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#61
#61
「完璧じゃん!やっぱり…俺って…天才だわ。血と、汗と、涙の…結晶だわ…!」
俺は天才だ…
惚れ惚れしちゃうね…
俺は、自分の編曲した“交響曲第9番”と、自分の演奏の技術の高さに…うっとりとしながら、体を揺らした。
このしっとりとした“交響曲第9番”は…ジャズバーで流しても、良いムードを作ってくれるに違いない…!
編曲の出来に大満足した俺は、一通り自分を褒めると、胸を張りながらこう言った。
「さてと!お店を手伝いに行くか…!」
弓に松脂を塗って…バイオリンを丁寧に拭いて、いつものケースにしまった。
そして、一仕事終えた爽快感と共に、颯爽と階段を降りたんだ。
カンカン…カンカンカン…
「北斗!」
「お?」
自分の名前を呼ぶ声に足を止めて…俺は、声の主を、視線を泳がせて探した。
「…星ちゃん。」
それは、暗い道路の向こうに居た…俺に手を振る星ちゃんだった。
あぁ…星ちゃぁん!
俺は、胸をトキめかせながら…急ぎ足で彼の元へ向かった…
そして、駆け寄る俺を見つめて優しく笑う彼を見上げたまま、思いきり抱き付いたんだ!
「星ちゃぁん…!」
ギュッと、俺を抱きしめてくれる彼の腕の強さにうっとりした俺は、クッタリと彼の胸に甘えた。
頬に触れる彼のシャツは、肌触りが良くて温かかった…
「…北斗。左手に指輪をしているの…どうして…?」
そんな彼の言葉に、俺は彼の胸に頬ずりしながら…こう答えたんだ。
「まもちゃんと…ずっといる事にしたんだ…。もう、海外へは、めったに行かない!だって…ちょっと、疲れたんだ…」
そんな俺の言葉にクスクス笑った星ちゃんは、俺の髪を優しく撫でながらこう言った。
「ふふ…やっぱり!悔しいけど…北斗には、あの人しかいないみたいだね?」
どういう意味だよ…
俺は、口を尖らせながら星ちゃんを見上げて、鼻をスンスン鳴らして言った。
「どういう事?分からない!ハッキリ言ってよ!星ちゃんの話は…遠回し過ぎて、俺には、良く分からない…!もっと、分かりやすく言って…」
すると、彼は瞳を細めて…こう言ったんだ。
「北斗…。ずっと、好きだよ…。多分、これからも…好きで居続けると思う。」
な…
な…!
なんだってぇ…!!
そんな彼の言葉に目を丸くした俺は、頬を真っ赤にして膨らませた!
「なぁんだぁ!星ちゃん!からかってるの…?俺の事が好きなら…どうして、あの時、別れて…どうして、結婚なんてして…どうして、子供まで作ったんだよぉ!!」
本当だよ…
口でそんな事を言ったって…やってる事は、違うじゃないか…
すると、星ちゃんは、何も答えずに…俺の肩を抱いて歩き始めた。
そんな彼を見上げたまま…俺は不貞腐れた様に頬を膨らませ続けた。
いつもこうだ…
星ちゃんは、いつも、今更な事ばっかり言うんだ。
…まもちゃんと出会った、あの夏だってそうだった。
素直じゃない俺がまもちゃんの元へ行く様に、歩の別荘から締め出した癖に…後になってから、焼きもちを焼いて怒ったんだ…。
いつか…何とかって振り子みたいに、俺と星ちゃんのタイミングがピッタリ合う時が来るから、その時を待つねって…言ったくせに。
結局、俺と彼は長続きしなかった…
“年をとっても…一緒に遊べる様な友達でいたい…”
そんな星ちゃんの思いとは裏腹に、俺はいつも、邪な思いばかり巡らせて…彼の一挙手一投足に…勝手に舞い上がって、勝手に妄想して、勝手に期待してる。
今だって…隙あらば、どうにかしてやろうなんて…そんな思いを抱いているんだから。
懲りないよね…
大好きな人の傍に居るというのにさ…
「北斗…?お前は小さい頃から変わらない。真っすぐだね…?俺は、多分…お前のそんな所が、大好きなんだ。」
星ちゃんは満天の星空を見上げて、そう言った。
だから、俺は、鼻を啜ってこう言ったんだ。
「だったら、何で、結婚なんてしたんだぁ!」
すると、彼は足を止めて…欄干に手を掛けて、湖を眺めながらこう言った。
「俺みたいに、普通を求められて生きている人間は、敷かれたレールの上を簡単には脱線できないんだ。男女で結婚して…当たり前の様に、子供を求められる。そして、それをタスクの様に…クリアして行くんだ。」
え…?
