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第609話
ぬるい水──言葉としてはおかしいが、冷えるまで待つなんて水道代が気になってしまうので水温はまだぬるい──で、手洗いと嗽を済ませ、また背中に抱き付く。
細さも体温も心音も、すごく安心する。
「前からじゃなくて良いのかよ」
「……」
いそいそと位置を変えると、小さな笑い声が聴こえてきた。
そして、それと同時に頭を撫でられる。
大きくて冷たい手。
それが、髪を梳くように撫でてくれる。
試験用にセットをしたのも構わず、母が末弟を撫でるかのように愛情深く。
「頑張ったな」
「俺は、…今の俺に出来ることをしてきただけです」
「毎日遅くまで勉強してたのも知ってる。
実習中も、沢山レポート纏めてたろ。
沢山頑張ったな。
すごいんだからな」
「……」
子供のようにポンポンと頭を撫でられ、三条の表情がどんどん幼くなっていく。
素に戻っていく、と言った方が正しい。
「…へへっ」
「ご褒美やりてぇんだけど、なにが良い?」
そんなのもらえない。
自分の夢のために努力をするのは当たり前だ。
あの会場にいた人達はみんなそう。
みんな、当たり前に努力をしてきた人達だ。
だけど、口が勝手に動いた。
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