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#89~#91
#89
「北斗…朝だ。惺山の家に行こう。俺は、豪を連れて帰らなきゃ駄目なんだ。理久が怒るから…。急いで帰らなきゃ駄目なんだ。」
俺は、そんな言葉と共に、ゆっさゆっさと体を揺すられて目を覚ました。
早朝5時。
眉を下げた幸太郎は、豪ちゃんに会いたくって会いたくって、震えている様子だ…
「…ったく、馬鹿野郎だな!まだだよ。まだ行かない!まだ、その時じゃない!」
そんな俺の言葉にムッと頬を膨らませた幸太郎は、俺のベッドの隣に座り込んで、こう言ったんだ。
「…じゃあ、いつがその時なんだぁ!」
はん!
鼻を鳴らした俺は、幸太郎を見つめてこう言った。
「世の中には、目に見えない“タイミング”という物が存在するんだ。その機を逃すと、運命がガラリと変わる様な奴だ。そして、俺は、そのタイミングを掴む事が得意なのさ。」
すると、幸太郎は呆れた顔をしてこう言った。
「…だから、それは、いつだって聞いてんだよ!」
せっかちだね…
こいつは、案外…せっかちだね。
俺は半開きの瞳を幸太郎に向けて、首を横に振って答えた。
「…今じゃないのは、確かだ…!」
「あ~~~~!豪!今頃、惺山と、エッチしてる!俺は、出来ないのにぃ!」
こいつの頭の中は…そんな事ばかりだ。
早朝の5時…
確かに、俺とまもちゃんも…こんな早朝でもエッチ出来る。
「馬鹿だなぁ…幸太郎…きっと、まだ寝てるよ…」
ぐったりと項垂れた俺は、枕に顔を突っ伏して…二度寝を始めた。
すると、幸太郎は、俺の部屋に置いてあるチェロを弾き始めたんだ…
その音色は、誰もが感嘆の声を上げる様な、繊細で…情緒の色付いた美しい音色だった…
しかし、
選曲が…やたら暗かった…
「なぁんで“Alle Tage ist kein Sonntag”なんて…朝から聴かなきゃ駄目なんだよ…!もっと、明るくて、うっとりする曲を弾いてよ。例えばパラディスの”シチリアーノ“とか…!」
すると、幸太郎は…文句も言わずにグスグスと鼻を啜りながら”シチリアーノ“を弾き始めたんだ…
こいつ…泣いてるのか…?!
30歳をとうに過ぎているであろう幸太郎は、豪ちゃんが森山氏とエッチをしているかと思うと、涙を流してしまう程に…あの子の事が大好きの様だ…
笑える!
理久も、きっと…おんなじだ…
直生と伊織も…おんなじ。
あの子のバイオリンの音色にやられた音楽家たちは、こぞって…あの子に恋をする。
そう。
それは、もれなく…俺も、おんなじ。
でも、俺はあの子をどうこうしようなんて…思わないよ。
ただ…幸せになって欲しいと、願うくらいだ。
例え、別れる事を選択した後でも…あの子が、大好きな森山氏の存在を喜ばしく感じられる様に…愛し続けられる様に…そんな流れを願って、期待して、望んで…止まないよ。
彼の奥さんになる人には申し訳ないけれど…ふたりには、ずっと、愛し合っていて欲しいんだ。
なんてったって…音楽家が恋に落ちる天使に、惚れられた男だ。
彼を、独占出来るのは…豪ちゃんだけ。
そして、そんな天使を独占出来るのも…彼だけなんだ。
「素敵…!」
「なんて美しい音色なんだぁ…!!」
少しだけ開いた部屋の扉から、俺の両親が、顔だけ覗かせて…うっとりと幸太郎のチェロの音色に感嘆の言葉を漏らした。
俺は未だに布団を被って寝ていると言うのに、彼がチェロを弾いただけで…飛び起きて来て、覗き見してるんだ。
カオスだ…
--
「コ…コケコッコ~~~~~イ!」
「ふふ…!」
おじさんのくしゃみみたいに…フォルテッシモは、鳴き声の後に…要らない音を出してる。それがおかしくて、僕は目を瞑りながらクスクス笑った。
すると、誰かが僕のおでこを撫でて、そのまま髪をかき上げた…
重たい瞼を開いて目の前の彼を見つめた僕は、何も言わずに彼の肩に手を置いて…首を伸ばしてキスをした。
すると惺山は、僕の着た、彼の大きなトレーナーを脱がせて、僕の体にキスを始めた。
だから、僕は彼の髪を撫でながら…うっとりと身を委ねた。
頭の中には…ショパン、ワルツ第7番嬰ハ短調が流れ始めて…目の前の彼を美しく彩って行った。
「…あぁ…あなたの、ピアノが…聴きたかった…」
彼の頭を抱きしめた僕は、天井を見上げながらそう言って…涙をベッドに流して落とした。すると、彼は僕にキスをして…優しく瞳を細めて言ったんだ。
「聴かせてあげるよ…」
僕は…そう言った彼の頬を撫でながら、もう一度キスを欲しがって…彼の頬に頬ずりをして舌を這わせた。
手に触れる彼の体を…熱を…感触を、僕は、忘れてしまうんだろうか…
彼も…僕の感触を、忘れてしまうんだろうか…
「杞憂だよ…」
眉間にしわを寄せて考え込むような僕の様子に、惺山はクスクス笑ってそう言った。
そして、何度もキスを落としながら…合間、合間に…こう言ったんだ。
「君は…俺で、俺は…君だよ…」
