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#126 「うしし…うししし…!」 俺は込み上げてくる笑いを抑えきれずにいた…! 理久の名前は、こんな時にも役に立つ様だ… 彼の名前を出した途端、豪ちゃんは、急に俺の話に耳を傾け始めたんだ。 それだけ…この子にとっても、彼は…特別な存在なんだろう… 妙なふたりは、妙な絆で結ばれて…妙な信頼関係を築いて、妙な愛を育んでいる。 誰にも入り込む隙間の無い…絶妙なふたり組だ。 …良かったね。理久。 お前は、この子の特別だ… それは、きっと…俺でも、惺山でも、入り込めない妙な関係だ。 愛なんて物を凌駕した…特別な絆だよ。 助手席では、背中を丸めた豪ちゃんが、オドオドと窓の外を眺めている。 だから、俺はあの子にこんな話をしたんだ。 「…大吉は、この前…女の子に告白したらしいんだけど、フラれたって言ってた。ふふ!これで、165回目だ!あいつは痩せたらイケメンになりそうなんだけどねぇ…」 すると、そんな友達の話題に、豪ちゃんはクスクス笑ってこう言った。 「大ちゃぁん…変わらないなぁ…ふふぅ。」 反応は…まずまずの様だ。 だから、俺は…こんな話も、豪ちゃんにしてみた。 「哲郎は、お見合いを4回もしてるのに、全然乗り気じゃないって、親父さんがぼやいてたんだ!跡継ぎなんだから所帯を持てって…時代錯誤な事を喚いてた。」 俺がケラケラ笑ってそう言うと、豪ちゃんは、嬉しそうに瞳を細めてクスクス笑った。 「…あぁ、てっちゃぁん!会いたいなぁ!」 会えるよ… お前が、あの時の事を引き摺って…自分の故郷へ帰れなくなった事も、軽井沢にさえ来れなくなった事も、全部、全部…今日でお終いにしようね。 どんどん故郷の村が近付いて来ると…そんな、話題にさえ…豪ちゃんは食いついて来なくなった。 表情を硬くしたまま、不安を拭う様にしきりに撫でるバイオリンのケースは…なんだかんだ言って、惺山の物だった。 「…どうして、トトさんのバイオリンじゃなくて、その子を持って来たの…?」 そんな俺の問いかけに、あの子は…少しだけ首を傾げて小さな声で、こう答えた。 「…ずっと、弾いてない…」 へぇ… 俺と、同じか… きっと、お守り代わりに持っているんだ。 弾きたくても弾けない…でも、傍に置いておきたい…。 そうすれば、まるで、彼が見守ってくれている様な、そんな気持ちになって、少しだけ落ち着くんだ。 それも…今日で、お終いだよ。 豪ちゃん… 惺山の家の前に車を止めた俺は、助手席で固まってしまったあの子を横目に見て、こう言った。 「着いたよ…」 そんな俺の声も聞こえていないのか…豪ちゃんは、俯いたまま…小刻みに震えていた。 可哀想だね… でも、今、帰る訳には行かないんだ。 俺は車から降りて、ガチガチに固まった豪ちゃんを、無理やり外に出した。そして、テラスの方を指さして言ったんだ。 「豪。調弦して…あっちで待ってろ…!」 「はぁい…」 すっかり委縮してしまったあの子は、俺の言葉通りに…バイオリンをケースから取り出して、調弦しながらテラスのある裏庭へとオドオドと歩いて行った… 可哀想だけど…好都合だ。 頭が真っ白になっている今だからこそ…あの強情っぱりに言う事を聞かせられる。 「お~い!せいざぁん!いるかぁ~?」 俺は、開けっ放しの縁側の前に立って、大声を出して彼を呼んだ。 すると、眉間にしわを寄せた仏頂面の彼が現れて、顔を歪めてこう言ったんだ。 「今、やっと…寝た所なんだ。大きな声を出さないでよ…!」 はっ!馬鹿野郎め! 俺はそんな彼の言葉を鼻で笑うと、ピアノが置いてある部屋を指さして…彼にこう言ったんだ。 「ピアノ弾いて…!“きらきら星”…!」 すると、惺山は眉間に寄せたしわを深くして、髪をかき上げながらこう言った。 「…なぁんで…!」 「あの子が来てるんだ…。だから…ありったけの思いを乗せて…弾くんだ!」 惺山はピアノで話す人…あの子は、彼をそう言った。 だったら…まず、彼の音色を聴けば良い。 …会うのが怖いのなら、彼のピアノの音色を聴いて…彼の思いを知れば良いんだ… 俺の突然の言葉に、惺山は言葉を失って、口を半開きにしたまま呆然とした。 でも、すぐに、慌てて踵を返して…ピアノの部屋へ向かったんだ。 そんな彼の背中を見送って、俺は縁側に腰かけた…。そして、夕暮れに染まっていく空を見上げて、ポツリとこう呟いた。 「…惺山。もう一度、お前の音色で…天使を捕まえろ…」 そして…まもなく、聴こえて来たのは…惺山の弾く”きらきら星“だ。 軽やかで、軽快なピアノの音色は、俺には美しい旋律にしか聞こえない… でも 不思議だよね… あの子には…きっと、彼の言葉の様に聴こえるんだ。 -- 「…」 僕は、前にも来た事のあるテラスの死角にしゃがみ込んで、バイオリンを抱えながら俯いた。 夕暮れ時…僕を隠す様に、この家は…影を長く伸ばしてくれている。 こんな事しても…意味なんて無い。 