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#44

#44 早朝から、俺の電話が鳴った。 早起きなまもちゃんの居ない朝のベッド…俺はもぞもぞと体を動かして…うるさく鳴り響く携帯電話を耳に当てた。 「もしもし…あぁ、久しぶり…元気だよ。」 電話の相手は…チェリストの直生だ。 彼はすっかり、ストリッパーに夢中だった筈なのに、こうやって、たまに電話を掛けて来ては、俺の近況を気にしてくれていた。 「はは…あぁ、知ってるよ…。会った。」 話の内容は…理久の元に居る…“ギフテッド”の事だった… 海外を飛び回る知名度の高い彼らの耳に…もう、あの子の事が知れ渡った。 それは、俺や理久にとっては…不都合な事だ。 「えぇ…?可愛いかって?なぁんでそんな事気にするんだよ…。もうね、いい加減、落ち着きなよ…。年なんだしさ…」 俺がそう言うと、電話の向こうで、弟の伊織が雄たけびを上げてこう言った。 「…可愛いは正義だろっ!」 どんな正義だよ…しかも、可愛いは作れるんだ!ばかたれめ! 不味いな… 彼らが理久の元に行けば、豪ちゃんを見つける。天使の様なあの子を見た、野獣兄弟は…きっと、良からぬ事を考える事だろう。その名目として、彼らの使う常套手段は…こうだ。 「一緒に…演奏してみようかと思う…」 やっぱり… 電話口でそう言った直生に、俺は、こう言った。 「駄目だよ…絶対に駄目。俺の言う事、今でも聞いてくれる…?」 妙に色っぽい声色でそう言うと、電話口の直生は押し黙って、こう言った… 「なんだ…北斗、俺とセックスしたくなったのか…」 馬鹿野郎だな… 呆れた様に首を横に振った俺は、色っぽい声を継続させてこう言った。 「そうだよ。軽井沢においで…?ふたりまとめて相手してあげるよ?俺は上手になったから、あっという間に、イッちやうよ…?」 ガチャリ… 「たっだいまぁんもす!」 まもちゃんが、朝のジョギングから帰って来た。そして、俺の髪にキスすると…そのままシャワーを浴びに浴室へと向かった。 「…なんだ、北斗…男の声が聞こえたじゃないかぁ…!」 「だったらなんだよっ!俺はね、そんなんじゃ足りないんだ…!い、今すぐに…!したいんだよぉ!はぁはぁ…直生…はぁはぁ…!早く…!早く…!軽井沢に来てぇん!」 全裸のまもちゃんが、俺をジト目で見続けてる。 でも、俺は…彼らを、何としてもフランスに行かせる訳には行かないんだ。 考えてもみて? 有名人な彼らが、豪ちゃんとセッションなんてした日にゃ… それこそ…大きな花火を打ち上げて、大々的に広告している様なもんじゃないか! ただでさえ、あの子の周りには…ギフテッドの先駆け的存在の幸太郎がうろついてるんだ。 これ以上…不必要な狼煙はあげたくないんだよ… 「そうか…北斗。良く分かった…」 直生は、納得した様に大きくため息を吐いてそう言った。 ホッとしたのもつかの間…突然、伊織の叫び声が聞こえて、俺は思わず携帯電話を耳から離して顔を歪めた。 「…嘘だ!絶対、嘘だぁ!」 伊織が直生の背後でそう言って…どうでも良い事を思い出して、喚き始めたんだ。 「直生!5年前の事を忘れたのか…!北斗は、俺たちを騙すのに抵抗が無いんだぁ!」 …5年前 俺は、確かに…この兄弟を騙した。 当時、俺は21歳…音楽院に通っていた頃の話だ… へべれけに酔っぱらった俺は、伊織からかかって来た電話に出たんだ。 「北斗…今、何してる…?」 開口一番…既に、息の荒い伊織の様子に…俺は察したんだ。 こいつ…俺でオナニーしてるって… 「えぇ…?そうだなぁ…んふふ…いおりんの事考えてたんだぁ~」 俺は酔っぱらった勢いで、そう嘘を吐いた。 すると、電話口の彼は大層興奮してこう言ったんだ。 「ほ…ほんと?」 んな訳無いだろうが…!どんだけポジティブなんだよ… ささくれ立っていた俺は、お気楽トンボの伊織に腹を立てて…こう言った。 「本当だよ…会いたいんだぁ…。うんと、激しく…抱いて欲しくなっちゃった…くすん。」 すると、馬鹿な伊織は…勝手に興奮して声を荒げた。 「そうかぁ!イギリスに居るんだろ…?今、フランスだから…今から、そっちへ行くからぁ!」 だから…俺は…こう言ったんだ。 「…ん、違う!俺…今、コスタリカに居る…」 バリバリ、イギリスの寮の中に居る。 