を洗ってね?」
「ん…」
こんな声が隣を通りすぎて行っても…
「あぁ…少なくなってるぅ!」
「誰か…悪い奴が、つまみ食いしてるな…」
俺は、まもちゃんと…キスをし続けた。
楽しい夕食を過ごして…豪ちゃんに、すり鉢をプレゼントした。
すると、あの子は…顔を真っ赤にして興奮して喜んだ。特に、涙を流しながら…俺のサインを有難がっていた。
可愛い奴だろ…?
俺は、すっかり、豪ちゃんを気に入ったよ。
「まもるぅ?このお皿…片付けてぇ…?」
「はいはい…」
豪ちゃんと、まもちゃんがキッチンの片付けに精を出す頃…
俺はワインを片手に持って、テラスで…ひとり椅子に腰かけた理久の元へ向かった。
「明後日…帰るよ。」
俺がそう声を掛けると、彼はワインを揺らしながら…眉を上に上げて頷いて言った。
「…そうか。」
夜のテラスは7月だというのに、少しだけ肌寒かった。暗くなった空には少しの雲と、小さく瞬く星が煌めいて…まん丸の月が美しく輝いている…
そんな光景に瞳を細めた俺は、理久の正面に座って、グラスを傾けて…彼のワイングラスにコツンと、ぶつけた。
そして、にっこりと微笑んで、こう言ったんだ…
「理久…」
「ん?」
「あなたが、大好きだったよ…。いつも、傍にいてくれてありがとう…」
「…ふふ。」
クスクス笑った彼は、ワインを一口飲んで、庭を指さして言った。
「北斗、見て…?」
彼の差した指の先には…暗がりの…パリスがいた。
彼女は、作って貰った中二階の鳥小屋が気に入らないのか…階段を上ったり、降りたりを繰り返していた。
「…ずっと、ああしてる…。おっかしいなぁ…」
そんな気の抜けた彼の声を聞いたのは、初めてだった…
「んふふ!あなたは…何だか、少し、変わった気がする…」
俺は、一口…ワインを飲んでそう言った。すると、彼は肩をすくめてとぼけたような顔をして見せた。
「俺たち…長い付き合いだね…?」
「…ふふ、そうだな…」
クスクス笑いながらお互いを見つめ合った俺と理久は、自然と、静かに微笑み合った。
彼の瞳は、もう…俺を求める様な…そんな色を失くしていた。ただ、父親の様に優しい…穏やかな瞳を向けてくれている。
「…豪ちゃんが好きなの…?」
そんな俺の言葉にケラケラ笑った理久は、ワインを一口飲んで、月を見上げた。
「寒くなぁい…?はい、ひざ掛け…。後…まもるのサービスチーズをどうぞぉ…?」
そう言いながらトコトコやって来た豪ちゃんは、テーブルの上にチーズの乗ったお皿を置いて、理久と、俺の膝にひざ掛けを掛けて…部屋の中へと、トコトコ戻って行った…
「ふふっ!あの子って…面白い…!」
吹き出して笑った俺は、嬉しそうにひざ掛けを手のひらで撫でる理久を見つめて、瞳を細めた。
「…で、金持ちたちは…蹴散らせたの…?」
そんな俺の言葉に、理久は首を横に振ってこう言った…
「無理だな…。俺、個人の窓口を閉じても、事業への出資に形を変えて…どうにかして、あの子の保護者の俺に金を握らせようとしてくる。そして、多額の出資の条件として、必ず言ってくるんだ。ギフテッドに、演奏させろって…」
ため息を吐いた理久は、遠くを眺めながらワインを一口飲んだ。
「あのカルダン氏も、然り…だ。俺は、あの子にバイオリンを弾かせない為に…招かれたパーティーへ、ケースだけを持って行ったんだ。」
「はぁ…?マジかぁ…」
開いた口が塞がらないよ。
そんな強行を取った理久に驚きを隠せないでいると、彼は俺を見てこう言った…。
「彼は、豪ちゃんを自分の手元に置きたいと言った。それは、あの子の才能を伸ばす目的じゃない…。分かるだろ…?そういう意味だ…。そんな奴に…あの子のバイオリンを、聴かせたくない。それに、大勢のお客まで用意していたんだ。結果的に、俺の判断は正しかったよ…。多少怒りを買ったけど…あの子のバイオリンを聴かせる事に比べたら…ましさ。」
あぁ…マジか…
カルダン氏は、俺のパトロンの一人だ…
そんな彼は、豪ちゃんに自分の床の相手をさせようとしていた…。しかも、手元に置いて、囲いたいだなんて…強烈じゃないか…