「せいざぁん…」
僕は彼の髪を指の間に入れて絡めながら…自分に引き寄せて…抱きしめた。
僕の体を撫でる手も、僕の首筋にキスする唇も…甘い吐息も、トロけた瞳も…全て、僕の物だって…言ってよ。
例え、誰かと愛し合って…子供を作ったとしても、あなたの心は…僕だけの物だって、言ってよ。
「せいざぁん…大好き。僕の…僕の、惺山…!」
僕は彼の胸に抱き付いて…そのまま押し倒した。
彼の胸にキスをして…彼の素肌に舌を這わせて…両手で彼の腕を撫でながら…指を絡ませて手を繋いだ。
「僕のだって…言ってぇ…」
吐息と一緒にそんな言葉を口走ると…彼は穏やかな声でこう言ってくれた…
「お前のだよ…」
それが、堪らなく嬉しくて…僕は、彼のお腹に何度もキスをして…こうおねだりした。
「誰と一緒になっても…僕だけ愛してるって…言って…」
すると、彼は…僕の体を抱き抱えながら体を起こして、ジッと瞳を見つめて…こう言ってくれた。
「豪だけ…。ずっと、お前だけ愛してるよ…」
そして…甘くて…トロけるキスをくれた。
だから、僕は、彼の背中を必死に抱きしめて…指に力を込めて…しがみ付いて、そのまま押し倒した。
ケラケラ笑う彼を無視して涙を拭った僕は、彼のスウェットを下げて…少しだけ大きくなった彼のモノをナデナデしながらこう言ったんだ。
「惺山の、おちんちん…ペロペロしてあげるぅ…」
「ふふ…」
僕は、彼の足の間に体を入れると、体を沈めて口を開けた。そして、舌を出して…彼のモノをペロペロ舐めながら…うっとりと彼の腰にしがみ付いた。
「あぁ…可愛い…」
惺山はそう言って足をジタバタさせて…腰にしがみ付いた僕の腕をそっと握って…掴んだ。だから、僕は…もっと頑張って、彼のモノの先っぽを舌で撫でながら…口の奥に入れて行った。
「はぁ…気もちい…」
僕は、掠れて色っぽい彼の声に興奮して、痛いくらい勃起してしまった自分のモノを扱きたくなった。
でも、惺山は僕の腕を掴んだまま…離してくれない。
だから、僕は…痛みに顔を歪めながら…彼のモノを唇で気持ち良くして行った…
「はぁはぁ…せいざぁん、おちんちん…触りたい…」
大きくなった彼のモノを舌で舐めながらそう言うと、惺山は首を傾げて言った。
「俺が触ってあげる…こっちにおいで…」
僕はすぐに惺山の体を跨いで、彼に自分のモノを見せた。
「あぁ…これは…イッちゃいそうだ…」
ガチガチに硬くなった僕のモノを見て、彼は、クスクス笑った。
そんな言葉に頬を熱くした僕は、そのまま…彼の先っぽのくぼみを舌先で何度も舐めながら手で扱いた。
「あぁ…!んっ…んん…気もちい…!」
惺山の舌が僕のモノを舐めて…口の中に入れて、熱い舌で包んで扱いた。
あまりの快感に、僕はすぐに体をのけ反らせて…フルフル腰を振るわせて悲鳴を上げた。
「あぁ…!だめぇん!イッちゃう!…イッちゃうのぉ!」
すると、彼は僕の腰を上から押さえつけて…逃げられない様にして、執拗に僕のモノを口の中で扱いた。
気もちい…
「はぁはぁ…んん…!はぁはぁ…」
僕は…腰を反らせて両手を突っぱねて、快感に耐えた…
でも、自分の汗が背中を伝って落ちて行くだけで、腰がビクビクと震えてしまうんだ。
「豪ちゃん…お口が止まってるよ…」
そんな彼の言葉に我に返った僕は、体を屈めて彼のモノを口の奥に入れて…気持ち良くなる様に扱いてあげた。
でも、強く襲ってくる快感に…すぐに口から彼のモノがこぼれてしまうんだ。
だから、舌を出して…喘ぎながら…彼のモノをペロペロと舐めた…
「はぁはぁ…イッちゃう…イッちゃう…」
彼の股間に顔を埋めて快感に脱力したままそう言うと、惺山はクスクス笑って…僕のモノをもっと気持ち良く扱き始めた。
「ひゃあぁあ…ん!だめぇん…!気持ちい…あっ…あっああ…あっあああん!」
そして、僕は…イッてしまった…
クッタリと脱力しきった僕は、惺山のモノをゆるゆると扱きながら…快感の余韻に頭を真っ白にしていた。
すると、彼は…体を起こして、僕のお尻にキスをしてこう言ったんだ…
「可愛いね…豪、こんなに可愛い子…抱いてしまったら、他なんて、どう努力したって…無理だよね…」
そうなのかな…
彼は僕のお尻を両手で抱えて…ペロペロと舐め始めた。
「はぁあ…んっ!あっ…あぅ…あぁ…ん…」
鳥肌が立つ快感に、僕は、ベッドに顔を突っ伏して背中をビクビクと震わせた。
彼は、そんな僕の背中を指先で撫でて、すぐに体をびくつかせる僕を見て、クスクス笑った。
「こっちは…もっと気持ち良いのかな…」
そう言って手を下に回した惺山は、僕のちっぱいを手の中におさめて、少しだけ揺らして、僕の乳首を刺激した。
「はぁ…は…ぁあん…!気持ちいぃ…はぁはぁ…あっ…あぁ…ん!」
四つん這いになった太ももがビクビク震えて…今にも力が抜けてしまいそう…
僕は…頑張って快感を堪える様に、唇を噛み締めて…額の汗をベッドに落とした。
「あぁ…!可愛いね…」
