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#95~#96

#95 「やぁ~!森山先生!おはようございます!私、○×雑誌の記者をしております!○○と申します。もうすぐコンサートを開かれるとお聞きして…伺いに参りました!本日は、インタビューの…アポイントを取ろうと出向いて来たのですが、先生は…マネーシャーさんなど…あっ!そちらの方がそうですか…?」 ホールへ向かう途中…これで、3回目だ。 突然、取材の申し込みを受けて…俺がマネージャーだと勘違いされる。 これで、3回目なんだ。 やんなるね! だから、その度に、俺はこう言ってやってるんだ。 「…ふざけんな!俺はバイオリニストの藤森北斗だ!」 事務所にも音楽団体にも、マネージメント会社にも所属していない森山氏は、広報用の窓口を持っていない。だから、こうして、直談判の様に取材の雑誌記者が声を掛けてくるんだ。 しかし、こんな風にメディアの取材を受けるほど、彼の認知度は…正直高くない。 音楽業界に身を置いている人ならつゆ知らず、パブリックに、大衆向けに、雑誌なんかに取り沙汰される様な作曲家じゃないんだ。 なのに、急に、彼の周りが騒々しくなった。 その原因は…ただ、ひとつ。 雑誌記者は森山氏を伺い見る様に首を傾げながら、こう言った、 「あの…木原先生の元で、今、話題になっている…バイオリニストの少年と、お知り合いなんですか…?彼が…今回の交響曲のソリストを務めるとか…?そうなんですかね…?」 やっぱり… これも…3回目の質問だ。 すると、森山氏は、鬱陶しそうに眉間にしわを寄せてこう答えた… 「ソリストは、藤森北斗さんです。彼は、海外で成功を収めた“孤高のバイオリニスト”です。日本では活動されていなかったから、ご存じないかもしれませんが…素晴らしいバイオリニストの方です。」 これも、3回目の回答だ。 俺は良いよ…?だって、その度に褒めて貰ってるからね。 悪い気はしないさ… 「森山さん、マネージャーを付けた方が良いかもしれないね…?」 ホールに向かいながら俺がそう言うと、彼は肩をすくめてこう言った。 「…人と足並みを揃えるのは、正直、面倒臭いです…。1人が気楽で良い…」 はは…! 本当…陰キャのダークサイド…妙な色気のある男だ。 俺は、森山氏の顔を見上げてこう言った。 「多分…もっと、大騒ぎになると思うよ?豪ちゃんの名前は、日本では認知度は低いけど…海外の情報通には知れ渡ってる。あの子がここに来て、オケと一緒に演奏したなんて話題…理久に弾かれた資産家が聞いたら、こぞって話を聞きたがるだろう。」 そんな俺の話を、眉を上げて聞いていた森山氏は、驚いた様に目を丸くしてこう言った。 「…そんなに?わぁ、凄いな…」 何を今更!! 俺は、トンチンカンな言葉を発した森山氏の背中を一発引っぱたいて、彼を更に恐怖の渦へと落としていく言葉を伝えたんだ。 「あの子は、まだ…全てをさらけ出していない状態で、ここまで注目を浴びている。もし、あの子の耳コピの才能が知れ渡ったら…それは、より加速して、音楽界を激震させるだろう…。あの才能は、ある意味…あの子の諸刃の剣だ。羨望の眼差しを受けるか…嫉妬の対象になるか…」 声を潜めてそう話すと、森山氏は急にケラケラ笑ってこう言ったんだ。 「それこそ…そんな感情も抱けない位に、高い場所まで飛び立たせてあげれば良いんだ…!羨望も嫉妬も要らない。だって、次元が違うんだから…。そんな感情自体、抱く事がおこがましいんですよ。」 おこがましい…? 確かに…豪ちゃんは、スタートラインも、曲の覚え方も、音色の紡ぎ方も、全て…他の人と全然違う。言うなれば、全然勉強をしてこなかった馬鹿が、東大のテストで100点を叩き出しているのと同じ状況なんだ。 でもね…あの子は、優しくて…感受性の豊かな子… そんな自分の存在が、他の相手に与える影響を知って怖がってるんだ。 