「嫌いな人じゃない限り…仲良く、一緒に暮らす事は可能だよ。それを、仮面夫婦なんて呼ぶ人もいるけど、大抵の夫婦は、妥協し合いながら生きている…。問題は、そのボーダーラインをどこに置くかって事だ。相手にどこまで求めるのか…?俺と彼女は、その塩梅が良かったんだ…」
星ちゃんは淡々とそう言うと、月を見上げて鼻からため息を吐いた。そして、苦笑いをしながらこう言ったんだ…
「…ここは変わらない…。あの時のままだ…。夜の静けさも…湖の音も…隣にお前がいる事も…。変わらない。北斗、俺が、お前を好きな事も…変わらないんだ。」
これって…
これって…!
奥さんの事は、好きでもないけど、嫌いでもない…
そうしなきゃ駄目だったから、結婚して子供を作った…
でも、愛してるのは…俺だって…
そう言ってるんだよね…?
「星ちゃん…!」
思わず、彼の大きな背中に抱き付いた俺は…鼻をスンスン鳴らしながら、猫なで声を出してこう言ったんだ。
「星ちゃん…また…。ねえ、またさぁ…」
「北斗…何してるの…」
そんな声に振り返った俺は、暗がりの中をこちらへ向かってくるまもちゃんを見つけて、口を尖らせて乱暴に言い放った。
「ん、星ちゃんと遊んでたんだぁ!」
すると、まもちゃんは俺を無視して…星ちゃんに向かって、まるで諭す様に言った。
「星ちゃん。奥さんと子供がいるだろ…?何してるの…?」
そんな彼の言葉と態度に、星ちゃんは驚いた様に目を丸めた。
「…え、あの…北斗と…」
「もう、駄目なんだ。星ちゃん…。北斗に、近付かないで…」
俺は…驚いた…
だって、星ちゃんにそう言ったまもちゃんの顔は、険しい顔をして怒っていたんだ…
「…ま、まもちゃん…?」
俺は、星ちゃんの背中から離れた。
そして、まもちゃんの怒った顔を見上げたまま、彼の目の前に行って、首を傾げながら聞いてみたんだ。
「…ねえ、怒ってるの?」
すると、彼は…ギロッと俺を睨みつけて、とっても低い声でこう言った。
「当たり前だっ!どうして、怒らないと思う?どうして、嫌がらないと思う?」
眉間にしわを寄せたまもちゃんは、絶句する俺に向かって続けて言った。
「…北斗。いつまでも過去を引きずるなよ。彼は結婚して、親になった。その意味が分からないなら…もう、俺の傍に居るなっ!」
な…!
「…っ!なぁんでっ!」
思わずまもちゃんの胸をぶん殴った俺は、彼を見上げたまま怒って言った。
「なんでそんな事言うんだぁ!星ちゃんは、俺の幼馴染だぞ!」
すると、彼は俺の手を掴んで…怒った瞳で、凄んでこう言ったんだ。
「俺は…察しの付く男なんだって、そう、言っただろ?星ちゃんとそういう関係になったのを、気が付かなかったと思ってるの?言わなきゃバレないとでも、思ったの…?だとしたら、お前はとんでもない能天気野郎だなっ!!」
ヤバい…
護は、珍しく…
いいや、初めてといって良い程に…
怒っている。
「…ま、まもちゃんさん…すみません…」
星ちゃんはそう言って頭を下げると、帰り道へと足を向けた。
すると、まもちゃんは…星ちゃんの背中に向かってこう言ったんだ。
「…星ちゃん。もう、終わったんだよ。次、こんな風に、気を持たせる様な事をしたら…ぶん殴るからな…!俺の北斗に、ちょっかいを掛けるな…!」
「…すみません…」
星ちゃんは小さい声でそう言うと…そそくさと、帰り道を急ぎ足で帰って行った。
そんな彼を目で追いかけた俺は、目の前のまもちゃんを睨んで言ったんだ。
「なんで、あんな酷い事を言うんだぁ!」
「なんで…?」
そう聞き返したまもちゃんは、俺を睨みつけて口を歪めた。
そして、絞り出すような声で…怒鳴ったんだ。
「じゃあ…逆に、お前に聞くよ。俺は言ったよな…?やめてくれって…言ったよな?どこへも行くなって言ったよな?それでも、星ちゃんにあんな風に抱き付いて、甘えたのは…どうしてだよっ!!」
…それは