彼に会った所で…僕は、どうしたら良いのか…分からないよ。 でも、ほっくんは、きっと…僕が帰るって言っても、聞いてくれないだろうなぁ… でも…先生が… でも…僕は… 眉を顰めてそんな堂々巡りの考えを巡らせていると…ふと、ピアノが置いてあった部屋に、誰かが入って来た気配がして、僕は息を潜めたんだ。 テラスのカーテンを開いたその人は、椅子を引く様な音をさせて、何かに腰かけた様子だった。 それは、何度も聞いた事がある音… そう、まるで…彼が、ピアノを弾き始める前の様な音だった… あぁ…どうしよう… きっと、彼が居るんだ… 僕がそう思った瞬間、部屋の中から…”きらきら星“が聴こえ始めたんだ。 あ… 「うっ…うっうう…!!ひっく…ひっく…!ううううっ…!」 次から次へと耳に入って来る彼の音色に…僕は、込み上げてくる嗚咽と感情を抑えきれずに、両手で顔を覆って声を出して泣いた。 「ああぁあ…!うっうう…うわぁああん…!!あぁあああん!!」 彼の音色だ… このピアノは…彼の、彼の… 惺山の、ピアノの音色だ…!! …ずっと、聴きたかった… …ずっと、聴きたかったんだぁ…! あの頃と変わらない…少しだけおどけた様子の彼の音色は、死角に隠れた僕の存在を分かっているのか…一緒に弾いて?って…言って来た。 そんな彼の音色に…涙を拭う事を止めた僕は、スクッと立ち上がると…バイオリンを首に挟んで、弓を弦に下ろして…一緒に”きらきら星“を弾き始めた。 すると、彼のピアノの音色が一気に色付いて、僕のバイオリンの音色に絡まり付いて来たんだ。だから、僕は…口元を緩めて笑いながら、彼のピアノの音色に絡まる旋律を奏でた。 会いたかった… そんな思いが音色に乗って届いて来たから、僕は…同じ様に、音色に乗せて彼にこう言った。 僕も…ずっと、会いたかった… それは…ふたりにしか紡げないハーモニーだ… 彼が上手にピアノで僕をエスコートするから、僕はそんな彼の手を取って、バイオリンの音色を高く、空まで、上げて行くんだ。 「ふふぅ…!」 彼のピアノの情景の中に、真っ暗闇の空が見えて来て…まるで、一緒に星をあげようって誘う様に、鍵盤を弾き始めた。 だから、僕は…それに応える様に…バイオリンの音色を弾ませ始めたんだ。 すると、どこからともなく現れた小さな女の子が、テラスの窓を思いきり開けて、こう言ったんだ。 「わぁ~~!」 一気に、ピアノの音色が大きく聞こえて来て、僕は堪らずに…テラスへ向かった。 そして、目の前の小さな女の子に丁寧にお辞儀をすると、視線を上に上げて…ピアノに座って…僕を見つめる彼を見つめた。 込み上げてくる涙を、堪えたりしないよ… 歪んで醜くなる顔も、しゃくりあげて苦しくなる胸も…そのまま受け入れる。 僕は…ずっと… あなたに…会いたかった…!! 僕は泣きながら弓を思いきり運ぶと、目の前の彼にこう言ったんだ。 「せいざぁ~ん!い、一緒にぃ…い…行こうぅ…!」 すると、彼はボロボロと涙を落として、顔を歪めて、だらしない声でこう答えてくれた。 「い…行こう…!!豪ちゃぁん…!!」 僕は、彼の用意した真っ暗闇の空に向かって…バイオリンの音色を弾いて飛ばした。 すると、それは…小さな瞬きを見せて、星へと変わって行くんだ。 惺山のピアノの音色は、弾けて飛んで…僕の作った星の隣にチョコンと止まった。 そして、ユラユラと揺れて…可愛い瞬きを見せたんだ。 「ふふぅ…!可愛い~!」 上機嫌になった僕は、泣く事も忘れて…彼のピアノと一緒に、星を飛ばし続けた。 「わぁ~~~~っ!すごぉい!」 女の子はそう言ってケラケラ笑うと、僕の周りをスキップし始めた。 だから、僕は…彼女のスキップに合わせて、パステルカラーの星を空へと飛ばしたんだ。 そして、気が付いたら…真っ暗闇だった夜空は、満天どころか…過剰な星空へと変わっていた。 僕は、首を伸ばして上を見上げながら…ため息をついて、首を横に振った。 こんなに沢山の煌めきは…月夜を眺めて眠る人の安眠を、きっと…妨害してしまうだろうな… 「豪ちゃん!隕石を落とす…?それとも…月へ行こうか…?」 そう尋ねてくる彼を見つめた僕は、クルリと回りながら星を飛ばしてこう言ったんだ。 「せいざぁん!月を…落とそう!地球滅亡だぁ!」 僕はそう言って体を屈めると、目の前の女の子を見つめたまま、弓を弦に強く押し当てて鈍くて重たい音色を奏で始めた。 すると、彼女は瞳の奥をキラキラさせながら、目の中に沢山の星を作ったんだ。 わぁ…! 惺山はそんな僕の音色に合わせて、低音の音色を響かせた。 そして、バイオリンの音色と、まるで…手を繋いでいる様なハーモニーを作ったんだ。 …それは…無重力空間で、月を地球へと引っ張り始める…僕と彼の音なんだ! 「あっはっはっはっは!!」 ケラケラ笑う彼の声を耳に聞きながら、嬉しくて、楽しくて、堪らなくなった僕は、彼と一緒に笑いながら、止まらない涙をダラダラと落した。 こんな風に…したかったんだ。 