そんな僕の様子を見て楽しそうに声を弾ませた惺山は、僕のお尻に指をあてて…そのまま中へと挿れた。
「ん~~~!あっああ…ん!」
その瞬間…僕は、背中を仰け反らせて、勝手にイッてしまった…
「本当…可愛い…」
惺山はそう言って、僕の中に挿れた指を奥まで押し込むと、中を撫でる様に動かしながら、何度も入れたり抜いたりした…
その度に押し寄せてくる快感に…僕は、あっという間に、頭の中を真っ白にされた。
彼は、僕のモノを握って扱きながら、僕の中に挿れる指を増やした。
すると、たまに来ていた…堪え切れない位気持ち良い感覚が、どんどん強くなって行った。
「はぁはぁ…気もちいの、また…まぁた…イッちゃうぅ…!」
僕は布団に突っ伏した顔で、惺山にそう伝えた…
彼はそんな僕の言葉にクスクス笑って、指を抜くと、おもむろに自分のモノにコンドームを被せた。そして、僕の中に入って来たんだ。
「あっああ…!だめぇえん…!せいざぁん…気もちい…すぐ…すぐイッちゃう!」
布団に顔を擦り付けた僕は、彼のモノが入っただけで、既にイキそうな位感じていた。
すると、惺山は僕の項垂れて突っ伏した体を起こして、膝立ちさせたんだ。そして、僕のイキそうなモノを両手で掴んで、こう言った…
「俺がイクまで…我慢出来るよね…」
無理だぁ…!!
「ん…無理ぃ…無理なのぉ…!」
僕は、彼を少しだけ振り返って、頭を擦り付けながら…それは無理だと、伝えた。でも、惺山は僕の両手を壁に付けさせて…こう言ったんだ。
「先に、イッたら駄目だよ…」
無理だぁ…!!
「んっ…だめぇ…無理ぃ…!」
そう言って彼を振り返った瞬間、惺山は僕の中を強く動き始めた。
「きゃぁあん…!」
激しい快感に悲鳴を上げて、壁に付いた手に力が入って、膝立ちした足がワナワナと震えた。
「あぁ…すっごい…きつい…!」
彼はそう言いながら、僕の腰を掴んで…奥まで、何回も、突き上げて来た。
「ふぅわぁああん!イッちゃう…!らめぇん…!」
「まだだって…俺はそんなに早漏じゃないんだ…はぁはぁ…」
荒い息遣いの惺山は、声だけでも気持ち良い…エッチなんだ…
僕のモノは今にもイキそうな位なのに…
「イッちゃう…!イッちゃいそう…!ばっかぁん…!」
僕が、手のひらでパンパンと壁を叩いて抗議をすると、彼はクスクス笑って、僕のモノを根元から強く握った。
「きゃああ…!」
その瞬間、僕は体をのけ反らせてフルフルと体を震わせた。すると、彼はクスクス笑ったまま…僕のちっぱいを弄って…遊び始めた。
「あぁ…相変わらず、エッチなおっぱいだ…特に、先っぽまでの…この曲線がいやらしい…。舌で舐めるのも良いけど…こうして、後ろから見るのも…良いね…」
耳元で囁かれる彼の吐息交じりの声に瞳を潤ませた僕は、強く握られて、吐き出し口を失った快感を体中に溜めながら、背中を覆い被す彼の体に頬ずりして…悲鳴の様な喘ぎ声を上げ続けた…
「んぁあ…はぁはぁ…ひっ…あっああん…!きゃぁあ…あぁ!だめぇ…」
指先で捩じられる乳首も…強く握られながら…先っぽを詰られる僕のモノも、吐息をかけ続けられる耳元も、下から突き上げられる体も…気持ち良くって、堪らなくって、僕はクラクラしてしまった…
ただ…背中に感じる惺山の熱い体に頬ずりしながら、だらしなく開いた口からよだれをこぼして喘ぎ続けた。
「はぁ…堪んない、可愛い…イキそうだ…!」
すると、惺山は、僕のモノを強く握った手をそのままにして、体を強く抱きしめて…激しく腰を振り始めた。
「豪…イキそう…お尻をもっと俺に突き出して…」
そんな彼の切羽詰まった声に興奮した僕は、言われた通りにお尻を突き出して、強くなった快感に下唇を噛み締めて堪えた…
「あぁ…!可愛い…!イキそう…!イキそうだ…!あぁ…!」
「きゃ…ぁああん!」
その瞬間、僕は、目の前に火花が散ったみたいに…真っ白になった。
いつの間にか解放された僕のモノは…ドクドクと派手に震えながら、精液を吐き出していた…
#90
「豪は朝ご飯を作ってくれるのに…おばさんは、何も出来ないんだな。」
幸太郎は、うちの母親をジト目で睨みつけて、そう言った…
「…女だからって、料理が出来るなんて…そんな決めつけ。今どき、性差別よ?」
すると、うちの母親はそんなアンタッチャブルな言葉を使って、幸太郎の言論の自由を奪おうとした。
出来ない事を正当化する為にジェンダー問題を引っ張って来るんじゃないよ。
だから、嫌なんだ!出来ない事は出来ないで良いじゃないか!それを正当化する為に、そんな面倒な話を持ち込んで…余計に話をややこしくする。
「だとしたら、あんたは…ネグレクトだな?海外じゃ…逮捕だぞ?」
流石の幸太郎は底抜けのKYだ。そんな俺の母親を指さして、ケラケラ笑った。
「言うねえ…気に入った!」
鼻で笑った俺は、支度をすませて幸太郎に言った。
「喫茶店でモーニングを食べよう?」
なかなかどうして…幸太郎はそんなに悪くないじゃないか…
これは、ひとえに…豪ちゃんの再教育の賜物なのか…?!
