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#58~#60

#58 「ねえ、北斗?星ちゃんの奥さん…めっちゃ優しいね…?」 そんなの知ってる… 厨房の中から、星ちゃん一家を監視し続けるまもちゃんに、俺は口を尖らせてこう言った。 「この店の店主は、お客さんをジロジロ見るんですかぁ…?!」 「いや…あの星ちゃんが、お父さんしてるなって…家族してるなって…感慨深くなってるだけじゃないの!まぁ~ったく、人聞きが悪いなぁ!」 ふんだ… 俺はまもちゃんに一番凶悪なチャッキー顔をして、威嚇しながらこう言った。 「星ちゃんは…俺の初恋の人なんだからなぁ!アンタッチャブルだぞ!それ以上…言ったら駄目だぁ!」 そう…俺にとって、星ちゃんは…いろいろな意味でアンタッチャブルなんだ… 「北斗…やっぱり、もう、こんな事止めよう!」 いつもの様に…俺の部屋でエッチをした後…星ちゃんは俺にパンツを穿かせながらそう言った… 慌てた俺は…首を傾げて聞いたんだ。 「…どうして?まもちゃんが居るから…?」 夏休みにまもちゃんの元へ行って…それ以外は、星ちゃんと過ごして… 俺は、所謂、二股をしていた。 すると、星ちゃんは俺の言葉に首を横に振って、バイオリンを見つめながら言ったんだ。 「…北斗、バイオリンを全然練習していないだろ…?今度、コンクールがあるって言ってたじゃないか…。なのに、ずっとエッチしてるのって…違うと思うんだ。」 「ん、違くなぁい!俺は…星ちゃんと一緒にいると…元気になる!」 そう言って彼の体に抱き付いた俺は、鼻をスンスン鳴らして縋りついた。 でも…そこは…星ちゃんだ。 意見を変える事は、無かった… 彼は、けじめを付けられない…俺に、ガッカリしたんだ。 …それか、浮気みたいな関係に嫌気がさしたのか… はたまた、会う度に体を求める俺がうっとうしくなったのか… 星ちゃんははっきりとした理由を言わなかった。 「今日から、また、友達に戻ろう…?そして、老後も、一緒に餃子を食べに行こう…?」 Tシャツを頭から被った星ちゃんは、優しい瞳で俺を見て…そう言った。だから、俺は首を横に振って嫌がったんだ。 「ん、やぁだ!星ちゃん…好きなのにぃ!」 「まもちゃんさんの事は…?」 彼に、そう言われて…俺は、返す言葉が思いつかなかった… そして、おもむろに俺の手帳に…餃子を食べに行く予定を書き込むと…星ちゃんは、部屋を出て、帰ってしまった。 それ以来…俺と星ちゃんは、友達に戻った… 俺がどれだけ望んでも、彼は二度と、俺とエッチしなかった。 …さすが、星ちゃんだよね。 「軽井沢に遊びに来ているの…?」 俺は、水を注ぎに星ちゃん一家のテーブルへ行って、さりげなく彼の事情を探った。 すると、星ちゃんの奥さんがクスクス笑って教えてくれたんだ。 「…お友達の歩さんが、別荘を貸してくれて…一週間、そこで過ごすんです。パパ、忙しくって遅い夏休みになったけど、俊太も嬉しいよね…?」 「う~ん!嬉しい~!」 「星ちゃぁん!!」 俺は、余りの嬉しさに…勢い余って星ちゃんに抱き付いて頬ずりして言った。 「あぁん!星ちゃぁん!!大好きだぁ!大好きだぁ!」 「こらこら…ははは…こらこら、北斗、こらこら…」 俺のご乱交に…すかさず、まもちゃんが厨房を飛び出してやって来て、星ちゃんに頬ずりする俺を、彼から引き剥がした。 歩の別荘に…一週間…?! それを聞いた俺は、嬉しくなったんだ。 ただ、それだけだよ…? 変な…下心なんて、無いよ。 「北斗さんは、相変わらずあなたの事が大好きなのね?幼馴染って…良いわねぇ?」 星ちゃんの奥さんは、ケラケラ笑ってそう言った。 そんな彼女を、まもちゃんは微妙な笑顔で見つめて…コクリと頷いた。 -- 「見てぇ!ふふぅ!!田舎だぁ~~!」 僕は、直生さんの運転する車で…とっても、遠くまで連れて来て貰った。 周りに見えるのは…美しい緑。 そんな光景に瞳を細めて…僕は嬉しくなって直生さんに言ったんだ。 「僕の故郷は…もっと、も~っと田舎だよぉ?」 「ふふ…そうなの?」 瞳を細めて、直生さんがそう言った。すると、後部座席に座った伊織さんは僕の肩をモミモミしてこう言ったんだ。 「豪ちゃん…後ろにおいで…?」 「はぁい…!」 顔を真っ赤にする伊織さんのお隣に座り直した僕は、窓から見える緑を指さしながら彼を見上げて言った。 「見て…!穂先が風に流れて行く…!風が見える…そんな瞬間だぁ~!」 すると、伊織さんは何度も頷いてこう言ってくれた! 「うん…うん…見える…見えるね…!」 右も左も…ただの緑が、どこまでも続いているんだ。 こんな光景、僕の田舎でも見る事が出来なかった!! 「あぁ…とっても、気持ちが良い…!!ずっと、先生のお家にいたから…こんなに、開けた所…とっても、気持ちい~~!」 伊織さんに体を乗せた僕は、窓から顔を出して首を伸ばした。そして、鼻から思いきり空気を吸って…うっとりと首を横に振って新鮮な空気を満喫したんだ。 「はぁはぁ…はぁはぁ…」 車に乗って…3時間半、僕は、先生のお家から“ミルクール”という町へやって来た。 「豪ちゃん…豪ちゃん…良いんだよ。伊織に、乗っかっても良いんだよ…」 伊織さんはそう言って僕の背中をナデナデした。だから、僕は彼を振り返ってこう言ったんだ。 「ん…でもぉ、僕は、それなりに重たいよぉ…?」 「ん、重たくなぁい!全然、重たくなぁい!」 首を横に振って伊織さんがそう言うから、僕は彼の膝の上に寝転がって彼を見上げて聞いたんだ。 「…重くなぁい?」 「はぁはぁ…全然…重くない!」 伊織さんは僕の鼻をチョンチョンと突いて、口元を緩めて笑った。 俯いた長い前髪の奥に見える彼の可愛い瞳が、目じりを下げて笑っているのが見えたから、僕はクスクス笑って、彼の頬を撫でて言ったんだ。 