それは…
「ま、ま、まもちゃんが…!!ハッキリ言わないからだろがよっ!!」
「俺のせいだって言うのかっ!!」
鬼の形相とは…この事か…
そんな言葉を思わず頭の中で呟いてしまうくらい…まもちゃんは顔をしかめてそう言った。
でも、俺は…止まらないままに言い返したんだ…
「そうだッ!まもちゃんが、ハッキリ言わないから…!まもちゃんが、カッコつけた事ばっかり言うからぁっ!俺は、俺はぁ!…愛されてる気がしなかったんだぁっ…!」
自然と流れて来る涙は、別にまもちゃんが怖いから流れている訳じゃない。
初めて…こんなに怒られて…俺は、何故か…嬉しくて、泣いてた。
いつも言えなかった…いつも、ここまで言い合えなかった…そんな、心の内の奥の奥を、吐露する事が出来て…俺は、嬉しかったんだ。
そんな俺の涙にたじろいだ彼は…それでも、唇を噛み締めてこう言ったんだ。
「馬鹿野郎っ!俺はなぁ…!自分が…!北斗よりも、年上だからっ!!嫌でも、我慢してたんだよっ!こんな事で、グチャグチャ言うと…大人気ないとか、包容力が無いとか、そんな事言われるんじゃないかって…!!そ、そう思って…!言えなかったんだぁ!!」
「いっ、いつも…あの時だってぇ…!俺を怒りもしないで…!!簡単に手放したじゃないかぁ!どうして?!どうして…!!止めてくれなかったんだよっ!!どうして、今みたいに、怒って…諭してくれなかったんだぁ!!」
自然と俺の口から溢れて来るのは…そんな過去のわだかまりだった…
すると、まもちゃんは俺の体を強く抱きしめて、こう言ったんだ。
「だから…!!後悔してるからっ…!!今度は、絶対に…お前を離さないって、決めてるんだぁっ…!!」
そんな彼の腕の中で、俺は体を捩って怒りながらこう言った。
「うっうう…!馬鹿ぁ…!!馬鹿やろ!!俺は、ひとりぼっちだったんだぞ!!お前が簡単に手放したからっ!!俺は…ひとりぼっちで、泣いてたんだぞっ!!」
そうだ…
天使に見つけてもらえなかったら、天使に…助けて貰えなかったら、俺が…今、ここに、いる事は無いんだ…
どこかで…ひとり、悲観に暮れて…泣いていたに違いない。
もう、お終いだ。って…
ひとりで、泣いていたに違いないんだ…
まもちゃんは、怒りで暴れる俺の体を強く抱きしめて…優しくて、力強い声で…こう言った。
「…分かってるっ!!分かってる…!とっても後悔してるんだ…!あの時、お前を止められなかった情けない自分に、何度も、何度も…!ぶん殴ってやりたい気持ちで、いっぱいになって過ごしていたんだぁ…!!すまなかった…!北斗…!もう…ひとりにしない…!もう、離したりしない…!俺が死ぬまで…お前が嫌がっても、絶対に離したりしないっ!!」
まもちゃん…
俺は…もう、言う事が無くなった。
だから、強く抱きしめられる彼の腕の中で…ただ、大人しくして…彼の胸に顔を埋めた…
「…北斗…他の誰でもない…。俺が、お前を幸せにするっ!だから…俺に、俺だけに、付いて来い…!よそ見をするなっ!誰にも甘えるなっ!俺だけに…俺だけに甘えろっ!!分かったかっ!!」
あぁ…まもちゃん…
湖には…逆さ月。
だけど、俺は…その上に煌々と姿を見せる本物の月を見つめて、流れて来る涙を彼の体に全て沁み込ませて頷いて言った…
「わ…分かったぁ…!」
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夜に目を覚ました…
伊織さんが、僕をギュッと抱きしめて寝ていたから…僕は彼を起こさない様に、ゆっくり腕を解いて…ベッドから抜け出した。
トイレへ行って戻って来た僕は、ベッドには戻らないで…しゃがみ込んで、トトさんのバイオリンを手に取って眺めていた。
「…とっても、可愛い…」
鮮やかな茶色は、まるでイラストの中のバイオリンみたいに可愛らしい。撫でると感じるボディの膨らみも…その板の薄さも…惺山のバイオリンとは、全く違う楽器みたいに感じた。