苦い顔をしながら理久を見つめた俺は、ため息を吐いてこう言った。
「…人は、分からないね…。昔からの付き合いでも…分からない。」
それもこれも…投資家の集まった場で、あの子に弾かせた事が発端か…
あれは、痛かったな…
あのビジュアルで…強烈な“ツィゴイネルワイゼン”を、あの幸太郎にお見舞いしたんだ…。興味を持たれてしまっても…無理は無いかもしれない。
金持ちたちは、こぞって…豪ちゃんのパトロンに…なりたがってる。
特に、ギフテッドと呼ばれる希少種は、まるでアルビノの蛇を欲しがるように…珍しい物を欲しがる…金持ちたちの格好の餌食なんだ。
俺も、単身プロで生業をしてきた身だから…そんな機会にも恵まれた。
そのたんびに、理久の言葉を思い出したもんさ…
ただ、純粋に、音楽を聴きたがる人と…全く、別の目的を持っている人が居る。
その見極めを誤ると…痛い目を見る。
体を求められるくらいならちょろいもんさ…。
蹴飛ばしてやれば良いからね…
妙なつながりを持つと最悪だ。
俺の知り合いなんて…パトロンの言う通りにしていたら、いつの間にか、ギャングの娘と結婚していて、今では刑務所の中だ…
良い人がいれば…悪い人もいる…その、見極めが肝心なんだ。
「…無視する事は出来ないの…?」
俺は、首を傾げて、チーズを摘んで口に放った。すると、理久は…大きなため息を吐きながら、こう言った…
「…こんな状況になって、自分の持っている肩書が邪魔をするんだよ…。音楽院の講師やら、人材育成プロジェクトの代表…その他も、こまごまとした団体の役員。そんな物が、彼らの出資の話を無碍に出来なくするんだ…。」
なる程ね…
金持ちに足元を見られてるんだ。
「逃避行…するしかないな…理久!豪ちゃんとランデブーだ!」
俺が、ケラケラ笑ってそう言うと、理久はまんざらでもない様子で、首を傾げてこう言った。
「…ペルーに行ってみたかったんだよ…“バイブス秘宝の謎”が好きでね…」
ふふ…!
出来っこないくせにさ…!
クスクス笑った俺の顔を見つめると、理久はため息を吐きながらこう言った…
「ふふ…本音では、そうしたい。…でも、無理だ。てんで俺が相手にしないもんだから、資産家の連中は、豪ちゃんを自分たちで探し始めた。まさか俺と一緒に住んで居るとは思っても見ないんだろうね。関係のある音楽院に問い合わせの電話をしまくっているみたいだ。…豪ちゃんは、どこだってね…」
「何か…手伝えることはある…?」
ぼんやりと…パリスを見つめ続ける彼の手を握って、そう尋ねた。
理久は、そんな俺の手をポンポン叩いて、首を横に振った。
「大丈夫だよ…?ありがとうね…」
彼は変わった…
こんな風に、話す男じゃなかった。
いつも、飄々として、いつも、うやむやにして、難しい哲学の話に絡めて…けむに巻く様な男だったのに…
まるで、そんな事を止めた様に、理久は自分の気持ちや状況を、俺に包み隠さず教えてくれた…
「ほっくん、お風呂どうぞ~?」
風呂上がりの豪ちゃんがやって来て、そう言った。
そして、おもむろに、理久の足の間に座ったあの子は、ひざ掛けを理久の体に巻きつけて、自分も中に包まりながら、チーズをかじって食べ始めた。
そんなあの子を気にもしない様子の理久は、顔を覗き込む様に身を屈めて、豪ちゃんに言ったんだ。
「豪ちゃん…パリスは、高床式住居が嫌みたいだ…」
「ん…知らなぁ~い!」
「あの小屋の…足を切って、地面に下ろしてあげれば良いんだよ…」
「ん、知らなぁ~い!」
そんなふたりの様子を微笑ましく眺めた俺は、椅子から立ち上がってこう言った。
「じゃ…風呂に入って寝るよ!お休み…」
「ほっくん、おやすみ~!」
豪ちゃんがそう言って手を振ると、理久は俺を見つめて…優しく頷いた。
--
「先生?一番星は…金星?」
「さあね…燻製かもしれない…」
「ふふ!じゃあ…二番星はぁ…?」
「…母性かな…」
「ぐふふ!ん、もう…ばっかぁん!」
先生のダジャレのセンスは…惺山よりも冴えてる。
僕は先生の手を自分の手のひらに乗せて、彼の手の指をまじまじと眺めた。
この手で…沢山の曲を演奏したの…?