「可愛い~!」 「豪ちゃん…ちょ、ちょっと…ブラウスのボタンを外そうか…ずっと、車に乗ってるから…息苦しくなっちゃっただろう…?」 優しい伊織さんはそう言って、僕のブラウスのボタンを外してくれた。 だから、僕は彼の手をナデナデしながら大人しくしていたんだ。 「伊織君…!ちみは…後部座席で、何をしとるかね…?!」 運転席の直生さんが、今まで聞いた事も無い声で、そう言った。だから、僕はケラケラ笑って、真似をして言ったんだ。 「伊織君!キャッキャッキャッキャ!伊織君!」 「ぐへへ…ぐへへ…」 伊織さんは、どうしちゃったのかな… なんでか…僕のブラウスのボタンを、すべて外しちゃった。 そして、僕の両手を掴んで、はだけたブラウスからこぼれて見える、ちっぱいを、じっと…見つめて来たんだ。 触られた訳でも無いのに…僕は、そんな伊織さんの視線で、乳首を立ててしまった。 「はぁはぁ…!!」 「んん…恥ずかしいぃ…!」 両手をもじもじと動かすけど、伊織さんは、ちっとも離してくれなかった。 ただ見られているだけなのに…僕のちっぱいは赤く照れて…乳首はツンと立っちゃった…それが恥ずかしくって、僕は体を捩って、こう言ったんだ。 「んんっ!やぁん…見ないでぇ…」 「ぐほぁあっ!!」 「伊織君…!ちみは…後部座席で、何をしとるかね…?!」 直生さんはそんな言葉と共に、車を停めて後部座席を振り返った。そして、僕のちっぱいを見つめたまま…そっと指を差し出して、乳首の先っぽを撫でて、転がしたんだ。 「あぁあ…だめぇん…も、も、ばっかぁん!」 僕は、怒った! だって…このおっぱいの事を…誰よりも気にしてるんだから…!! 体育の時間…大ちゃんは、体操着から覗く僕の胸元を見ていた… 水泳の時間…大ちゃんは僕の胸をチラチラと見ていた… 湖に入った時も、温泉に行った時も、タンクトップを着ていた時も…大ちゃんは、僕の胸ばかり見ていた。 …きっと、女の子のおっぱいを想像してるんだって…晋ちゃんが言ってたもん。 怒りだした僕に気が付いたのか…伊織さんは、やっと、僕の手を離してくれた。 だから、僕は思いきり体を起こして伊織さんの頭をボカスカ殴って怒って言ったんだ。 「だめなのぉ!僕の…おっぱいで遊んじゃ…だめなのぉ!…だって、気にしてるんだもん…!」 すると、直生さんが僕の髪を撫でて、うっとりと優しい瞳で、こう言ってくれた。 「…豪ちゃん…とっても、可愛いおっぱいだよ…?」 「本当…?」 「本当だ!もっと見ていたいくらい…とっても、可愛い…おっぱいだよぉ…」 そうなんだ… 良かった… 意外にも、惺山も、先生も…直生さんと伊織さんも…僕のちっぱいを気にしないみたいだった。 もしかしたら、こんな少しの膨らみを持った男の人が…結構いるのかな… 僕が、気にし過ぎているだけなのかな… そんな事を考えていたら、直生さんが僕のブラウスのボタンをひとつづつ留めて行ってくれたんだ。 「わぁ…優しいね…?」 すっかり怒りが収まった僕は、直生さんにボタンを留めて貰いながら、たまに触れて来る彼の手の甲の感触に、ゾクゾクと鳥肌を立てた。 #59 「北斗ちゃん?あれは頂けないな…頂けない!」 お昼のお店を閉めた後…二階の部屋に戻った俺を、まもちゃんは、ずっと…こんな感じで詰って来るんだ。 理由は分かってる… 俺が星ちゃんに鼻の下を伸ばしたから…しかも、妻と子の前でだ。 まもちゃんは、それを怒っている。 「だって…星ちゃんだよ?あの、星ちゃんだよ?俺が星ちゃんに反応しなくなったら、馬がにんじんに反応しなくなるのと同じ!死んでる様なもんじゃないかぁ!」 ベッドに腰かけた俺は、開き直ってそう言った。そして、まもちゃんをふんぞり返って仰ぎ見て、誤魔化す様にケラケラ笑ったんだ。 口を尖らせる彼を見つめたまま、俺は、人差し指を立てて付け足す様にこう言った。 「それに、奥さんだって…笑ってたじゃないか…!仲が良いのね~って、ケラケラしてたじゃないかっ!」 まもちゃんは、俺が星ちゃんと一瞬お付き合いした事を知らない… だから、俺は何も言わないで、誤魔化して、やり過ごすんだ… 悪びれない俺の態度を見て、まもちゃんは呆れた様に、大きくため息をついた。でも、強く俺を抱きしめて…こう言ったんだ。 「妬いちゃう…。だから、もう、止めて。」 …まもちゃん… 「…うん。」 努力する… 最後の言葉を飲み込んだ俺は、まもちゃんの体に抱き付いて頬ずりした。 分かってる…分かってるさ… でも…星ちゃん、なんだ… 胸の奥にウズウズと疼いて来るこの気持ちは…何だろう…? 星ちゃんに…ちょっかいを掛けたくなってしまうんだ。 彼に触れたいし…あわよくば…なんて、気持ちが疼いて来てしまう。 俺は、もしかしたら…気が多いのかな…? 豪ちゃんの様に、ひとりの人だけを思って、生きて行く事が出来ないのかな…? 手離した瞬間…惜しくなるんだ。 理久も…星ちゃんも…ずっと、傍に置いておきたいなんて… …欲張りだ。 「まもちゃん…キスして…?」 俺はそう言って、悲しそうに瞳を細めるまもちゃんの唇にキスをして…舌を入れた。 彼が一番好き… それは変わらないのに… その他大勢を手離したくないなんて思ってしまう。 理久も…星ちゃんも…直生も、伊織も…ずっとずっと…傍に置いておきたいなんて…わがままで、欲張りな気持ちが、疼いて来てしまうんだ。 「…まもちゃん?」 彼の胸に頬を埋めた俺は、視線の先にぼんやりと映る水笛の鳥を眺めながら…こんな話を切り出した。 「実は…俺は、究極のビッチかもしれない…って、最近、悩んじゃうんだよね…?」 「はは!」 俺の言葉を聞いたまもちゃんは、すぐに吹き出して笑った。 そして、俺の髪を撫でながら、穏やかで優しい…低くてよく響く声でこう言ったんだ。 「…魅力的な、ワードだね…?」 …ふふ! すぐに、ふざけるんだ… 「も、ちゃんと聞いてよっ!」 彼の胸を叩いて怒った俺は、まもちゃんを見上げて眉を下げながらこう言った。 「だって…豪ちゃんにデレデレする直生と伊織も、嫌だし…家庭を持った星ちゃんも嫌だ。そして…豪ちゃんに完全に心を奪われている…理久の事も…嫌だ。昔は俺の事が大好きだったくせに…!みんな新しいカワイ子ちゃんに、取られた…」 「ふふふっ!」 ケラケラ笑ったまもちゃんは、俺の髪をかき上げながら、しょぼくれる瞳を覗き込んでこう言った… 「…ビッチじゃない!北斗は…ただ、昔のままで居たかっただけだ。あの頃のままで…居たかっただけだよ。」 え…? まもちゃんの顔を見つめたまま、俺は開いた口を閉じないまま…顎をカクカク動かして、首を傾げた。そして、怪訝な表情のまま、彼に聞いたんだ。 「そう…?」 すると、まもちゃんは、優しく瞳を細めて…俺の頬を撫でながらこう言った。 「そうだよ…。特に…理久先生の変化は…少し、寂しいだろうな、とは…思っていたよ…?でもね、彼も…幸せになって良いんだよ…。そして、北斗も心の中でそう思っているから…彼の変化を受け入れようとしてる…そうだろ?」 そうだ…そうだよ…! 「どうして…?どうして…分かったの…?」 俺は思わず目を見開いて、まもちゃんを見つめた… すると、彼は、首を傾げながら口元を緩めて、俺に言ったんだ。 「俺はね…意外と、察しの付く良い男なんだよ…?でも、言わないんだ。どうしてだと思う…?」 そうなんだ… まもちゃんの胸に顔を埋めて鼻をスンスン鳴らした俺は、そう、尋ねて来る彼の胸の中で首を横に振って甘ったれた。 「…どうしてぇ?」 そんな俺の問いに、彼は、俺の鼻の頭をチョンチョンと叩いて、ニッコリと微笑んでこう言った。 「北斗が…話してくれるのを、待ってるんだ。こんな風に…話してくれるのを、待ってたんだ…。」 本当かな…? 俺が浮気していたのでさえ、気が付いているのかどうかも怪しいのに…俺が話すのを待ってただなんて… 本当かな… そんな少しの疑問を抱きつつ…俺は、彼の意見に乗っかる事にした。 だって、その方が…上手くおさまると思ったんだ。 彼の、察しが良いと自負している気持ちも、俺の浮つく気持ちも、どちらも…上手くおさまると思ったんだ。 「まもちゃぁん…ギュってして…」 そう言って彼に甘えた俺は、クッタリと脱力して…眉間にしわを寄せた。 俺は、ずっと…昔のままでいたいの…? 理久が自分を無条件に愛して… 直生と伊織の一番は…俺で。 星ちゃんも、ずっと…俺を好きでいてくれる… そんな物を望んでいるの…? だとしたら、やっぱり。 とんでもない…糞ビッチじゃないか。 大好きな人の傍に居ると言うのに、こうも簡単に、フラフラと揺れ動いてしまうのは、どうしてだろう…? 胸の奥が、ウズウズと疼いて来るのは…どうしてなんだろう…? ねえ、まもちゃん… そんな俺を、怒ってよ…。 手を強く握って、怒ってよ… -- 「ミルクール…」 フランスの田舎町…でも、僕の育った村よりも発展してる。 僕は、直生さんと、伊織さん…ふたりと手を繋いで、まるで絵画の中の様な景色を口を開けて眺めて歩いた。 高い建物の無い開けた青い空に、綺麗な色の屋根が連なって見えて…大きな塔がぴょこんと頭をひとつ上に出して、こちらを覗いて来る… 「わぁ!素敵だねぇ~?」 僕はケラケラ笑って直生さんを見上げた。でも、彼は黙々と前を見据えていた。だから、僕は、隣の伊織さんを見上げて、にっこりと笑った。でも、伊織さんは、僕の襟足ばかり見ていた。 どうして僕たちがここに来たのか… それは、弦の切れてしまったバイオリンから始まったんだぁ。 「あぁ~あ!弦を…先生に張り替えて貰お~う…っと。」 僕は、バイオリンを撫でながらそう言った。 すると、伊織さんがこう言って来たんだ。 「豪ちゃん…あんなに動き回ったら、肩が痛くなるだろ…?痣が出来てないか…見てあげる。少し…肩を出してごらん…?」 確かに…僕は、バイオリンを弾きながら暴れる。 そして、ご指摘の通り…たまに、鎖骨が痛くなる時があるんだ。 「…どうして分かったのぉ?整体師さんみたいだねぇ…?」 僕は、伊織さんの顔を見上げて、そう言いながらブラウスのボタンを外した。 そして、肩を出して彼に見せたんだ。 「…青くなってるぅ…?」 すると、伊織さんは、目を点にして…僕の肩を凝視した… そして、無表情の顔で、ポツリと言ったんだ。 「舐めても…良い?」 どうして…? 僕は首を傾げて自分の肩を見てみた。痣は無いみたいだし…今日は痛くない。 「何にもなってなぁい…」 伊織さんを見上げてそう言った僕は、ブラウスのボタンをそそくさと、閉じた。 「豪ちゃん…そのバイオリンは、少し…動き回るには重いみたいだ。新しい物を買ってあげよう。あっ!そうだ、ミルクールへ行こう!」 直生さんのその言葉で…僕は、ここまでやって来たんだ。 「イタリアのバイオリンは値段が張る。でも、フランスのバイオリンはそこまで高くなく…音色も高水準だ。板も薄いから…軽量だし、肩当ても付けたら、今よりも動きやすいだろう…」 僕の手をブンブン振って…直生さんがそう言うから、僕は、彼を見上げて眉を下げてこう返したんだ。 「ん、でもぉ…僕はお金を持ってないよぉ…?先生がくれた、お小遣いしかないもん…。毎週…6ウーロくれるぅ…。綺麗な模様が描いてあるんだぁ…ふふぅ。でもさぁ、どうしてか…あっという間になくなっちゃうんだよねぇ…」 すると、直生さんは、突然、無表情になってこう言ったんだ… 「そうだ。豪ちゃん…今夜は、この街に泊まろうと思ってるんだ。これから帰るのもしんどいから、一泊しようと思ってるんだぁぁ…。」 「…そうだな。一泊しようぅぅ…」 そんな直生さんと伊織さんを交互に見上げた僕は、眉を下げて言った。 「ん、でもぉ…先生が、心配するよぉ?」 