でも、嘘を吐いて南米のコスタリカに居るって言った。すると、伊織は鼻息を荒くして…こう言ったんだ。 「熱い熱帯夜を…過ごそうじゃないかぁ!」 俺は思ったね…屑ほど演奏は冴え渡るんだって… 「待ってる~!」 弾むような声でそう言った俺は、顔を歪めながら電話を切った… 彼らはすぐにフランスのホテルをチェックアウトして…いくつもの飛行機を乗り換えて…セスナ機でコスタリカまで行ったそうだ… その熱量を…違う場所へ向けて欲しいもんだ。 「北斗!今…来たぞ…」 そんな電話を受け取った俺は、ケラケラ笑いながら直生に言ったんだ。 「うっそぴょ~ん!あはは!馬鹿だな。本当にコスタリカに行ってんの!」 それから…1年の間…彼らからの連絡は途絶えた。 「はぁっ!思い出した!そうだ!そうだったぁ!」 直生はそう言って…電話を、ガチャ切りした… マズいな… 彼らの事だ… 豪ちゃんが、可愛いかどうか…確かめに行くに違いない… フワフワの長めの髪と、可愛らしいまん丸の瞳…あのビジュアルは、最強だ。 しかも、あの子のアホっぽい表情は、きっと、彼らの心を満たすに違いない…! 理久に伝えておかないと…!! -- 「わぁ!ラザニア…?美味しそうだね?」 ジェンキンスさんのおばあちゃんが、わざわざお庭まで遊びに来てくれた。 彼女は重たい陶器のお皿に、美味しそうな“ラザニア”を作って持って来てくれたんだ。そして、僕の畑を見て…嬉しそうにコンコンブルの花を見て、ケラケラ笑ってた。 なんて言ってるかは分からなかったけど…僕は、ジェンキンスさんのおばあちゃんに、パセリの束を渡して、サクリスタンのおすそ分けをした。すると、彼女はパセリの香りを嗅いで、とっても嬉しそうに笑ったんだ。 可愛いね。 足の悪い彼女をお家まで送った僕は、ジェンキンスさんに素敵な布を貰った。 「わぁ!とっても綺麗な布だね?」 それは帆布の様に頑丈で、上等なカーテンの様に素敵な模様が織り込まれていた。 クッションカバーに良さそうだ! ルンルン気分で帰った僕は、頂き物のラザニアを冷蔵庫にしまって、綺麗な布を見つめて肌触りを確認するみたいに、何度も手のひらで撫でた。 「…そうだぁ!これで…惺山に、眼鏡ケースを作ってあげよう!」 僕のお裁縫のレベル…? そんなの…すんばらしいに決まってる! 兄ちゃんは、女の子みたいな趣味だって馬鹿にしたけど…僕はミサンガ作りも好きだし…細かい縫裁も大好き! 刺し子なんて…均一な波縫いに、家庭科の先生が驚くくらいだもんね~! 「ザクザク切って…裏地は…この前破れちゃった服を使お~う!」 思い立ったが吉日なんていうでしょ…?だから、僕はすぐに作り始めたんだぁ! 裏地を作って…表になる部分を作って…最後に中表に合わせて縫い合わせていくんだ。そして…可愛いボタンを留めた。 僕は…それを2つ、作った。 ひとつは惺山に贈って…もうひとつは、先生に…あげようかな… 上出来な眼鏡ケースを手の中で撫でながら、僕は最後の仕上げに取り掛かった。 太い黒い糸で仕上げるのは…イニシャルの刺繍! 「ふふ!こういうの大好き~!」 僕は、惺山の眼鏡ケースにイニシャルじゃなくて、森と…ふたつの山と…その間にキラキラと輝く…星を刺繍した。 「可愛い~!」 その次に…先生にあげる予定の眼鏡ケースに、僕は…可愛い音符と…バイオリンの様な…ウクレレの様な…ヒョウタンの様にも見える…謎の物体を刺繍してあげた。 「微妙~!」 ケラケラ笑って、後片付けをした。 お裁縫の基本…使った針は必ず元に戻す事…! 間違って失くしたら…忘れた頃に、足の裏に突き刺さっちゃうからね? そして…僕は、やっと運指の練習に取り掛かるのであった… でも、チラチラと眼鏡ケースが視界に入って…僕は、ソワソワする気持ちを抑えきれなくなった… どうせ…先生は帰って来ない。 僕は、運指の練習を中断して、惺山への贈り物と、簡単な文を封筒に詰めて、500円なんて高額の切手を貼った。 そして…夜の道をとぼとぼ歩いて、郵便局へと向かった。 街灯の少ない道は暗い所と、明るい所が点々と別れて、まるで真っ暗の中のスポットライトみたい。 だから…僕は、楽しくなって、スキップしながら歩いた。 「明るい~!こっちは…暗~い!」 すると、知らない車から…外人の男の人が降りて来て、僕に何かを話しかけて来たんだ。でも、僕は、知らない人とは話しちゃ駄目って教えて貰ってる。 