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#114

#114 時は過ぎて…3月。 それは、12カ月間続く1年で言えば…3つ目の月。しかし…学期で言うならば、1年の終わりの月だ。 「まもちゃん…いよいよだね…」 「あぁ…!北斗!いよいよだぁ…!」 俺とまもちゃんは、本日…無事に上棟式を迎えた。 それは、新しく木造の家を建てる時行われる、お祝いのような物だ… 豪ちゃんの雄姿を知った理久は、あの子を諫めはしたが…怒りはしなかった。 何でも…カルダン氏を足で踏ん付けていたとか…引っ叩いていたとか…物騒な言葉の羅列が耳に入ったが…俺は、そんな剛毅な豪ちゃんに、少しだけ…人間らしさを感じたのも事実だった。 素直で、純真で、無垢な天使… そうじゃないあの子の一面は、がっかりする所か…実に、魅力的だった。 あの子は、理久に…自分をこれ以上守るなと言ったそうだ。 自分のせいで、あなたの大切なものが…失われるのが嫌だって、そう言ったそうだ。 やっぱり…あの子は理久を愛してる… それは、惺山に思う思いとは違うかもしれないけれど…理久は、あの子の、正真正銘の特別になれたんだ。 報われない愛を胸に抱き続ける理久の思いも…少しは、浮かばれるんじゃないかって、俺は…正直嬉しかった。 そんなワチャワチャを経た後… 豪ちゃんは、理久、直生、伊織を引き連れて…予定通り、大富豪のポール・ド・マルタン氏に会いに行った。 すると、豪ちゃんは、すぐに彼の娘に気に入られたそうだ。 あの子の可愛い見た目が…ティーンの女の子の心を鷲掴みするんだろう…。生殖能力よりも…マスコットキャラ的な存在として…所謂“KAWAII”んだそうだ… そんなご息女に求婚されたあの子は、いつもの様に…とぼけて誤魔化した様だ。 あの子を知れば知る程に、自分を偽って生きて来た…そんな惺山の言った言葉がしっくりくるよ。 おどけて、とぼけて、やり過ごして…そんな事を繰り返していたら、いつの間にかそんな子になってしまっていたんだ。 きっと…たまに見せる鋭利な眼差しと剛毅な心、怖いもの知らずな俺様な気質は、あの子の隠して来た…本当の姿なんだろう。 それは、あの子の叩きつけて来る…情景と、よく似た強引さだ。 つまり、豪ちゃんでも…演奏には本心を隠せなかったって事なんだ。 …惺山は、例の女性と結婚を果たした。 風の噂では…奥さんは既に子供を身ごもっていて、今年の10月には生まれる予定だそうだ。 これらの情報は、本人から聞いた訳じゃない。 雑誌の記事に書かれていたんだ… 去年の12月に行われた彼のコンサートで、惺山は評価を一気に上げたんだ。 破天荒な指揮者として…名を馳せて、未だに、雑誌では特集なんて組まれる始末さ。 そんな彼の記事に…こう書かれていたんだ。 …病弱な妻を献身的に支えながら、自分らしく音楽を楽しむ…作曲家… 豪ちゃんは、もちろん…こんな事知らないよ。 理久は、知ってても…言わないだろう。 彼にとっては、森山惺山は…あの子を自分から奪って行く、白馬の王子様だからね。 ぶっちゃけ、死んだ…以外の話を、聞きたくない所だろう。 そんな回想が終わると同時に、粛々と上棟式が終わって、骨組みの組まれた新居を見上げながら、まもちゃんが感慨深く言ったんだ… 「理久先生…太っ腹だなぁ…!」 「はは…あのお金は、貰った訳じゃない…。これから、返して行かなきゃ駄目なんだよ。しっかりしてくれ…まもちゃん!はは…はははは…」 俺は、乾いた笑いをまもちゃんに向けながら、同じ様に2階建てになる新居を見上げて、感慨深い思いに浸っていた。 「先生…?ほっくんのお家を作ってあげてぇ…?」 「なぁんで!」 始めこそ渋っていた理久だったが、あの子に鼻の下を撫でられたり、優しく微笑まれたり、ギュッと抱きしめて貰ったり…を繰り返していたら、いつの間にか小切手を切って…俺に3000万円を貸してくれたんだ。 