「なんか、三茶ってジメジメして…臭いな…」
匂いに敏感なのは、きっと…犬だからだ。
「住んでると…鼻がひん曲がって、分かんなくなるんだ…でも、たまにこうして帰って来ると、確かに…臭いな。」
隣を歩く彼にそう言った俺は、首を傾げてクスクス笑った。
頭上を高速道路が走る246は確かにいつも影になっていて、ジメジメしているし…飲み屋の多い立地のせいか、早朝はあちこちに嘔吐物が転がってる。
住みたい街ランキングなんかに入ってる事自体が…疑問だ。
俺と幸太郎は適当なカフェに入って、朝ご飯を食べながら、ぼんやりとお互いの顔を見つめてた…
30過ぎ…にしては、彼は、幼い印象をキープしてる。
もしかしたら、豪ちゃんも、こんな感じのおっさんになるのかな…
見た目は大人なのに…いつまでも、ん、でもぉ…僕はぁ…って、言ってるのかな。
「ぐふっ!」
吹き出して俺が笑うと、幸太郎は一緒になってニヤニヤ笑った。そして、こう言って来たんだ。
「今…俺の事、イケメンだって…思ってたんだろ?」
ウケる…!
「確かに…お前は、イケメンではある。ただ、頭が悪いだろ?世の中ね、見た目だけじゃ、取り繕えない事っていっぱいあるんだよ?」
俺はトーストをかじりながら、彼にトクトクと、世の中の理を教えてやった。
「例えばだ…!お前と世紀末を生きられるかって聞いたら、世の中のほとんどの女性は嫌だって言うだろうね?だって、馬鹿なんだもん!お前と一緒に居るくらいなら、多少ブスでも頭の切れる男と居た方が生存確率が上がる。生き物って言うのは、生き残るために必要な物に手を伸ばす様に出来てるんだ。」
すると、幸太郎はトーストにベーコンを乗せて、ケラケラ笑って言った。
「…良いさ。別に。世紀末だか、学期末だか、どんな時でも…豪が傍に居てくれたら…それで良い。」
はっは~!ウケるね!
そんな幸太郎の答えにニヤけた俺は、純情な心を持ったおっさんにこう聞いた。
「あの子の見た目が好きなの…?」
すると、幸太郎は首を横に振って…こう答えた。
「…あいつは、最高に…イケてる…!」
だ~はっはっはっは!!
大声を出して笑いたい!大声を出して…!笑いたい!!
ひとりで勝手に納得した様に頷いた幸太郎は、俺を見つめて、キラキラと目を輝かせて言ったんだ。
「犬だって言って…俺に首輪を付けて…容赦なく、引っ叩いて来るんだ…!」
ぐあ~はっはっはっはっは!!
俺はね、今、腹が痛くなるまで笑える自信があるよ…?
「凌辱プレイだな…つまり、お前はどМだったって、事だ…」
俺は目の前の面白いおっさんから目を逸らして、コーヒーを飲んだ。
すると、幸太郎は…口端を上げてこう言ったんだ。
「…馬鹿だな、その逆だよ。いつか犯してやろうと思って傍に居る事の楽しさが、分からないのかな…?」
なんだ、幸太郎はしっかりと目的を持って犬になっていた様だ。
でも、きっと…そんなの、うまく行きっこない。
「…そんな時が、来ると良いね…」
俺はクスクス笑ってそう言った。すると、幸太郎は少しだけ不満そうに首を傾げてみせた。
あの子が嫌がる事なんて…お前は、もう…出来ないだろうね。
だって…あの子の為に、プライベートジェット機まで飛ばして…あの子の為に森山氏の元まで…連れて来たじゃないか…
きっと、襲おうとしたって…豪ちゃんが泣きながら嫌がったら、出来っこない。
傍若無人の幸太郎も…あの子の前では、牙を抜かれたチワワだ。
--
「ね?言ったでしょ?」
「あぁ…ふふ、本当だね…少し甘い。でも、とっても美味しい。」
僕は、惺山の為に、自家製味噌を持って来たんだ。
今朝は、そんな味噌を使ったお味噌汁と、卵焼き…後は、春菊のナムルと、アスパラのベーコン巻きを朝食に用意した。
嬉しそうに目じりを下げる彼の笑顔が…大好き。
「…美味しい?」
僕が首を傾げてそう尋ねると、彼はにっこりと笑って頷いて言った。
「とっても…美味しい…!」
ふふ!
