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病める日常の花に/寒凪⑵

すらりと伸びる脚、細めの腰、肩幅はあるのに薄い胸板、そして長い首。 順に目で追っていくと それらの持ち主である男と目が合った。 彼は形の良い唇を僅かに開いて 漆黒の瞳の奥に情けなく背筋の曲がった会社員の姿を映す。 ……あれ。どこかで、見た事が。 「おや、あなたは先日の…」 「……っ、も…もしかしてあの時のお巡りさんですか?」 火曜の夜とは似ても似つかないラフな私服姿で、彼は半分ほど凹んだ黒い箱を片手に微笑んだ。 これから一服でもするつもりだったのだろうか。 ああ、そういえばあの夜も どこか煙たい鼻を刺す紫煙の香りを帯びていた。 「ふ、先日はどうも。まさかこんな所でお会いするとは思いませんでしたよ」 軽やかに足元のコーヒー缶を拾い上げる仕草はどこから見ても凛々しく、羨ましいとすら思う。 俺がそれを拾えばきっと、床を這って隠れた100円玉でも探す薄汚い輩と勘違いされるだろうから。 「あぁ、少し熱すぎますね。これは落としても仕方ない」 「…はは、そうですよね。びっくりしちゃって。 拾っていただいてすみません、よかったら何か飲み物でも買いますよ…」 受け取る為の手を差し出せば、お巡りさんは少し考えこむそぶりを見せて 何故か掌の上ではなく、ゆるく締めた脇の辺りにグリっとそれを押し込んだ。 「…あの?」 「素手で触れられなかったのは誰ですか?まったく」 「あ……」 その意図を理解した途端、恥ずかしさが込み上げる。 恐らく同年代であろう彼には耐えられる熱。 俺には耐え性も無いのか。 コーヒー1つでこの違いを見せつけられるのだから、やはりこの世は全く持って平等などではない。 だが、その時ふと感じた違和感。 彼の指先が懐に触れた瞬間、仄かに鼻を掠めたのは 煙草でもコーヒーでもない、今までに感じた事の無い甘い匂いだった。 「その…今日はお仕事、お休みなんですね。 香水か何か付けていらっしゃいますか…?」 「いえ。これもれっきとしたお仕事ですので、そのような類の物は全く。 覆面は制服着てちゃ務まりませんから」 おお…この人もなかなかの会社の犬なのかもしれないな。 俺と同じ……あぁいや、そんな訳ないか。 むしろ俺のような犬を使っている側な気がする。 …っていうか! 俺は1度しか顔を合わせた事の無い相手にどうしてそんな気持ちの悪いことを聞いているんだ…! 怪しまれて当然じゃないか…そりゃこの人も職質をかけたくもなるさ。 「ところで、どうして突然そんな事を?」 「…あっはは、すみません変な事を聞いて…。忘れてください…」 「?はぁ」 自分の唇を戒めるように、ぎゅっと前歯で噛み潰した。 だが、そうならば一体あの匂いは何だったんだろうか。

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