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#62~#63

#62 「あ~はっはっは!いっけ~~!マモ~ル!」 今日の俺は…ご機嫌だぁ! だって、大好きな馬に乗ってるからね~~!! 「アレキサンドロだって、何回言ったら分かるんだ!馬鹿北斗!」 そんな突っ込みと共に、俺とマモ~ルの後を白馬で追いかけてくるのは…朱里ちゃんだ。 彼女は、まもちゃんのお店で使っているお肉を卸している…酪農家の娘さんなんだ。 そして、ここは、彼女の牧場所有の広大な牧草地だ…! 今日は、彼女と一緒に、乗馬デートをしている。 俺の愛馬…と、言っても過言では無い…マモ~ル。別名:アレキサンドロ。 彼は…元は、競走馬だったんだ。 でも、臆病過ぎて…ゲートに入れないで、暴れてばかりいるから…引退してここへやって来た… そして、この牧場で種牡馬なんかをやっていたけど、年を取った今は…のんびりと、毎日を過ごして余生を送ってる。 所謂…老後の余暇ってやつだ。 「朱里ちゃん?見て?マモ~ルはこんなに強くなったんだぁ!」 足元を跳ねていくウサギにも怯えたりしないし…遠くの林で鳥が飛び立っても…興奮したりしない… 昔は、この程度でパニックを起こしていたのに… 「良かったなぁ…?マモ~ル。慣らして貰ったのかぁ?」 俺はマモ~ルの首をパンパン叩いて撫でながら顔を覗き込んだ。すると、マモ~ルは得意げな顔を見せて、鼻をブルル…と、鳴らした。 「年を取ったし…北斗がたまに来て、乗ってるからでしょ?」 朱里ちゃんはケラケラ笑ってそう言うと、大きな体の白馬から降りて、丘の木陰に歩いて向かった。俺とマモ~ルはトコトコと…そんな彼女の後を追いかけた。 「はぁ~!良い天気だ!こんな日は…乗馬に限る!!」 マモ~ルと白馬のメメちゃんを木陰に繋げて…俺は木の下の日陰にゴロンと寝転がった! 鼻を掠めて行く…この青臭い匂い! 最高だぁ…! 目を開けると…そこには、恵体のマモ~ルが、格好良く立っている… 彼は、年を取ったとはいえ…サラブレッドの筋肉の付き方と、遺伝による骨格の良さをまざまざと俺に見せつけて来るでは無いか…! はぁ…最高だぁ…!! 「ところでさ…北斗、あんた…結婚したの…?」 朱里ちゃんは俺の隣に座って、そう、尋ねて来た。 「へ?」 間抜けな声を出した俺は、自分の左手の薬指に光る…指輪を見つめて、ハッ!と思い出した様に、朱里ちゃんにこう言った。 「そうなんだよ。俺さ。まもちゃんとずっと一緒に居る事になったんだ。だから、前みたいにあちこち飛び回る事を…止めたんだ!」 「ふぅん…」 体育座りをした朱里ちゃんは、遠くの山の峰を見つめながら…ぼんやりと、そう言った。 「なぁんだ、朱里ちゃん…。俺の事が好きだったの?ごめんね、ごめんね~!」 俺は、ウケると思って…ケラケラ笑って冗談を言った。 すると、彼女は鋭い横目を俺に向けて…こう言ったんだ。 「おもんな…」 辛辣だろ…? でも、良いんだ。彼女はね、シビアなんだ! たまに、無駄に傷付くけど…俺は、そんな彼女…嫌いじゃないよ? 「北斗はさぁ~、あちこち飛び回ってる方が…合ってると思ったのに…」 朱里ちゃんは、遠くを見つめたまま…ポツリとそう言った。 眼下に広がった牧草地では、放牧された牛たちが…呑気に草を食んでいる。その周りを…牧羊犬が、監視する様に立って牛たちの行動を見張っていた… 凄いよね… 彼らは人間と一緒に仕事をする犬なんだ。 「俺も…そう思っていたけど、違ったみたいだ…!」 クスクス笑ってそう言った俺は、頭をグリグリと草に擦り付けながら、顔を近付けて来るマモ~ルに手を伸ばした。 「…そうなの?」 朱里ちゃんはそう言って、俺の顔をマモ~ルと一緒に覗き込むと、首を傾げてこう言った。 「あたしは、あんたの話を聞くのが好きだった!あちこち行って…自由を謳歌できる。そんなあんたが…世界中の事を話して聞かせてくれるのが…好きだったのに。」 