それを証拠に…自分の事を”剛田“なんて呼んで、持て余しているんだからな! …なのに、目の前の森山氏は、まるで自分の功績の様に、得意げになって”おこがましい”なんてぬかしやがったんだ…! 「…おこがましくなんて無い。だって、同じステージに立つんだからな…。」 首を横に振った俺は自分の椅子にバイオリンケースを置いて、まもちゃんのバイオリンを取り出しながら、腑に落ちない顔で調弦を始めた。 森山惺山… お前のダークサイドの一面、しかと見たぞ… 失恋の痛みにとち狂ったのか…? あの子の才能で、威を借るな。 足元をすくわれるぞ… -- 「豪ちゃん…俺のネクタイは…ネクタイ…」 先生は、いっつも、自分のネクタイの場所が分からなくなっちゃう… 僕は、自分のブラウスのボタンを留めながら、先生の寝室へ行って…彼のクローゼットの中を覗き込んだんだ。 すると、先生は、僕の首からぶら下がったネックレスを手のひらで受け止めて、こう聞いて来た。 「…何、これ?」 「ん…?貰ったんだぁ?見てぇ?ほらぁ…!」 僕は、そう言いながらロケットを開いて、中にしまってある写真を先生にこっそりと見せてあげた。 「…」 顔を歪めた先生は、僕の惺山の顔を指で弾いてこう言ったんだ。 「仏頂面だなあ~!俺なら笑顔で撮るけどねえ?」 「関係無いじゃん…」 僕はバッサリと先生のコメントを切り捨てて、彼のネクタイを手に持って、白いシャツの襟を立てて…グルっと回して掛けてあげた。 「先生?笑顔の人が良い人な訳じゃないよぉ…?そして、怒ってる顔の人が悪い人の訳でも無いんだぁ…。」 そう言いながらネクタイを締めてあげると、先生は、僕のお尻をモミモミしながら、ふざけた顔をして…こう言ったんだ。 「…分かったぁ!」 ん、もう…まったく! 今日はギフテッド支援団体の大きなパーティーで、幸太郎とアンサンブルってやつをするんだ。だから、いつもより…僕は綺麗に髪をとかした。 「…ん、この前…イリアちゃんがやってくれた時は、とっても綺麗になったのになぁ…。自分でやると…グチャグチャになっちゃうぅ…!」 僕は、腕をプルプルさせながら…鏡の前でブツブツと口を尖らせた。すると、先生がやって来て…僕の髪をとかしてくれたんだ。 「ん…引っ張んないでぇ!上手にとかしてよぉ…!痛いの、やなのぉ!」 僕が地団駄を踏んで怒ると、先生は眉を顰めてこう言った。 「丁寧にやってるよ…乱暴に扱う訳無いだろ?」 ふんだ、ふんだぁ! 僕は…自分の髪を持て余してる…!! 全然上手くとかせなくって、イライラしちゃったんだぁ… 「ほらぁ…先生は、上手だからぁ…こんなにサラサラになったぁ…」 自画自賛する先生を鏡越しに見つめながら、僕は自分の髪が綺麗にとかされて行く様子に、やっと、心を落ち着けて…にっこり笑って言った。 「本当だぁ…!先生は…テクニシャンだねぇ?」 「ぐほっ!」 吹き出した先生を見つめたまま…僕は鏡の前で、自分の蝶ネクタイを付けて、角度を調節した。 ピンポン… 準備を整えた先生と一緒に、僕はお迎えに来た車に乗り込んだ。 膝の上には…惺山のバイオリンと、トトさんのバイオリン。 「…豪ちゃん、今から言っておくよ。心づもりをしておきなさい。君は時の人だ。沢山の人が君と話したがって、沢山の人が君のバイオリンを聴きたがっている。それは、もしかしたら…君の望まない状況を生み出すかもしれない…。そんな時は、どうするの?」 僕の手をギュッと握った先生は、確認する様に僕の顔を覗き込んで聞いて来た。だから、僕は、彼の瞳を見つめたまま、手を握り返して…こう答えたんだ。 「…ほっくんの、真似をするぅ…」 いつも、どんな時でも…凛としろ。 ほっくんが、僕に教えてくれた…自分の身を守る言葉… 動揺して、取り乱して、自分を見失わない様に…僕は、その言葉を実践しているんだ。 …不思議と、ほっくんの真似をすると、僕の心は平静を保つ。まるで、彼の自信を身に纏った様に、背筋が伸びて、堂々としていられるんだ。 