＃１１５ ４月… まもちゃんは店を閉じた。 長年のご愛顧を感謝して、最終日には、ビールをワンドリンク無料で付けていた。 そんな余韻が冷めやらない中…彼は、こんな話を持ち掛けて来たんだ。 「北斗…北斗…」 「なぁに？まもちゃん…」 ベッドの中で、俺を後ろから抱きしめたまもちゃんが、モゴモゴと口ごもって言い辛そうに話し始めた… 「ねえ…ねえ…あのさぁ、軽食だけ出す…喫茶店ってのも、悪くないかもしれないね？」 は…？！ 俺は思わず眉を顰めたね。 後ろを少し振り返った俺は、まもちゃんを見上げてこう聞いてみた。 「…お店閉じたから…寂しくなってるんだよ…今だけ。」 「…はは。ははは…そうかなぁ…」 まもちゃんは眉を下げてモゴモゴとそう言った。だから、俺は彼を振り返って…大きな体に抱き付きながら頬ずりして、念を押す様に言ったんだ。 「バイオリン職人になるんだろ…？」 「…ん、うん…うん…。でもぉ…喫茶店位なら、ほらぁ…出来るかなって…コーヒーを出すだけだし…健太も、コーヒー飲みたいって言うし…」 健太… まもちゃんはいつの間にか、豪ちゃんのお兄さん…健太と仲良くなっていた。 定期的に新居の進捗状況を確認しに現場へ向かっているまもちゃんは、その度に…彼とくっだらないおしゃべりをしていたんだ… 「まもちゃん、バイオリン作りながらコーヒーを出す店にしてよ！」 健太は、傍若無人だった…。 特に、まもちゃんにあたりが強かったんだ。 そんな彼に、こんな無茶ぶりをされたまもちゃんは、何故か…もじもじと体を捩らせてこう言ったそうだ。 「えぇ…？！だから、飲食店はもう…やらないんだってぇ…！」 すると、健太は眉を顰めてまもちゃんを見つめて、鼻からため息をついて言った。 「…なんで？俺が、困るだろ！」 どういう事だよっ！ 俺はその話を聞いた時…すぐに、そう突っ込んだね。 でも、何故か健太に弱いまもちゃんは…もじもじと体を揺らしてこう答えたそうだ… 「…そうなのぉ？」 すると、健太はまもちゃんの肩を抱いて、こう言ったそうだ… 「ここをどこだと思ってんだよ？まもちゃん。観光地の軽井沢だ…！休憩時間に入る店は、どこもお高いんだ。惺山は言ってた…デートには惜しみなく使えと…。休憩時間はデートじゃない。だから俺は節約してコーヒーを飲みたいんだ。しかし、そんなお手軽な値段でコーヒーを飲める店が無い！じゃあ…もう…これは、まもちゃんがやるしかないだろぉ！」 そして…そんな無責任な健太に吹き込まれたまもちゃんは、今更、喫茶店を開こうか…なんて言って来たみたいだ…。 豪ちゃんの兄貴は…とんでもない、護クラッシャーだった… あの強引さと、男っぽさが…ノリが悪いと思われたくない男の微妙な心理を突いて来て、ジワジワと護の退路を断って行くんだ。 「…俺が今度、健太に会った時…ハッキリ言ってやるよ。ふざけんな！って…」 「ん…北斗ぉ、駄目だよぉ。俺、今度…健太にカットしてもらう約束したんだもん…」 何してんだよっ！ すっかり健太に手玉に取られたまもちゃんは、彼の顧客にでもなったのか、カットに行く日を楽しみにしている様に、自分のクルクルの髪を摘みながらこう言ったんだ。 「ツーブロックにしてもらおっかなぁ？ねえ…北斗ぉ、どんな髪型が良いと思う？」 そんなまもちゃんのウキウキした声を聞きながら、俺は瞼を落として、眠りについた… そうだ、豪ちゃんに手紙を書こう… お前の兄貴の取扱説明書を寄越せと、書かないとな。 そして…次の日… 現場の進捗状況を確認する為に、俺は職人たちが忙しなく働く建設現場へとやって来ていた。 「北斗！惺山の事、何か分かった…？」 すると、そんな声と共に…例の、健太がやって来たんだ… まただ… この兄弟は、揃いも揃って…傍若無人なんだ。 健太は無言のままの俺の肩を強引に抱いて、顔を覗き込んでこう聞いて来た。 「思い出してよ。惺山って…聞いた事ない？」 そんな彼のまつげは…長くて、キラキラした瞳は…あぁ、イケメンだった！ だから、俺は鼻の下を伸ばして、健太の胸を少しだけ撫でながらこう言ったんだ。 「…知らない！」 あぁ…若い体だぁ…！キャッキャッ…うふふ！隆起してるぅ！隆起してるぅ！ すると、健太は訝し気に眉を顰めて、俺を煽り見てこう言ったんだ。 「えぇ…？北斗は、本当にバイオリニストなの？」 はぁ？ ムッとした俺は、それでもイケメンの健太の前ではポーカーフェイスを保ったまま、こう言ってやった。 「俺は”孤高のバイオリニスト“藤森北斗だよ？お前の弟の豪ちゃんは、俺が世界一だって言ってた。ん、もう…！ばっかぁん！って…言ってたもんね！」 すると、健太は寂しそうに少し笑ってこう言った。 「豪…変わらないな…」 そして、自分の携帯電話を取り出して、豪ちゃんと惺山の写った写真を俺に見せながら、こう聞いて来たんだ。 「この…豪の隣の、仏頂面の男…これが、惺山だ。見かけたら…教えてくれ。」 「この人が…どうかしたの…？」 俺は健太にそう聞いた。 彼はそんな俺の言葉に、首を傾げてこう答えた。 「…ただ、生きているか…知りたいんだ。豪が…必死に守った命が、どうなったのか知りたい。そして…こいつは、俺の兄貴みたいなもんだからな。…気になってるんだ。でも、こいつは…いっくら連絡をしても、返して来ないんだ！」 あぁ…惺山… お前、健太にも愛されてんだな… 「…見かけたら、教えるよ…」 「うん…よろしく頼むよ。尋ね人だ…」 そう言うと、健太はケラケラ笑って自分の店へと向かった… 便りが無いのは元気な知らせ…そんな言葉、嘘っぱちだ。 惺山…俺はともかく、健太や豪ちゃんには、連絡を返せよ…馬鹿野郎。 そんな苛立ちを感じながら、俺は新居の出来を下から見上げた。 俺とまもちゃんの新居は、外観はすっかり出来上がって、今は内装の作業をしている… 「この、キッチンどこだっけぇ…？」 「１階だぁ…！」 そんな、内装屋さんの声に首を傾げた俺は、目の前を運ばれて行く…アイランドキッチンを目で見送りながら、手元の見積書を見つめた… 何だ…あれ…？ 何で俺のお教室に、アイランドキッチンが運ばれて行くんだ…？ プップ～～！ そんな時…突然鳴り響いたクラクションの音に振り返った俺は、バイクに跨ってヘルメットを外したオジジが、笑顔で新居を見上げている姿を見つけて、満面の笑顔になった。 「オジジ～！」 「大分出来たなぁ～～！」 嬉しそうに笑う彼は、この土地の再建に…すっかり前向きだ。 こうしてたまに来ては、彼も、進捗状況を確認してるんだ。 「北斗！これ、お前にやろう！」 オジジはそう言うと、自分のリュックの中から、紙に包まれた大きな物を手渡して来た。 「なぁに…これ？」 首を傾げてそう言った俺は、紙の包みを開いて、思わず…ニッコリ笑った… あぁ…！ 「素敵じゃないか…！ありがとう！オジジ！」 それは、俺のお教室…グランシャリオの看板だった。 バイオリンと同じ板を使って作られた看板は、バイオリンの形をしていて…そこには…“Grand Chariot”と書かれていた… 「はっはっは！楽しみだなぁ！俺も老後はここで暮らそうかなぁ…」 そんな事を口走ったオジジは、颯爽とバイクに乗って去って行った… 馬鹿野郎。 老後じゃなくても、ここに帰って来れば良いんだ。 全く…素直じゃない親子なんだ…！ 呆れたように首を横に振った俺は、素敵な看板を両手で掲げて、出来上がった外観の新居に合わせて、にっこりと笑った。 -- 「ニューオリンズ楽しかったね…？パリスゥ…！」 僕は、1カ月ぶりに家に帰って来た… 先生と、パリスと一緒に…ニューオリンズって言う所に行っていたんだ。 そこは、小粋なジャズの街だった。 先生がとっても楽しそうだったのが、僕は嬉しかった。 僕のサックスは、ジャズマンたちに気に入られて…一緒に何曲も演奏をしたんだ。 特に、先生と一緒に演奏した“Blue Moon”は最高にキマったと、僕は、自負してる。 「はぁ～！また行こうねぇ！また行こうねぇ！」 ご機嫌な先生は、僕をギュッと抱きしめてユラユラと揺れた。 僕は、そんな先生に抱き付き返して、彼を見上げて…こう聞いたんだ。 「先生…？惺山は、生きてる…？」 「…生きてるよ。」 そうか… 良かった… ニューオリンズで、素敵なポストカードを手に入れて、それを彼に送ったんだ… “元気です。” たった一言、そう書いた… でも、家に帰って来ても…返事など来ていなかった。