こんな風に…彼の傍に、来たかったんだ… あの頃の様に、あなたとずっと一緒に居たい…あなたの傍を離れたくない… ずっと…ずっと…ずっと…一緒に居たい。 「せいざぁん!もっと、強く引っ張ってぇ~~!」 僕はバイオリンを力強く弾きながら、顔を歪めて惺山にそう言った。 すると、彼はケラケラ笑いながら、ピアノの椅子を立ちあがって、楽しそうに鍵盤を叩いてこう言って来たんだ。 「これで…どうだぁ!!」 いまいちだ… 僕は、そう思ったけど…眉を上げて変顔するくらいに留めてあげた。 惺山の力…3:僕の力…7の割合で、月を地球の重力圏内に引っ張り込んだ僕たちは、空に上げた星たちを月に叩きつけて、怒涛のラッシュを起こした。 「いっけぇ~~~~!」 そんな僕の掛け声と一緒に、惺山は音色に力を込めて…月を地球へと蹴飛ばした。 すると…地球が割れるくらいに、派手に月が落ちたんだ!! 割れてしまえっ!壊れてなくなってしまえっ! そう思った僕は、止めの一発とばかりに、バイオリンの音色を付け足して月を地面へと押し込んだ! そして、見事に…地球を真っ二つに割ったんだぁ! 「あ~はっはっはっはっは!」 「キャッキャッキャッキャ!」 バイオリンを首から外した僕は、歪んで不細工になる顔をそのままに、ピアノの前でゲラゲラ笑う彼に飛びついて…長い髪に頬ずりしながら、両手で彼の体を、強く…強く、抱きしめた… 「せいざぁん!!」 そして、彼の名前を呼んだっきり…涙と嗚咽で、話せなくなった。 #127 「ワァオ…」 俺は、唖然とした… 豪ちゃんは、俺の読み通り…惺山のピアノの音色を聴いた途端、彼と一緒に合奏を始めた。 その、ふたりが紡ぎ出した情景が、度肝を抜くぐらい…凄かったんだ。 ザ・スペクタクル… その一言で…十分に伝わるだろう。 惺山は…やっぱり、ギフテッドだ… あの子のあんな規格外の演奏に、付いて行ける奴なんて…いない。 ダンスで言うなら、型なんて持たない…即興のコンテンポラリーだ。 それを一糸乱れぬ旋律で合わせられるなんて、きっと…理久でも無理だ。 想像力の上限の無いふたりの情景は、地球を滅亡させて終わった… 「薫ちゃん…このお兄ちゃんは、豪ちゃんって言うんだ。」 テラスで呆然としながら、父と知らない天使の抱擁を眺めている薫ちゃんにそう言うと、彼女は、首を傾げてこう言った。 「…可愛いお姉ちゃんだよぉ?」 はは… 困った様に眉を下げた俺は、薫ちゃんと一緒に、泣きじゃくるふたりを見つめた。 ダラダラと俺の頬を流れて行く暖かい涙は…きっと、安堵の涙だ。 良かったね…豪ちゃん。 …天使は、再び…惺山という、大きな翼を取り戻す事が出来たんだ。 本当に…良かった… 「豪ちゃん…!豪ちゃん…!!もう…どこにも行かないで…!!俺のご飯を作って!俺のお世話をして!!俺に…俺に、熱い物を食べさせて!!」 「んぁあああん!せいざぁ~~ん!せいざぁ~~ん!!僕を…僕を…乱暴にしてぇん…!」 何てこと無い… 少し、おかしなカップルの会話なんだ… 俺は薫ちゃんを抱っこすると、縁側のある庭までトコトコと歩いて戻った。 だって…久しぶりの再会を果たしたふたりは…キスしたくて堪らなそうだったんだ。 空気を読める男…そして、孤高のバイオリニスト、そして、音楽教室の先生。そして…まもちゃんの恋人。そんな完璧な男…それが、藤森北斗…俺さ。 「ねえ、ほっくん?ゴーちゃんはぁ、パパの彼女なのぉ?」 さあね…どうかな… センシティブな話題は避けたいところだ。 俺は薫ちゃんを縁側に下ろすと、彼女の足の裏を払ってこう言った。 「薫ちゃん、豪ちゃんのバイオリン、凄かっただろ~?」 すると、薫ちゃんは目をキラキラさせてこう言った。 「お星さまが…!キラッキラッしてたぁ!ゴーちゃんはねえ…パパを連れて、空に飛んでったんだぁ!そして、たっくさんのお星さまを、こうやって、こうやって!蹴飛ばしてたぁ!あははは!」 薫ちゃんはケラケラ笑いながら、縁側をドスンドスンと蹴りつけ始めた。 そりゃ、ろくでもない情景だな… 呆れた様に首を横に振った俺は、薫ちゃんを膝に座らせて、“きらきら星”を鼻歌で歌った。すると、彼女は、右手をクリンクリンと動かして、星を飛ばす豪ちゃんの真似をしたんだ。 それが…微妙に似ていて、俺はケラケラ笑った。 「豪ちゃんは…お料理が上手なんだ。そして…この村で育った…。清ちゃんや、てっちゃん、晋ちゃんに、大ちゃん…みんなの昔からのお友達なんだ…。だからね、薫ちゃんも、仲良くすると良いよ…」 俺が言えるのはここまでだ… すると、薫ちゃんは豪ちゃんの顔真似をしながらこう言ったんだ。 「せいざぁん!」 ぷぷっ! 子供は…辛らつだな… -- 「惺山…惺山…せいざぁん…」 モヤモヤの無くなった彼を見つめた僕は、細めた瞳を潤めて、彼の髪を震える手で、そっと…撫でた。 ずっと、こうしたかったんだ… 僕は彼の頬を両手で撫でながら、うっとりと頬に頬ずりをして瞳を閉じた。 