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冷え切った夜に/寒凪⑶

元々、俺はこんな根暗な人間では無かったと思う。 どちらかというと気さくで、性別なんて誰もわからない小学生の頃なんかは いつも誰かと一緒にいたし、クラスの輪にも馴染めていた方だ。 でも、俺を取り巻く世界はたった1枚の紙ペラによって覆されてしまった。 どんなに少数派の意見でも、自分が何かを言った途端それが正解になってしまう絶対的な支配力。 なりたかった学習係、やりたかった体育祭の種目。 クラス対抗の合唱コンクールは、何曲も候補が上がる中で俺が手を挙げた曲に決定し、文化祭の出し物は俺の好物ばかりを販売した。 気持ち良いなんて少しも思わなかった。周りの期待する目も、言葉を発するのも恐怖でしか無くなっていた。 俺の一言で、いつか誰かが殺されてしまうんじゃないかと毎日恐れていた。 今日は何も変な事は言っていないだろうか。 今日は一言も発する事なく家に帰る事が出来た。 今日もみんなに気を遣わせてしまった。 すれ違ったΩの子、目の色変えて走って行っちゃったな。 あ…ずっと好きだった子、彼氏出来たんだ。 気持ちを伝えなくてよかった。 この前のテスト、俺より点数良かった子の机…落書きされてる。 これ問題にあった憲法の一文まんまじゃん。 …消してあげなきゃ。でも、俺がそんな事したらきっと書いた子が同じ目に合う。 カンニングと言われたその子は順位を落とし、俺がもてはやされた。 就職活動中、αを優先的に採用する企業を見つけてすぐに応募した。その頃にはすっかり内向的な性格であったが、普通を求めて書店に並ぶ面接本を買い漁った。 α揃いの職場なら気にする事無く普通で居られるかもしれない…! 俺もまた、みんなの輪に入れるかもしれない…! 「──って、夢見て入った仕事の結果が今なので。ざまあみろって思いましたか?…はは」 ちょっと喋りすぎたかも。 そうは思ったが、来碧さんは初めて出会ったあの日から、俺の話に耳を傾けてくれるものだから つい、余計な事まで長々と語っちゃうんだよな。 「来碧さんみたいな優しい人を助ける事が出来たから、俺には要らない物でも持っていて良かったと思いましたよ」 だって、あの日もしも俺が薬を持っていなければ 彼はこうして俺を頼る事も出来なかった。 …だが、言い換えれば無自覚な自作自演でもある。 俺が噛んでいれば、来碧さんは今頃発情に悩まされる事はなかった。 渋々俺の手を取らねばならない選択もせずに済んだのかもしれない。 結局俺はいつも、この人にとって害であり 迷惑をかける存在でしかないのだ。 「ほら…初めて会った日、とか。 お互いに性別知るまで何とも無かったんですから、俺達は運命じゃ…ないですし」 複数の番を作れる俺と違って、来碧さんは世界でたった一人のαに生涯を捧げなければならない。 それならば、御伽噺のようなにわかには信じ難いものだとしても、俺ではない運命の相手を探し、見つけ、心惹かれ合う存在の隣で笑って欲しいと思う。 それがきっと、来碧さんの幸せになる。 「……綾木さんが意地でも私を噛まずにいた理由が、嫌われている訳では無いと知れただけ良かったですよ。ですが──」 畳まれた制服の胸元から、ブラック調に深い緑で蓋をしたようなデザインの箱が取り出される。 灰皿のないこの家で、代わりになりそうな空いた酒缶を探した。 「私は優しくなんかありません。 綾木さんがそう思うのなら、それは思い違いですね」 来碧さんが辛そうな顔をしていると思うのは 俺の気のせいだろうか。

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