ほっくんも…ふたつバイオリンを持ち歩いているんだ。
ひとつは普通のバイオリンで…もう一つは、ねっとりと…腰の強い音色を出すバイオリンだ。
直生さんのあめ色のチェロの様に…弾く曲を選ぶようなバイオリンだった。
「君は…どう…?何が、弾いてみたい…?」
バイオリンのお腹を撫でながら、ぽつりとそう尋ねた…。
すると、後ろでベッドの揺れる音が聴こえて、僕は、振り返りながら…眉を下げて言ったんだ。
「ごめんなさい…起こしちゃったぁ…?」
長い髪を下した直生さんは、僕の隣にやって来て、ボサボサになっている僕の髪を撫でながら…こう聞いて来た。
「…寝られないの?」
「ううん…おトイレに起きたの…。それで、この子を見たくなって…」
僕は、肩をすくめてそう言って、手の中に抱えたバイオリンに視線を落とした。
「あんな癖の強い職人に好かれるなんて…やっぱり、豪ちゃんは、天使だね…?」
クスクス笑った直生さんがそう言った。
でも、僕は…首を傾げてこう返したんだ…
「…みんな、よく、そう言ってくれる…。でも、自分では…そうは思わない。僕は、先生や…ほっくん…惺山が言う程、純粋でも…綺麗でも、天使でもない…。怒りや、焦りに我を忘れる事もあるし…誰かを恨む事だって…ある。」
そんな僕の言葉に、直生さんは瞳を丸くして、キョトンと驚いたような顔をした。そして、すぐに瞳を細めてこう聞いて来たんだ…
「…周りの状況が、目まぐるしく変わるね…。怖いかい…?」
怖い…かぁ…
僕は直生さんを見上げて苦笑いしながら言った。
「途中…とっても怖くなったぁ。でも、今は…大丈夫みたい…」
…自分がギフテッドである事が、とっても嫌だった…
特別になんてなりたくなくて…そんな物をありがたがる人も、そこに価値を見出す人も、そこに縋るしかない存在も…全て、嫌だった。
そして、自分の価値と…求められている姿を察して、それとは違う物を求めた…
僕は、ギフテッドなんて…そんな物になりたくない。
そんな物が無くても…僕を、大切にしてくれるでしょ…?
そんな、我儘な思いを、先生は…分かって、受け止めてくれた。
だから…きっと、僕は落ち着きを取り戻せたんだ。
「天使って…言われたくないの…?」
僕の頬を撫でながら、直生さんがそう聞いて来た。
そう言った彼の瞳は、少しだけ、悲しそうな色を付けていた…
「…不完全なんだ。天使は完璧でしょう?僕は、不完全で、歪なんだぁ。だから…違うかなって、いつも思ってるぅ…。」
僕は、肩をすくめてクスクス笑いながらそう答えた。
すると、直生さんは口をニッと上げて微笑んで、僕を大事に抱きしめてくれた…
そんな彼の手が、とっても優しくて…僕は、瞳を閉じてクッタリと脱力した。
手の中には…トトさんのバイオリン。
指が少し弦に触れただけで、音色を伸ばす…取扱注意の暴れん坊だ。
「僕は…バイオリンが好きな訳じゃないんだ…。大好きな人が、喜ぶ顔が見たくて…その人が望んだ道を歩いている…。それが僕の目的で、バイオリンを弾く…理由なんだ。だから…たまに、空虚の中を歩いている様な…そんな気になる時がある…。」
「そう…」
優しく髪を撫でられながら…僕は彼の胸に顔を埋めてこう言った…
「ほっくんや…先生、直生さんや伊織さんの様に…幼い頃から音楽をしてきた人に備わっている…覚悟なんて物が、僕には、無いのかもしれない…」
「うん…」
直生さんは、僕のこんな弱音を…優しく聞いてくれた…
「…僕が、バイオリンを弾く理由が…動機が…不純なのかなって…たまに思う。一生懸命音楽を取り組んで来た人と演奏したり…彼らの演奏を聴いたりする度に…胸にチクリって…痛みが走るんだ…。こんな僕が、バイオリンを弾いても良いのかなって…不安になる。」
「豪ちゃん…?」