「豪ちゃん…愛してるんだ…戻って来て。俺の所へ、戻って…!」 惺山は、僕を両手で抱きしめて…声を裏返しながら、必死にそう言った… そんな彼の言葉に…僕は、涙を落としながら、そっと彼の唇にキスをして頷いた。 そして、左手の指先に…彼の襟足を絡めて、クッタリと胸に頬を預けて、甘えたんだ。 あぁ… 全身の緊張が解けて行く様に…僕は、脱力をしながら、彼の体に溶けて行った… 「ずっと、こうしたかったぁ…」 僕がそう言うと、彼は僕の髪に顔を埋めて、震える声で言ったんだ… 「お…お、俺も…ずっと…こうしたかったぁ…!」 あぁ…! 僕は、惺山の腰と背中を撫でながら、うっとりと彼の胸に頬ずりして言った。 「離れたくないよ…」 すると、彼は僕の首筋に顔を埋めて…吐息と一緒に甘い声を出して言ったんだ。 「離さないよ…」 あぁ…!! 「離さないで…」 僕はうっとりと瞳を惚けさせて、濡れた頬に頬ずりしながら彼の唇に舌を這わせた。 すると、彼は、僕の唇を覆う様にキスをして…懐かしむ様に…何度も、何度も、舌を絡ませて、熱くてトロけてしまう様な…キスをくれた。 神様… 僕の事、嫌いじゃなかったんだね…? ありがとう… どうも、ありがとう… 「…惺山、大好き…」 僕は、ずっと言えなかった言葉を、自然と口から紡いで出した。 そんな僕を強く抱きしめた惺山は、眉間にしわを寄せたかと思ったら、大声で…泣き始めたんだ。 「あぁあああ~~っ!!豪ちゃぁあああんっ!良かったぁ…!良かったぁあ…!」 それは、まるで…子供みたいで…とっても可愛くて、僕は…クスクス笑いながら、彼の目から溢れてくる涙を両手で拭い続けたんだ。 胸にポッカリと空いた穴に止まる事無く吹き続けていた冷たい風は、ピタリと止んだ。 今は、ただ…治りかけの傷の様に…じんわりと熱を持って、小さく揺れている。 それは…恐怖じゃない。嬉しい震えだ… 「薫…豪ちゃんだよ。パパの…大切な人なんだ。仲良くしてね…」 薫… そんな名前の惺山の娘さんは…どことなく彼に似ていて、きっと奥さんにも似ているんだ。 僕はにっこりと笑って、惺山の腕に抱かれた薫ちゃんに、首を傾げてこう言った。 「こんにちは。あぁ…えっと、こんばんはかなぁ…。薫ちゃん…僕のお母さんと、おんなじ名前の女の子。僕は…豪と言います。男の子です。仲良くしてくださぁい。」 そう… 偶然にも、彼の娘は…僕のお母さんと同じ名前だったんだ。 ほっくんは驚いた顔をしていたけど、惺山は、嬉しそうに、にっこりと笑っていた… 「…ゴーちゃん、薫の事、抱っこするぅ?」 伺う様に僕を見ていた薫ちゃんは、そっと手を伸ばしてそう聞いて来た。だから、僕は首を傾げたまま、頷いて言ったんだ。 「…うん!するぅ…!」 僕は、小さな子なんて…抱っこした事ないよ…? だから、とってもおっかなびっくり…惺山の腕から、彼女を受け取ったんだ。 …おったまげ! だって、薫ちゃんは、めたくそ柔らかかったんだ。 「フワフワだねぇ?」 僕の髪を弄る薫ちゃんの顔を見てそう言うと、彼女は、首を傾げてこう言って来たんだ。 「ゴーちゃん、ほんとは、女の子でしょお…?」 えぇ…?! そんな彼女の言葉に、自尊心を傷つけられた僕は、口を尖らせてこう言った。 「ん、ちがぁうよぉ?僕は…イチモツがあるもぉん!それなりの…イチモツがぁ…」 「豪ちゃぁん!なぁんだ…その手の話は、子供にはしないんだ…それは、20歳を過ぎた大人なら、自重する事なんだよぉ?」 そんなほっくんの言葉に肩をすくめた僕は、薫ちゃんを抱っこしたまま、勝手知ったる庭をトコトコと歩いたんだ。 きちんと草むしりがされていない庭は、四隅に生えた雑草が、腰の高さまで伸びきって…不思議な実を付けた穂先を垂れさせていた。 そんな状況に目を丸くしながら、僕は、薫ちゃんを抱っこしたまま、クルクルと回った。 彼女は、僕を見つめて…にっこりと微笑んでくれた。 その笑顔が…まるで、天使みたいで…僕はうっとりと瞳を細めてこう言ったんだ。 「薫ちゃん…フワフワの天使!可愛い…!」 #128 「ゴーちゃん…良い子にしててねぇ…?」 「はぁい…」 豪ちゃんは、惺山に会ったお陰か…すっかり、いつもの様に気の抜けたアホ面に戻って、自分の髪で遊び始める薫ちゃんを、ぼんやりと眺めて口元を緩めていた。 後部座席に座った薫ちゃんと豪ちゃんをルームミラーで交互に見て、俺はクスクス笑いながら車を走らせた。 後ろには…ポンコツ車に乗り換えた惺山が、しきりに涙を拭いながら付いて来ている… 良かったな…惺山。 先立たれた奥様には、申し訳ないけど… でも、彼女は…彼に、愛されたまま死んで行ったんだ。 だとしたら、こんな展開も…許してはくれないだろうか… 「まもちゃぁ~ん!」 俺の車を降りた薫ちゃんは、店先で待っていたまもちゃん目がけて走り出した。すると、まもちゃんは両手を広げて、足をプルプルさせながらこう言ったんだ。 「ひ…姫子ちゃぁ~ん!」 