朱里ちゃんは、将来を決められた…所謂、俺と同じ境遇の育ちの子だ。 音楽家の両親の元に産まれた俺は…音楽家になる事が自然と決まっていて…酪農家の元に産まれた彼女は…否応なしに、酪農を継ぐ事が決まっていた。 だからこそ、俺は彼女に親近感を持ったし、彼女も…きっと、俺に親近感を持ってる。 「良いんだよ。海外なんてさ…旅行で行くくらいが丁度良いんだ。」 鼻を鳴らした俺は、マモ~ルの鼻水を頬に付けられながら、ケラケラ笑った。すると、朱里ちゃんはため息を吐いて…こう言った。 「北斗が…ずっと、まもるの所で店番をする?ありえない!そんなの、想像出来ない!」 まったく!ヤレヤレだな! 「…俺はね、バイオリンを弾かなくなる訳じゃないんだ…。海外を飛び回る生活は、楽しかったよ?でもね…同時に、孤独も感じた。」 体を起こした俺は、朱里ちゃんの隣に体育座りして…彼女に背中に付いた草を払ってもらいながら、続けてこう言った。 「ひとりぼっちって…結構、寂しかった。すると、バイオリンの音色がさ…トゲトゲして行って、自分の心を、傷つけて行く様になってしまったんだ…」 「え…」 俺の顔を覗き込んだ朱里ちゃんは、目を丸くして驚いた様に声を上げた。 「…本当?そんな事…あるんだ…」 「あるよ…特に、感情を表現する仕事は…自分の心が、表現する物に…影響を強く与えるんだって思い知った。だから、絵描きは山に籠って…絵を描くのかな。」 クスクス笑いながら足元の草を摘んだ俺は、風に運ばれて行く手元の草に瞳を細めながら、口元を緩めてこう言った。 「俺は、まもちゃんの傍に居て…幸せでいる事が、自分のバイオリンの音色を最も美しくしてくれるんだって…気付いたんだ。だから、これからは…きっと、もっと、美しい音色を奏でられるって…楽しみにしてる。」 そんな俺の言葉に感慨深げに頷いた朱里ちゃんは、遠くに見える丘を見つめたまま…ポツリとこう言った… 「…なる程ね…」 そうなんだ…こんな簡単な事なのに、全然、気が付かなかった… 清々しい草原の空気を鼻から吸った俺は、首を伸ばして上を見上げた。そして、木漏れ日に瞳を細めて…頬を撫でて行く風と一緒に、そっと瞳を閉じた。 まもちゃん… 昨日の夜、俺はまもちゃんの本音を聞いた。 それは、今更取り繕ってもボロが出るくらいの…彼の”年上だから“なんて、プライドが破綻した瞬間だった。 でもね…俺は、それが…嬉しかったんだ。 11年もの付き合いなのに、たまにしか一緒に過ごさなかったせいか…俺は、そんな彼のくっだらないプライドに気付かなかった。 優しいだけで、嫉妬なんてしない…そういう人なんだって、思ってた。 でも、違った… 彼は、無理して…大人ぶっていたみたいだ。 本当は、とっても…ヤキモキしていたんだと…知った。 だとしたら、俺に会えなくなっていた期間…彼は、俺と同じ様に…寂しかったんだ。 だから… 俺が、戻って来たあの日、あの時…厨房の中で、あんな風に顔を歪めて…泣いたんだ。 それが分かって…なんだかとっても、嬉しかった。 抱えていた胸の奥のモヤモヤが消えて、彼の事が…もっと好きになった。 -- 「肩当て付けてぇ…?」 朝起きて、歯磨きをして、ボサボサ頭の伊織さんの顔を見ながらそう言った。 でも、全然、起きないんだ… しかも、どうした事か… いつの間にか、伊織さんはTシャツを脱いでいた。 上半身裸の彼の背中をぺちぺち叩いて…僕は歌いながらこう言った。 「肩当て…!つっけて!肩当て…!つっけて!」 「やっだ!やっだ!ねっむい!」 わぁ…! こんな返し方…するんだ… 僕は驚いた口が塞がらなくなったよ…? クスクス笑いながら大きな背中を撫でた僕は、兄ちゃんにするみたいに彼の腰に跨って乗って、兄ちゃんにするみたいに…腰をトントンしてあげた。 「肩当て~付けてよ~今~すぐ~付けてみたいんだぁ~!」 そして、こんな歌を…”調子のいい鍛冶屋”のメロディーに乗せて歌ってみた。 「ぷぷっ!」 隣のベッドで直生さんが吹き出し笑いをしながら、寝返りを打った。