これで、俺は直生と伊織にお金を借りなくても済む事になった… しかし、何割かは贈与してくれたって良いと思ったのに…理久は、利息を付けない事を条件に”貸す“と言って、聞かなかったんだ。 だから、俺も…渋々、了承したさ… 毎月、理久に返済するけど…住宅ローンを銀行で組む事を考えたら、金利のかからない分…大分恵まれている筈だ。 「おぉ…!出来て来たねぇ!良いじゃないのぉ…!」 そんな声を掛けて来たのは、お隣の写真館の息子…のりちゃんだ。 彼は、フォトグラマーをしていて、点々と海外を旅しては、エッセイなんて出して小銭を稼いで生活している…所謂、自由人だ。 「のりちゃぁん!見てくれよぉ!俺の建てる家をぉ!」 びた一文出していない癖に…護は威勢良くそう言った。 そして、親友の、のりちゃんの肩を組んで、彼と一緒に骨組みを見上げながら、感慨深げにこう言ったんだ。 「また…お隣さんだ!…よろしくなぁ!」 すると、のりちゃんは呆れた様に首を横に振ってこう言ったんだ。。 「ははっ!ほぉんと、お前は、北斗に甘えっぱなしだな!」 その通りだ… そんな、大人になり切れていない男たちの背中を眺めて、俺は両腕を組んで…仁王立ちしながら思った… 去年の今頃…俺は、バイオリンの音色が上手く出せなくて…落ちに落ちていた。 でも…今は、こんな風に…新しいスタートを切ろうとしている… あの子に出会った…お陰だ。 「わぁ…ここは、何が出来るんだぁ…!」 そんな声に振り返った俺は、高身長のイケメン君を横目に見て教えてあげた。 「あぁ…ここはね、音楽教室と、バイオリン工房が建つんだよ。お兄さんも、興味があったら遊びにおいで…?」 すると、高身長のイケメンは、ケラケラ笑ってこう言ったんだ。 「へぇ~!バイオリンかぁ。豪が喜びそうだなぁ!」 は…?! 俺とまもちゃんは、高身長のイケメンを見つめたまま…目を丸くした。 「…ご、ご、ご、豪ちゃんを、知ってるの…?」 フルフルと震える声でまもちゃんがそう尋ねると、高身長のイケメンは、胸を張って偉そうにこう答えたんだ… 「あいつは…豪は、俺の弟だ!」 はぁ~~~~~~~~~!! 足場の中からダッシュして来たまもちゃんは、豪ちゃんのお兄さんの手を掴んで、何度も頭を下げながら、媚びへつらった。 「お兄さぁん…お世話になってます!豪ちゃんには、本当…お世話になりっぱなしで、はい。あ…はぁい!」 「…俺、豪ちゃんと…友達だよ。あの子が…大好きなんだ。」 未だに驚いたままの俺は、ポカンと口を開けて…目の前のイケメンを見上げた。 すると、彼は俺をジロッと見下ろして…聞いて来たんだ。 「あいつ…ちゃんとやってますか…?たまに来る手紙には、俺の…体臭の事しか書いてなくて…」 え… めたくそイケメンやん。 俺は、伏し目がちに項垂れた豪ちゃんのお兄さんの長いまつげに、すっかり…うっとりと、見惚れてしまった。すると、彼は怪訝な表情を浮かべて、首なんて傾げて来るもんだから…可愛くって、俺は、デレデレと鼻の下を伸ばしてしまった… 「やってるよ…しかも、凄い出世してる!あの子は、話題の人になってる!」 「えぇ…?!本当に?!」 惚けた俺を無視したまもちゃんは、豪ちゃんのお兄さんに、あの子の事を少し盛ってペラペラと話して聞かせてあげた。 豪ちゃんは、どうやら、お兄さんにきちんと近況を報告していないみたいだ… 「…惺山は、元気ですか…?まだ、離れて暮らしてますか…?」 惺山… そうか…豪ちゃんのお兄さんも、彼の事を知っているのか… 俺は、そんな彼の問いかけに、動揺をポーカーフェイスの下に隠して、首を傾げてこう言ったんだ。 「ん…?その人は…知らないなぁ…」 「はぁ…そうですか…。ったく…どうなったのか、連絡ぐらい寄越せってんだ…!」 豪ちゃんのお兄さんは、顔をしかめながらそう言って首を横に振った。 そして、当然のような顔をして、まもちゃんを見つめて言ったんだ。 「コーヒーの安い喫茶店も作って下さいよ。