薫ちゃんを孫の様に可愛がるまもちゃんと彼女との、そんないつもの他愛のないやり取りに瞳を細めた俺は、心配そうに俺を伺い見る彼に、にっこりと笑ってこう言った。 「…天使が、戻って来た…!」 俺の言葉を聞いたまもちゃんは、瞳を歪めてボロボロと涙を落としながら、薫ちゃんを抱っこして、優しく抱きしめた。 そして、豪ちゃんと手を繋いで歩いて来る…惺山に向けて、こう言ったんだ。 「…だぁから!俺は言ったんだぁ!こんの、バッカ野郎…!」 惺山は、そんなまもちゃんの言葉に苦笑いをして…目元を乱暴に拭っていた。 「豪ちゃん…!まもちゃんのお手伝いして…!」 夜のご馳走の支度を始めたまもちゃんは、早々に豪ちゃんにヘルプを出した。 すると、惺山にもたれかかって天井を見上げていたあの子は、首を傾げたままスクッと立ち上がって…トコトコとまもちゃんの元へと向かった。 「…はぁい。」 そして、いつもの様に、そんな気の抜けた声を出して、まもちゃんを見上げてこう言ったんだ。 「まもるぅ…ぶっ飛ばして、ごめんねぇ…?」 「ぐふっ!」 さっきの暴れん坊ぶりが嘘の様だ… そう思って、吹き出したのは…まもちゃんだけじゃない…! 俺も、必死に笑いを堪えながら…視線を逸らしたもんね… だって、嘘みたいだろ? 強情っぱり…そんな言葉がピッタリの豪ちゃんは、まもちゃんに強烈な頭突きをかまして、彼を何度も引っ叩いていたんだよ? なのに、今は…すっかり、いつものあの子に戻ってるんだもん。 …わらけてきちゃうよ。 「…ゴホン。豪ちゃん…揚げ物をお願いしても良いかな…?」 まもちゃんがそう尋ねると、あの子は長い髪をポニーテールに縛って、コクリと頷いて言った。 「ウィ…ムッシュ~」 すると、まもちゃんは、エプロンを外しながら、お教室の椅子に腰かける薫ちゃん目がけて突進して行ったんだ… 「あ~はっはっは!姫子~~!」 「まもちゃん!抱っこしてぇ…!」 俺は、そんなふたりのやり取りを、アイランドキッチンにもたれながら、微笑ましく見つめていた。 俺は料理なんてしないよ?だって、食べるの専門だからね… じゃあ…どうしてここに居るのかって話しだよね。 理由は簡単だ… 「…豪ちゃん、何か手伝おうか…?」 「ん…そうだなぁ…じゃあ、お皿を用意してくれるぅ…?」 あの仏頂面の惺山が、目じりを下げて、鼻の下を伸ばして、デレデレになって、豪ちゃんの周りをうろついているんだ… こんなの、見た事ないだろ…? だから、面白くて、ここから離れられないんだ。 ふふ…! 伏し目がちに揚げ物を揚げて行く豪ちゃんは、まるで熟練の主婦の様に、こう言った。 「バチバチ…って湿った音が、パチパチって…乾いた音に変わるんだぁ。揚げ物は、そのタイミングで引き上げるのがコツなんだよぉ…?」 すると、惺山は嬉しそうに瞳を細めて、あの子の背中に寄り添って…そっと顔を覗き込みながらこう言ったんだ。 「…へぇ。」 へぇ…? たったそれだけ…? 俺は、そんな彼らを横目でチラチラ見ながら、ニヤけてくる口元を必死に抑えた。 あぁ…彼は、こんな顔をするんだ… 惺山は、危険な揚げ物の最中も、豪ちゃんの傍を付いて離れなかった。 まるで、あの子の一挙手一投足に、喜びを感じている様に…崩れた笑顔を元に戻す気も回っていない彼の様子に、俺はケラケラ笑って言ったんだ。 「惺山!そんなにくっ付いてたら、邪魔だろ!」 すると、豪ちゃんは、にっこりと笑って…言ったんだ。 「…良いの。惺山は…良いの。」 …なぁんだそれ! しかし、そんなあの子の言葉を聞いた惺山は、ジッと涙を堪える様に…口を一文字に結んで、瞳を潤ませた。 …なんだよ。 …こっちまで、目が潤んでくるじゃないか…! 「豪ちゃぁ~~~ん!」 あの子の名前を呼ぶ大きな声と共に、俺とまもちゃんの店グランシャリオに、大吉たちがやって来た。 アイランドキッチンで揚げ物をしていた豪ちゃんは、大吉、清助、晋作、哲郎を順々に見ると、頬を思いきり上に上げてこう言ったんだ。 「みんなぁ~~~~!僕だよぉ?」 知っとるわ… そんな突っ込みは、野暮だ。 「ご…ご、ご…豪ちゃぁん!」 すると、顔を真っ赤にした哲郎があの子の前にやって来て、両手を広げて言ったんだ。 「…ほ…ほらぁ!早くぅ…!!」 キョトンと目を丸くした豪ちゃんは、一気に笑顔になって、彼の元へと駆け出した。そして…思いきり抱き付いて、嬉しそうに笑ったんだ。 「わぁ~~~!てっちゃぁん!」 クルクル回りながらあの子を受け止めた哲郎は、豪ちゃんの長い髪にクラクラしながらも、ぎこちなく…しかし、しっかりと両手で抱きしめていた。 それは、菜箸を手渡された惺山が、嫉妬に瞳をグラつかせる程に、長い抱擁だった… 哲郎は…多分、豪ちゃんが好きなんだな。 だから、お見合いに乗り気じゃなかったんだぁ! 瞬時に察した俺は、キッチンへ戻って来るまもちゃんに、ニヤニヤしながら小声で教えてあげた。 「…まもちゃん、惺山と、哲郎の…三角関係だぁ…!」 「まじか…!!」 