なのに、伊織さんは…ビクともしないんだ! 「ねえ!ねえ!付けてぇ…!付けてよぉ…!」 僕はいてもたっても居られなくなって…伊織さんの背中の上に…干物の様に乗ってジタバタと暴れた。 すると、彼は、やっと顔を上げてこう言ったんだ。 「…ん、眠い!」 「眠くなぁい!眠くないのぉ!だって、もう6時だよぉ…?お寝坊さん!」 僕は伊織さんの両手を掴んでバタバタ動かしながら、彼の背中の上で大暴れした。すると、伊織さんは体をゴロンと動かして…僕をベッドに払い落とした! 「キーーーー!」 口を尖らせて僕が怒ると、彼は僕の上に覆い被さりながら…こう言ったんだ。 「豪…ちゃ…もう少し…寝ていよう…」 「やぁだぁ!」 瞼を閉じたままの伊織さんの頬をぺちぺち叩いた僕は、彼の体の下で大暴れして…ふと、気が付いてしまったんだ。 「あれぇ…?おちんちんが、丸出しだよ~?」 「ぐふっ!」 また、隣のベッドで…直生さんが吹き出した。 でも、伊織さんは瞼を閉じたまま…寝ぼけながらこう言ったんだ。 「昨日…豪ちゃんでオナニーしてたら…いつの間にか、全裸になっちゃったぁ…」 わぁ… それは、凄い… 晋ちゃんがよく言っていた…世界中の人の中には、うんこする時…洋服を全部脱がないと出来ない人が…一定数、居るんだって… 伊織さんも…きっと、そんなタイプの人なんだ。 「…イクのに…どのくらいの時間がかかるのぉ?」 僕の上に半分体を乗せたまま…眠りに入ってしまった伊織さんの顔を見つめて、興味本位で、そう聞いた。 でも、彼は、クークーと寝息を立てて…気持ち良さそうに眠ったままだった。 だから、僕は…あれをやってみようと…決心したんだ。 “あれ”… それは、てっちゃんのお母さんの秘儀… 眠って起きない男を対象に行われる…究極の技だよ? 僕は、この技の犠牲者をふたりも目の前で見ている。 惺山と…兄ちゃんだ… ムクリと体を起こした僕は、剥き出しのまま…ボロリと股間に垂れる…伊織さんのおちんちんを見つめて、口を開けてこう言った。 「剥けてるのぉ~?わぁ、なぁんか…惺山みたぁい!」 「くっくっくっく…」 クスクス笑いながら、直生さんが体を起こして…ベッドの上で、最後の悪あがきをしている。両手を顔に当てて…うずくまってるんだ。 彼らは朝が苦手みたい… 僕は、安らかに眠る伊織さんの顔を見つめたまま…そっと手をスタンバイした。 これは…阿吽の呼吸で行われる秘儀…息を思いきり吸って…吐き出して… 今だ…! って、気合を入れて行われる…究極の秘儀なんだよ。 「…とうっ!」 「ぎゃっ!」 そう…この秘儀は、その瞬間的な殺傷能力故に、あっという間にけりが付く代物なんだ… 「なぁにすんだぁ!」 怒った伊織さんが股間を押さえながら、僕に抗議した。だから僕は力を込めた目で、こう言った! 「…む、剥けてるおちんちんを、グッて摘まんだぁ…!」 「ば…ばかたれ~~!」 伊織さんは怒ってそう言うと、股間を押さえながら突っ伏して…そのまま、寝た。 「ふぅん…また、やるよぉ?良いの?」 僕がそう言うと…うつ伏せた伊織さんは、顔を僕に向けて瞼を閉じたまま…こう言った。 「やれるもんなら…やってみろ…」 キーーーー! 「とうっ!とうっ!」 「ははは…全然効かんな。全然、効かない!」 この大きな手をどうにかしないと…だめだぁ! 僕は、伊織さんの手を掴んでグイグイと引き剥がそうと、力を込めて引っ張った! でも、彼の手は全然動かないんだ! 「あ~はっはっはっは!どうしたぁ!そんなもんかぁ!」 煽って来る… 意外と、煽って来るぅ! 余裕綽々の伊織さんは、瞼を閉じたまま…勝利宣言をして、安眠に付いた。 「んきーーーーー!」 ムキになった僕は、伊織さんのお尻の上に乗って…彼の脇の下に両手を突っ込んで、思いきりこしょぐり始めた! 「んぐぁああははははは…」 体を捩らせて必死に股間を押さえ続ける彼に、僕は容赦なくこしょぐり技を仕掛けていく…! 脇の下に飽きたら…鼠径部を両手で押さえて、グイっと押してやるんだぁ! 「あっはぁはぁ…!