直生さんの胸の中ですっかり弱気モードになっていると…彼が僕の顔を覗き込んで、こう聞いてきた。
「…今日のタランテラは…どうして、お腹で弾いていたの…?」
そんな彼の問いかけに、僕は顔を上げてこう答えた…
「…天井にかかっていたバイオリンたちに…このバイオリンの高音が…共鳴したんだ。木に反射して落ちて来た音色が…ブレて…ぼやけて…鋭さが無くなってしまった。だから…音が反響しない様に、小さな音で…自分の体に背板を付けて、目の前の人にだけ聴こえる様にした…。この子は凄いよ…?可愛いのに…強いんだ…。僕も、そんな強さが、欲しいよ…」
僕がそう答えると…直生さんはクスクス笑いながら僕の鼻を突いて言った。
「ふふ…おかしいね?豪ちゃんは、バイオリンが好きな訳じゃないって言ったのに…大好きみたいな事を言う…。」
そんな彼の優しい笑顔を見つめていたら…なんだか、僕も自然と笑顔になった。
「うん…確かに…」
にっこりと笑って頷いた僕は、腕の中に抱えたバイオリンを見下ろして…そっと手のひらで撫でた。
入ってはいけない場所…それは、そこかしこにある…
一生懸命練習を続けて…やっと、上手になった人の隣に僕が立つ事…それも、そのひとつ。
そして、彼らの演奏から…勝手に曲を耳コピして、自分の物にしてしまう事も…その、ひとつ…
何も下積みなんて無い僕が、彼らと演奏する事自体…無礼で、失礼な事だって、だんだんと分かって来た。
だから、気に病むんだ…
だから、怯むんだ…
自分の存在が…誰かを傷つけやしないかって、怖いんだ。
惺山…?
あなたの望んだ僕の未来は…数多くの音楽家の努力を踏み台にして行かないと…実現しそうにもない。
もっと、上手になって…もっと、輝いて…みんなに、音楽の楽しさを教える…そんな唯一無二のバイオリニストになってくれと…あなたに託された…
でも、どうだろう…
僕は、誰かに…“音楽の楽しさ”なんて、教えられるほど…音楽の事を知らないよ。
だって、ただ…“楽しい”と思う…気持ちしか、持っていないんだ。
「…やめたいって、思った事…ある?」
僕は、モゴモゴと…直生さんの胸に顔を埋めて、そんな事を尋ねた…
すると彼は、何も答えずに、僕の手からバイオリンを取って…ケースにしまった。
そして、そのまま…僕を抱っこして、ベッドまで運びながら…こう答えてくれた。
「…たまに、ある。」
へえ…
「例えば…どんな時…」
僕をベッドに下ろす彼の頬を掴んで、そう尋ねた。
そんな僕を見つめた直生さんは、瞳を細めて…そのまま、僕にチュッとキスをした。
そして、隣にゴロンと寝転がって…頬杖をつきながらこう言った。
「そうだな…疲れた時…」
「へえ…」
僕は、天井を見つめながら…そんな気の抜けた答えを返した。
でも、ふと、体を起こして直生さんを見つめたまま、首を傾げて続けて聞いたんだ。
「じゃあ…どうやって、思い直しているのぉ…?」
すると、彼は、僕の胸を押さえてベッドに寝かせ直して、お腹の上をポンポンしながら、こう言った。
「…いつの間にか…続けてる…」
へえ…
「じゃあ…もし、やめたら…何をしようと思ってるの?」
そんな僕の問いかけに、直生さんはクスクス笑うと…僕の頬を撫でながらこう言った。
「…そうだな、ちょっと前は…ストリッパーのヒモになろうと思ってたけど…。今は、豪ちゃんの畑を、手伝おうかなって思ってる…」
わぁ…!!
直生さんの言葉に満面の笑顔になった僕は、彼に抱き付いて言った。
「じゃあ…!大きなかぼちゃを植えても、大丈夫だね?ふふぅ!」
すると、直生さんは僕をギュッと抱きしめて…背中をトントン叩いて…こう言った。
「…もう、寝なさい…」
「はぁい…」
やっぱり…!
ほっくんと先生のお友達…直生さんと、伊織さんは…とっても優しい人たちだった。
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