「なに…大丈夫だ。…ちゃんと、メールしておいたから…大丈夫だ。」 伊織さんはそう言って僕の髪をフワフワと撫でながら、チュッとキスをした。 わぁ…! 「…そっかぁ…わぁい!お泊り~!ふっふぅ~!」 僕は両手を動かして、小躍りをして喜んだ! だって…ずっと先生の家に缶詰だったから…こんな所に連れて来て貰えて、お泊りなんて出来て、とっても、嬉しかったんだぁ! 「わぁ~い!わぁ~い!」 僕と一緒になって、直生さんと伊織さんも小躍りしてくれた! とっても優しい人たち! だから…僕は、彼らの事が大好きになった! 「…豪ちゃん、どれが弾いてみたい…?」 直生さんと伊織さんと一緒に、僕は、緑の看板の可愛いお家に入った。 …部屋の中に入った瞬間、木の良い香りがして…僕はすぐにうっとりした。 そして…目の前を塞いだ大きなふたりが退いた先には、驚きの光景が広がっていたんだっ!! 「わぁ…!みりん干しの…大会みたいだぁ…!!」 そこには、天井や壁にぶら下げられたバイオリンたちが、所狭しと並んで、美しい色を放っていた。 ここは、バイオリン屋さんだ! すごい! 惺山と一緒に行った楽器屋さんよりも断然多いバイオリンの数に、僕は呆気にとられて、開いた口が塞がらなくなった…! 直生さんと伊織さんがお店の人とお話をしている間…僕は、首を伸ばして上を見上げ続けた。 どのみりん干しが一番良い色か…早速、目で探してみたんだ。 あぁ…あれは、まだ…食べ頃じゃない…あっちはどうかなぁ… 「豪ちゃん…」 そんな時、背中をチョンチョンと突かれて、僕は振り返った。そして、手招きをする直生さんの元へと、トコトコと向かったんだ。 「…この中に、気に入るのは…あるかな?」 わぁ…凄い… そこには、鮮やかな茶色のバイオリンと…くすんだバイオリン、そして…金ぴかに光るバイオリンがあった… 「豪ちゃんの演奏の特徴を話して出して貰ったんだ。試しに弾いてごらん…?」 直生さんはそう言って僕に弓を手渡した。 え…? 僕は、咄嗟に首を横に振って言った。 「良いの。僕には…惺山のがあるから…要らない!何も…要らない!」 この人たちは…僕にバイオリンを買おうとしてる… 馬鹿な僕でも、分かったんだ。 だから、必死に首を横に振って…丁寧にお断りした。 だって…こんな外国のバイオリン…きっと、めたくそ高いに決まってるんだ。 直生さんの髪を売っても…きっと、買えないよぉ…? 「良いから、弾くだけ弾いて見なさい。」 直生さんはムッと口を膨らませてそう言った… どうして、そんな事でムッとするのか…僕には分からないよ。 貧乏だって思われたと思って…男の尊厳を踏みにじっちゃったのかな… シュンと背中を丸めた僕は…おずおずと並べられたバイオリンの前に行って…とりあえず…一番かっちょイイ金ぴかのバイオリンを手に取って首に挟んでみた。 「あぁ…!かる~い!」 そう、それは惺山のバイオリンよりも…確かに、軽かった。 ふっくらと膨らんだお腹は…まるでムキムキのカブトムシみたいだ! 「んふふ!オオカブトだぁ!3万円で売れそうな、ブリッブリのゴールデンオオカブトぉ!つおいぞぉ!つおいんだぞぉ!」 ケラケラ笑った僕は、直生さんから弓を受け取って、弦に当てて…一音出してみた。 「あぁ…!かっる~い!」 そう…そのバイオリンは音色も鋭くて軽かった。 「怖いから~やだぁ~!」 僕はすぐに次のバイオリンを手に取った。そして、同じ様に首に挟んで一音を弾いてみたんだ。 「…ん、やぁだぁ!」 すぐにそう言ってバイオリンを元に戻した僕は、最後に干からびた干物のバイオリンを首に挟んで、一音引いて伸ばしてみた。 「…やだぁ!」 僕はそう言って顔を歪めると、全てのバイオリンを元の場所に戻した。 「何が嫌なの…?」 伊織さんがそう聞いて来るから、僕は首を傾げて、こう言ったんだ。 「ん、分かんなぁい!」 「少し弾いたら…印象が変わるかもしれないよ?一音だけで決めるのは、早すぎる。」 伊織さんはそう言うけれど…僕は、この音色が気に入らないんだもん… 「…要らないのに…無理に買う必要なんてあるのぉ?気に入らないもん!要らないもん…!僕は、要らないもん!」 フイッと顔を背けた僕は、お店の人と話し込むふたりを尻目に…再び、みりん干しを眺めながらお店の中を歩き始めた。 お金を持った男は、すぐに物で釣ろうとするって…大ちゃんのお母さんが言ってた。 もしかしたら、直生さんや伊織さんも、僕と仲良くしたい為に…お金を使おうとしてるのかもしれない。 だとしたら…そんなの、要らないよ! だって、僕は…ふたりの事、もう…大好きだもん…! そんな事を考えながら、木の良い香りに鼻をクンクンさせて歩いていると、お店の奥で…トンテンカンテンと、小気味の良い音が聴こえて来たんだ。 だから、僕は、その音のする方へ…歩いて向かった。 「わぁ…」 沢山の道具が壁に掛けられた小さな部屋の中…1人の男の人が…せっせと何かを作っていた。それは…形から見て…バイオリンだった! 「うわぁ…!すっごぉい…!バイオリンって…こんな風に作るのぉ?へえ…」 僕はケラケラ笑ってそう言った。 すると、目の前のその人は眉間にしわを寄せて何かを言ったんだ。 でも、僕は良く分からない…だから…こう、返した。 「ごめんねぇ~?」 そして…うるさくしない様に口を手で押さえながら、その場にしゃがみ込んで、彼の作業を見学したんだ。 始めは僕を睨んでいたその人も、僕が敵意が無い事が分かったのか…ふん!っと鼻を鳴らして…作業を再開した。 わぁ…! こうやって見ると…バイオリンって、楽器だけど…木なんだなぁ。 僕は、木登りが得意。だから、木と仲良く出来るのかな… そんな思いを抱きながら、ただ、じっと目の前の男の人の手元を見つめていた。 「…ねえねえ、その溝は…フォルテッシモ…?