僕は、春菊のナムルをお箸で摘んで、惺山の口に運んで行った。
「あ~んしてぇ…?」
「あ~ん…モグモグ、ん!美味い!」
そうなんだ、春菊は癖が強いのに、ナムルにすると絶妙に美味しいんだ。
すき焼きで入れ忘れた時とか…何となく安い時に作ってみると良い。
作り方は簡単。
春菊を茹でて…よく水気を絞って、ごま油、中華出汁、塩コショウ、砂糖少々で和えれば良いだけだ!
「ふふ…お味噌、大事に使うね…」
瞳を細めて…惺山がそう言った。
昨日、惺山に会った時…僕は、抱き付いた彼の耳元で言ったんだ。
「自家製味噌、出来たの…持って来たよ!」
って…
だって…彼は、僕のお味噌が…大好きなんだもん。きっと、喜ぶって思ったんだ…
僕は、嬉しそうに微笑む惺山を見つめて…満面の笑顔で頷いて言った。
「うん!」
朝食の片付けを済ませた僕は、惺山のお家をお掃除していた。
そして、彼がすぐに食べれそうな浅漬けと、フォルテッシモ用に、細かく刻んだ野菜のクズを袋に入れて、冷蔵庫にしまった。
「…それは、何に使うの…?」
僕の背中にくっ付いた惺山は、僕が皮を剥き始めたリンゴを見下ろしてクスクス笑った。だから、僕は、剥き終わったリンゴをひとつ摘んで彼の口に運んで言ったんだ。
「これは…今から食べる用だよぉ…?」
惺山は、サクッと良い音を立ててリンゴをかじった。だから、僕は残りを自分の口に放り込んでサクサクっと歯応えを感じながら食べたんだ。
「フォルテッシモにもあげても良いけど、お腹を壊しちゃうから…あげ過ぎには気を付けてね?」
僕はそう言って、小皿に細かく切ったリンゴを乗せて、足元をうろつくフォルテッシモにこう言った。
「フォルテッシモ…?リンゴをどうぞぉ?」
すると、彼は嬉しそうに体を震わせて喉を鳴らしたんだ。
「ふふ…!フォルテッシモが、懐いてる!」
嬉しそうに声を弾ませる惺山を背中に乗せたまま、僕は切り終わったリンゴをお皿に乗せて、彼と一緒にソファに向かった。
「“f”が3つだと、フォルテシシモ…?」
ソファに座った惺山の胸に抱き付いてそう聞くと、彼は首を傾げてこう言った。
「そうだね…」
ふぅん…
僕は、いい機会だから…ずっと感じている素朴な疑問を彼にぶつけたんだぁ。
「じゃあ…“f”が10こだと…何シモになるのぉ…?」
「ぐふっ!」
僕を見つめたまま顔を真っ赤にする惺山を見つめて、僕はリンゴをかじりながら首を傾げた。
「…ゴホン…多分、フォルテシシシシシシシシシ…モだね…」
指を折りながらそう言った彼を見つめて、僕は続けてこう聞いた。
「じゃあ…“p”が10こだと…何シモになるのぉ…?」
「ぐふふっ!」
クスクス笑った惺山は、僕が手に持ったリンゴをパクリと食べて、こう言った。
「そりゃ…ピアニシシシシシシシシシ…モだよ。」
やっぱり、そうなんだ…
「やっぱりね…」
僕は妙に納得して、何度も頷いてリンゴをかじって食べた。
「…癖っ毛が凄いな…」
惺山は僕の髪をブラシでとかしながら、眉を顰めてそう言った。
だから、僕は彼の膝に寝転がって、両手を伸ばして頬を撫でながらこう言ったんだ。
「ん、でもぉ…イリアちゃんって女の子は、僕の髪を上手にとかしてくれたよぉ…?一回も痛くなかったもん。先生は、よく引っ張るから…イテテ…!ってなる。」
「はぁ…先生ね。先生は…元気そうだね…」
ため息を吐いて嫌そうな顔をした惺山は、僕の髪をとかしながら首を横に振った。
彼は相変わらず…先生が、少し苦手なのかな。
「彼は、まるで…音楽みたいな人だよ…?」
僕はそう言うと、惺山の頬を撫でながら続けて言った。
「僕が…こうしたいって思うと、彼も合わせて演奏をしてくれるんだぁ。それは、ビックリする程に上手で、自然で、さりげない。だから…僕は、自由にバイオリンを弾く事が出来る。それに…」
「…もう、良いよ。」
惺山はそう言って僕の唇にキスを落とすと、瞳を細めて微笑んだ。
だから僕は、ブラシを持つ彼の手を掴んで…一緒に髪をとかし続けたんだ。
僕のふわふわの髪は、肩まで伸びて…彼の手を煩わせている。
「僕の髪が伸びると絡まるから…兄ちゃんは短く切ってたのかなぁ…?」
ふと、そんな質問を惺山に投げかけた。すると、彼は、ニヤリと笑ってこう答えたんだ。
「…多分。…いいや…!絶対にそうだ!…全く…美容師の癖に!」
ふふ!