惺山は仏頂面でまもちゃんに菜箸を渡すと、ツカツカと凄い速さで哲郎たちが座ったテーブルへと向かった… 俺のお教室は、今日はちょっとしたお食事会仕様になってるんだ。 4つのテーブルを合わせてテーブルクロスを敷いた上には、可愛いお花なんて飾ってあって、人数分のお皿と、お箸が用意されている。 俺がいつも使っているホワイトボードには”豪ちゃんお帰り!“なんて文字が、可愛く書いてあるんだもん。 さすが…護は、やる時はやる男なんだ… そう。 俺と豪ちゃんが出かけている間、まもちゃんがセッティングしてくれていたんだ。 凄いだろ? 良い男だろ…? だぁから、好きなんだ! 「豪ちゃぁ~~~ん!なぁに!女の子みたいになってぇ!!一段と可愛くなってぇ!」 さあさあ、おば様、おじ様方の登場だ…! 俺は、わらわらと店の中に入って来る哲郎、晋作、清助、大吉の両親を出迎えて、彼らを席に案内した。 すると、豪ちゃんは、はちきれんばかりの笑顔を向けて、体を揺らして喜んだ! 「わぁ…!お父さんとお母さんも来てくれたぁ…!キャッキャッキャッキャ!」 ご機嫌な豪ちゃんのお猿の笑い声を聞きながら、俺は、粛々とまもちゃんのこさえた料理を運んで行った。 馬車馬の如く…料理を運んだんだ。 偉いだろ? こういうのを…裏方って言うんだぜ? あの子の両親たちは、豪ちゃんを順々に抱きしめて、あの子の成長を喜んだ。そして、嬉しそうににっこりと笑って言ったんだ。 「薫ちゃんって言うのよ…?可愛いでしょ?」 「知ってるぅ…!とっても可愛いんだよねぇ?」 そう…薫ちゃんは、本日の主役、豪ちゃんの膝の上をキープしていたんだ。 彼女は、自分が世話になっている大人たちが、豪ちゃんに笑いかけたり、泣いたりしている様子を、不思議そうに眺めていた。 「はいはい…お料理は揃いましたよ!」 まもちゃんは席に着いたみんなを見渡して、嬉しそうに声を弾ませた。そして、豪ちゃんを立たせて、スピーチなんて始めたんだ。 「みなさま、本日は、豪ちゃんの為にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます!フランスや、イギリス、あちこちを飛び回って忙しい彼が、やっと、やぁ~っと、故郷へ帰って来る事が出来ました!!…うっ…うう…!良かったぁ…!あぁ~~~っ!良かったぁ!!」 そんなボロボロのまもちゃんの司会に、まばらな拍手が起こった… 「おっさん、頑張れっ!」 「クルクルのおっさん、頑張れっ!」 止めてくれ… 俺の護を…虐めないでくれ… 所々で上がる不躾な言葉に眉間にしわを寄せた俺は、グスグスと泣きながら背中を丸めるまもちゃんを、ギョッと顔を歪めて見つめる豪ちゃんに、こう言った。 「ほら!豪!お前から…挨拶しろよっ!」 すると、豪ちゃんは、ハッと我に返ってこう言ったんだ。 「はぁい…」 パチパチパチパチ…! 人一倍大きな拍手を送る哲郎は、あの子のグルーピーなのか…?! 目をギラギラさせて豪ちゃんを見つめる眼差しは、俺がいつも話してるクールな彼じゃなかった。 この前…店の前の木を剪定して貰った時…あいつは、俺の出したお茶を何も言わずに飲んで、湯飲みを置きっぱなしにしてったっけ… 俺は、哲郎を冷めた瞳で見つめて…そんな事を思い出していた。 すると、豪ちゃんが、もじもじしながら挨拶を始めたんだ。 「えぇッとぉ…僕は、やっと帰って来れましたぁ。ほっくんと、まもるのお陰ですぅ。ここには居ないけど…先生も、とっても良くしてくれましたぁ。でもぉ…先生は、すぐにお仕事をさぼって…僕と遊びたがるんだぁ。だからぁ…別居しようってこの前言ったんだけどぉ、嫌だ嫌だって泣いちゃったから、仕方なく一緒に住んでるんだぁ。」 は…?! 相変わらずの豪ちゃんの脱線話は、なかなか笑えないネタだった… 「…ま、まあ…豪ちゃんは、お世話好きだから…」 そんな哲郎の母親の言葉に、あの子の家族たちは一様にコクコクと頷いた。 そして、和やかなお食事会がスタートしたんだ。 …豪ちゃんの家族は、今では、薫ちゃんと惺山の家族になっていた。 だから、ここは…ひとつの家族会みたいに、穏やかで、ケラケラと笑う笑い声が絶えない空間になった。 そんな様子を満足げに見つめるのは…俺の、まもちゃんだ! 彼はこの日の為に、沢山の準備をして来たんだ… 偉いだろ? だぁから、好きなんだ! 「…大成功だな…!まもちゃん!」 俺は彼の肩を抱いて、愛をこめて労った。すると、まもちゃんは、そんな俺をスルーして、遅れてやって来た健太に走り寄って、こう言ったんだ。 「健太ぁ!遅いよぉ!」 …ちっ! ここは、相変わらず…年齢という物を逸脱したパラドックスが起こってるんだ。 年下の健太に傅く…そんな俺のまもちゃんは、相変わらず、健太の良い弟分になってる。 「豪ちゃん!おいちゃん達に、何か一曲弾いてくれよっ!」 賑やかな談笑の最中…そんなリクエストの声が上がった。 「ヴォロンティエ!」 あの子は、喜んで!