ぐへへ…!ぐほほほ…!」 効いている…! 確かな手ごたえを感じた僕は、そのまま伊織さんの手の隙間をぬって、彼の剥けてるモノを握って掴んだ! 「と…とったど~~~!」 「…ぎゃはははは!」 僕の下敷きになって大笑いする伊織さんを無視して、僕は、彼の剥けてるモノを扱いて言った。 「ん、もう…!怒ったぞぉ!イカせてやるぅ~!」 「ちょ…ちょっと…脱線してる。」 直生さんはそう言って、僕を抱き抱えて伊織さんから引き剥がした。 そして、鼻息を荒くする僕に、こう言ったんだ… 「豪ちゃん…お、俺が…肩当てを付けてやる…」 「本当…?」 僕は、ぐるりと首を後ろに回して、上目遣いで直生さんに言った。 「付けてぇ…?早く、付けてぇ?」 「はいはい…」 そうして…やっとトトさんのバイオリンに、肩当てなんて素敵な物が付けられた!! 「わぁい!痛くなぁい!痛くなぁい!」 僕はバイオリンを首に挟んで、伊織さんの眠るベッドの上で思いきり飛び跳ねながらそう言った。 そして、仁王立ちして止まって、弓を掲げて言ったんだ。 「この子は凄いパワフルだよ…?聴いてて…!」 弓を弦に押し付けながら強く引き切って、つんざく音色を出した後…僕は“リベルタンゴ”を弾き始めた。 それは情熱的で…セクシーな曲だ…! 僕は、ベッドの上に思いきり膝を付いて、仰け反りながら高音を引いた。 あぁ…!!すんごい!! エクスプローション…!!爆発だぁ!! 「うわぁああ…!」 バイオリンの音色に…伊織さんが飛び起きた! そんな彼の肩に足を乗せながら…僕は”リベルタンゴ”を弾き終えた… 「はぁはぁ…す、凄い…凄いバイオリンだぁ…!!」 高音の爆発的な伸び…音量の大きさ…低音の重厚感はやや物足りないけど、掠れていく音色は、まるで…刃物の様に鋭さを放っていた… しかも、あんなに派手に動いたのに…肩当てのお陰で、痛くならなかった。 僕は満面の笑顔でバイオリンを抱きしめて、こう言った! 「大好きぃ~~!」 「凄かったな…部屋中が、震えるくらいの振動だ…」 直生さんはそう言って僕のボサボサの頭を撫でた。でも、顔を覗き込んで、眉をあげると…こう言ったんだ。 「でも…ここで弾くのは、もう、駄目だ。」 イッケね… 僕はそんな直生さんを見つめて、肩をすくめながら舌を出した。 「はぁい…」 寝ぼけたままの伊織さんは…そんな僕らを見つめて、首を傾げながら股間をむき出しにしていた。 #63 「朱里ちゃん、また来るね!」 「…そっか、ずっと護の所にいるなら…あたしでも、会いに行けるか!」 車から声を掛けた俺を見下ろした朱里ちゃんは、いつもと違う俺のこれからに、クスクス笑ってそう言った。だから、俺も…彼女を見上げてこう言ったんだ。 「そうだよ?俺は、仕事の時以外は…まもちゃんの店に居るからね!ご飯、食べに来てよ!じゃ、またね~!」 そう。 俺は…まもちゃんの所に、居るんだ…! まもちゃんの愛車を運転して、彼よりも速いスピードを出した。そして、俺は…彼への帰りの道を進んだんだ。 カーステレオから聴こえて来るのは…軽快に編曲された素敵な”オー・シャンゼリゼ“… 幼い頃はサビの部分しか歌えなかったこの歌を、中学生の頃は聞こえたまま、覚えて歌った。そして…今では、言ってる意味も、話す言葉も、発音の仕方だって…完璧に、思いを込めて歌いながら…あなたの元へ帰るんだ。 それは、心地良い…帰る場所。 俺の戻る、場所だ… 「まもちゃぁん、ただいまぁ~!卵、買って来たよ~!」 厨房でせっせと仕込みを始めていたまもちゃんに、俺はカウンター越しに声を掛けて、買って来た卵を胸に掲げて見せた。 すると、彼は、嬉しそうに体を揺らしながら、両手で卵を受け取ってこう言ったんだ。 「ありがとございますぅ…!ありがとうございますぅ…!」 ウケる… 相変わらず、彼はこんな感じ。 でも、俺は…彼の本音を聞いた… だから、こんな風におどけたり、ふざけたりする彼を、もっともっと…愛おしく感じてしまう。 