それとも…フォフォルテシモ?」 だって…“f”の文字が左右対称になってるんだ。 バイオリンを弾いている時、いっつも不思議だったんだ。 これは、フォルテッシモなのか…フォフォルテシモなのか…? …悩んでしまうよぉ。 僕は、いい機会だから、バイオリンに空けられていく”f“の形を指さしてバイオリン職人の男の人にそう聞いた。 すると、彼はため息を吐いて項垂れて、何かをボソッと言った… でも、僕は良く分からないから…眉を下げて、こう、返したんだ。 「ん…ごめんなさぁいぃ…」 そんな僕に渋い顔を見せたバイオリン職人は、棚の上に置いてあった色鮮やかなバイオリンを差し出して、首をクイッと動かして見せた。 言葉は分からないけど…きっと、何か弾けって言ったんだ… だから、僕は…そのバイオリンを調弦して、首に挟んで…彼の作業効率が上がりそうな曲を頭の中で探しながら、ぼんやりと突っ立った。 あ…!良いのがあったぁ! そして、弓を掲げて…弾む様に弾き始めたのは…“調子のいい鍛冶屋”だ。 その選曲にクスリと笑った男の人は、僕のバイオリンを聴きながら…バイオリンのボディに“f”を彫って行った… 「豪ちゃん…工房には入ったらダメだよ…」 バイオリンの音色が聴こえたのか…直生さんがそう言いながら僕の後ろにやって来た。そして、驚いた様に立ち止まったんだ…。 それもそのはず! だって、僕は、”調子のいい鍛冶屋“の音色に乗せて…目の前で作業をする彼の周りに、小さなバイオリン職人を思い描いて…小さなバイオリンを一緒に作らせ始めたんだもの。 …トンテンカンテン…トンテンカンテン…作業場は忙しいんだ。 そんな様子を“調子のいい鍛冶屋”の軽快で、繰り返す旋律に乗せて、面白おかしく表現してみた。 転んでケガをする職人を…他の職人たちは横目で笑って無視をした… そんなひねくれ者の集まりが、きっと…職人なんだぁ。 僕の独断と偏見で作られる小さなバイオリン職人が見えるのか…目の前の彼はクスクス笑いながら、手元を見つめて作業を続けた。 繰り返される旋律は…地道で気の遠くなる様なバイオリン作りに…ピッタリだ! 「ふふ…良い音色…!気に入ったぁ!」 彼が僕に手渡したバイオリンは…とっても、良い音色だった。 本体は軽いのに…音色は重厚で大きな音色を出すんだ。そして、特に…強く弾いた時のインパクトが凄かった。 まるで…暴れん坊だ。 「ふふ…幸太郎みたいなバイオリン…!」 クスクス笑った僕は“調子のいい鍛冶屋”を弾き終えて…バイオリンを首から外した。 そして、彼に差し出して…こう言ったんだ。 「ん~~!とれびあ~ん…!」 すると、彼は、僕を見上げて…笑顔で、こう、返した。 「トレビアーン!」 ふふぅ! 直生さんと伊織さんが職人にフランス語で謝罪する中…僕は、彼の貸してくれたバイオリンを指さして、こう言った。 「ん、どうしてもって言うなら、僕は、あのバイオリンが欲しい…!」 「…」 そんな僕の言葉に、直生さんと、伊織さんは絶句して固まってしまった。 だから、僕は再びバイオリン職人の彼を見つめて、両手を合わせてお願いしたんだ。 「バイオリン…シルブプレ?」 すると、彼は、さっきのバイオリンを僕に差し出して、こう言った。 「ヴォワラ…」 「わぁい…!メルシー!」 僕はそのバイオリンを胸に抱えて、踵を返した。 「ま…待ちなさい!」 すると、すぐに、僕は、直生さんに止められてしまった… 彼は僕の手からバイオリンを取って、こう言ったんだ。 「駄目だよ…これは、売り物じゃない。」 その時、職人が直生さんに何かを話しかけたんだ。 でも、僕は、フランス語が分からない。 だから、会話する彼らの顔を交互に見て…ソワソワしながら眉を下げ続けた。 だって…あの、バイオリンが…気に入ったんだもん… 可愛い見た目なのに、暴力的な音量と、繊細な音色を出すんだ… とっても、素敵じゃないかぁ…! すると、伊織さんが僕を見下ろして、瞬きを何度も繰り返しながらこう言った。 「…このバイオリンは、彼が作った物で…豪ちゃんに売ってくれるって…そう言ってる…。」 タダでくれるんじゃなかったんだ… そんな伊織さんの言葉を無言で聞いた僕は、先生のお家に置いて来た、がま口のお財布の中身を必死に思い出した。 …この前、惺山にポストカードを買って…可愛い切手も買ったぁ。 先生に内緒で、幸太郎にお金を貰ったけど、それも…お花を買うのに使っちゃった… だって、パリスの小屋の周りに…可愛いお花を植えてあげたかったんだもん…。 僕は、生唾を飲み込んで…目をガン決まりに見開いて…伊織さんに尋ねた。 「…いくらぁ?」 すると、彼は、カクカクと首を動かして…こう答えたんだ。 「…3ユーロ。」 ほっ…! 胸を撫でおろした僕は、直生さんを見上げて彼の手からバイオリンを取り返した。そして、小さい声で言ったんだ。 「…うちに帰ったらちゃんと返すからぁ…お金を貸して…?嘘じゃない…嘘じゃないよぉ?」 そんな僕の声を無視した直生さんは、職人にどうして?って…聞いた…。 すると、職人は、僕を指さして…バイオリンを弾くジェスチャーをした。 そして、僕に親指を上げて満面の笑顔で言ってくれたんだ! 「ブラボー!」 きっと…僕のバイオリンが気に入ったんだ。だから、このバイオリンを譲ってくれた。 しかも…3ウーロでだ! 「あり得ない!」 そんな悲鳴の様な声を聞きながら、僕はバイオリンを抱えて店内へ戻った。すると、職人の彼がトコトコと一緒に付いて来て僕に言ったんだ。 もう一曲…弾け…って。 だから、僕はにっこり笑ってバイオリンを首に挟んで、弓を掲げたんだ。 そして、弾き始めたのは…“タランテラ・ナポリターナ”。 このバイオリンで弾きたいって…音色を聴いた瞬間、そう思ったんだ。 「オ~ララ~!」 大きく目を見開いて驚いた職人を見つめたまま、僕は店内をグルグルと小躍りしながら、タランテラを弾いた。