だから、僕は…ひとりじゃ乗り越えられない時は…バイオリンの神様、ほっくんの力を借りてる。 「よし…」 先生はそう言って頷いた。そして、僕と繋いだ手を自分の膝の上に置いて、窓の外を見つめて…小さくため息を吐いたんだ。 僕のこの剛田の才能は、みんなの注目の的… それは、先生の予想を上回って…一時は彼をも飲み込んで翻弄した。 だからこそ…僕がしっかりと、自分の舵を取らないといけないんだ。 いつも、どんな時でも…凛としろ。 その言葉には、そんな意味も含まれているんだ。 そうだよね…ほっくん。 惺山に聞かせる為だけのバイオリンは…いつの間にか、他の人に聴かせる物へと形を変えて行った。 それなのに…僕の”楽しい”と思う気持ちは、変わらなかった。 だとしたら、僕が、ここに…先生の傍に、居る理由になっても良いのかもしれない。 直生さんが言ってた… バイオリンが好きじゃないという割に…バイオリンが好きみたいな事を言うって。 僕は、本当は…バイオリンが、好きなのかもしれない。 自分の”楽しい”を伝えられる…自由に飛び回る事の出来る…そんな、魔法の楽器…バイオリンが、僕は…好きなのかもしれない。 #96 「豪ちゃんの話を友達がしつこく聞いて来るんだけど…ただ、凄かった。としか、感想が言えないんだよなぁ…。」 「えぇ…?私も~。何年も連絡してない人から電話が掛かって来て、豪ちゃんって、どんな子だったの…?なんて、しつこく聞かれて…ただ…めたくそ可愛かった。としか、言えなかったんだよねぇ…」 そんなバイオリニストたちの話を小耳にはさみつつ…俺は、妙に余裕ぶった顔をする森山氏を見つめながら…未だに燻る思いを抱いていた。 おこがましい… 俺や、その他の…長年音楽に携わって来た者たちが、あの子の演奏に、嫉妬や…羨望の眼差しを向ける事が、おこがましい…? 解せない考え方だ。 まるで…俺たちに、豪ちゃんを使ってマウントを取ってるみたいじゃないか。 解せないね… 森山氏。あの子は、自分がどんな存在なのか…気付き始めてるよ。 苦労して、努力して、死に物狂いで頑張って、登りつめた。…そんな奏者を尊敬して、敬って、自分が隣に立つ事を、申し訳なく感じて…躊躇していた。 なぜなら、自分の才能が…彼らの全てを否定する物だって、分かって来たからだ。 なのに、あんたときたら…それに恍惚の表情を浮かべて、薄ら笑いなんてして… ねえ。 あの子は、あんたのそんなダークサイドに、気が付いてるのかな? 虎の威を借る狐みたいに、豪ちゃんの才能を自分の物の様に誇示して、ふんぞり返るあんたを見たら、あの子は…どう思うのかな? 「では…今日は、ここまでで…」 森山氏はそう言って、眼鏡を外してケースにしまった…。 そして、そそくさと自分の胸ポケットにしまうと、腕まくりした袖を直しながら俺を見て言ったんだ。 「藤森さん、帰りますか…?」 そんな彼を見つめた俺は、バイオリンをケースにしまいながら頷いて答えた。 「…うん。帰るよ?」 沸々と沸いては溢れてくる苛立ちをポーカーフェイスの下に隠して、俺は彼と共に、一緒に帰路につくのであった… 「仕上がりは上々…後は、本番を待つばかりですね。豪ちゃんと共演したのは、ある意味オケには良かったかもしれない…。情景が整った気がするんですよね。藤森さんはどう思いますか…?」 流ちょうに話す森山氏を横目に見ながら、俺は肩をすくめてこう言った。 「雑誌の記者が押し寄せて来たね…?きっと、あなたは注目される…。多分、チケットは完売。立ち見の客も出るかもしれない…」 すると、彼は首を傾げて気の抜けた声でこう言ったんだ… 「…立ち見…?」 森山惺山…お前の正体は、何だ? あの子の第一発見者…あの子の愛する人…そして、死にかけの作曲家… そんなお前は、何の目的で、あの子を理久に預けたんだ… 俺は、それをずっと…愛だなんて思っていた。 持て余したあの子の感受性を解き放つ為に、あの子を自由にしてあげる為に、音楽界の巨匠…木原理久に預けたんだと思ってたんだ。 