護は、ただの馬鹿じゃないんだ… 本当の気持ちを”歳の差“なんて下らない事で、隠して、黙って、堪えている…そんな可愛い所がある人なんだって…もっともっと、愛おしく思うんだ。 そんな可愛い所が、大好きなんだ。 「そうそう、北斗?豪ちゃんから…美味しそうな焼き菓子が届いてたよ…?」 なんだって…!! 俺は、そんなまもちゃんの言葉に、目を丸くしてキョロキョロと周りを見渡した! 「どこ?どこ?どこ?どこ!」 すると、まもちゃんはニカッと笑って、カウンターの上を指さして言った。 「あそこ~!」 は…! そこには、中くらいのサイズの段ボール… 俺はそれを見た瞬間、箱一杯に焼き菓子が入っていると想像して…身震いした! 「やった!やったぁ!」 もちろん、俺は、嬉々と段ボールに飛びついたよ。 そして、目じりを思いきり下げて、箱の中に入っていたタッパーを取り出しながら、ひとつ、ひとつ、確認する様に眺めたんだ。 「わぁ!まもちゃぁん!見て見て~?あの子は、こんなに沢山…送ってくれたぁ!」 「あぁ…やんなるね。やんなるよ。卸問屋のレベルだよ…」 そんな事を言いつつ…まもちゃんは、俺を見ながら満面の笑顔で笑ってる。 あの子の手料理のスキルの高さに驚愕しつつも、きっと同じ料理人として、あの子を認めているんだ。愛情をこめてお料理をする子だって…分かってるんだ。 そして、遠く離れた俺に…こんな愛情のおすそ分けをくれる。 素敵な子なんだ… 大きなタッパーが4つ。 その中には、ひとつ、ひとつ、丁寧にくるまれた…焼き菓子が入っていた。 マドレーヌ、サクリスタン、フィナンシェ、2種のスコーン… どれも、あの子が作った…天使の焼き菓子だ! 俺は早速フィナンシェをひとつ取り出して、パクリと頬張った…そして、身悶えしながら言ったんだ。 「あぁ…!豪ちゃんの味だぁ!」 「どんなだよ…まったく!」 まもちゃんは呆れた様にそう言って、サクリスタンをひとつ摘んで食べた。 サクッと良い音を立てながら…卵の殻を綺麗に割って行く彼は、こう…背中で語っていた… 「う、美味い…美味すぎる…!!」 俺は、そんな彼の思いを代弁して、ケラケラ笑った。 …優しくて、適度の甘さで、はちみつが鼻に香る…そんな、上品なお味の豪ちゃんの焼き菓子は…どれも美味しかった。 あの子は、砂糖を使わない事をモットーにするみたいに…はちみつを乱用する。 その理由を、俺は、知らない… タッパーからフィナンシェをもうひとつ取り出した俺は、卵の殻を綺麗に割って行くまもちゃんの背中に聞いてみた。 「ねえ!どうして豪ちゃんは、砂糖を使わないんだと思う…?」 すると、まもちゃんは、体を揺らして笑いながらこう答えたんだ。 「あぁ…ふふ。テレビで…砂糖は、麻薬と同じって言ってるのを見てから、砂糖は使わないって決めたんだぁ!って…めちゃめちゃ険しい顔をして言ってたよ…」 「ぷぷっ!!」 さすが、まもちゃんは、料理人らしく…そんな質問を既に豪ちゃんに投げかけていたんだ… …あの子の、そんな…らしい答えにクスクス笑うと、俺は同封されていた青空色の封筒を手に持って、にっこりと微笑みながら…手紙を取り出した。 “ほっくんへ お菓子を沢山焼いたので…おすそ分けします。 消費期限は…タッパーに書きました!どうぞ、召し上がれ。 先生は、サクリスタンがお気に入りになったみたいで、焼いても、すぐになくなっちゃうんだ。でも、あんまり甘いものばかり食べると体に悪いから、先生には少ししかあげない様にしています。 そうそう、ほっくんのお友達の…なおいさんと、いおりさんは、とっても優しい人です。 僕に音楽を教えてくれると、言っていました。わくわく! ほっくん?沢山いろんな人と演奏した方が良いって…僕の事を考えてくれてありがとう。とっても、嬉しかったです。 でも、たまに…少し、怖じ気付いてしまいます。 だって…僕には、基礎も無ければ、ほっくんたちの様に…音楽に対する情熱が、無いからです。 そして、素敵な演奏を聴かせてもらう度に、少しだけ、悪い事をしている気になります。 