この手で、沢山の…楽器を演奏したの…?
「先生の手は…凄い手だね?だって、ほっくんも大事に出来て…自分の事も出来て…僕のオナニーの手伝いもしてくれたんだもん。」
僕は、ケラケラ笑いながら、彼を見上げてそう言った。そして、手のひらに指を絡めて…僕を覗き込む、先生の唇にチュッと…キスをした。
大好き…
安心するんだ…
彼の胸の中は、絶対に安全だ。
何故か、僕はそう思った。
「…“リベルタンゴ”のこぶしは利かせ過ぎずに…アクセントとして使った方が良い…。弓のボーイングは良かった…。でも、運指がもたついたなぁ…。でも、セクシーさは抜群だったね…」
先生がしゃべると…僕の耳を付けた、彼の胸が響いて…震えて…頬を揺らす。それが好きで、僕は、もっと顔を埋めて…唸って言った。
「ふぅん…」
「“タランテラ・ナポリターナ”は…やっぱり、同じ音を余計に踏んでる…。あれは、何の音が聴こえてるの…?」
僕の髪をフワフワと撫でながら先生が聞いて来るから、僕はまた、顔を埋めてこう言った。
「あれは…タンバリン…タンバリンの音だよぉ…」
惺山のピアノの音色は、いろんな音がする…。そんな彼から聴いて覚えた“タランテラ・ナポリターナ”には、タンバリンの音色が混じってる。
…それは、僕の、大切な宝物。
「あっはっはっはっは…!そうかぁ…なる程ね…だったら、必要だ…」
先生はそう言って、僕の肩をトントンと叩いた。
「…先生?」
「なぁに…」
僕は、先生の胸に顔を埋めて…彼のシャツをハムハムしながらこう言った…
「…僕、ほっくんと一緒にバイオリンを弾けて…楽しかった。綺麗な音色を聴かせて貰えて…とっても、嬉しかった…。もう…やだなって思ってたけど、ほっくんみたいに、バイオリンが弾けるようになりたいなって…ちょっと思ったぁ。」
僕のそんな言葉に…先生は首を傾げながら僕を覗き込んでこう言った。
「…きっと、なれるよ…」
ふふ…
「先生は…優しいね…だから、僕は甘えすぎてしまうんだぁ…ごめんなさい。」
僕は、彼の胸に頬ずりをしながらそう言った…すると、先生は、クスクス笑いながら、僕を優しく抱きしめてくれた…
「良いんだよ…」
そう呟いた、彼の声は…とっても温かかった。
お風呂へ向かう先生を見送って…僕はポンポンとパリスを部屋の中に入れた。
そして、仲良く眠る2匹を見つめて…優しく体を撫でて…自分の部屋へと向かった。
そして、可愛い便せんでこんな手紙を彼に書いた。
“キラキラのきらきら星へ
ほっくんがあなたの交響曲を弾くと聞きました。とっても、と~っても嬉しかった!
彼は素晴らしいバイオリニストです。
バイオリンを弾く彼を見て…僕は、神様だと思っちゃった!
そのくらい、美しかったんだ。
だから、そんな彼が、あなたの交響曲を共に演奏してくれると聞いて…胸がいっぱいなんだ。
きっと…素晴らしい物になるでしょう!