だから、そんな男の人を無視して…スキップして通り過ぎた。 「明る~い!こっちは…暗~い!」 無事、惺山への贈り物をポストに投函した僕は、来た道をスキップして戻った。 夜の風は冷たいくらいだ… 帰ったら、運指の練習の続きをして、お風呂に入って…先に寝ちゃおう…! 「明る~い!こっちは…暗~い!」 すると、先生の家の前に…さっきの男の人が立っていた。 僕は彼を見上げて、首を傾げた。 フランス語で話しかけて来るこの人は…僕に、日本語を話させる気が無いみたいだ。 映画に出て来そうなその人は、話の通じない僕を見て眉を顰めた。 「…変な人!ばぁ~か!」 僕は、人に失礼な事なんて言ったりしないよ? …でも、彼は、フランス語を出来ない僕を馬鹿にしていたから…そっちの方が失礼だなって思ったんだ。 しかも、僕が家の中に入ろうとするのを邪魔するみたいに、その人は通せんぼしてきたんだ! こんなの…信じられない! 「なぁんで!」 僕は怒ってそう言った。すると、その人は僕を見下ろしてこう言った。 「バイオリン…シルブプレ…」 「ノー!」 僕は…ノーが言える男なんだ。 口を尖らせて胸を張った僕は、一歩も怯まない態度で…そう言った! すると、丁度その時…家の敷地に先生の車が停まったんだ。 「はっ!」 家の前で通せんぼされる僕を見て、先生は目を丸くした…。そしてすぐに、相手の男性にフランス語で何かを言ったんだ。 「豪ちゃんは…家に入ってなさい!」 「はぁい…」 僕は、先生を置いて…家の中に入った。そして、彼にあげる予定の眼鏡ケースをポケットの中にしまって…運指の練習を再開した。 すると、すぐに先生が家に帰って来た。 だから、僕は彼を振り返って言ったんだ。 「ジェンキンスさんのおばあちゃんが、ラザニアをくれたんだぁ。プチトマトのサラダと一緒に食べよう…?」 「どうして…?!」 先生は、僕を見つめて…そう言った。 「…プチ、トマトが余ってるからだよぉ…?」 僕は…先生の悲痛な顔を見つめて…そう答えた。 荒くため息を吐いた先生は、僕の肩を掴んで、強く揺さぶりながらこう言った。 「豪!どうして、夜に、外なんて出歩いた!危ないだろっ!ここは、お前がいた様な田舎じゃないんだっ!こんな時間に無防備に出かけて…暴漢だって、犯罪者だって、ウロウロしてるんだぞっ!」 僕は…そんな先生を見つめたまま…目が…痛いくらいに、涙が溢れた。 「どうして…どうして、分かってくれないんだ…!!どれだけ、お前を守る為に苦心しているのか…!!どうして、分かって…自制してくれないんだっ!!」 「…ご…ごめんなさぁい…」 「あの人は誰だったと思う…?!お前を目当てにやって来た…資産家だっ!お前のバイオリンを聴かせろと、ここを突き止めてやって来たんだっ!!分かるかっ?!豪!あのまま、連れて行かれたら…籠の中の鳥みたいに…!お前が嫌でも弾けと命令されるぞっ!良いのか!良いのかっ!!」 「やぁだぁ…!やだぁ…!うっうう…こわぁい…こわぁいっ!」 先生の剣幕が怖くて…僕は、体中を振るわせて…泣いた。 こんなに怒られた事なんて無い… こんなに怒鳴られた事なんて無い… いつも、すぐに穏やかになって…優しく、話してくれた筈なのに…先生は、僕にめちゃめちゃ怒った… 「甘やかしすぎたっ!俺は…お前に甘すぎたぁっ!こんな事じゃ…お前を守る事なんて…出来ない!!すぐに、追い詰められて、逃げられなくなって、いつか…お披露目なんて形で…お前を大衆の面前に晒さなければならなくなるだろうっ!!そうなったら、どうなるか…分かるか?!分かるかっ?!豪!」 「ひっく…ひっく…!わ…わ、わ…分かんなぁい!!」 怖いよ… 何もかもが…怖いよ… 先生は怒ったまま、泣きじゃくって顔がぐちゃぐちゃになった僕を見つめて、強い口調でこう言ったんだ… 「幸太郎の様になるんだ…!!人生を滅茶苦茶にされるぞ!!彼らは、才能をもてはやしてるんじゃない…!自分の物の様に才能あるものを食いつぶして…飽きたら、ポイ捨てするんだ!!俺は、お前をそんな目に遭わせたくないっ!!だから…だから、必死で守ってるんだぁっ!!分かったら…、二度と!勝手に!外になんて出るなっ!!」 「うっうう…は…は、はぁ…い…」

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