でも、今朝のあんたから…全く、別の感情が垣間見えたんだよ。 それは…俺達、音楽に従事して来た者たちを、馬鹿にするような、嘲笑う様な…そんな蔑んだ感情だ。 俺の言葉に興味が無さそうに、顔を上げた森山氏は、星なんて見えない東京の空を見つめてこう言った。 「あぁ…オリオン座だぁ…」 …知らんがな! この男は…なんだか、妙だ。 仏頂面の下に、色々な感情が渦巻いているんだ。 それは、今朝感じた鋭さを持った物から…豪ちゃんに見せる穏やかで、愛に溢れた物。そして、今目の前で、馬鹿みたいにケラケラ笑う屈託のない物まで、幅に富んでいる。 あの子とお別れを済ませた筈なのに、落ち込むどころか…理久に嫉妬を向けて、あの子の事を平気な顔をして話しているしな… 変な男だ。 「森山さん。今や、豪ちゃんはちょっとした有名人だ。そんなあの子と知り合いだなんて言ったら、きっと…あちこちから注目されますよ?いい機会だから、雑誌の取材も受けたら良いのに…」 俺は自然に…ナチュラルに…森山惺山の性根を探る様な言葉を発した。 すると彼は、俺を残念そうな瞳で見つめて…こう言って来たんだ。 「藤森さん…あの子を変な事に利用しないで下さいね…?」 はぁ…?! お前だろうがよっ!! 眉を思い切り上げた俺は、心の中でそんな突っ込みをしながら彼をギロギロと見つめてみた。 そんな俺に、森山氏はため息を吐いて、首を横に振りながらこう言ったんだ。 「あの子には…欲が無いんですよ。上手くなりたい。一番になりたい。そんな欲が無い。あの子が、バイオリンを弾き続ける理由はひとつ。俺が喜ぶから…。だから、商用利用なんてしないで…そっとしておいてあげて下さい。」 そんな森山氏の話に、俺は十分に納得なんて出来なかった。 だから、こう言ったんだ。 「あの子は、耳コピが出来るでしょ…?豪ちゃんは、その事を酷く気に病んでいた。…ほら、あなたも言ってたじゃないですか。豪ちゃんが自分の事を、剛田みたいだって…卑下していたって。あの子はね、そんな耳コピの才能が…怖いんだ。」 「は…?」 来た… 目を点にした森山氏は、俺を凝視したまま顔を固めてこう聞いて来たんだ… 「…どうして?」 どうして…?そりゃ… 「だって…何時間も、何日も、何年も掛けて確立した相手のメロディを、言葉を選ばないで言えば…盗むんですよ…?優しいあの子なら、気に病んで当然じゃないですか…。怖がって当然じゃないですか…。」 反応を見せた森山氏に、俺は、やっと手ごたえを感じた。 彼は、あの子の諸刃の剣である残酷な奇跡…”耳コピ”の才能に、何か特別な思いを寄せている様だ… 俺の言葉に解せない表情をした森山氏は、首を傾げてこう言った。 「確立したも…くそも無い。ただの旋律だ。そのままコピーして覚える訳でも無いのに…藤森さんも、他の奏者も…いちいち大げさに考え過ぎなんですよ。それにね…豪ちゃんは、いっつもいっつも悪い方に悪い方に考える癖があるんだ…。あの子は…根が暗いから…」 何だと…?! あっけらかんとそう言った森山氏をジト目で見つめた俺は、助手席に乗り込んでしばし…考え込んだ。 ただの旋律…? 「…え、いや…俺は、一曲に最低でも1か月はかけるよ…?」 思わず、運転席の彼を覗き込んでそう言った。 すると、森山氏は俺を見下ろして、ため息を吐いてこう言ったんだ。 「えぇ、でも…だからって…それがすぐ出来る人を弾く理由にはならない。羨望の眼差しを向ける理由にも、嫉妬する理由にもならない。なぜなら…そんな物には意味がないからだ。長い時間続けても、子供の頃から続けても、駄目なものは駄目なんですよ。」 はぁ~~~~! 「ば…ば、ば…ばっかぁ~~~ん!」 俺は…森山氏に、特大のばっかぁん砲をお見舞いした… グーで、彼の左の二の腕をぶん殴ってやったんだ…!! 「いたぁ!」 そう言って顔を歪めた森山氏は、驚いた顔をして俺を見てこう言った。 「…暴力反対!」 何だとぉ!! 「そんな事、言わせないぞ!