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第601話

「紫の 色濃き時は 目も遙に 野なる草木ぞ わかれざりける」 カーテンが教室へと吹き込む風で揺れる中、低くて落ち着く声が和歌を詠んだ。 「紫とは、紫草のことを指します。 古代から貴重な紫色の染料や薬の材料として大切にされてきた、紫草。 数多くの文学作品に登場し、日本の伝統文化を象徴する植物として格別な扱いを受けてきた植物です。 文学作品で紫と言えば、簡単に思い付くのが紫式部でしょうか。 ご存知の通り源氏物語を書き上げた女性で、また作中登場する最上の女性にも紫が名づけられています。 他にも、枕草子や数多くの古典和歌集から近現代の宮沢賢治の童話に至るまで、紫草の名は様々な形で取り上げられてきました」 穏やかな時間だ。 大好きな声が、美しい日本語を紡ぐ。 大和国の言葉の繊細さは、本当にキラキラしているのに儚くて、いつしか海の外の言葉が勢いを増していった。 死んでいく言葉があるから、新しく生まれる言葉がある。 当たり前の話だ。 この世の摂理だ。 人間だってそう。 そんな中でも、その美しさを紬糸のように繋いでいく人達がいる。 そう。 例えば、“担任の先生”。 「ここの“目も遙に”は、目、つまり視界が遥かと言う意味になります。 もっと簡単に訳すと、見渡す限り。 そして、“芽が張る”という意味も掛けています。 しっかりと地面から芽を出し、根を伸ばす春の力強い美しさが込められていますね」 教科書へと落とされた視線がゆっくりと此方を向いた。 惹かれた目 そこには愛情が滲んでいる。 古典作品への愛。 その“名前”への愛。 受け取ったのは愛だ。 切れたのならば、紡げば良い。 本数が増えれば、より強く頑丈になる。 「ちゃんと育っているよ。 安心しろ」 そう。 例えば、正宗さん。

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