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変わりない日々に/寒凪⑵
急に立ち上がった来碧さんは、心なしか怯えているように見えた。
「…どうか、しましたか?」
──そこで俺は、ふと墓穴を掘ってしまった事に気づく。
「………すみません。仕事のやり残しを思い出してしまって。お先に失礼します」
来碧さんは、それだけいうと1万円札をテーブルに残し、店を出て行ってしまった。
伝票も確認せずに、よくこんな大金を…。
慌てて席を立ったが、泥酔状態の俺では来碧さんに追いつく事は不可能で。
2人分合わせてもそこまで行ってないんだが。
…それに呑んでる分俺の方が高くつくはずだし。
驚かせてしまっただろうか。
嫌われてしまっただろうか。
この数年間α以外と関わる事が無かったせいで、気が緩みすぎていた。
旧友が性の判明以来よそよそしくなった、あの時の居心地の悪さが身体中を蝕む。
αの自分が大嫌いだ。
「すいません、お会計お願いします」
置き去りの万札に手を伸ばした途端空気が変わる。
また、あの日と同じ甘い匂い。
来碧さんは香水ではないと言っていたが
もしかして、彼女の移り香…か?
あり得るな。絶対にモテるだろうし。
仕事からして正義のヒーロー。
加えて整った顔立ちに丁寧な言葉遣い。
…俺とは大違いだ。
性別を言い訳にしない、自力で培った地位。
αというだけで入社できた大企業で、同期にすら使われているような俺とは全く住む世界が違うんだろう。
あぁ。αになんて、なるものじゃないな。
望んだことでもないけれど。
仄かに残るそれに胸が痛んだ理由は知らない。
知っては行けないような気がした。
俺如きが、来碧さんに抱く感情として許されるものではないと、それは十分理解している。
12月14日。曇り。
17日。18日。曇りのち晴れ。
22日。夜明けに降った雪は雨に姿を変える。
あの夜を境に、来碧さんの姿を見る事は無くなった。
長いサービス残業を終えて帰りに公園へ寄っても
ただ冷えた風に歓迎されるばかりだった。
降り続けた小雨は再び雪になり、俺の肌に触れて消える。
後に残ったのは手のひらを凍らせるほどに冷え切った氷水だけ。
もう一度、顔を見たい。
突然の出会いと、突然の別れ。俺の邪な感情には気づかれていないだろうか。罪悪感ばかりが押し寄せる。
そもそも、ここで待ち続けたところで
どこの誰ともわからない彼に会える保証は無いというのに。
名前しか知らない。
勤務先も、住んでいるところも、休みの日に何をしているのかも、どこにいるのかも。
こんなに待ち焦がれているのに、連絡先の一つも知らないだなんて
どこまでも情けない自分に嫌気がさす。
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