すると、天井や壁にぶら下がったバイオリンたちが、小さく響いて…音色がグンと広がって行ったんだ… 「わぁ…!」 それは、まるで…先生の付き添いで行ったスタジオの様に、頭の上から…何倍にもなった自分の音色が帰って来る…そんな不思議な音響を感じさせた。 僕はタランテラを弾きながら、職人の顔を見つめて上を見上げて見せた。そして、ケラケラ笑って言ったんだ。 「音が…共鳴してる!」 でも、幾つも重なったバイオリンに順々に音色が響くから、輪唱の様に聞こえてくる音色が…ブレて…ぼやけて…幅だけ広げてしまった。 これだと…タランテラの軽快な音色がぼやけてしまう… そう思った僕は、バイオリンをお腹に抱えて、音が大きくならない様に弓を小さく引いたんだ。そして、職人の真ん前まで行って…彼と僕の体の間で音色を挟んだ。 「あ~はっはっはっは!」 職人が大笑いするから、声の振動で音色がぶれた。 「しーっ!」 僕は彼を見上げて、そう言った。すると、ニヤニヤ笑った彼はコクリと頷いて…僕のお腹に抱えられたバイオリンから繊細に聴こえて来る…”タランテラナポリターナ“を、耳を澄ませて聴いてくれた。 こんなに繊細な弓の当て方をしているのに…少し気を抜くと、音色が爆発する… この子は…暴れん坊… きっと、思いきり弾いたら…僕と一緒に弾けて飛んでくれる!! 可愛い…! ウキウキ気分で僕は“タランテラ・ナポリターナ”を最後まで弾き終えた。 そして、目の前の彼を見上げて言ったんだ。 「すっげえ!」 すると、彼は僕の頬にキスしてこう言った。 「ブラボー!ミミ!」 職人さんの名前は、トトさん。 彼はバイオリンを何代も作り続けるバイオリン職人の息子。暴れん坊なバイオリンしか作れないから…お客さんが付かないんだって。 でも、僕は…そんな彼のバイオリンが気に入った。 彼は言った。 「お前が弾いたら、俺のバイオリンが売れる様になるかもしれない。だから、方々で宣伝しろよ。」 僕は、使命感を感じて…彼の言葉に、深く頷いたんだ。 トトさんの工房のお店で、美しいあめ色の肩当てと、可愛い木のバイオリンのケースを直生さんに買って貰った! 僕は上機嫌でバイオリンを胸に抱えて直生さんにお礼をした。 「ありがとやっしたぁ…!」 「あり得ない…」 首を横に振ってそう言うふたりは、僕を見つめて、同じ様に眉を下げた。 #60 「はぁはぁ…あッ…!気もちぃ、まもちゃぁん…あっああ…」 どうしてかな…胸の中のモヤモヤが晴れない… 俺を抱いて息を荒くする彼は変わらず素敵なのに…興奮してくる体は変わらず快感に満ちていくと言うのに… 俺は、解せなかった… 「あぁ…北斗、気持ちいい…イキそう…!」 額に汗をかいたまもちゃんは、俺の上に覆い被さって、俺の背中を強く抱きしめながら激しく腰を動かした。 そんな切羽詰まった荒々しい彼に、俺は、鳥肌を立てて興奮して、堪らない快感に溺れて行くと言うのに…心のどこかが、付いて来ないんだ。 夜のお店が始まる少しの時間の間…まもちゃんは昼寝休憩をする事も忘れて、俺とエッチをした。 それは、いつもと変わらない快感と充実感と…愛をくれた。 なのに、俺は天井を見つめながら…解せない気持ちを抱えていた。 そんな事なんて、気付きもしない”察しの良い筈のまもちゃん“は、クスクス笑いながら俺の鼻を、何度も突いて来た… 「えいっ!」 俺はそう言うと、寝返りをして…彼の指を避けてやった。 すると、まもちゃんは目を丸くして、体を起こしてまでも俺の鼻の頭を突こうとして来たんだ! 「ほいっ!ほいっ!」 「とうっ!とうっ!なんの、これしきっ!」 下らない… そんなやり取りを白熱させた俺たちは、ベッドをギシギシと揺らしながら裸のまま…暴れたんだ。 あまりのしつこさに軽くイラついた俺は、まもちゃんの手を掴んで口を尖らせてこう言った。 「…まもちゃんが、鼻の頭を突き過ぎて、俺の鼻が低くなったぁ!」 「ぶほっ!…ま、まさかぁ!」 彼がクスクス笑ってそう言うから、俺は眉を下げながらこう言ったんだ。 「せっかくの美形が…まもちゃんがしつこいせいで…台無しになっちゃったじゃないかぁ!」 「ふふ…!あっはっはっは!!」 彼はゲラゲラと大笑いをして、ベッドに仰向けに寝転がった。 そんな彼を見下ろした俺は、どこが察しが良いんだよっ!なんて心の中で呟きながら、彼の頭をペシペシと何回も叩いてやった。 俺とまもちゃんが、こうやってじゃれ合うのは…昔から変わらない。 みんなはどんどん変わって行くのに…俺は、まもちゃんの傍で、今も、昔の…ままだ。 大人しくなったまもちゃんの顔を覗き込んだ俺は、鼻からため息をついてこう言った。 「歩は…春ちゃんと別れて、今、女の人と付き合ってるんだ…。なんだか、結婚するかもって…噂だよ。」 「へえ…」 まもちゃんは、首を傾げてそう言った。 気の無い返事をする彼に口を尖らせた俺は、彼の大きな胸に抱き付いて…ポツリポツリと…友達の近況を話し始めた。 「…渉と博なんて…あんなに熱い夏を過ごしていたのに…今では、目も合わせない。まるで悪い過去を忘れたいみたいに…お互い無視を決め込んでるんだ…。」 「ふふ…ふふふ…」 そんな彼らの話に、まもちゃんは、体を揺らしながら必死に控えめに笑った。 「…春ちゃんは、大手企業に勤めて…バリバリの営業マンをして、遊びまくってる。億ションなんて買って、毎晩の様に違う女を連れ込んでるんだって…」 みんなはどんどん変わって行くと言うのに…俺だけ、ずっと、バイオリンを弾いて…まもちゃんの傍に居る。 昔のままなんだ… それは、もしかしたら…俺が、究極のビッチである事と関係があるのかもしれない。 昔のままでいたがる症候群なのかもしれない… だから、周りの変化や、流れに…抵抗を感じるんだ。 だから…いつまでも、ちやほやされていたいなんて…わがままな思いがムクムクと出て来るんだ。 