こんな事を言ったら…どう思われるか分からないけど、僕は、最近…自分がどこへ向かうのか…何をしたいのか…分からなくなってる。
でも、ほっくんのバイオリンを聴いたら、一緒に演奏したら、少しだけ、心が晴れた気がする。
わがままな鶏より“
#34
朝…物音で目を覚ました俺は、隣で眠る可愛いまもちゃんの寝顔を見つめて、彼の鼻筋を撫でていた。
「あぁ…パリス。駄目だよ…?みんな、まだ寝てる…。こっちにおいで…」
「コッココココ…!コッココッココ…!」
そんな声をドアの向こうに聞いて、クスリと笑った…
時刻は、午前5:30…
まもちゃんと同じくらいに…早起きだな。
「ふふ…こっち、こっち!おいでぇ…あっはっはっは!」
そんな声につられて…俺は珍しくベッドを早く出て…階段を降りた…
でも、リビングには誰の姿も無くて…代わりに、飲みかけの水が入ったコップが、ひとつ置かれていた。
「パリスと…ポンポンの…散歩に、行ったんだ…」
ふと、背後から声を掛けられて、俺は思わずビクリと体を揺らして振り返った。
「あぁ…理久か、早いね…」
「年だからね…朝が早いんだ…」
そう言うと…理久は、大あくびをして伸びをした。
ヨレヨレだな…
Tシャツにスウェット姿の理久は…ちょっと、思った以上に、よぼよぼの爺だった…
俺のまもちゃんは、ムキムキで良かった。そんな、思ってはいけない感想を抱いてしまったのは…内緒だ。
「おいっちに…さんし…おいっちに…さんし…」
俺は…見てはいけない物を見ているかもしれない…
テラスに出た理久が、ラジオ体操をしているんだ…。それも、かなり…ガチ目にだ。
「コッコッコッココココッココ…!」
しばらくすると…そんな彼の足元に、パリスが走って寄って来た。続いて現れたのは、麦わら帽子をかぶった…豪ちゃんと、他人の犬のポンポン。
「おはよう…?」
「ん…おはよう…」
豪ちゃんは手に持った新聞をテラスのテーブルに置いて、ポンポンとパリスにお水をあげていた。そんなあの子の背中を理久はチラチラと眺めて、ラジオ体操のテンポを乱してる。
「もっと…!もっと…!いっちに!さんしっ!」
若々しい肉体の前に…理久の老体は、無慈悲にテンポを遅らせていく…
気合の入った豪ちゃんは、そんな理久を叱咤激励しながら、ラジオ体操をこれでもかという程に熱心に教えていた。
「指を伸ばしてぇん!そうそう…!良いよぉ!理久ちゃぁん、良いよぉ!」
「はぁはぁ…はぁはぁ…」
死にそうじゃないか…!
豪ちゃんは首に巻いたタオルで理久の汗を拭いてあげると、リビングで棒立ちする俺を見つけて、満面の笑顔でこう言った。
「ほっくん!おはよう?…早いねぇ?」
「あ…あぁ、目が覚めちゃったみたいだ…」
息を切らしてテラスの椅子に腰かけた理久は…もう、既に…死にかけの爺の様に背中を丸めていた…
「ほっくん、コーヒーにする?それとも、野菜ジュースにする?」
野菜ジュース?!
そんなワードに胸を躍らせた俺は、迷う事無くこう言った。
「…野菜ジュース。」
豪ちゃんはにっこりと頷いて、キッチンの下からジューサーを取り出した。
そして、手際よくカットした野菜と、自家製のレモネード…はちみつを少々と、リンゴを入れて、ガリガリと音を立てながら、ジューサーを回した。
「はぁい、どうぞ…?レモネードが入ってるから、飲みやすいよ?」
そう言って差し出されたコップを受け取った俺は、迷う事無く口を付けてゴクリと飲んだ。
あぁ…し、沁みる…
ほのかに酸っぱい…そんな野菜ジュースは、さっぱりしていて飲みやすかった…
「はぁい…どうぞ?」
「ん…」
豪ちゃんは、テラスに腰かけた理久にも野菜ジュースを手渡した。すると、彼はヨボヨボと受け取って…ゴクゴクと飲んでいた…
ありがたや…ありがたや…命の水じゃぁ…!
そんな光景を見つめたまま、俺は、そんな、吹替を…頭の中でした。
豪ちゃんはテラスのテーブルの上に腰かけて、そんな理久と向かい合いながら、足をブラブラと揺らして野菜ジュースを飲んでいた。
ふと、視線を移すと、キッチンの上には…パリスの物なのか、卵がコロンと2個置いてある。
野菜ジュースを飲み終えた豪ちゃんは、畑の世話を始めた…。
あの子がせっせと収穫したトマトときゅうりが、どんどん理久の目の前に無造作に置かれて行って、彼はそれを手に取って…ぼんやりと覇気の無い目で虚ろに眺めている…
「ふふ…」
思わず吹き出した俺は、野菜ジュースを飲み干して…のんびりと、朝の空気を感じた。
何だろう…こんな暮らしも、悪くないな…
そんな風に思ってしまうくらい…穏やかで自然な朝だ。
「ほっくん、コーヒーにする…?それとも紅茶を淹れようかぁ…?」
キッチンに戻って来た豪ちゃんは、収穫したばかりの野菜を両手に抱えて、背中にヨボヨボの爺を付けたまま、そう、俺に尋ねて来た。
だから、俺は理久をなるべく見ない様に、視線を逸らして言った。
「…コーヒー、ミルクだけで…」
「はぁい…」
背後霊だ…
覇気の無い理久の顔は…まさに、背後霊の様だ。
「先生…?卵を割って…?」
「ん…」
豪ちゃんがお湯を沸かす中、理久が卵を割って…箸で溶かしている…
「ぷぷっ!あっはっはっは!!だ~はっはっはっは!!」
こんな光景、今まで、一度も見た事が無い!!