あんたが言った事は…俺を…俺の存在を、否定してる事だぁ!許せないぞ!!訂正しろっ!!」 俺は…あったまに来た。 俺の血と汗と涙を…軽々しく、否定されてたまるかよっ!! 意味がないだと…?! 譜読みをして、音符を追いかけて、思った様に演奏が出来るまで…何時間も、何日もかけて取り組む事が…意味がないだと?! 頭に血が上った俺は、運転席の森山氏の髪をひっつかんで引っ張りながら言った。 「謝れっ!俺に、俺に謝れっ!!」 すると、彼は簡単に俺の手を掴んで、助手席に座らせ直してこう言ったんだ。 「でも…事実だ!子供の頃から楽器を弾き続けて、嫌だって思った事は無いですか?長く続ければ良い…幼い頃から続ければ良い…そんな下らない固定概念が、どれだけの芽を潰したと思いますか…?訳も分からず、目的も分からず、ただただ、ハノンを弾かされ続けて…音楽の楽しさも気付けないまま…遠のいた人がどれ程いると思いますか…?」 そんな彼の言葉に、俺は目力を込めて…こう言った。 「そんなの!根性無しだぁ!途中で諦める…もともとからの負け犬だったんだよっ!」 「それだ…」 ため息を吐いてそう言った森山氏は、俺を横目に見つめてこう言い放った。 「音楽は…音を楽しむもので…競争する物では無い。誰かが決めた正解を、気取って弾く事が…音楽じゃないんだ…!」 なぁんだっとぉぉぉ! 「うっせんだぁ!ぶす!」 俺はそう言うと、森山氏の横っ面にパンチして、足で蹴飛ばしてやった。 すると、目を吊り上げた森山氏は、俺の手を掴んで凄んでこう言ったんだ。 「豪ちゃんは、音を楽しんでいる!あの子こそ…音楽を本当に楽しんでいる!そんなあの子の存在自体が…あなた達を、否定するでしょう!到底、真似できない。到底届かない。そんな存在を目にした時…あなた達は、やっと気付くんだ。今までの全てが…無駄だったって…!」 きーーーーーー!! 「ばっきゃろ!ばっきゃろ!」 俺が助手席で飛び跳ねて怒ると、森山氏はケラケラ笑いながら続けて言った。 「どうしてそんなに怒るんですか…?図星だからでしょう?痛い所突かれたんでしょう?もう…認めてしまったら楽になるのに…。輝く才能を前にしては、長い事続けていれば誰でも手に入れられる技術なんて、糞の役にも立たないんだ!」 「豪は、そんな風に思ってない!豪は、あんたみたいな、糞みたいな考え方はしてない!あの子は…とっても、優しい子だぁ!そして…そして、俺を一番素晴らしいバイオリニストだって言ってくれたぁ!」 悔しくて…俺は、泣かずにはいられなかった…! 力み過ぎて…喉の奥が痛くなっても、怒りに体が震えても、俺は、森山氏を睨みつけたまま…こう言った。 「あんたは…幸太郎と同じ考え方をする!知ってるか…?!豪ちゃんは、そんな幸太郎を“犬”だって言って…躾し直してるんだ。あんたも、首輪を付けて…躾し直してもらう必要がありそうだなぁ!森山惺山…!あんたがどうしてそんな糞みたいな考え方に至ったのか…俺は知らない!でも…決して…二度と、俺や、その他の者を侮辱するな!」 すると、彼は表情を変えて…にっこりと微笑みかけて、俺にこう言った。 「…侮辱なんて…そんなつもりは無かった。ただ、真実を述べたまでですよ。誠に申し訳ありません。言葉に気を付けます…」 そして、強く掴んでいた俺の手を離して、運転席に座り直したんだ… そんな森山氏の態度にあったまに来た俺は、思いっきり彼の体と頭をボカスカと殴って言った。 「豪ちゃんに言うからな!お前がクズだって…豪ちゃんに言うからなぁ!」 「あっはっはっは!どうぞ…どうぞ…。でも、事故に遭うから…運転中は殴らないでくださいね。あっはっはっは!」 なぁんて奴だぁあ!! 豪ちゃんの愛する惺山は…糞みたいに性格の悪いダークサイドの陰キャだった…! しかも、あんなに怒鳴り散らしてぶん殴って来た俺を、どこかに放る訳でも、置いて帰る訳でもなく…律儀に自分の家に連れて帰るんだもんなぁ…! 