そしたら、休憩時間…来れるじゃないか!」 勝手に決めるなよ… そう思ったのは、俺だけじゃなかったみたいだ。 まもちゃんは引きつり笑いをしながら豪ちゃんのお兄さんにこう答えていた。 「やんないよ…飲食店は、やんない!」 しかし…豪ちゃんのお兄さんは、そんな言葉も聞こえていない様子で、ケラケラ笑って…軽井沢の街へと消えて行ったのであった… 「…豪ちゃんの兄ちゃん、めたくそイケメンだった…!!可愛かったぁ…!!」 俺は、ついつい興奮して、よだれを垂らしながらまもちゃんにそう言った。すると、彼は首を横に振って呆れた声を出したんだ。 「全く…人の話聞かない兄弟なんだな…」 確かに… でも、モデルさんみたいに…スタイルの良い、イケメンだった。 豪ちゃんは言ってたな… うちの兄ちゃんは、すぐに彼女を作らない事にしたんだって… なぁんだよ…! 俺と出会うって…分かってたの…? 年下のイケメンなんて…ご褒美でしかない! しかも、あの勝手気ままな感じが…お兄さん心をくすぐるじゃないかぁ! 我儘な年下の男に、振り回されてみたい… そんな、感じた事も無かった感情を、俺に芽生えさせてくれたんだ…。 「護~!家建ったら、一番風呂に入らさせてくれよ~!」 そんな、のりちゃんの意味不明な言葉に適当に頷いた俺とまもちゃんは、呆然とする頭を抱えながら、車に乗って…自宅へと戻った。 -- 「先生?あれ弾いてぇ…?」 「良いよ…」 フランスに来て…1年が経った。 でも、僕は相変わらず…先生の隣に座って、彼がピアノで弾いてくれる“I Wish”を聴きながら、鼻歌を歌っている… こんな毎日を送って…もう、3月。 惺山が求めた…唯一無二のバイオリニストになんて、近付いている気がしないよ。 止め時を見誤った僕は、彼に手紙を送り続けている。 でも…返事は来ない。 きっと…多分、僕の事なんて…忘れてしまったんだ。 …それを悲しいとは思わない。 だって… 「先生…?惺山は…生きてるぅ…?」 僕は、先生の顔を覗き込んでそう尋ねた。すると、先生は眉をあげてこう答えた。 「あぁ…生きてる、生きてる!…ピンっピンしてる!」 ほらね… こうやって、彼の生存を確認出来るから…悲しくなんて無い… 彼が生きているのなら…それで、良いんだ。 エリちゃんへの復讐を果たした僕は、直生さんと伊織さん…そして、先生と一緒に、ポール・ド・マルタンという人に会いに、彼のお城へと行ったんだ。 でも…その前に、僕は…彼らに思いきり叱られる事となった… エリちゃんの所へ特攻を仕掛けたと知った直生さんたちは、見た事も無いくらい…僕を叱ったんだぁ…。 腕を組んで僕を見つめる先生を、恨めしそうに見つめながら…僕は、彼らのお説教を受けた… 「豪ちゃん!こ…こ、こんな事…絶対にしたら、駄目だ!」 そう言って顔を赤くする直生さんに、僕は先生に言った時と同じ様に…胸を張って、こう言い返した。 「僕は、強いんだぁ!じ…自分で、自分を守れるぅ…!みんなは、僕の見た目と、話し方で…馬鹿だと思ってるけどぉ…、僕はぁ、強いんだからぁ!」 すると、彼は、眉を顰めて…口を思いきり一文字にした。 言葉で表現するなら…ムッとした顔…とでも言うのかなぁ…彼はそんな顔をして、僕を睨みつけたんだ。だから、僕は伊織さんに抱き付いて、甘ったれてこう言った。 「こわぁい!」 すると、伊織さんは、僕の顔を覗き込んで…直生さんと同じ表情を向けて言ったんだ。 「豪ちゃん…!もう二度と、あんな事をしないって約束しなさい!」 えぇ…?! 先生が、あの動画を、彼らに見せたんだ… 僕がエリちゃんに引っ叩かれて…泣き真似をして、暴れて、襲われている動画を見たんだ。 だから、とっても…怒ってる。 「…あぁするしか、なかったんだもん…」 僕は、しょぼくれた顔をしてそう言った。 「あの動画を使って…カルダン氏を脅したんだ。…これ以上、俺の仕事を潰すなと…脅す為に、ひとりで…うっ…!ううっ!