俺は理久を指さして…朝から、大笑いをした。
寝ぐせの付いたままの可愛い男の子の隣で、背後霊が卵をとかしてるんだ。
おっかしいだろ?!
腹を抱えて大笑いしていると、そんな事を気にもしないのか…理久は、豪ちゃんに、こう尋ねた。
「豪ちゃ…味噌はぁ…?も、食べられる…?」
「ん、まぁだ。でも…ぬか漬けは、もう食べられるよぉ…?」
「やったぁ!」
やったぁ!だって…!あり得ない…!
いつも、どんな時でも、彼は凛としていたんだ。
綺麗なシャツを着て…体に合った上等なベストを着て、キリッと、パリッと、していたんだ!
なのに、どうだぁ!
寝起きのせいか…理久はみっともない程に無防備だった…
爺を隠す事もしないし…格好を付ける事もなく…豪ちゃんにベタベタと甘ったれてるんだ…
これは、ある意味…衝撃映像だ。
「はぁい、ほっくん、コーヒーどうぞ…?先生は…向こうで飲む?」
「ん…」
片手にコーヒー…もう片手に理久の背中を抱いて、テラスまで連れて行く豪ちゃんの後姿は…介護ヘルパーの様だった…
「北斗…早いね…」
寝起きのまもちゃんは、ヨレヨレでも格好良かった。
そんな彼の、階段を降りる姿に、ついついうっとりしてしまったのは…内緒だ。
「ま、まもちゃぁん!」
俺は、思わず両手を広げて、まもちゃんに抱っこして貰った。
怖い物を見たんだ…!!見てはいけない物を見てしまったんだぁ!
「ん~~!北斗!可愛い!」
ブルブルと震える俺の体を抱きしめてくれたまもちゃんは、頬にチュチュチュチュ…!と、高速キッスをくれた。
「おはよう。まもるは…コーヒー…?」
「ブラックで…!」
短パン姿の豪ちゃんのお尻を舐める様に見た事は、気が付かなかった事にするよ…
…俺も、ついつい、4回は見たからな!
豪ちゃんは、手際よく朝ご飯を作った。
もれなく俺のまもちゃんは、豪ちゃんの手元を覗き込んで、要らない事をやいのやいのと言い始めて…あの子に蹴飛ばされていた。
「このぬか漬けはねぇ…僕のお友達のお母さんのぬかを分けて貰ったの。とっても美味しいよ…。あと、これは…パリスと他所の鶏の卵が混じってる…オムレツ。そして…今日は、少しだけ豪華に…そぼろを作ったんだぁ…。どうぞ、召し上がれ…?」
お味噌汁を配りながら…豪ちゃんがそう言った。
「良いぬかの匂いだね…?どれどれ…!」
まもちゃんは、すぐにぬか漬けに手を伸ばして、パクリと口の中に入れた。そして、ポリポリと食べながら唸って言ったんだ。
「あ~母さん、これ、美味い!」
「ぶふっ!!」
母さん…?!
ゲラゲラ笑う俺と理久を見たまもちゃんは、不思議そうに首を傾げて…ぬか漬けを食べている。
言った本人も気付いていないのか…今、まもちゃんは…豪ちゃんを“母さん”って、間違って呼んだ…!そんな事、気にもしていないのか…豪ちゃんは、ん、もう…!と小さく呟いて…理久の隣に腰かけた。
そして、箸で掴んだぬか漬けを理久の口に運んで、こう聞いたんだ。
「この前…セロリをぬか漬けにしたら、ぬかに匂いが付いちゃったでしょ…?まだ取れない…?僕、良く分からなくなっちゃったぁ…ねぇ、食べてぇ…?」
すると、理久はぼんやりしながら口を開いて、あの子の差し出したぬか漬けを口の中に入れて首を傾げた。
「ん…ポリポリ…まだ、少しする…」
「はぁ…もう…。失敗しちゃったぁ…」
「これは…これで、美味しい…ポリポリ…」
出た…
熟年夫婦の会話だ。
目の前の熟年夫婦をジト目で見つめていると、まもちゃんが俺の口元に箸を運んで、顔を覗き込んでこう言った。
「北斗、オムレツ美味しいよ…?お前の好きな味だ…食べてごらん?はい、あ~ん…」
だから、俺は…口を開いて、まもちゃんが美味しい物を入れてくれるのを待った。
「あ~ん…モグモグ。ん!美味い!」
確かに、俺の好きな味だ!でも…
オムレツをバクバク食べながら、俺は、豪ちゃんを見てこう言った。
「ここにウインナーが入っていたら、完璧なのに…!」
すると、あの子はケラケラ笑って…こう返した。
「ふふっ!兄ちゃんみたいな事を言う!僕の兄ちゃんも、ウインナーか、ハムが食べたいって、いっつも文句ばっかり言うんだぁ。そんな加工食品が好きな人はね、これももれなく、大好きなんだぁ。ほっくん、そぼろを乗せてご飯を食べてみて?甘くておいしいよぉ…?」
そぼろ…
まるで毒見でもする様に…まもちゃんは、まず、自分のお米にそぼろを乗せて、バクバクと食べて見せた。そして、すぐに…体を揺らしてこう言ったんだ。
「ん!母さん!美味しい!!そぼろ、めちゃくちゃ美味しい!」
また言った…
「ん…もう…」
そして…豪ちゃんも、またそう言った…
しかし、まもちゃん…さすがに、二回目は無いだろう?
