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冷えきった夜に/嘘⑵
3人の歳上のαに、俺が太刀打ちできるはずもない。
人目につかない個室で始まる行為は、自分であろうと目を背けたくなるほど精神的苦痛を味わうものだった。
頸こそ守り切ったものの、気味の悪い笑い声が耳を侵食していくその淵で、この人に噛まれるべきだ。証を残してもらわなければいけない。
と、理性ではなく、身体の奥深くで眠っていた本能が、3人のうちの1人に強く反応した。
おぞましいくらいに引き寄せられる感覚。
名前も知らない。今となっては顔もろくに思い出せないその男に、番ってもらわないと…そう全身が懇願した。
それから何人かのαを前にしても、その時の感覚を呼び起こす何かを感じる事はなく
きっとあの人が、俺の運命の番だったのだと理解するのはそう難しくは無かった。
結局俺は地元から距離の離れた高校に二次募集で転がり込み、相応の処分をすると豪語していたβの教師は口だけで、彼らは何不自由なく卒業していったそうだ。
なんとも胸糞の悪い話だ。
俺を味方してくれる人なんかいない。
αも、βも、みんなみんな俺の敵だ。
俺が強くならなきゃ、ダメなんだ。
母のようにαに依存する弱さなんか要らない。
俺を騙して喰らうようなαも要らない。
俺がどんなに傷ついても、俺ばかり遠くに追いやって騒ぎを鎮める平和ボケのβなんか要らない。
俺は一人で生きていく。
何事にも屈しない強い精神を持ち、人の助けを借りずとも生きられると証明してみせる。
そしていつか、俺のように苦しむ一人でも多くの人に…手を差し伸ばせる立場に。
俺が本気で警官になろうと思ったのも、この事件があってからだ。
母はボロボロの身体で激しく反対した。
Ωじゃなれない。Ωは弱いんだから、と。
それも許せなかった。
俺は母とは違う。
母の言う“弱いΩ”がどれだけ上へ行けるか、見せてやりたい。
母の心をも、この手で救ってみせる。
「…綾木さんを初めて見た時、なんて情けない奴だと思いました。
でも多分、それは昔の自分を重ねて居たんだなと」
お決まりのように背を曲げて俯く彼がαだと知って、驚きはあれど絶望は無かった。
αなのに、腰が低くて
αなのに、唾を吐きたくなるギラつきが無くて
αなのに、俺を助けてくれて
αなのに、今も俺を襲っては来ない。
「……今の話を聞いても、綾木さんは私に運命めを全うしろと言いますか?」
何度も擦った目の周りは赤く腫れ、みっともなく鼻水を垂らしては啜っての繰り返し。
まったく。本当に格好がつかない人だ。
「いっ、言えるわけ…無い……っ」
「………よかった。
初めて好きになれたαが貴方で、よかった」
俺は綾木の運命ではない。
それは身体がよく知っている。
でも、この心はもう…たった一人しか見えていないみたいだ。
「ら、来碧さん…?それどういう──」
「貴方も鈍い人ですね。
…この俺が、噛ませてやっても良いって言ってんだよ」
人生で初めての口説き文句を口にするのは、飛び出すのではないかと心配になるほど心臓が煩くて
24年間繰り返している息の仕方すら忘れかけた。
お世辞にも可愛げのある言葉遣いでは無かったし、余裕の無さは顕著に現れ、口調も大変失礼なものになってしまった事は反省している。
してはいるが。
「………お、お断り…させていただいても…」
「は???」
まさか振られるだなんて微塵も思って居なかった為に、ぽとりと落とした煙草が綾木に借りたズボンを溶かし
大惨事手前のそれに、俺の大告白は流される形となった。
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