だって、僕は“剛田たけし”みたいなんだ… 人の演奏を盗み聞きして、自分の物にしちゃうからです。 ギフテッドなんて呼ばれる事が嫌だった。バイオリンが上手に弾ける事が嫌だった。こんなもの要らないって思った。 でも…あなたとバイオリンを弾いて感じた気持ちが、僕の考えを変えた気がします。 ほっくんのバイオリンの旋律の美しさや、表現のすばらしさ…それら全てが、楽しかったんだ。あなたの様にバイオリンを弾けるようになりたいなんて…そんな思いが芽生えてしまった…。それは、今までにない…気持ちでした。 ねえ? こんな僕が、あなた達の隣に立っても…良いんでしょうか? それは、無礼で…失礼な事では、無いんでしょうか…? それが少し、心配で、怖いです。 では、また…! 豪“ 「ふふ…豪ちゃんは、手紙の中だと語尾は伸ばさない!それに、賢そうな文を書く!」 手紙に目を落としながら、俺は、クスクス笑ってそう言った。 「どれ…」 そう言って手を伸ばすまもちゃんに手紙を手渡して、彼が微笑みながら目を落としている様子を、口元を緩めて見つめた。 やっぱり…お前は、良い子だね。 自分で望んだ訳じゃない…持て余す才能を、誇示する事を怖がってる… 俺たちみたいな努力の人に、遠慮して…躊躇して…怖がっているんだ。 豪ちゃん… 俺がお前の”才能”を持っていたら、迷う事無く振りかざして…ふんぞり返るよ。 どうだ…!って、惜しみなく…見せびらかすだろうし、特別に扱われる事に優越感を感じて、天狗になる事…間違いなしだ。 でも、お前はそんな事をしないだろうね… 森山さん…あなたが言った通り…あの子は、強い子だ。 そして…とっても、優しい人だ。 「…豪ちゃんには、豪ちゃんの…葛藤があるんだな…」 そんな言葉を呟いたまもちゃんは、俺に手紙を返して、卵を割る作業へと戻って行った。 -- 「先生ぇ~!」 僕は、直生さんの車に乗って…再び、先生の家まで帰って来た。 途中、お昼ご飯を食べて、原っぱの上で昼寝休憩をして、のんびり過ごしていたら…夕方の帰宅となってしまった。 すると、僕の声を聞いた先生が玄関から飛び出して来て、慌てた様に眼鏡を揺らしながら走って来た! 「豪ちゃん!はぁ~!も、もう!心配したぞぉ!」 伊織さんが言ってた…メールをしたから、大丈夫だって… でも、先生は顔を真っ赤にして…怒っていた。 そして、僕の体をあちこち見ながらこう聞いて来たんだ。 「何もされてない…?悪戯とか、何か…性的な事をされてない…?」 そんな先生の言葉に目を丸くした僕は、ケラケラ笑って、手に持ったバイオリンを見せてあげたんだ。 「そんなぁ!直生さんも…伊織さんも、とっても優しかったよぉ?そして…バイオリンのケースと、肩当てを買って貰ったんだぁ!ねえ、見て見てぇ?」 先生は、そう言った僕をギュッと抱きしめて…車から降りて来る直生さんと伊織さんに怒ってこう言ったんだ。 「駄目だ!勝手に…勝手に、連れ出すなよっ!」 「…バイオリンを買いに、ミルクールまで行っていただけだ…」 涼しい顔をした直生さんは、伊織さんと顔を見合わせて肩をすくめている… そんな彼らに、先生の怒りは収まらない! 「もし…事故にでもあったらどうするんだぁ!まったく!」 伊織さんが言っていた…メールをしたから、大丈夫だって… 僕は、早々に先生の腕の中から抜け出て…玄関を上がった。そして、テラスで寛ぐパリスに走って向かったんだ。 「パリスゥ~!とっても、綺麗な所に連れて行って貰ったんだぁ!お前も連れて行ってあげたかったぁ!緑の草が…はぁ、とっても…美しかったんだから~っ!」 ハイテンションな僕と違って…いつもと変わらない…そんなパリスに、僕は、ケラケラ笑って、床の上をゴロゴロと転がった。 すると、鼻息を荒くした先生と、無表情の直生さん、伊織さんが、リビングに入って来て、大人の会話を始めた。 「…俺たちは、何も、思い付きや、無計画で、ミルクールへ行った訳ではない。」 直生さんのそんな言葉に、先生は口を尖らせてこう言った。 「…嘘つけぇっ!」 