ここまで来ると、わざと言ってる疑惑さえ…湧いて来るよ。
そんな彼をジト目で見た俺は…言われるがままに、茶色のそぼろをご飯の上にかけた。そして、一口食べて…悟ったんだ。
“ヤバい…これは、止まらなくなる!!”って…
予想通り、俺はご飯を3回もおかわりをして…ほぼ、そぼろと1:1の対比で…美味しく平らげた。
「美味い!まもちゃぁん!俺は…毎朝、そぼろご飯にする~?ねえ、作ってよ!作ってよ!毎朝、浅漬けと…そぼろご飯にするぅ~!」
朝食後…俺は、ソファに腰かけて、コーヒーを啜るまもちゃんの背中に乗って、ジタバタと暴れてそう言った。すると、まもちゃんは、豪ちゃんを見上げてこう尋ねた。
「はいはい…。豪ちゃん、割合は…?」
「ん…?普通だよぉ?1:1:1…。でもぉ…僕は、お砂糖を使いたくないからぁ、代わりにはちみつを入れてる…。それと…しょうがを刻んで入れてるんだぁ…」
豪ちゃんの料理スキルは…捨てがたい。
どれも美味しいんだ。
片付けも文句を言わずにするし、掃除、洗濯だって…いつの間にか済ませてる。
そして、ベストのタイミングで食後のお茶を配るんだもん。
この子にお世話してもらったら…手放せなくなっちゃうよ。
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「ゴクゴク!ゴクゴク!」
畑にお水をあげるの、大好き…!
ぐんぐんと水を吸っていく土と、あっという間に育つ野菜の茎に…毎日、感動するんだ。
こうして、庭仕事をしていると…季節の変わり目を体で感じる。
梅雨なんて来ない6月を終えて、7月の中旬を迎えたフランスは、日本よりも過ごしやすい気温で、日中でも日陰に入ると涼しい程だ。
でも、最近、日が強くなって…外で作業していると、汗ばむ様になって来たんだ。
きっと…これが、ここの夏なんだ。
きゅうりは大きく育って…綺麗な黄色い花を付けた後、グングンと身を実らせて、収穫真っただ中だ!
ここで収穫したきゅうりは、ぬか床へ直行するか…先生に、そのままあげてる。
「ふふ…まだまだ実るよ?美味しくなぁれ!」
僕はそう言って、育ち途中のきゅうりを指先で撫でてあげた。
「豪ちゃん。先生は…今日は、お出かけするから…」
すると、テラスから、先生が僕にそう声を掛けて来た。
だから、僕は、麦わら帽子を少しだけ傾けて、こう言ったんだ。
「はぁい…!」
ほっくんとまもるも、お出かけするみたいだ…
部屋の中で慌ただしく動き回る大人を…僕は、庭から眺めて畑に水をあげた。
「ご…豪ちゃん!俺のさぁ…俺の、ネクタイってどこだっけぇ…?!」
先生は物を失くしやすいんだ。
シャツ姿の先生はオロオロとしながら、庭仕事をする僕にそう聞いて来た。
だから、僕はテラスへ向かって、先生の寝室に行ったんだ。そして、すぐ目の前にある…ネクタイを手に持って首を傾げて聞いたんだ。
「…これぇ?」
「あぁ…!それだ!それだ!」
灯台下暗し…
先生のお気に入りのネクタイはすぐに見つかった…。だから僕は、先生の襟を立てて…ネクタイを巻いてあげた。
「…遅くなる?」
「いいや…夕方には…終わると思う…」
先生がこう言う時、大抵…夜遅くまで帰って来ないんだ。
先生のネクタイを締めて襟を直した僕は、彼を見上げてこう言った。
「ほっくんが、明日帰っちゃうのに…」
もっと、一緒に居たかったのに…ほっくんは、明日、日本に帰るんだ。
それがとっても…寂しかった。
先生は、眉を下げる僕の髪をフワフワと撫でて、こう言った。
「今夜は…どこかで、みんなで食事をしよう…?ね?」
ふぅん…
「はぁい…」
先生のジャケットを手に持った僕は、足早に歩く彼の後ろを追いかけて玄関へ向かった。そして、差し出す先生の手にジャケットを掛けて…頬にキスして言った。
「行ってらっしゃい。気を付けてね…!」
「行ってきます…!」
バタン…
「豪ちゃん、俺たちも出かけるよ。夕方には、帰るかな…?」
僕は知ってる。
こう言う大人は、大抵、遅くまで帰って来ないって…
「はぁい…」
目の前で派手にイチャイチャする、まもるとほっくんは…こっちまでドキドキしてくる様な熱いキッスを交わして、靴を履くのもままならない…
まもるの大きな体は、ほっくんの細い体を覆い隠して、勢い余って潰してしまいそうだ…!