頭が、おかしいとしか思えない! そんな俺のドン引きなんて気にしないみたいに、森山氏は車を走らせ始めた。そして、おもむろに…こう聞いて来たんだ。 「そう言えば…藤森さん、買い貯めておいたご当地カップラーメンがどんどん無くなって行くんですよ…。どこに行ったか…ご存じないですか…?」 くそっ!! お、俺の胃袋の中だぁ…!! 「…さ、さあ…知らないなぁ…」 「広島のラーメンを楽しみにしていたのに…無くなってるんですよ。広島、長崎…長野、青森の煮干しラーメンまで…喜多方ラーメンが無事なのが救いです…」 喜多方ラーメン…?! 何だよ…そんなのあったなんて…気が付かなかった。 和歌山ラーメン以外は、全部守備範囲なんだ…。 よし、今晩…早速探して、頂いてしまおう。 「へえ…フォルテッシモが、た、食べたのかなぁ…」 俺は、声を裏返しながら…誤魔化してそう言った… すると、彼は、クスクス笑って、言い改める様に…静かにこう言ったんだ。 「…すみませんでした。あなたに、恨みがある訳では無い…」 ふん… …あんたが、抱いている不満や、解せない気持ちはよく分かったよ… 豪ちゃんも…そんな事を言っていたからね。 「負け犬っていうのは…困難に立ち向かわずに逃げる人の事を言う。誰かの主観で順位を決められた人が偉い訳じゃない…それにふるい落とされた人が悪い訳でもない。ただ、誰かの主観が決めた事じゃないか…そんな物に価値があるなんて思わない。」 つまり、一貫して…あの子と、森山氏の考えは一致しているという事か… でも…そんな社会で生き抜いて来た俺たちに…どうしろというんだよ。 今更、どうしろと言うんだよ… -- 「木原先生…!お噂はかねがね…!あぁ…!この子が…!例の…」 先生とパーティー会場へやって来た。 それは、屋外にある、緑の美しい…庭園だった。 寒空の下…僕は、コートのポケットに両手を入れて、先生の腕に頬を埋めて体を温めていた。 頭の上にはピンクと白の大きなバルーンが飾ってあって…フランス語で何かが書かれていた。 こんな子供が喜びそうな装飾をしているのに、肝心の子供の姿は…今日も無い。 「豪…!」 「うげ…」 別に嫌いじゃないんだ…でも、反射で、そう言っちゃった… 僕は、声のした方をおずおずと振り返って、彼女に手を振って言った。 「…イリアちゃぁん、やっほぉ!」 「全く…!この前は大丈夫だったの…?本当、馬鹿なんだから…!」 僕は、難しい話を続ける先生から離れて、第二の保護者…イリアちゃんと手を繋いだ。そして、噴水の前に一緒に座って…水の流れて行く様子を眺めたんだ。 「チョロチョロ…だってぇ…ふふ、チョロチョロ…」 「豪…?東京にいる森山惺山が、あんたの恋人なの…?」 僕の顔を覗き込んで、イリアちゃんがそう聞いて来た。 …恋人… だから、僕は首を横に振って…こう言ったんだ。 「…違う。違うよぉ…?友達なんだぁ…」 すると、彼女は頭の上に飾られたバルーンを眺めながら、こう言った… 「あんたが、そいつの交響曲をオーケストラと一緒に弾いたって…話題になってる。豪…?あんたは話題の人なのよ?みだりに誰かと合奏しては駄目。理久先生が良いって言った人としか、しては駄目。理由は分かる…?」 僕は…そんな優しい声で話しかけて来るイリアちゃんを見つめて、首を横に振った。すると彼女は、眉を下げてため息を吐いて言ったんだ。 「…あんたは…危ない男なのよ…?誰よりも美しい音色を紡げる。そして、一度聞いただけの曲を、見事に情緒を込めて弾く事が出来る。それは、普通の人には出来ない事なの…。」 「…えぇ…?危ない男ぉ?」 僕は、カッコ良いパワーワードを拾って…少しニヤけて、興奮気味にイリアちゃんに聞き返した。すると、彼女は呆れた様に首を横に振ってこう言ったんだ… 「…馬鹿ね。そういう”人と違う事“を出来る人は…それを見せる相手を見誤ると、大変な目に遭うのよ…?」 そんな彼女の言葉に、ニヤけた顔を止めた僕は…噴水の水面に目を落として…苦い顔をした。 