ばっきゃろなんだぁ…!!」 先生はそう言いながら、乱暴に落ちてくる涙を拭ってた… すると、直生さんは僕の顔を見つめて、唇を震わせながらこう言ったんだ。 「…も、もう…止めてくれ…!!…気が気じゃない!あんな事…もう、二度としないって言ってくれっ…!そうじゃなかったら、俺は豪ちゃんを連れて帰って…縄で縛って、どこにも行けなくするぞっ!」 えぇ…?! 「ん、やぁだぁ…!」 僕は地団駄を踏みながらそう言った。すると、伊織さんは、僕をギュッと抱きしめてこう言ったんだ。 「…だったら、もう…二度とあんな真似はしないって…俺と直生に約束してくれ…!」 「だってぇ…ん、僕はぁ…あったまに来ちゃったんだもん…」 真剣な表情のふたりに挟まれた僕は、バツが悪くなって…俯きながらそう言った。 「好きなんだよ…」 直生さんはそう言うと、僕を、伊織さんと一緒に抱きしめて、悲しい涙を落した。 その涙を見たら…僕は、胸の奥がチクリと痛くなって…すぐにこう言ったんだ。 「…ごめんなさいぃ…もう、絶対に…しないって、約束するぅ…」 そして、彼の目元の涙を指先で拭って…悲しみに震える唇に、そっとキスをした。 「直生さん…ごめんなさい…。僕、もうしないよ?約束するぅ…!」 すると、そんな様子を見ていた伊織さんが、鼻息を荒くしながら言ったんだ。 「…伊織さんにも、約束しなさい。豪ちゃん…!」 だから、僕は伊織さんにもキスをして約束をしたんだ。 僕の特攻に…彼らが、こんなに怒ると思わなかった… だから、少しだけ…ビックリしたんだ。 そして一緒に訪れた、ポール・ド・マルタンさんのお城は、小高い丘の上に立った…難攻不落の実用性を兼ね備えている、マジもんの城だった。 僕は、そこでバイオリンを弾いたんだ。 見晴らしの良いテラスからは緑の山と…海。そして…眼下に広がる街が見えた。そんな圧巻の光景を眺めながら、僕は気持ち良く…“愛の挨拶”と、“椰子の実”なんて、日本の歌をバイオリンで弾いた。 直生さんと伊織さんが、チェロで一緒に弾いてくれたんだ。だから、僕の音色は…空まで高く上がって…伸び伸びと、羽ばたいて行った… ポールさんは、僕を大層気に入ってくれた様で、自分の娘と結婚をした方が良いよって言って来たんだ。だけど、僕は…そんな気にならなかったから、丁寧にお断りしたんだ。 美味しいご馳走を頂いて、一泊、お泊りまでさせて貰った。 でも、僕の人生で初めての天蓋付きのベッドは、豪華すぎて…落ち着かなかった。 だから…テラスに出て、華美なまでに星が煌めく…美しい夜空を眺めていたんだ。 すると、偶然通りがかった直生さんが、僕の背中を温めてくれた。 「どうしたの…?寝れないの…?」 そんな落ち着いた彼の声にクスクス笑った僕は、そっと体を委ねながら、天を仰いで言った。 「星が…うるさすぎるぐらいに、たっくさんあるね…」 まるで、彼と一緒に上げた…きらきら星の様な夜空に、僕は潤んでしまいそうな瞳を堪えながら、星たちを凝視した。 すると、直生さんは、僕を抱きしめてユラユラと揺れながら、こう言ったんだ。 「…ポール・ド・マルタンさんに気に入られたら、豪ちゃんは…もう、安全だよ。あんな事もする必要もないし、理久も安全だ…。もう、せこい嫌がらせを受ける事も無いだろう。」 「…分からないよ…」 直生さんの言葉に、僕は天を見上げながらそう言った…そして、首を伸ばして彼を見上げた。 「…どうして、こんな事をする必要があるのか…。どうして、僕がもてはやされるのか…分からない。どうしてバイオリンの音色を聴きたいが為に、あんなにも醜くなるの…?」 すると、直生さんは僕のおでこにキスをしてこう言った。 「…珍しい物、貴重な物、尊い物、それは…価値を生むんだ。そこらへんに落ちている石じゃない。キラキラと光る石があったら…豪ちゃんだって、欲しくなるだろう…?」 