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#116
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8月…
グランシャリオが…完成した。
俺とまもちゃんは、新居に引っ越しを済ませていた。
「はぁ~~~!北斗~!お風呂に入って来るよ~~!」
ずっとシャワー生活だったまもちゃんは、お風呂にお湯を張って入浴剤を入れて入るのが、日課になった様だ…
ウキウキ気分で、バスタオルを持って浴室へとスキップして行った。
俺は、ビールを片手にノートパソコンと睨めっこをしながら、来週から始まる音楽教室グランシャリオのお問い合わせに答えていた。
“看板には、カフェ、グランシャリオ…と書かれていますが、本当にバイオリンを教えてくれるんですか…?”
そんな、お問い合わせに、俺は項垂れながら回答を打って行った…
“平日の昼間までカフェとして営業しますが、夕方以降は、音楽教室として営業しております。体験コースもございますので、ぜひ一度、遊びにいらしてくださいね。”
「はぁ…」
まもちゃんは、結局、カフェ案を捨てきれなかった。
オジジが作ってくれたグランシャリオの看板に…“Café”なんて文字を、勝手に彫って、知らぬ間に…付け足していたんだ。
彼の言い分はこうだ…
1階に設けたお教室エリアは、予測する生徒数に対して広すぎる。
だから、入り口を二つ設けて…片方は、お教室用。そして、もうひとつは、自分のカフェ用にして、お教室が始まる夕方前まで軽食とコーヒーを出したらどうか…?
そうすれば、理久への月々の返済も楽になるんじゃないの…?
との事だ…
もちろん、裏に作った工房で、バイオリンは作るとは言ってる。
でも、やっぱり…彼は、お客さんを相手にする飲食店が、好きみたいだ。
まぁ、良いさ。
店舗兼住宅のグランシャリオは、屋上付きの2階建て、木造住宅。でも…見た目はビルのような長方形の建物だ。真っ白の外観に、少しの木を張り付けた…お洒落な見た目は、軽井沢の街に良く溶け込んでいた。
お教室になる1階は、ウッドデッキのアプローチを経て、少しの階段を上って、木で作られた扉の入り口から入る。
窓を沢山つけた室内は、日当たりの良い…空間となった。
そこには、まもちゃんのアイランドキッチンの他に、グランドピアノ一台と、チェロ…コントラバス…子供用の、小さなバイオリンが置いてある。
受講生は既に、3歳クラスに5人…4歳クラスに2人、小学生のクラスに8人、中学生のクラスに4人、大人のクラスに12人と…大所帯となっている。
それもこれも、森山惺山のソリストを務めて、話題をかっさらったのが大きかった。
だって、俺は、今や音楽雑誌に取り上げられる様な彼の交響曲に、初めてソリストとして立ったバイオリニストだもんね…。
それは、子供の内からバイオリンを習わせたい…そんな意識の高い、アンテナの立った保護者にとっては、目につく箔だったんだ。
惺山さまさまだ…
“惺山、健太が…心配してる。”
そんなメールを送ったのは…何カ月前か…
返信は、依然、来ないままだ…
その徹底的な無視振りに、あの子の事を忘れてしまったのか…と、不安になる時があるよ。
でも、きっと…葛藤の最中に居るんだろうと推し量って、俺はそれ以上しつこく連絡をする事はしなかった。
だって…彼は、雪の進軍の真っただ中なんだ。
…豪ちゃんの願い通り、誰かと結婚して…子供を作って、晴れてモヤモヤが消えた時、あの子を迎えに行くつもりなんだ。
そうだろ…?惺山。
「あ~~!あっつい夏に、あっつい湯船に入るのって…最高だぁ~~!」
お風呂から上がったのか…浴室から、まもちゃんの歓喜の声が聴こえて来た。そんな彼の言葉にクスクス笑った俺は、窓の外を見つめて…ポツリと呟いた。
「…豪ちゃん…」
あの子がくれた天使の置物は、お教室の中に飾ってある。
音楽の神様に愛されたあの子にそっくりな天使に、これから育って行く才能を見守って貰うんだ…
俺は、君が…幸せになるのなら、それで良い。
今は辛くとも、いつか…一緒になれる。
そうだろ…
--
8月15日…彼と会う約束の日…
「…ただいまぁ…」
僕は、故郷の村に帰って来た。
1年ぶりに訪れた自分の育った村は、まるで知らない所へ来たみたいに…見慣れた景色も、変わってしまった景色も、違う場所の様に見えた。
そんな中をトコトコと歩いて進んだ僕は、晋ちゃんの商店の前で、アイスを頬張る大ちゃんを見つけたんだ。
「大ちゃ~~ん!」
僕はそう言って大ちゃんへ向かって駆け出した。
すると、彼は僕を見て、ギョッと目を見開いて、晋ちゃんのお店に逃げて入ったんだ!