そんな彼らをトコトコと通り過ぎた僕は、お茶を淹れるためにキッチンでお湯を沸かし始めた。 「豪ちゃんの…武器を手に入れに行っていたんだ!」 握りこぶしを胸の前に作って、伊織さんが意気込んでそう言うと、先生は髪を振り乱して怒った。 「どうせ、悪戯でもしてやろうって…外に連れ出して…お泊りしたんだろっ!!この…変態兄弟…!」 先生は、そんな主観にまみれた事を捲し立てて怒っている。 僕は、直生さんと伊織さんを…”変態兄弟“なんて思わないよ? とっても優しい人だし…とっても静かな人たちだ。 彼らの音色を聴けば分かる。 静かで熱い情熱を持っている人たちなんだ…。 そして、とっても優しい… 「あ~、そうだぁ!」 僕は、紅茶の準備をしながら、二階の自分の部屋に駆けだした。 そして、がまくちのお財布を手に持って戻って来ると…直生さんになけなしの3ウーロを手渡してこう言ったんだ。 「ちゃんと…返したよぉ?」 「ぷぷっ!」 にっこり笑った直生さんは、僕をギュッと抱きしめて…ゆらゆらと揺れながら髪にキスをくれた。 「はぁ~~~!豪ちゃん、お茶を淹れて!」 そんな先生の声に、僕は慌ててお茶を淹れにキッチンへ戻った。 「…この子は、なかなか売り物のバイオリンを気に入らなくてね…。最終的に裏で作業をしていた、ひねくれ者の職人のバイオリンを気に入って…それを、ぷぷっ!3ユーロで、売って貰ったんだ…くっくっく!信じられない!」 クスクス笑いながら直生さんがそう言った。すると、思い出した様に…伊織さんも口元を緩めて笑いながら、言ったんだ。 「…ぷぷっ!信じられない!」 そんなふたりの言葉をジッと聞いていた先生は、僕が持ち帰ったバイオリンのケースを見下ろして、そっと開けた。 「…ほぉ、モダンフレンチかと、見違える鮮やかさだな…」 そう言って、トトさんのバイオリンを手に取った先生は、おもむろにバイオリンを首に挟んで、弓を取り出しながら話した。 「…どこで、買ったの…?」 「緑の看板の…可愛いお家の店で買った。」 伊織さんがそう答えると、先生はクスクス笑いながら弦を弓に当ててバイオリンを弾き始めた… 「…強いな。とっ散らかる…」 眉間にしわを寄せた先生は、紅茶を運ぶ僕を見て、こう言ったんだ。 「豪ちゃん、弾いてみなさい。」 「はぁい…」 僕は首を傾げながら先生からトトさんのバイオリンを受け取った。そして、首に挟んで弓を軽く握って持って、先生に言ったんだ。 「これは…トトさんのバイオリンです。」 そう… 僕は、トトさんと約束した。宣伝して歩けと…彼に言われたんだ。 だから、僕は、早速…それを実行した。 そして、弓を弦に軽く当てて引き始めたのは…ショパン“ワルツ第7番嬰ハ短調”だ。 マズルカのリズムと…この軽やかで力強い音色が、良く似合った。 僕は、うっとりと瞳を細めながら…惺山の抑揚を真似した“ワルツ第7番嬰ハ短調”を弾いた。 それは、会えない彼を思った…切ない心を一緒に乗せた音色だ。 「あぁ…凄いな…。本当に、このバイオリンは…この子に合ってる。」 ポツリと直生さんがそう言った。 僕は、そんな彼の声を耳に流して聴いて…運指が達者になった自分の指先を頼りに、駆け上がる様な旋律を、舐める様に走って進んだ。 「美しい…」 先生、そうなんだよ… この曲は、本当に…美しい。 惺山、あなたと過ごした日々を思い出すよ… あなたが、どうにかなってしまうんじゃないかと…僕は、毎日、怖かった。 見えない所に行って欲しくなかった。 傍に居て…離れたくなかった。 なのに…今は、あなたの声も…すぐに思い出せなくなってしまった… それを、悲しいと思う…? それを、辛いと思う…? …こうするしか、無かったんだ。 現にあなたは、僕と離れた後…元気に暮らしているじゃないか… そうでしょう…? そうでしょう…?惺山… 曲のクライマックス…マズルカのリズムを強調させた、彼のピアノを思い出しながら…まるで、彼と一緒に弾いている様に…少しだけ盛り上がって、静かに…かき消える様に…終わった。 