知ってる… その事は、よく知ってる… 僕はシュンと背中を丸めて、噴水の水面をジッと睨みつけた。すると、イリアちゃんはそんな僕の背中を撫でながら、こんな話を聞かせてくれたんだ。 「あたしは…バイオリンが普通の人より、上手に弾ける。その程度の特技でも、いろんな人があたしの周りにやって来た。物珍しそうに奇異の目で見たり…それ以外取り柄が無いんでしょ?なんて言われたり…。人って言うのは…どうも、対象になってる人の心情なんてお構いなしに、自分の欲求を満たしたがる生き物の様で、あたしは、そんな扱いを受けて…酷く落ち込んだ。」 あぁ…僕と、同じだ… 僕は、イリアちゃんの手をそっと握って、彼女を見つめて言ったんだ。 「…もう、大丈夫だよ…?」 すると、彼女はクスッと笑ってこう言った。 「大丈夫じゃない…。これからこの特技であたしは生きて行かなきゃいけない…。だから、神経を研ぎ澄まして…この人が良い人なのかどうか、見定めなければいけない。人を疑ってかかる事は…案外、辛い…。でも、そうしないと…自分が傷つく。あの子の方が上手だった…大した事なかった…もっと、出来ると思った…そんな言葉を囁かれて、傷付く…そんな目には遭いたくない。」 そんな事を話しているのに…彼女の表情は、穏やかで、柔らかかった… …僕は、分からないよ。 どうして…普通の人と違うだけで、こんなにも生き辛くなってしまうのか… 分からない。 「豪?あんたはその”人と違う事“が他の誰よりも、音楽に異常に特化してるの。だからこそ、理久先生の言いつけを守る必要があるの。どんな人が傍に寄って来るのか分からないからね…?彼は、そんな人に、あんたが傷つけられない様に…守ってくれてる。」 ギフテッド… 特異な特技を持った人…それは、異常に普通の人の関心を買って、雁字搦めにするみたいだ。 「豪…おいで、俺と一緒に行こう…?」 いつの間にか現れた幸太郎は、イリアちゃんの頭をポンポン叩いて、体を屈めて僕の顔を覗き込んで来た。そして、首を傾げるとケラケラ笑って言ったんだ。 「なぁんで…そんな、難しい顔をしてるの。」 何で…? それは、きっと…ムカついたからだ。 人と違う事は、誰にも言ってはいけない… そんな、幼い頃の自分の直感は、的を得ていた。 だとしたら… 僕はイリアちゃんの手を握って、彼女の顔を覗き込んで凛々しく目に力を込めて…こう言った。 「イリアちゃんも、僕も…ギフテッドじゃないよぉ?ただの、感受性の強い子だよぉ?特別でも、何でもない。ただ、楽器を使って表現する事が得意なだけだよ?それに集まって来る…誰かの主観に、囚われてはいけない…!彼らはそんな型に僕たちをはめて、評価してくるんだ。でも…そんなの糞くらえだ!僕は…そんな主観、大嫌いだぁ。」 そうだ…! 僕は、驚いた様に目を丸くするイリアちゃんに、続けてこう言った。 「人に…自分の価値を決めさせてはいけない…。君は、幸せになる為に産まれて来たんだ!だから、そんな下らない主観に惑わされる必要なんて無いんだ。鼻で笑って…バイオリンを弾いて、音楽を楽しめば良い。」 そんな僕の言葉にケラケラ笑う幸太郎を無視して、僕はイリアちゃんをギュッと抱きしめて…ユラユラ揺らしながら、こう言った。 「…人と違うだけで生き辛くなる理由なんて…どこにもない。どこにも…無いんだぁ。だから、イリアちゃんも…自由になって良いんだ。上も下も無いし、良いも悪いもない。形の無い物を評価する事なんて、誰にも出来ない。これは真理だ。だから、僕と一緒に、ただ音楽を楽しんで過ごそう…?」 すると、彼女は…僕の胸に顔を擦り付けて…グスッと鼻を啜って言った。 「…ほんと、豪は…馬鹿だね…」 「…ん、僕はぁ…危ない男だよぉ…?」 鼻息を荒くした僕は、イリアちゃんの震える体をギュッと抱きしめて…フォルテッシモの様に胸を張った。

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