きっと…そうだ。 そんな自問自答の答えに同意を得たくて、俺は、まもちゃんの胸を撫でながら、こう言った。 「俺は…今も、ここに居る。昔のままだ…。昔のまま…症候群だ。」 すると彼は俺の顔を覗き込んで、こう言ったんだ。 「そうだね…北斗は…帰って来たんだ。」 は…? 「…帰って来た?」 思わぬ言葉に驚いた俺は、まもちゃんの顔を覗き込みながら首を傾げた。すると、彼は俺の髪を撫でながらうっとりと瞳を細めてこう言ったんだ。 「そうだよ…。帰って来たんだ…。護の所に帰って来た。北斗は、変わらなかった訳じゃないんだ。誰よりも…沢山の経験を積んで、俺の所へ帰って来たんだ。…だから、もうどこへも行くな…」 そんな彼の言葉をジッと耳の奥へ入れた俺は、自分を抱きしめる彼の腕の温かさを感じながら、ぼんやりと微睡んだ。 俺は、変わらなかった訳じゃない… でも、ここへ…まもちゃんの元へ、帰って来た… 幼い頃から、バイオリン、ピアノ、チェロを、習って来た。 どうしてやるのか…どうしてやらなければいけないのか…そんな疑問すら持たないで、毎日毎日、練習を続けて来たんだ。 そんな時間は物心が付いた後も続いて、子供らしい”遊び“や仲の良い”友達”をまともに作る事すら出来なかった… そんな大きな喪失感と、後悔と、怒りが…そうさせたのかな。 音楽院時代の俺は、イギリスでの寮の暮らしも手伝って…まるで、解放された様に、奔放に振舞った。 毎晩の様に友達と酒を呑んでは、フラフラになりながら吐いて…朝、トイレで目を覚ます…そんな下らない事が、楽しくって堪らなかった。 恋人もとっかえひっかえして、恨まれたり…逆に、恨んだり… 今となっては、何が楽しかったのか…首を傾げざるを得ない事ばかりしてた。 そして…今は、彼の元に帰って来て…穏やかに暮らしてる。 「まもちゃん、俺は、主題に戻ったの…?」 そんな俺の言葉に、まもちゃんは首を傾げてこう答えた… 「…だと、良いな。」 その瞬間…俺は、確かに…イラついた。 彼は、いつも…こんな物言いをするんだ。 それを物足りない…なんて思う事は、贅沢なのかな… お客さんで混み合った店内で、ブチ切れ始める時の様に…強く言って欲しいなんて思ってしまうんだ…。 まもちゃんは、優しい…だから好きだ。 でも、こんな時は…しっかりと俺の手を掴んで…そうだよって…言って欲しい。 …だって、あの時もそうだったんだ。 俺が一方的に別れを告げたあの時だって…彼は、要らない優しさで俺を包み込もうとした。 俺は、それが堪らなく…ウザったかった。 どうして、強く言ってくれないんだろう… どうして、怒らないんだろう… いつもいつも、匂わせる様な言葉ばかり言って、確信を突く言葉を明言したがらないんだ。 だから、俺はいつも、少しだけ物足りなさを感じていた…。 でも、それが…彼の優しさ… それが…俺への、愛なんだ。 例え、俺が間違った道を行っても…間違った事をしても、間違った思いを抱いたとしても…彼は、それを強く咎めたりしない。 今頃…星ちゃんは家族と湖で遊んでいるのかな…? 奥さんは、彼に似て…優しそうな女性だった。 幸せな家族像…そのままだ。 楽しそうに会話をしながら食事をしていた星ちゃん一家は…なんの問題もない…幸せの形…そのものだ。 羨ましい…? いいや…全然…。 だって…俺は、彼の事を、きっと奥さんよりも知ってるもの。 「さてさて…仕込みを始めて来るよ…」 まもちゃんはそう言いながら体を起こすと、ベッドに腰かけながらパンツを穿いた。 そんな彼の背中にしがみ付いた俺は、両手で彼を抱きしめて…背中に頬を押し付けた。 すると、彼は、そんな俺を中に入れたままシャツを羽織って、クスクス笑いながらこう言ったんだ。 「ふふ…馬鹿だなぁ…」 そんな言葉に口元を緩めた俺は…まもちゃんがシャツのボタンを留めようとするのを、両手を伸ばして邪魔してやった。 「甘えん坊だなぁ…可愛いね、北斗ちゃん…」 まもちゃんはそう言って、背中に抱き付いた俺を後ろ手で抱きしめて、ユラユラと揺れた。 これが…彼の優しさ。 11年間も一緒に居るんだ…きっと、これは、ずっと…変わらない。 …おセンチはお終いだ! まもちゃんが店へ向かった後…俺は、ひとり、部屋の中で、後藤さんの為に“交響曲第9番”の編曲に取り掛かった。 第4楽章は…独唱、合唱の混在した…派手な曲だ。 よく、年越しのコンサートで演奏されて…すっかり、めでたい曲の定番となりつつある…そんな有名な曲だ。 それを、しっとりと…大人のムードに変えて行こうじゃないか! 「ふんふん…悪くない…壮大にする必要はないんだ…そのまま、流れる様に…主題に入りたい…」 まもちゃんのバイオリンを首に挟みながら、俺は五線譜に音符を書き込んでブツブツとそう言った。そして、再び弓を弦に当てて…いくつかのパターンを弾いて、試して、曲を繋いで行った。 編曲作業は…楽しい。 今まで、沢山の曲を聴いて来た…自負がある。 そんな物をフルに発揮出来るのが、こんな機会だ。 どうしたらそうなるのか…自然と分かっているみたいに、フレーズが繋がって行くんだ。そんな時、とことん冴えている自分に…惚れ惚れしてしまうよ。 「はぁ…!やっぱり、俺は…出来る男なんだ…!」 にっこりと口端を上げて笑った俺は、あっという間に編曲の済んだ“交響曲第9番”を初めから弾きながら…今度は、どこに抑揚を付けていくか…じっくりと音を聴きながら探した。 -- 「わぁ~い!大きいベッドだぁ~!」 とっても美味しい夜ご飯を食べた後…僕は、直生さんと伊織さんと一緒に、お泊りするホテルにやって来た。 そんな、部屋の中には大きなベッドがふたつあって、先生の部屋のベッドみたいに…フカフカだった! 「いえ~い!」 僕は思わずそう言って、ベッドに半回転ジャンプしながら寝転がった! 