ピンポン…
呼び鈴が鳴った。
惺山はフォルテッシモを僕のお腹の上に乗せて、玄関へと向かってしまった。だから、僕は…ため息を吐いて、お腹の上のフォルテッシモに言ったんだ。
「きっと…もう、帰らなきゃ駄目なんだぁ…。幸太郎と、アンサンブルってやつをしなきゃ駄目なんだぁ…。でも、君に会えて…良かったな…。パリスの息子…フォルテッシモ!」
僕を見つめたフォルテッシモは、そんな僕の言葉に喉を鳴らしてこう言った。
「コッコココ…!」
また、来いよ!…なんて、言ってくれた気がした。
「ふふ…」
にっこり笑った僕は、彼の大きなトサカを撫でながら天を仰いだ…
お別れに来た筈なのに…僕は、彼と再び会う約束をしてしまった。
縁を断つ…そんな言葉が、僕を…迷わせて、弱気にさせて、彼との別れを躊躇させたんだ。
この決断が…後々、自分を苦しめる事になると、僕は分かっていた…
でも、それでも…
彼と繋がっていられる。
そんな安心感が、僕を…落ち着かせている事も…事実なんだ。
その時、もう…彼が他の誰かに心を奪われていたら…
僕は、潔く、身を引く事が出来るんだろうか。
それとも…
「よ!そろそろ、ご帰還の時間だ…!幸太郎と仕事があるんだろ…?」
そんなほっくんの声に我に返った僕は、フォルテッシモを撫でながら、彼を横目に見て言ったんだ。
「ほっくん?ごみはごみ箱だよぉ…?それに、ビールを飲み過ぎてるぅ。このままだと、肝硬変になるよぉ…?」
すると、ほっくんは僕のお腹の上で寝始めたフォルテッシモを指さして、怒って言ったんだ。
「なぁんだ!フォルテッシモ!俺の方が付き合いが長いのに!すっかり懐いて!」
仕方が無いじゃん…
鳥は大きな音が苦手なのに…ほっくんが怒鳴るから、怖がっちゃうんだ!
「さあさあ…豪、こんな所で寝てないで、俺と海が見える別荘へ行こう…」
幸太郎は自分で首輪を付けて、僕にリードを持たせた。そして、僕を抱き抱えると、惺山が止めるのも聞かずに、彼の家から連れ出そうとしたんだ!
だから、僕は慌てて幸太郎を引っ叩いて言った。
「だぁめぇ!下ろしてぇん!」
くぅん…と鳴き声を上げた幸太郎は、僕を玄関の前に下ろして顔を歪めた。
「せいざぁん!」
踵を返して振り返った僕は、惺山に思いきり抱き付いて…彼の体を両手で抱きしめて…顔を埋めて言った。
「…愛してる。ずっと…あなただけを、愛してる…」
彼は僕を強く抱きしめて…髪の匂いをクンクンと嗅ぎながらこう言った。
「じゃあ…豪、俺にキスして…」
あぁ…惺山…
うっとりと瞳を揺らした僕は、彼を見上げて…背伸びをして舌を伸ばした。
そして、彼の唇を舐めながら強引にこじ開けて、舌を絡めてキスをした。
「はぁはぁ…豪…」
そんな幸太郎の声なんてどうでも良い…
「意外と、イケイケドンドンだな…」
そんなほっくんの意味不明の言葉も…どうでも良い…
長くて、熱くて、トロける様なキスをした僕は、惺山のお尻から腰、背中にかけて手を這わせながら、彼の足に自分の股間を擦り付けて…うっとりと、こう言った。
「惺山…大好き…」
「豪ちゃん。約束を忘れないで…」
彼は瞳を歪めてそう言うと、体を屈めて僕にキスをした。
そして、大きな手で僕の腰を強く抱き寄せて、息が出来なくなるくらい…熱くて強烈なキスをくれたんだ。
僕は、潤んだ瞳で…彼に頬ずりしながら…小さな声でおねだりした。
「惺山…僕に、好きって言って…」
すると、彼は僕の髪を優しく撫でて…とっても優しい声でこう言ってくれた…
「ふふ…愛してるよ。ずっと…君だけを、愛してる…」
うん…
うん。
惺山の手を握ったまま…僕は靴を履いた。
そして、彼の足元のフォルテッシモを見つめて、ニッコリ笑って言った。
「フォルテッシモ…きっと、またね…」
「コッココココ…!」
ふと、視線を上げて惺山を見つめた僕は、不安に駆られた日々の様に…彼の姿を目に焼き付けながら…息を飲んだ。
すると、そんな僕の様子に…彼は、にっこりと笑ってこう言ったんだ。
「…豪。もう、大丈夫…。心配しないで良い。安心して良いんだ…。もう、終わったんだ。だから、そんな顔をしなくても良い。笑ってくれよ…。だって…俺は、君の笑顔が大好きなんだから…」
そんな彼の言葉に、僕は顔を歪めてボロボロと涙を落としながら…笑顔を作った。
「…はぁい…!」
#91
豪ちゃんは帰った…
残ったのは、あの子が剥いた食べかけのリンゴと…寂しそうに肩を落とすフォルテッシモと…吹っ切れた様な顔をした、森山氏だ。
「…ありがとうございました。藤森さんが、あの子を連れて来てくれた…。俺では、頑固者の豪ちゃんをあそこまで動かす事は…出来なかった。」
クスクス笑った森山氏は、あの子の剥いたリンゴのお皿を手に取ると、ひとつかじって食べた。そして…ポロリと涙を落として、こう言ったんだ。
「藤森さんも食べますか…?」
「じゃ…ひとつ…」
ウサギの形に切られたリンゴを摘んだ俺は、サクッと一口かじりながら、窓の外を見上げて…ため息を吐いた。
ふたりの事が気になっても…俺は、根掘り葉掘り聞いたりしない。
スマートな大人だからね。
シャワーを浴びて、書斎へ向かった俺は、新しい服に着替えながら畳まれた布団に苦笑いした。
「あぁ…きっと、豪ちゃんが畳んだんだ…やべやべ…!」