「…ん、なぁんだぁ!ばっかぁ!」
僕は眉を吊り上げながらそう言って、晋ちゃんのお店の中に入った。
そして、僕を見て目を大きく見開く大ちゃんに、こう言ったんだ!
「大ちゃん!僕の事…忘れたのぉ!」
すると、彼は突然大笑いをして、僕を強く抱きしめてゲラゲラと笑いながらこう言った。
「可愛い女の子かと思ったぁ~~~~~!なぁんだ、豪ちゃんだったぁ!」
どういうこと?!
僕は頬を膨らませて、地団駄を踏みながらこう言った。
「ん、もう…!ばっかぁん!僕だぁ!僕なんだぁ!」
「うわぁ~~~~~~!豪ちゃ~~~~ん!!」
すると、店の奥から晋ちゃんが出て来て、僕を見てゲラゲラ笑いながら、大ちゃんと一緒に抱きしめてくれた!
「みんなぁ!元気だったぁ…?!」
僕は、流れて来る涙を手の甲で拭いながら、みんなにこう言った。
「惺山がぁ…清ちゃんのお家を買ったって言ってたからぁ…遊びに来たんだぁ。」
「…ったく!来るなら来るって…言えよなぁ!」
そんな大きな声を出した清ちゃんが、商店の入り口で、僕を見つめながら涙を落とした。
だから、僕は、清ちゃんに手を伸ばして、ケラケラ笑いながらこう言ったんだ。
「ん、来たぁ~~~~~っ!」
すると、清ちゃんは、大ちゃんと晋ちゃんと一緒に、僕をギュッと抱きしめてくれた!
うわぁ~~~~!
すっかり嬉しくなった僕は、体を揺らしながらグスグスと鼻を啜って喜んだ。そして、足りない彼を思い出して…みんなに聞いたんだ。
「…てっちゃんはぁ?」
「仕事だよ!」
大ちゃんはそう言って、僕の髪を乱暴にボサボサと撫でた。
あぁ…そっかぁ。
てっちゃんはお父さんのお仕事を継ぐから、夏休みなんて関係なく、お仕事をしてるんだぁ…
「会いたかったぁ…!」
僕は、ため息をつきながら眉を下げてそう言った。すると、晋ちゃんが口を尖らせて言ったんだ。
「だぁから、来るなら来るって言えってんだよぉ!そしたら、てっちゃんは仕事をほっぽり出して、ここにいた筈だぜ?まったく!豪ちゃんは、気まま過ぎるんだ!」
ふふぅ…!
僕は眉を下げたまま肩をすくめて、みんなにこう言った。
「ごめぇ~ん!」
だって…僕も、ここに来るまで…ずっと、悩んでたんだ。
会いに行くべきか…行かないべきか…
ずっと、悩んでたんだ…
「大ちゃんは、同学年の女子36人に告白して…36人全員にフラれたんだぜ…?」
そんな面白い話を聞きながら、僕は、みんなと一緒に…惺山が居る筈の清ちゃんの昔の実家に向かって歩き始めた。
「1年で36人って事は、1か月に3人に告白してる事になる…それって、逆にどうなのよ。」
清ちゃんはそう言って大ちゃんの肩をポンポンと叩いた。すると、大ちゃんは首を傾げてこう答えたんだ。
「…みんな、可愛く見えちゃう時があるんだよねぇ…。そして、そんなみんなと、エッチしてる所まで想像しちゃうとさぁ。何か…付き合ってる気になって、告白しちゃうんだぁ。で、フラれた後は、他の子で…想像する…」
それは…非常に、まずいねぇ?