「…ほっくん、僕ともチュウする?」
ネロネロと動く舌を間近で見つめたまま…僕は、ポツリとそう聞いてみた。
「は…?!」
驚いて目を丸くするまもるを一瞥した僕は、ケラケラ笑うほっくんをジト目で見つめて口を尖らせた…
だって…好きなんだ…
「豪ちゃんって…イケイケドンドンだな…」
そんな、まもるの軽蔑する様な瞳と、死語を受け取りながら…僕は、大好きなほっくんが外出するのを見送った…
そして、僕は…ひとりぼっちになった。
#35
「ほっくん、僕ともチュウするぅ~?だって…!だって…!はぁ~!最近の子供は…イケイケドンドンだよ。北斗。あの子は…可愛い顔して、なかなかどうしての、プレイボーイになるかもしれない!」
組んだ俺の手をナデナデしながら、まもちゃんがしきりにそう言った。だから、俺はケラケラ笑ってこう返した。
「あ~はっはっは!豪ちゃんが?プレイボーイ?おばちゃんにはなっても…そんな遊び人にはならないよ…。あの子はね、ただの世話好きな…おばちゃんさ。」
そして、めたくそ可愛くて…無防備で、俺の事が、大好きなんだ。
あの子だったら、俺は抱けるかもしれない。
しかも、小さなおっぱいが付いてるんだ!
ぶっちゃけ、あの胸の膨らみは…一度は、触ってみたいもんだ。
そんな事、考えているなんて微塵も見せないで…俺はタクシーを拾った。
さあ!今日は…のんびりと、まもちゃんを連れて…リヨン観光だ。
フランスと言えば…パリを思い描くだろう…?
リヨンは、そんなフランスの真中に位置する。すぐ隣には…イタリアがあるんだ。
美しい山脈も見れて、少し頑張れば…海の美しい…カンヌまで行ける。
良い立地だよ。
「北斗!マモ~ルがいる!」
「ぶほっ!」
リヨンは、映画の発祥地と呼ばれているんだ。
だから、それ関係のミュージアムや、記念館が多く点在してる。
リュミエール兄弟…映画の発明者なんて言われる彼らの父の邸宅は、今ではリュミエール博物館なんて呼ばれて…観光客と、映画ファンの聖地と化している…
そんな館内の、天井のフラスコ画には…確かに、マモ~ルがいた。
クルクルの髪の毛の裸の天使が、2匹…楽しそうに戯れている。その隣には…大人がふたり立っていて…1人は光り輝く…ぷぷっ!指揮棒を振り回してる!
マモ~ルと戯れる天使は、多分…豪ちゃんだ。
「じゃあ…その隣の2人は、俺と理久だね…?理久が、指揮棒を振り回して…ピカ~ン!って、光ってるんだ…。」
上を見上げてそう言った俺は、まもちゃんと一緒に顔を見合わせて、ケラケラ笑った。
彼と一緒に出掛けると、とっても楽しい。
子供みたいにはしゃいで笑う…そんな彼の姿を見るのが、俺は、大好きなんだ。
その後…一緒にお昼ご飯を食べた。
フランス、リヨンでは…“ブション”なんて、郷土料理が食べられるお店があるんだ。だから、俺は、そんなお店に…まもちゃんを連れて行った。
こっちの郷土料理は、豚を使う事が多い。
沖縄のラフテーとおんなじ…脂身を味わって食べる料理が多いんだ。
「脂っこいね…」
苦笑いをする彼を見つめて首を傾げた俺は、揚げたての豚の脂身をホクホク食べて、身悶えして言った。
「ん~~~!美味しい!脂っこいの、大好き!」
26歳の俺の胃袋は、未だにラーメンを食べれば…脂身は、増し増しの増しだ!