楽しいな…お泊り会…! てっちゃんがいつも隣に寝てくれたんだ… ギュッと体の中に埋めて…大ちゃんのうるさいいびきから、僕を守ってくれていた。 「ご…ご、ごご…豪ちゃんは…もう…眠たいのかな…?」 直生さんがそう言って、僕の寝転がったベッドに腰かけた。すると、ギシッとベッドが沈んで、体が彼の方へと傾いた… 「まだ寝ないよぉ?だって…枕投げしてないもん!」 クスクス笑った僕は、隣にゴロンと寝転がって来る直生さんの顔を見つめながらこう言った。 「トトさんは…バイオリン職人なのに…バイオリンが売れなかったの?」 すると、ベッドがまた、ギシリと沈んで…伊織さんが、僕の隣に寝転がりながらこう言ったんだ。 「…職人もピンキリだから。万人受けする素晴らしい物を作れる人もいれば…癖の強い物しか作れない人もいるんだよ…?」 へえ… 感心した僕は、伊織さんの唇を指先でナデナデしながらクスクス笑って言った。 「…じゃあ…トトさんは癖が強いのぉ…?」 「豪ちゃんが弾いたら…整ったなら、君と相性のいい…職人だったのかもしれないね。」 直生さんはそう言いながら、おもむろに、僕のブラウスのボタンを指で撫でた。 「…相性…?」 首を傾げた僕は…ぼんやりと伊織さんの顎を見つめながら…頷いた。 確かに…僕は、彼のバイオリンをすぐに気に入った。 それが…もし”相性”なんて呼ばれるものが影響しているのだとしたら、僕は、先生とも“相性”が良いのかもしれない。 だって…初めて会った時から、すぐに気に入ったもん。 「ふふぅ…じゃあ…直生さんと、伊織さんは…相性が良いから、いつも一緒に居るのぉ?」 僕を覗き込んでくるふたりの顔を交互に見ながら、僕は彼らにそう尋ねた。 すると、面白い事に…ふたり、同時に顔を歪めたんだ! 「キャッキャッキャッキャ!面白~い!」 口に手を当ててジタバタと大はしゃぎした僕は、ムクリと体を起こして言った。 「お風呂に入ってこよ~ッと!」 「あっ…!じゃあ…湯船にお湯を張ってあげよう…」 優しい直生さんは、僕と一緒に体を起こして、一緒にお風呂に付いて来てくれた。 ほっくんと先生のお友達は、やっぱり…優しかった。 「熱くない…?」 「ちょうど良い~!」 大きなバスタブにお湯を張って貰った僕は、手を中に入れてお湯加減を見ながらそう言った。そして、ブラウスのボタンを外しながら、直生さんに聞いたんだ。 「…ん、ねえ…どこで体を洗うのぉ…?」 すると、彼は…バスタブを指さして言った。 「…この中だよ。」 「えぇ…?きったなぁい!」 顔を歪めた僕は、口を尖らせて、再びこう言った。 「きったなぁい!」 すると、直生さんは困ったように眉を下げながら、僕のちっぱいを凝視して言った。 「…き、き、汚くないよ。だって…洗うんだから…」 僕はすっぽんぽんになって、彼を見上げて肩をすくめた。そして、ゆっくりと湯船に入りながら言ったんだ。 「…ん、体を洗ってからお湯に入るのは、日本人だけの常識なのかなぁ…?この中で体を洗うなんて…湯船が汚れちゃうじゃん…きったなぁい!」 すると、直生さんは体を硬直させて何も言わなくなっちゃった… あちゃ、文句を言い過ぎたのかなぁ…? 海外に行ったら、海外の常識に馴染めって…清ちゃんに言われてたのに…僕は、文句が多かったみたいだ。 「ん…でもぉ、嫌じゃないよぉ?」 僕は湯船の中でクルリと振り返って、直生さんに笑顔でそう言った。 彼は未だに硬直し続けて…僕の顔を見つめながら…コクリコクリと不自然に頷くだけだった… トイレで、コオロギの亜種を見つけた時の…惺山みたいだ… 「変なのぉ~!キャッキャッキャッキャ!」 ケラケラ笑った僕は、自分の髪を濡らしながら、目の前の彼に向って言った… 「上手に出来なぁい…やってぇ…?」 「はっ!」 急に我に返った様にフルフルっと小刻みに震えた直生さんは、腕まくりをしながらバスタブの隣に腰かけて、僕の髪を濡らすお手伝いをしてくれた。 「はぁはぁ…ゴクリ…はぁはぁ…」 「ナニヲシテイルノ…?」 そんな抑揚のない声と共に、伊織さんがやって来て、僕と直生さんを見て…突然大絶叫をしたんだ…!! 「ギャアアアアア~~~~!」 「うわぁ!」 驚いた僕は、身を縮み込ませて…伊織さんを凝視した。 すると、彼は、すぐに正気を取り戻して…直生さんと一緒に、満面の笑顔で僕にお湯をかけ始めたんだ。 少し…変わってる。 でも…悪い人じゃないんだ… ふたりとも…顔を真っ赤にしながら、僕にひたすらお湯を掛けてくれる… だから、僕は調子に乗ってこんなお願いまでしちゃったんだ。 「ねえ、髪を洗ってぇ…?」 すると、伊織さんも直生さんも目を点にして僕を見つめたまま…固まってしまった。 そうだよね? だって…赤ちゃんでも無いのに、そんな事言うなんておかしいもん。 でも…やっぱり、ほっくんと先生のお友達は、とっても優しかった。 だって…ふたりで、僕の髪を洗い始めてくれたんだもの! 「キャッキャッキャッキャ!」 ケラケラと大笑いした僕は、湯船をパチャパチャして遊びながら、ふたりに髪を洗い流して貰った。 流石に体は自分で洗ったよ?だって、恥ずかしいもの。 そして、お風呂を出た僕は…ふたりに見守られながらベッドの中に潜り込んだ。 「明日…先生に、トトさんのバイオリンを見せてあげるんだぁ…」 添い寝をしてくれる直生さんの顔を見つめてそう言った。すると、彼は僕の髪を指で撫でながら、とっても優しい笑顔でこう言った。 「…良いね。」 ふふ…! 「きっと、ビックリするだろうね…」 伊織さんもそう言って…僕の隣にゴロンと添い寝してくれた。 大きい体のふたりに挟まれながら…僕はウトウトと瞼を閉じて言った。 「…お休みなさい…」

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