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病める日常の花に/嘘⑵
「あの日…あ、貴方に、励まされて…それで今週も乗り切れたので…。だから、本当に…お礼が…したくて……」
しゅんと背中を曲げる綾木に、とうとう白旗の準備を始める俺は
案外こういったタイプに弱いのかもしれない。
これまで俺を蔑む奴、哀れむ奴、嫌味を言っては嘲笑う奴…それはそれは敵だらけの壮絶な人生を歩んできた訳だが…これは初めてだ。
面と向かって礼がしたいだなんて。
それも仕事で疲れ果てている中、怪しまれて職質をかけられた被害者でありながらだ。
…なんて可笑しな人なんだ。
調子が狂う。
「…では、そのコーヒーをいただきますかね。
丁度飲みたかったんですよ」
脇に挟まれたそれをひょいと取り上げると、綾木は目を丸くして缶の描いた放物線を追いかけた。
「え?そ、それでいいんですか?さっき…僕、落として…」
「構いませんよ。少しは冷めて飲みやすくなっているでしょうし。……じゃ」
まだ動かない綾木に背を向け、今度こそ喫煙ルームの扉を開けた。
引き止めてこないところを見るに、彼の中でもようやく収まりがついたのだろう。
面倒…と言うよりは、単に律儀な人なんだな。
この様では、これから会う顧客にも気を遣い、気を使い果たしてまたあの公園でブランコを漕ぐのだと容易に想像が着く。
…まだ二度しか会って話しをしていないというのに。
彼の行いが手に取るようにわかってしまう。
職業柄、人の性格や思惑を察知する能力は優れていると自負しているが
綾木に対するそれは、他の人間に宛てたものとは違う別の感情も混じっていた。
…似ている。
昔の、人を恐れ、争いを恐れて部屋の隅で膝を抱えていた頃の俺に。
真っ逆さまに地獄へ突き落とされたあの日を境に、俺は強さを求めるようになった。
Ωはαに仕える事が通常なこの世界を、俺の手でひっくり返してやる。
αなど、所詮は種馬でしか無い愚かな獣だと、この手できっと証明して見せる。
安いプラスチックを弾いて、身体の芯まで深く煙を吸い込んだ。
ガラス扉の向こうには、しゃがみ込んで自販機の取り出し口へ手を伸ばす綾木の姿。
そこにはチョコレートラテが握られていた。
なんだ、コーヒーの気分では無くなったのか。
それなら貰っておいて正解だったな。
設置されたアルミに灰を落とし、飲み頃な温度に落ち着いたそれのプルタブを引く。
今夜は遅くなりそうだから、気を引き締めなければ。
ネオン街を中心に、悪徳行為や不良行為を探る覆面捜査。
日を跨ぐことは確実だろう。
カフェインの提供は有難い。
底が凹み、間抜けな立ち姿となった缶は傾き、少し頭が垂れている。
誰から貰ったものなのかがよくわかるその見た目。
綾木澄晴、か。
なかなか興味深い男だ。
ついつい溢れた笑みは、俺自身も気が付かない程微かなものだった。
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