まもちゃんには、豪ちゃんのヘルシー料理の方が合ってるみたいだ。しょんぼりと、大きな背中を丸めて…脂身をすこいづつ…すこいづつ…食べていた。
「ワインと食べるから…胃にもたれないんだ!」
俺はそう言って、赤ワインを啜った。すると、まもちゃんは肩をすくめてこう言った。
「嘘だね…」
7月のフランスは、湿気の低いカラッとしたお天気だ。気温自体、そんなに高くならないせいか…日差しから隠れてしまうと、まるで日本の秋の様で、とても過ごしやすい。
お昼ご飯を食べた俺とまもちゃんは、仲良く手を繋いであちこちを観光して回った。
まるで、新婚旅行みたいだ…
そう感じたのは、俺だけじゃなかったみたいで…まもちゃんは行く先々で男らしさを見せ付けようとして来た。
今更、そんな事に…キュンする訳無いって思ったけど、彼の腕まくりした逞しい腕には、いつまで経ってもキュンしてしまう。
「この腕は…いつまで経っても格好良いね?」
彼を見上げてそう言うと、まもちゃんは首を傾げて俺を見下ろしてこう言った。
「腕だけじゃない。俺はね、いつまでも格好良く居られるんだよ。」
どうする…?
これってさ、どうして?って…聞かれるのを待ってるよね…?
クスクス笑った俺は、したり顔のまもちゃんを見つめたまま首を傾げてこう言った。
「…そっか!」
「ズコーーーーッ!」
まもちゃんは、盛大にそう言って体をのけ反らせた。
俺はね、イケメンの彼じゃない…こんな、お茶目な彼が…大好き!
一緒に居て…笑いが絶えないんだ。
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誰も居なくなった家の中…僕は、先生の書斎で…難しい顔をしながら故郷の家族に、手紙をしたためた。
みんな…何をしていますか…?
僕は、波の激しい自分の心に、翻弄されています…
ギフテッドと呼ばれる事が、ギフテッドである事が…嫌です。
…普通になりたい。
先生は悪意を持った人から…僕を守ろうとした。
山城先生が、あの施設から無断で立ち去る僕の背中に、そう言っていた…
僕は、それが何なのか…分からない。
でも…彼の傍に居たら、先生の傍に居たら安全だ。という事は知っている。
惺山…?僕は、先生が好きだよ。
それは、あなたに感じた…恋心とは違うと、断言出来る…。
僕は、彼の様な…お父さんが欲しかったんだ。
優しくて、あったかくて…穏やかで、僕を愛してくれる…だから、僕は安心して彼の元に居られる。
…分かるんだ。
知りたくなくても…人の気持ちが伝わって来るんだ。
だから…穏やかな人が好き。
酷い人が居るのと同じ様に…心の優しい人が居る…
そんな当たり前の事を実感して…優しい人の傍にだけ居たいと願う事は…贅沢ですか?
僕は、黙々と…先生の机の上で、当たり障りのない内容の手紙を沢山書いた。
そして、彼の蝋燭スタンプで、事務員の様に、流れ作業の様に、ポンポンとそれぞれの封筒に押して行った。もちろん、昨日の夜…惺山に宛てて書いた手紙にも、封をして、蝋のシールを貼った。
そして、切手を取り出して…いつもの様に料金を、過剰に貼った。
「ポンポン…?今日は、日差しが強いね…?正午でこの暑さなら…午後はもう少し気温が上がりそう…。」
僕は、お供に連れて来たポンポンの背中に向かってそう言った。すると、彼は僕を少しだけ振り返って、こう言った…
「くぅん…」
チッコリータさんのお家のポンポンは、茶色のトイプードル。
トイプードルって、もっと、小さいのかと思っていたけど…ポンポンは、立派な骨格のせいか…力強い、大柄な中型犬だった。
パリスとあっという間に仲良くなった彼が、もうすぐ、チッコリータさんの元へ戻る事が、少しだけ…寂しいんだ。
きっと、パリスは少しの間…寂しい思いをするに違いない。
一緒に寝た思い出や、一緒に遊んだ思い出に…打ちひしがれるかもしれない。
それを考えると…少しだけ、心配…
「…こんにちは?君は、木原先生の所の…豪くんで、間違いないかな…?」
ふと、そんな言葉を掛けられた僕は、足を止めて…振り返った。
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