そして、ふと、視線を落とした先…俺のバイオリンケースの上に、小さな紙を見つけて、指先で摘んで中を見たんだ。
“ほっくんへ。
惺山に会えて良かった。どうも、ありがとう。
豪より“
「ふふ…」
クスクス笑いながらため息を吐いた俺は、こぼれて来る涙をそのままにして、俯いて…床の上に座った。
あの子は、もう…会わない気だ。
森山氏が、豪ちゃんに何をどう言ったのかは知らない。
でも…この短い文から、そんなあの子の思いを感じ取ったんだ…
いつか…ふたりは一緒になれるって、そう言ってくれよ…神様。
このまま、悲惨な結末なんて…誰ひとり望んでいないよ。
コンコン…
「藤森さん、支度済みましたか…?今なら一緒に出られますけど、どうしますか…?」
そんな森山氏の声に我に返った俺は、乱暴に涙を拭って、自分のコートを手に持った。そして、まもちゃんのバイオリンを胸に抱えて、書斎のドアを出た。
「行こう!行こう!」
そう言ってケラケラ笑いかけると、彼はクスッと笑い返して、こう言って来たんだ。
「昨日の交響曲…。あれは、凄かったですね…?」
「あ~はは!ほぼ、豪ちゃんの独壇場だったね?あの子の情景が、オケにも伝わっていたみたいな一体感だった。きっと…あの子自身も驚いただろうね…?」
あの子の事を引きずる様子もなく…普段通りに話しかけてくる彼に、俺は普段通りにそう返した。
彼は、別れを受け入れたのかな…?
だとしたら、こんなにあっさりと…気持ちを切り替えられる物なのかな…?
それとも、俺と同じ様に…ポーカーフェイスなのかな…?
そんな思いを感じながらコートを羽織った俺は、伏し目がちに靴を履く森山氏をジッと見つめた。
すると、彼はそんな俺の視線に気が付いて、首を横に振りながらこう言ったんだ。
「…あの子は、そんな情景の伝達を…剛田なんて呼んで卑下してた。まったく、意味が分からない…!」
剛田…!!
「ぷぷっ!」
そんな森山氏の言葉に、俺は思わず吹き出し笑いをしてしまった。
豪ちゃんは、自分の思い描いた情景を…相手の頭の中に叩き込んでくる。
例えば、俺がお花畑を想像して演奏していたとしよう…
そこへ、あの子は土足で上がって来て、お花畑をキラキラの星空へと変えてしまうんだ。その情景の鮮明さは…ただただ衝撃的で…俺は、つい一緒になって、星空を見上げて弾き始めてしまうんだ…
そんな強引さを…あの子は、自分で“剛田たけし”なんて呼んでるんだもん。
わらけちゃうよね。
…そして、昨日、分かったんだ。
それは周囲へと、どんどん伝染して行くんだって。
まるで情報を共有する様に、オーケストラと情景を共有して一体感を作り上げた。
その時の音色の勢いと、情緒の高まりと言ったら…無いよ。
まるで、巧みにミキシングされた様に、音の幅が広がって行くんだ。それは、今まで練習してきた中で、きっと一番の広がりを見せた事だろう。
「…あの子は、奏者の腕を高めてくれる。もっと行けるって…教えてくれるんだ。」
ジッと目に力を込めて…俺は、森山氏を横目に見てそう言った。すると、彼は瞳を細めて微笑んで、こう返したんだ。
「えぇ、そうです…」
理久が骨抜きになる訳だ…
あの子は、一緒に合奏をする奏者の手を取って…もっと高みへとガイドをしてくれる。
マジもんの音楽の天使だ。
きっと、理久も…そんな場所へと連れて行って貰ってるんだ。
だから、あの子を…心酔してる。
「あ…まただ…」
ふと、そんな声を上げた森山氏は、携帯電話をチラッと見てポケットにしまった。そして、俺を見てこう言ったんだ。
「昨日から、連絡がひっきりなしに来るんですよ…。きっと、オケの誰かがあの子の話をして…それを股聞きした人が興味を持って…俺に聞いて来るんだ…。」
あぁ…
俺は苦い顔をしながら森山氏の車に乗って、運転席に座った彼に言った。
「…理久も、同じ目に遭った…。でもね、あなたが言っただろ…?豪ちゃんは強いって。だから、もう…あの子を隠す事は止めたんだ。これからは…押せ押せで行くって決めたからね…。森山さんも、言ってしまって良いですよ?あの子は、木原理久の元に居る…豪ちゃんだって。」
そんな俺の言葉に、森山氏はクスッと笑って俺を見つめた。
「藤森さん、まるで、豪ちゃんのプロデューサーか、マネージャーみたいですね?ふふっ!あっはっはっは!!」
馬鹿笑いを始めたダークサイドをジト目で睨んだ俺は、首を横に振ってこう言った。
「中途半端に掲げるんじゃない。もっと…高く、上まで飛び立たせて、誰にも手の届かない場所まで…行かせるんです。そうすれば、あの子は…金持ちにも汚されないし、消費しようとしてくる者の手にも届かない。…俺はね、そんな高さまで、あの子を飛ばしてやりたいんですよ。」
すると、森山氏は、急に真顔になって…俺に聞いて来たんだ。
「…その後は…?」
そんな彼の言葉に、俺は目に力を込めて…こう言い切った。
「唯一無二の…バイオリニストにするんだ…!」
「あ~はっはっはっは!」
再び馬鹿笑いをした森山氏は、ハンドルを離して…俺を抱きしめた。そして、ゲラゲラ笑いながら涙を落として…こう言ったんだ。
「俺も…!俺も…そう、そう思ってたぁ!意外だぁ!あなたと意見が合うなんて!」
何だよ…抱きしめたりするなよ…
良い匂いがして…キュンしたじゃないか…!!