なんてフランス語で答えて、ニコニコ笑いながら席を立つと、バイオリンをケースから取り出して家族に向かってこう聞いた。 「何を…お弾きいたしましょうか?ムッシュー?」 「ぅおおい!兄ちゃんは無臭だぞ!豪!柿渋石鹸に助けられて…兄ちゃんは…無臭になったんだぁ!いつまでも…いっつまでも…足の匂いの事ばっかり言ってよぉ!」 空きっ腹にアルコールなんて飲んだせいか、健太は既に出来上がっていた。 空気を読めなくなった健太の悪酔いに困ったまもちゃんは、キョロキョロと周りを見ながら、大きな手で彼の口を、そっと…押えた。 そうだ…黙らせとけ…! 「う~…ん、何って言われても…よく知らないからなぁ~…」 豪ちゃんのリクエスト待ちに首を傾げるあの子の家族を見て、俺はあの子に、こう言ってみたんだ。 「…じゃあ…豪。俺と“ハンガリー舞曲”をひとつ、お願い出来るかな…?」 うしし… 豪ちゃんはバイオリンを調弦しながら、俺の言葉に、いつもの様にこう返した。 「はぁ~い!」 馬鹿め… 俺は、この時を待っていたんだよ… 復讐とは、忘れた頃にやって来るんだ!! 散々っぱら、ピアノの音をサックスにかき消された恨みが、俺には、残ってんだぁ… 俺の得意な“ハンガリー舞曲”で、大事な家族の前で、辱めてやろうじゃないかぁ! あ~はっはっはっは!! 何の打ち合わせも無しに豪ちゃんの隣に立った俺は、あの子を見つめたまま…”ハンガリー舞曲”を弾き始めた。 それは…情熱的で、ねっとりとした…編曲の加わった、俺の”ハンガリー舞曲”だぁ! すると、あの子はバイオリンを首に挟みながら、足でテンポを取り始めたんだ。 はっは~ん! どっかで入ってくるつもりなんだろうが…そうはいかないよ? “ハンガリー舞曲”自体、緩急が激しくついた曲だ。 それを俺は自由気ままに弾いている。 伸ばすところも…アクセントを付ける所も、俺仕様なんだぁ… だから、入ってこれる訳無いんだよぉ! ばぁ~か!! すると、豪ちゃんは弓を振りかぶりながら、クルリと回ってこう言ったんだ。 「見切ったなりぃ!」 「な…な、なんだとぉ!」 焦った俺は、そんな彼のハッタリを無視して…マイウェイな”ハンガリー舞曲”に陶酔しながら弾き込んで行った。 すると、突然…俺の旋律の上を、あの子のバイオリンが駆け巡って行ったんだ! はぁ~~~~~~っ?! しかも…とっても良いアドリブなんだ。 俺は、これを頂こうと、すぐに、そう思ったね… 「あぁ…!ほっくぅん!素敵だねぇ!」 豪ちゃんのバイオリンの音色が加わると、俺の独壇場だった”ハンガリー舞曲“があっという間に、あの子の旋律と、テンポに侵されて行って…乗っ取られた。 くっそ! くっそ!! こんな悔しさ…馬鹿な豪ちゃんには分からないし…あの子の家族にだってバレない。 だから、俺はツンと澄ました顔をしたまま…“ハンガリー舞曲”を弾き終えたんだ。 「北斗が、格好悪く…ジャックされた。」 なぁんだとぉ!! 聞き捨てならない言葉を口から出した、罪深い惺山を睨み付けた俺は、薄ら笑いを浮かべて…彼に、言ったんだ。 「そうだぁ…豪ちゃんはサックスも吹ける様になったんだ。どうだぁ…惺山、お手合わせ願ったらぁ…!」 お前もボコボコにされろ…! そんな思いを滲ませながら、俺は彼をニヤニヤ見つめた。 すると、惺山は膝に座った薫ちゃんを下ろして、颯爽とピアノに向かったではないか!! はぁ~~~っ! 恋人保険でも入ってるんですかぁ? 恋人だから、ボコボコにされないとでも…思ってるんですかぁ? そんな悪態を目に浮かばせた俺は、チャッキーのような凶悪な顔で惺山を見て鼻で笑ってやった。 すると、豪ちゃんは眉を下げてこう言ったんだ。 「ん、でもぉ…サックスは強いからぁ…薫ちゃんがビックリしちゃうと思うぅ…。僕はバイオリンで…”椰子の実”が弾きたいな…。家族と、故郷へ…そして、惺山。あなたへ贈りたいんだぁ…。」 はん! 俺は決して不貞腐れた気持ちを察せられない様に、ポーカーフェイスのまま、大人な雰囲気を保って…こう言ったんだ。 「…良いね。どうぞ?」 -- 「素敵な選曲だ…」 惺山はそう言って、僕を見つめて笑ってくれた… 不思議だな。 昨日の今頃、僕は…飛行機の中で、怖くて仕方が無かったのに…今は、あなたの隣で、バイオリンを首に挟んでいる。 そっと弓を弦に当てた僕は、集まってくれた家族たちを見渡して、こう言った。 「この曲は…旅人が、海岸に辿り着いた椰子の実に、自分を重ねて…故郷を思う気持ちを歌った曲です。僕は…自分の故郷に戻って来れて、良かった…。それは、自分ひとりでは…難しかった。助けてくれた大切な人…全てに感謝と、愛を送ります。そして、僕の大切な家族にも…変わらない、愛を送ります。」 そして、惺山のピアノの伴奏にうっとりと体を揺らしながら、僕は”椰子の実“を弾き始めた… 僕は、何も考えずに…フランスへ行きました。 ただ、愛する人の願いと望みをかなえて、彼の隣でバイオリンを弾きたかったんだ。 でも…着いた先は、まるで…別世界の様で、僕は…ありとあらゆるものに圧倒された。 