「ブラボーー!」 「…はぁ、とっても…美しいじゃないか…!」 そんな、直生さんと伊織さんの言葉に、僕はペコリと頭を下げてお辞儀をした。 そして、僕を見つめて瞳を細める先生に、目元を拭いながらこう言ったんだ。 「…この子は、トトさんのバイオリン…。少し撫でただけで…とっても大きな音が出る。でも、僕は…この子と一緒に、美しい曲が弾けるみたい…」 すると、先生は、にっこりと笑って頷いて言った。 「素晴らしい…。良いバディを見つけたね…?」 僕は、ナイスバディじゃない…なのに、先生はそう言った。 「…うん!」 首を傾げながら…僕は先生に頷いて答えた。 伊織さんにバイオリンの肩当てを付けて貰った僕は、首にバイオリンを挟んだままウロウロ歩き回った。 何を弾こうか…頭の中で考えながら、歩いてたんだ。 そして…思いついて…こう言った。 「僕の兄ちゃんは、この曲が好きだよ?」 弓を持ち上げて弾き始めたのは“Happy”だ。 軽やかで伸びのある…トトさんのバイオリンは、この曲のメロディを、もっと軽やかにしてくれた。まるで…羽が生えたみたいに空に上がっていく音色に、僕は嬉しくなってクルクル回りながら体を揺らして、ノリノリになって踊った。 すると、ソファに座った直生さんが目じりを下げて喜んでくれたんだ。 「ふふ…!可愛い…」 でも、そんな彼に、先生は鋭い眼光を放って言ったんだ。 「…本当に、何もしてないんだろうな…?!」 「してない…何もしてない…」 伊織さんが真実を語る様に、前髪を持ち上げてそう言っても…先生は首を横に振って顔を歪めてた。 「…信じられない!!」 そんな先生たちの会話を無視して…僕は、思った様に流れて行く音色にご機嫌になってノリノリで踊りまくっていた。 「ビコーズアイムハッピ~!」 「手を出さない訳無いだろう!我慢なんて言葉が無いお前たちが…あんな可愛い子と一緒に、ベッドで寝て…何もありませんでした!なんて…そんな話、信用出来ると思うのか…!!」 「ビコ~ズアイムハッピ~!」 「…でも、何もしてない…ただ、添い寝して…ハッピーになったんだ…。」 先生は、眉を顰めて…直生さんと伊織さんを睨みつけている。 僕はそんな先生を見つめながら、ご機嫌に“Happy”を弾き終えて…彼に向けて最高の決めポーズを取った! …直生さんと伊織さんは帰った。 お仕事があるから、しばらく、遊びに来れないそうだ… 毎日の様に遊びに来ていてくれたからか…少しだけ、寂しかった。 …僕は、未だにバイオリンを首に挟んだまま…ピアノを、弾いて歌う…先生にもたれかかっている。そして、テラスの向こうに少しだけ見える空を見上げて…まん丸の月を眺めてるんだ。 どうしてかって言うと…先生が“Blue moon”なんて…素敵なジャズを聴かせてくれているから。 「青い月…それは天変地異の始まり…?」 僕は、首を伸ばして先生を見上げてそう尋ねた。すると、彼はクスクス笑って答えた。 「詩と同じ…俳句と同じ…ひとつの言葉で、情景、情緒を表すんだ…青い月は…何かの比喩かもしれないし…何かの情景なのかもしれない…。そんなアバウトさは、聴く側に考えを巡らせる…。そして、みんな、自ずと…自分の中の“青い月”を見つけるんだ…」 ふぅん… 「じゃあ…先生の“青い月”は、なぁに…?」 僕は体を翻して、彼の肩に手を置いて…顔を覗き込みながらそう尋ねた。すると、先生はゆったりとピアノで“Blue moon”を弾きながら、僕に、チュッと…キスをした。 そして、ため息を吐きながら…こう言ったんだ。 「あのふたりが…手を出さなかったなんて、信じられない…。彼らは幸太郎と違って、犬じゃなかったみたいだ…。理性を持った、大人だったようだ…。ふふっ…ふふふ!」 変なの… 僕はクスクス笑う先生を見て、首を傾げた。そして…再び、そんな彼にもたれかかりながら…美しい月を眺めた。

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