僕は、悪びれる事無くそう話す大ちゃんを、怯えた目つきで見ながら、適当に頷いた…
晋ちゃんの商店の裏にあった僕の家は…潰されて、更地になっていた。
高台にあった僕の畑も潰されて、鶏たちが遊んでいた場所も…綺麗に整地されていた。
その光景に…少しだけ、胸の奥がチクリと痛くなった。
「豪ちゃん、良い服着てるな…?」
「髪…伸びたね?」
「真っ白だ…ちゃんと、日を浴びてるの?」
そんなみんなの声にケラケラ笑った僕は、少しだけ大人っぽくなったみんなを見つめて、わざとおどけて…こう言ったんだ。
「みんなはぁ、変わらないねぇ?」
彼が居る筈の家に着いた…でも、彼は来ていなかった。
車の止まっていない敷地を覗き込んだ僕は、胸に感じる痛みを隠しながら、みんなに笑ってこう言ったんだ。
「…惺山が来るまで…待ってるねぇ…?」
すると、みんなは…いつもの様にケラケラ笑いながら、僕に手を振った。
「分かったぁ~!おっちゃんが来たら、てっちゃんの家に集合なぁ~~!」
来るかな…
そんな、みんなの変わらない言葉に…僕は、首を傾げて答える事しか出来なかった…
僕が到着してから、1時間たっても…2時間たっても…彼は、現れなかった…
誰もいない縁側に座ったまま…僕は、足を揺らし続けて、膝の上に乗せた彼のバイオリンを両手で撫でた。
分かっていたのに、どうしてか…涙が止まらないんだ。
だって、こんなに早く…僕を…忘れてしまうと、思わなかったんだ。
先生に持たされた携帯電話を見つめて、約束した日付を確認して、ポケットにしまった。
既に時刻は、正午を過ぎて…午後の1時になっていた。
「…せいざぁん…」
覚悟していた…
でも、とっても…辛い。
僕は…バイオリンをケースから取り出して、庭先に立つと…かすかに見える湖を見つめながら、首に挟んだ。
そして、細い弓を弦に当てて…“椰子の実”なんて曲を弾きながら、彼を思って彼を待った。
この曲は…歌詞がとっても美しい日本の歌。
故郷を思う旅人が…海岸に流れ着いた椰子の実に、自分を重ねてるんだ…
僕は…そんな曲を、あなたを思って弾いてる。
僕はここに居るよって…そんな思いを乗せて、美しい旋律を途切れさせる事無く、細く長く…繋いだ。
バタン…
すると、車のドアが閉まる音が後ろで聞こえて、こちらに向かって走って来る足音が聞こえたかと思ったら、僕は誰かに後ろから抱きしめられたんだ。
あぁ…
「豪ちゃん…ごめんね。待たせたね…」
そんな彼の声に…僕は泣いていた涙の色を変えて…ボロボロと涙を落としながら、何度も首を横に振って、こう言った。
「良いの…惺山は、良いの…」
そして、振り返りながら…彼の胸に顔を埋めて、鼻に香る…知らない香りに、涙を落した。
彼は僕を大事に抱きしめて、こう言った。
「買い物をして来たんだ…そうしたら、君に作って欲しい物が多すぎて、遅くなってしまった…」
…嘘つきだ…
「…はぁい。」
僕はそう言って彼の胸に頬ずりして、バイオリンと弓を掴んだ両手で彼を抱きしめた。
8月の太陽は、こんなに暑く照り注ぐのに、僕は、体の奥が…少しだけ、冷たくなったのを感じた。
ガタガタと凄い音を立てながら雨戸を開く惺山を庭から見上げた僕は、見た事のある光景にクスクス笑った。
「ふふぅ…見た事あるぅ…」
すると、彼は首を傾げてこう言ったんだ…
「はぁ、思ったよりも…痛みが激しいな。雨戸が開き辛くなってる…。こりゃ、豪ちゃんが来る前に、掃除をしておけば良かった…。」
ヤレヤレと首を横に振りながら縁側に腰かけた惺山に、僕は、すぐに抱き付いて甘えた。
鼻に香るこの匂いは…誰の物なんだろう…
そんな思いがムクムクと胸の中に沸き起こって来るから、僕は、怖くなって…彼を見上げて、引きつりそうな頬を上げて、笑いながらこう言った。
「…ほっくんがぁ、お店を始めたんだよぉ?…ねえ、知ってるぅ…?」
すると、彼はクスクス笑って僕の髪を指でとかしてこう言ったんだ。
「長いね…切らないの…?」
あぁ…
そっかぁ…
僕は首を傾げながら彼の胸に頬ずりして、何も答えなかった。
彼と一緒になるまで切らないつもりだった…
でも、もう…切っても良いかもしれない。
だって、彼は…誰かの愛する人になったみたいだから。
嗅いだ事のない匂いと、見た事もない車…そして、髪をさっぱりと短く切ってしまった彼を見て…僕は、すぐにそう察した。
すると…あんなに、覚悟していた筈なのに、胸の奥がチクチクと痛くなって、堪らなく…ムカついて来るんだ…
どうして、僕の大好きな髪を切ったの…?