ギフテッドと呼ばれる特異な才能を持つ人が、自分の価値を見誤ったり…そんな世界で生きて行く為に…必死に自分をアピールしたり…なんとも、息苦しい世界でした。 僕の価値観なんかじゃ、まだまだ計り知れない…そんな世界を、先生に手を繋いでもらいながら、一緒に歩いて進みました。 そして… 愛する人と別れを決めた僕は…まるで、波にもまれる椰子の実の様に、運ばれるままに…波の上を漂いました。 どこに辿り着くのか…それは望んだ様な場所なのか…何も分からずに、ただ…傍に居てくれる先生だけを信じて、彼と共に…波にもまれて過ごしました。 傷だらけになってしまった僕に、彼は…もう、堪えなくても良いんだよ…。自由になって良いんだよ…と、言ってくれました。 …そして、優しい波を起こして…僕を、故郷へと返してくれた… そう。 安心出来る…愛する人の元へと、返してくれたんです。 ”椰子の実“を弾き終わった僕は、彼のピアノの音色の余韻が消えるまで、瞳を閉じていた。そして、瞼を開いて、俯いたまま涙を落とす惺山の背中に、そっと抱き付いて、頬ずりしながらこう言ったんだ。 「惺山…ただいまぁ…」 すると、彼は鼻を啜りながら…僕の腕を何度も撫でてこう言ってくれた。 「お…お帰り…豪ちゃん…!」 「よっ!豪ちゃん!世界一!」 そんなてっちゃんのお父さんの言葉が、何だか…こそばゆくて、恥ずかしくて…嬉しかった。 愛するお父さんに…愛する、お母さん… 僕の家族たちは、いつの間にか…惺山と薫ちゃんの家族になっていた。 それは、とっても…とっても、嬉しい事だ。 だって、幼い頃…僕が座った大ちゃんのお父さんの膝の上に、今は…薫ちゃんが座ってるんだもの。 そして、今は…大ちゃんも、晋ちゃんも、清ちゃんも、てっちゃんも…幼い薫ちゃんを可愛がって、愛してくれている。 目の前の光景に瞳を細めた僕は、ピアノに腰かけたままの彼に言ったんだ。 「惺山…?薫ちゃんは、昔の僕みたいだ…。みんなに愛されてる。」 でも彼は、ピアノに座ったまま…シクシクと泣き続けているんだ。 だから、僕は彼の背中に乗って…クスクス笑って少しだけおどけて言ったんだ。 「…惺山さん。惺山さん。泣かないで…」 すると彼は、鼻を啜って、僕に泣きながら笑って言った。 「豪ちゃんも…泣かないで…」 え…? 手を伸ばして来た彼がそっと僕の目元を拭うと、しっとりと頬が濡れて、自分が泣いていたって気が付いた… 「ふふぅ…本当だぁ。」 僕は、ケラケラ笑いながら、彼の腕を掴んでピアノの椅子から立たせてあげた。そして、一緒にワルツなんて踊って…一緒に笑ったんだ。 ねえ…こんな風に、あなたの手を取れると思わなかったんだ… もう、二度と…会えないと思っていたんだ。 「豪ちゃん!凄かったなぁ…!テレビで見たんだよ?」 大ちゃんのお父さんが、僕に…テレビの話なんてして来た! だから、僕は惺山を薫ちゃんの元へ連れて行ってあげて、首を傾げて言ったんだ。 「テレビ~?僕は、お料理の番組しか見ないよぉ?」 すると、大ちゃんのお父さんは、ケラケラ笑って…こう言った。 「イギリスのロイヤルファミリーの専属バイオリニストだなんて…ニュースがやっててさ、そこに、まさかの豪ちゃんが出て来て…!俺は、ビックリしたんだよっ!立派になって!凛として!とっても…格好良かったぞ…!!」 え…? 僕は、キョトンと目を丸くした。 僕の両親たちは、そんな僕の様子にゲラゲラ笑って、もっと…もっと、僕を褒めちぎってくれたんだ! 「そうだぁ!あの豪ちゃんが、真っ黒のカッコいい服を着て…!立派になって!!」 「ほんと!ほんと!私なんて、親戚中に電話を掛けたのよ!あの子は、私の子供なのよっ!なんて言って…なんだ!隠し子が居たのか!なんて言われて、ひと悶着あったんだから!あはははは!」 わぁ…! 沢山掛けられる褒め言葉と、僕を見つめて涙を流す両親を見つめ返して…僕は、呆然と突っ立った… 次の瞬間、髪の毛がゾワゾワと逆立って…言葉では言えないくらいに、嬉しくて…嬉しくて…自然と涙が込み上げて来て…僕は、先生に教えて貰った…ボウ・アンド・スクレープをして、愛する家族へお礼を言ったんだ。 「…メルシー ジュ スウィ ゾノレへ。」 「ありがとう。光栄です。って言ってる…」 ほっくんが、そう言った。 思わず、泣きながら笑った僕は、頭をポリポリとかいて…舌を出した。 「ふふぅ!先生に教えて貰った動作をしたら…教えて貰った言葉しか出て来なかったぁ!みんな…ありがとう!とっても、とっても…!嬉しいです!」 みんなと離れて…僕は、フランスでひとりぼっちだと思ってた。 でも…こんな風に、僕の事を、みんな…見ていてくれたんだ… 自分の息子の様に…僕の事を…嬉しく思っていてくれたんだ…! それが、とっても嬉しくて、不思議と…心が満たされて行った。

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