彼は、相変わらず…人妻を惑わす男の様だった。
そんな動揺をポーカーフェイスの下に隠して、俺は運転席の彼にこう言った。
「…あなたが作曲家を続ける限り、あの子には…また、会えますよ。」
それは、ほんの少しの探りだ…
豪ちゃんと正式にお別れを済ませたのなら、こんな言葉を掛けられたら…感慨深くなるに決まってるからだ。
しかし彼は、ニッコリと微笑んで、少し頷くだけだった…
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「幸太郎…?見てぇ…?貰ったのぉ。素敵でしょ?」
僕は首に下げて貰ったペンダントを幸太郎に見せてあげた。すると、彼は僕の髪をハムハムと食みながらこう言ったんだ…
「シャンプーの匂いがいつもと違う!俺は、いつもの奴の方が好きだったぁ!」
惺山は、あの時使った…兄ちゃんの美容室のシャンプーを好きになったみたいで、未だにあれを使っていたんだ。
だから、僕は嬉しくなって…2回も髪を洗っちゃった。
だって、兄ちゃんを思い出したんだもん。
「僕の兄ちゃんのお店のシャンプーだよぉ?」
首を傾げてそう言った僕は、幸太郎と一緒に、再び揺れの激しい飛行機に乗り込んだ。
…毎年、8月15日に…あの場所で…
そんな言葉を、そんな約束を、僕は糧にし始めている。
モヤモヤが消えたら…また一緒になろう…
そんな言葉を、そんな約束を、僕は…期待を込めて、信じてしまっている。
じゃなかったら、こんな風にヘラヘラと笑ってなんて居られない…
馬鹿だな…
ほとほと、自分が嫌になってしまうよ。
僕は、そんな後悔を胸の奥にしまって…フカフカの椅子に腰かけた。
すると、隣に座った幸太郎が、僕を上から覆い被してこう言って来たんだ。
「…豪、愛してるよ。」
へ…?!
「キャッキャッキャッキャ!」
ケラケラ笑った僕は、幸太郎の頬を撫でてこう言った。
「ありがとぉ~!お利口なワンちゃんだねぇ?飛行機も飛ばしてくれて、幸太郎は…凄い出来るワンちゃんだったぁ!お家に帰ったら、沢山クッキーをあげるねぇ…?」
幸太郎は、初めこそ駄目犬だったけど、最近グングンと良い犬になって来てるんだ。
僕は、これを成長なんて呼ばないよ?
彼は必要だから、そうしている…つまり、順応したんだ!
誰にって…?
僕にかなぁ…
僕は、いつもの様に…幸太郎の頭を両手でグリングリンと撫でまわしてあげた。すると、彼は、お腹を見せて、僕の膝に寝転がってこう言ったんだ。
「豪…もっと、ナデナデしてよぉ…!」
「ふふっ!はいはぁい…!」
僕は膝の上に幸太郎を寝かせて、お腹を両手でナデナデしてあげた。
幸太郎は、僕の為にとっても頑張ってくれたから…きっと、とっても…疲れたんだ。
ウトウトし始める彼の髪を撫でながら、僕は窓の外に目をやって、雲の中を抜けた青空に目を細めた。
…僕は、全然、天使なんかじゃない。
惺山の奥さんになる人に嫉妬をして、産まれてくる赤ちゃんを…見たいとも思わない。
彼の体からモヤモヤが消えたら、離婚すれば良いなんて思ってしまう。
それは…人として、最低な事だって理屈では分かっているのに、僕は…そんな自分の心の奥の声を無視出来ないんだ。
彼が…いつまでも、僕を愛し続けてくれるなんて…信じてしまっているんだ。
惺山という愛する人を前にした僕は、ただの…主観に溺れて目の曇った、馬鹿になるんだろう。
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