どうして、車を変えたの…?
どうして僕と会う前に…誰かを抱きしめたの…?
そんな、どうしようもない感情が、僕の胸を締め付けた。
…きっと、彼は、愛する人と別れを惜しんで…僕を、ここで、ひとり…待たせたんだ。
「さあ…何か作ってみようかな…」
僕はそう言うと、バイオリンをケースに戻して、惺山が買って来たというスーパーの袋を手に持って、縁側から部屋の中に上がった。
軽い袋の重みと、足の裏に感じる埃っぽさに眉を顰めながら、台所へ向かった僕は、変わらない…流しや、レンジに、あの日の光景を思い出して…思わず…涙を落とした。
こんな風に、同じ場所で過ごしたとしても…あの日は、もう…戻らないんだ。
「ふふ…馬鹿みたいだ…」
僕はクスクス笑いながら、袋の中を取り出して…台所の上に出した。すると、彼は首を傾げてこう聞いて来たんだ。
「何が…?」
「この行為がだよ…!馬鹿みたいだぁ!」
僕は声を荒げてそう言って、すっかり家庭的になった彼の買って来た物を放り投げて、眉を顰めて鼻で笑った。
「…豪ちゃん?」
僕の悪態に驚いた彼は、僕の傍に立って、顔を覗き込んで来た。だから、僕は彼から離れて…こう言ったんだ。
「香水の匂いかな…?臭いから、近付かないで!あと、こんな合成着色料の多い物…僕は、食べたくない!家に持って帰ったら良いよ!ねえ…この材料で、僕に何を作って欲しかったの?!全然メニューが思いつかないよ!他の誰かと勘違いしてるんじゃない?!こんなの…僕は…今まで、一度も、使った事が無いよ…!!」
最悪だ…
噛み締めた唇が、痛いのに…僕は、自分を痛めつけながら涙を堪えた。
「…ごめん。じゃあ…一緒に買い物へ行こうか…?」
そんな僕を見つめた惺山は、体を屈めて僕を覗き込んだ。
心配そうに僕を見つめる彼が…堪らなく嘘っぽくて、憎らしくて、わざとらしくて、酷い男の様に見えた…
だから、僕は…顔を歪めて、彼を両手で押し退けて、渾身の力で怒鳴ったんだ。
「…ん、あんた、誰だよっ!惺山じゃない!お前なんて、惺山じゃ…ないっ!!」
そして、驚いたまま固まってしまった彼の体をすり抜けると、自分のバイオリンとリュックを持って、そのまま縁側で靴を履いて…歩き出したんだ。
「豪ちゃん!」
そんな彼の声を背中に聞きながら、知らない黒い車を思いきり蹴飛ばして、僕は町へ向かって歩き出した。
会わなければ良かった…
そんな思いばかり、頭の中をぐるぐると駆け巡った。
タクシーを拾った僕は、そのまま…軽井沢駅へ向かった。
そして、がま口のお財布からお金を出して、真新しい建物の前で降りたんだ。
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