え… 「うん…光るなら、かっちょイイから、欲しくなるぅ…」 僕は、そう言って、直生さんの胸に頭を擦り付けながら体を返して、両手で彼に抱き付いた… 「…君は、そんなかっちょイイ…光る石なんだ。だから、みんな欲しがる。でも、大切にするとは限らないんだ。粗末に扱って…光る石を壊してしまうかもしれない。」 直生さんはそう言いながら、僕の髪をかき上げて…頬を優しく包み込んだ。そして、僕を見つめて、こう言ったんだ。 「だから…大切に出来る偉い人に渡して、言うなれば…博物館に納めて貰うんだ。みんなはそれを見る事が出来るけど…触れる事は出来ない。価値が分かって…大切に扱える…限られた人しか触れられない場所で、守って貰う。」 ふぅん… 「…ポールさんは、僕を、守ってくれる…?」 僕は、月明かりに照らされる…直生さんを見つめながら、彼の手に頬ずりしてそう尋ねた。すると、彼は僕を強く抱きしめて…こう言ったんだ。 「…守ってくれるよ。俺も…守ってあげる…」 わぁ…! 「ふふぅっ!やったぁ…!」 クスクス笑った僕は、直生さんの胸に顔を埋めて言った。 「ベッドが大きすぎて、ひとりで寝られないの…。一緒に寝てくれるぅ…?」 すると、彼は僕の髪に優しくキスをして、ギュッと強く抱きしめてくれた。 部屋へ戻る途中、伊織さんに出会った僕たちは、彼も仲間に加えて…3人で一緒に寝たんだ。そして、大きな体のふたりに挟まれた僕は、やっと…安心して、眠る事が出来た。 彼らは、やっぱり…優しい人たちだった! そんな事を思い出した僕は、首にかけた先生のサックスを口に咥えると…スティービーワンダーの“Sir Duke”のイントロを吹き始めた。 すると、先生はケラケラ笑いながら僕に合わせてピアノを弾き始めた。そして、英語で歌を歌いながらこう言ったんだ。 「豪?これは…君に、ピッタリの曲だ!」 そんな先生の体にもたれた僕は、サックスで伴奏を吹きながら、体を揺らして喜んで見せた。 バイオリンの音色と違って、サックスの音は最高に痺れるんだ。 それは、頬っぺたも、唇も一緒にね…? 吹き過ぎた後なんかは…僕は、ほっぺたがつりそうになる事があるもん。 でも、それはお肌の老化予防には良いんだって…先生が言ってた。 嘘か本当化は分からない。 だって…僕はまだ16歳なんだ。 「今度、ニューオリンズへ行こう…?きっと、豪とセッションしたら、ジャズマンが喜ぶ!はっはっは!」 先生は、そう言って僕の首からサックスを取り上げると、ケラケラ笑いながら書斎へと戻ってしまった。 僕は、テラスの向こうで楽しそうに蝶々を追いかけるパリスを見つめて、僕と変わらない…ずっと同じの彼女の姿にため息を吐いた。 先生は、相変わらず忙しい毎日を送ってる… お仕事で音楽院へ行ったり…パーティーに出席したり、誰かの演奏会に赴いては、進路や先の事についてアドバイスをしたり…こうして家にいる間は、書斎にこもって…たまに出て来ては、僕にピアノを弾いてくれる。 いつ、お休みしてるんだろうね…? ふと、僕は、惺山のバイオリンを首に挟んで、ほっくんから貰った弓を当てた。 そして、“愛の挨拶”を弾き始めたんだ。 この弓で弾くと、とっても滑らかに音色が音階を移動していく気がするんだ…だから、大好き… 僕は、来週にソリストのお仕事を控えてるんだって。 そんな話を…昨日の夜、先生から聞いた。 僕はびっくりしたよ… だって、ほっくんは1カ月くらい惺山の交響曲をオーケストラと練習していたのに、僕は1週間前に聞かされただけなんだもの。 酷い…!って…少しだけ思った。でも、先生は言った。 ほっくんは他の部分も演奏していたから、合同練習に多く加わったんだって…僕は、ソロだけだから…そんな風にしないんだって。 「へぇ…」 僕はそんな言葉を呟いて…瞳を閉じながら“愛の夢”をバイオリンで弾き始めた。 惺山… あなたはどうしていますか…? 僕は、バイオリンを弾いています。

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